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紅旭の虹  作者: 宗篤
第九章 疾駆の章
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転進

 先に教団はマシニッサを退けたことで南部一帯を完全に施政下に置いたと判断した。

 元々南部は教徒が多い。その上、南部の各地には教団の運営する荘園地が多く存在し、それが地方の監視役のような役目を果たしていた。それに王領の拡大に伴って南部諸侯は多くの郎党を引き連れて新たな封地へと旅立った後であった。残った諸侯は最初期に行った制圧活動の中途で、軒並み戦死するか逃亡するかの二者択一で処理済であった。

 教団に反対する勢力も、核となる人物も存在しない以上、教徒以外の南部の民も心中はともかく、表立って反抗の動きを表すことはあるまいと考えたとしても、それは甘い考えだとまでは言えないのではないか。むしろ妥当な判断であろう。

 それに教団は万民平等の公平な社会を作り出すことを前面に押し出して民の味方であることを大きくアピールしていた。この秋は朝廷に成り代わり、南部では税を収納したが、その税率は意図的に朝廷の税率よりも低くするなどの配慮を示した。既に租庸調を国府の正倉に納めていた場合でも、わざわざ一部をその当人の元に返還するなどの処置を施し、何よりも人心を得ることを主眼において足元を固めようとしたのだ。

 露骨な人気取りだったが、それだけに効果は絶大なものがあり、平和を乱すものとして教団を一度は白眼視していた民衆もあえて蜂起しようとまでは思わなくなっていた。いつの時代も人間は利に弱いのである。

 戦場では机上とは大きく異なる展開を見せたが、民政と言う面においては教団は計画通りのまずまずの滑り出しを見せたといえよう。

 問題となりうる存在だったマシニッサ率いるトゥエンクの兵を南部から叩き出した現在、南部内に残っている問題はもう無いはずだった。


 だが南部にはそれまで仕えていた諸侯が移封したにも(かかわ)らず、訳があって南部に留まった者たちが多くいる例外的な地域が存在したのである。

 そう、それはダルタロスの地である。元アエティウス派の人々は新しくトラキア公に封じられたトリスムンドについて行くことが許されずに未だダルタロスの地に過半、留まっていた。

 そのことを教団幹部は迂闊にも知らなかった。もっとも大なりとはいえ一公爵家の内情など表に出てくることは早々ないのであるから、彼らばかりを攻めるわけにもいかないだろう。

 もっとも正確にはそのことを知っている人物は教団内にもいたが、そのことに留意するように他の幹部に告げなかったというのが正解だ。

 さて、彼らはいったん職を失ったものの、新しく伯に任じられたプロイティデス、ベルビオに召抱えられることは内定していたので気持ち的には楽であった。

 現地で首を長くして彼らの赴任を待ちわびていた彼らだが、その前に今度の叛乱が始まってしまった。

 彼らとしては官吏の暴走で亡くなった村人たちなどに大いに同情はするものの、共に戦った経験もあれば、兄弟や親戚が王師や羽林として有斗に仕えている関係上、他の誰よりも有斗に親しみを感じているし、ベルビオやプロイティデスを伯に任じたのが王直々の配慮であることを知っていたので、心情的には朝廷寄りの立場であった。

 しかし南部に根付いた教団の根は深く広い。周囲は教徒だらけである。その中で自ら率先して立つほどの勇気の持ち主はさすがのダルタロスの者とていなかった。

 だが王師が南部に向けて王都を進発し、教団がそれに呼応して全軍挙げて北上したことが、彼らに絶好の機会を与えることとなる。

 南京南海府は長い間、ダルタロスの所有物であった。彼らにとって見れば勝手知ったる我が家も同然、その構造については誰よりも詳しい。

 彼らはひそかに連絡を取り合い、武器と人数を集めて僅かな人数しか残っていなかった教徒の手から南京南海府の全ての外郭門を奪回し、出入りを制限することで支配権を手に入れ、教団の反撃に備えた。

 だが一部の教徒は彼らの手を逃れて城に逃げ込んで城門を閉じ、抗戦を続けようとした。ここに南京城を巡って争いが起きるかに思われた。

 だが城に篭った教徒たちにしても外部との連絡が断たれて不安だったし、南海府を制圧したダルタロスの者にとっても千人に満たない人数で内と外の敵の備えるには限界がある。双方が決め手を欠き、膠着状態に陥る。

 双方の思惑を見透かした一人の人間が調停を図った。

 教徒たちからも信頼され、ダルタロスの者たちからも同様に信頼がある人物、そうこの時点で南京南海府を預かっていた六柱の一人、アリスディアである。

 彼女は南京内に残る教徒の命の保障と引き換えに、城を明け渡すことを提案したのだ。

 結局、彼らはこの提案に乗った。来るべき教団の侵攻に備えて異分子を南京から排除したかったし、教団は王との決戦に備えて一人でも多くの戦士を必要としたから、南京の城に残る者は非戦闘員が多かったので例え合流されたところで痛くもかゆくもないだろうと判断したのだ。

 それに教団は信用できない彼らでも、アリスディアのことはよく知っており、信用できるからである。


 そのことを教徒を引き連れ南京から脱出してきたアリスディアの口から直接聞いた教団幹部たちは怒りを抑えきれなかった。

「なぜ城内に留まって戦わなかった! あの城は王が住まうに相応しく堅固な城砦、宮門を閉じてさえいれば少数の兵でも十分防げたはず! 南京の内と外から呼応すれば、千人に満たないダルタロスの兵など如何様にも始末でき、南京南海府を取り戻せたものを!!」

「まさか命欲しさに大事な拠点をみすみす敵の手に渡したのではあるまいな!?」

 幹部たちの敵意と怒りに満ちた言葉を柳に風と受け流し、アリスディアは冷静沈着に反論を展開する。

「無茶を言わないでいただきたい。南京に残されたものは年寄りや女子供ばかりです。武器も満足に使えません。武器を持ったダルタロスの兵相手に戦って、そう長い間持ちこたえることなどかないますまい。それともいつ駆けつけるやもわからぬ味方を待って、我ら全員に玉砕せよとでもおっしゃるおつもりですか?」

 穏健派のアリスディアは自派で兵を養成するということをしなかったし、教団も王と親しかったという事実を(かんが)み一軍を預けなかった。

 それでアリスディアは後方での教団の通常業務、布教や慈善活動などに従事していた。であるから南京南海府にいたアリスディアの下には僅かばかりの警護の兵がついていただけだったのだ。

 後は病人や老人、女子供が主である。それで戦えというのはさすがに無理があることくらいは教団幹部も理解はしていたが、南京南海府を失ったという現実に衝撃を受けて、その怒りの捌け口をアリスディアに求めてしまったのだ。

 確かに南京失陥は戦略上の大事ではあるが、指導者たるもの目の前で起きた事件に一喜一憂するのではなく、冷静にその事態にどう対処するべきか考えることこそまず行うべきことなのに、とバアルは溜息をつきたい気持ちを喉元に押し込んで、教団幹部の注意を新たに戦略を練り直す方向に持っていこうとする。

「・・・ともかくも南京が我々の手から失われたという事実だけは確かです。これからの戦略を立て直さなければなりますまい。南京が我々の手から失われたことを知れば王は急いで王師を繰り出すに違いない。南京をどうするのか、もしくは向かってくる王師にどう対処するのか我々は急ぎ決めるべきだ」

 バアルの言葉にようやく教団幹部も目の前に差し迫った危機があることに気がついたようだ。

 早く決断し、行動を起こさないと南京失陥で行き先を失い、立ち止まってしまった教団はこの行軍体勢のままで王師に攻撃される危険性があるということだ。

「それは取り返すべきだろう。幸い我々に歯向かった愚かなダルタロスの兵は千人程度だという。南京の城壁は高く攻略は難しいが、その全域を守備するには敵の数は少なすぎる。そう苦戦することなく取り返せるのではないか」

「だが住民が彼らに協力したらどうする? 長年ダルタロスの治世下で暮らしてきた彼らだ。その可能性は十分あるだろう。住民が手伝えば一日二日、いや、一週間くらいは持ちこたえることができるかもしれない。それが伝われば、どんなに腰が重くても王師も南京へと兵を向けるに違いない。そうなれば今度はわれらが城の内と外に挟まれ、不利な体勢で戦闘を始めなければならなくなる」

「ならば南京を諦め、背後の王と決戦を行えというのか? 馬鹿も休み休み言え!」

 傭兵たちから考えれば、いまだに教団は兵力において大いに勝るのだから、それは十分にありうる選択肢なのだが、よほど先ほどの敗戦がお灸となって効きすぎたのか、教団幹部は正面から野戦を挑むことは無謀な策に思えるらしい。

「そうは言っていない。ただ南京攻略には危険が伴うと警告しているだけだ」

 議論の入り口でもたもたと足をもつれさせるような教団幹部の会話に業を煮やし、ディスケスが会話に割って入る。

「ところで先日提案のあったバルカ殿の作戦についてはどうなりましたかな? 事態がこのように変遷した以上、少しばかり手順が異なることにはなりましょうが、今でもあの作戦は有効なはず。私としては全面的に賛同いたしますぞ」

 ディスケスはバアルが先日提案した作戦について述べ、教団幹部の意識をそこへと向けようとした。

 デウカリオは一切言葉を発しなかった。バアルの作戦が有効なことはデウカリオも腹の中では大いに認めているところではあるが、だからといって手放しで賛同するというのもそれはそれで(しゃく)なのである。賛意を表しもしないが、だからといって反対の意見も述べたりはしない。それが彼にできる精一杯のバアルの策に対する賛意の表し方だ。

 だがイロスはその作戦の有効性は認めつつも、実行段階において不備があるのではないかと指摘し、反対の意見を表した。

「いや、こうなっては却ってバルカ卿の作戦を取ることは危うい。ダルタロスの地に住む者全てが我らの敵に回ると考えたほうがいい現状では、兵を分散し各所に伏せても、その存在が地元の住民の口を通じて王に伝わると考えなければならない。王は南京南海府に入る前に各地に潜む我らを駆逐しようとするだろう。我らは各個撃破の憂き目に合い、しなくてもよい敗北を被り戦力を減退させる危険性がある。とても良策とは思えぬ」

「それではどうするつもりで?」

「撤退する。南京南海府で王師を迎え撃つのではなく、南部南域にて防衛戦を行うことにする」

「逃げてどうするというのですか!?」

 現在取れる手段の中で最悪ではないものの、その劣悪な手段に思わずバアルは詰問するような口調で尋ねた。

 教団の手によって王権を転覆し、革命を起こすことが目的なのだ。まさかいつまでも王師との戦いを避けて逃げ回るわけというわけにもいかないだろうとはバアルも思うのだが、ここで言質を取っておかないと協力もしかねる思いだったのだ。

 もっともこの腰抜けっぷりからすると下手をすればいつまでも逃げるかもしれないがな、とディスケスは皮肉げにそう思った。

「策はある。南京南海府から南部南域に入るには道が限られる。ヴィオティア山脈が立ちはだかっているからだ。いかな王といえども天嶮(てんけん)には逆らえぬ。そこを抜けるには潜龍坡(せんりゅうは)と呼ばれる狭い急坂を抜けねばならない。そこでならば地の利を得た我らが如何様にも優位に戦を進めることができるだろう。長駆遠征し、疲労の局地に陥った敵を準備万端の我らが地元で迎え撃つ。これならば勝機は十分にある」

 天嶮を利用し王師を撃退する。どうやらそれが南京という格好の防壁を無くした彼らに最後に残された手段であるらしかった。

 いいだろう。そこまで退いてやろうではないか。さすがのこの腰抜けどもも、そこまで退けばもう逃げ場は無い。否が応でも戦うしかないということが分かるに違いない、とバアルは思った。


 南京南海府をダルタロスの者が占拠したという知らせと教団の南部南域への撤退の知らせとが有斗の下に届けられたのは、ほぼ同時だった。

「住民が挙兵し、南京南海府を教徒の手から奪回した!?」

 将軍たちは一斉に色めき立つ。南京は堅城だ。攻め落とすのは王師の手をもってしても容易なことではないだろう。犠牲も多く払わねばならない。南京攻略戦こそがこの教団との戦いの行方を決すると思っていただけに、その喜ばしい知らせには皆、興奮冷めやらぬ様子だった。

 もう一人大興奮の人物がいる。それはアエネアスだった。

「どうだ! 我がダルタロスの働きは!」

 まるで自分が立てた大手柄を自慢するかのように鼻高々だった。別にアエネアスの手柄ってわけでもあるまいにとは思ったが、喜びに水を差すこともないと思って有斗は黙って頷いた。

 それに気持ちは分かる。アエネアスにとっては朝廷の羽林という組織より、アエティウスと共に過ごしたダルタロスの思い出に繋がる彼らのほうが馴染みが深いのだから。

「全てのダルタロスの将兵があの地に残っているわけじゃない。せいぜいが一千かそこらだよ。下手をすれば教団に敗北し全滅しかねない。よくもまぁこんな大それたことをしようと思ってくれたものだよ。彼らの勇気には実に敬服するね」

「ダルタロスの者は恩の死はせねど、情の死はすると昔から言うからな!」

「うん。実に有難いことだよ。彼らには感謝しなくちゃ」

 そう感謝の念を述べる有斗に目を細めつつも、アエネアスは忘れてはならないことがあることを告げた。

「有斗、挙兵したダルタロスの者はそう数が多いわけではない。もし攻められれば長期間の防衛は無理だ。南部南域へと退こうとしている教団もいつ気が変わって南京南海府を攻めようとするかわからない。一刻も早く彼らの元に駆けつけ、南京を敵の手に取り戻されないようにすべきだ」

 アエネアスのその指摘はもっともなものだった。有斗は大きく頷いて賛意を表す。

「そうだね。急いで鹿沢城を進発することにしよう」

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