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紅旭の虹  作者: 宗篤
第二章 昇竜の章
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青野原の戦い(Ⅵ)

 軍の一部を囮にして罠にかけるというのは往々にして、よく見る戦い方であるが、言葉で言うほど簡単ではなく、やってみると困難な戦だ。

 負け方や逃げ方がわざとらしいと思わせてしまっては、罠を恐れて敵は追撃を諦めてしまう。

 敵が戦いの高揚感に囚われ興奮し、少しでもまともな考えを常に抱かれぬようにしなければならないのだ。

 だがそれは、敗走したと思って意気上がる一万の軍勢を相手に、敵に陽動だと気付かせないように、適度に戦いながら逃げ、なおかつ自らは壊滅しないようにしなければならないということでもある。

 もし陽動だと気付いたら、もしくはリュケネらが壊滅するようなことがあれば、きっと伏兵のところに着くまえに、彼らは正気に戻ってしまうことだろう。

 とてつもなく困難な戦だ。

 だが、困難だからこそやり遂げる価値のある戦と言えよう。

 彼は武人だった。それも戦いの技術を研鑽(けんさん)することに喜びを覚えるタイプの武人だった。


 殺到する左軍を目にしても、狭い入り口を(ふさ)ぐように布陣したリュケネの兵は一歩も退かなかった。

「よし、斉射せよ」

 一斉に放たれる矢。だが左軍は慌てることなく盾を頭上に掲げ矢を防ぐ。

 矢が降り終わり、再び前進しようとする左軍の将兵の目に信じられない光景が映っていた。

 ここでリュケネが持つのは旅隊ひとつである。その1000名に満たぬ人数で左軍に向かって斬り込んで来たのだ。

 弓で一旦足を止めたことで勢いを無くした左軍はリュケネとぶつかった。

 兵力では勝る左軍を勢いで上回る。陣形を大きく乱していた左軍は50メートルも押し戻された。

 そして敵が異様な事態に驚いている、その一瞬のうちにリュケネは素早く退却を命じた。

 左軍から騎馬兵が抜け出て追撃に移る。リュケネ隊はそれとも戦いながら逃げねばならなかった。

 騎馬兵だけならまだなんとかなる。だがもしその後ろからヒタヒタと近づいてくる歩兵隊にまで追いつかれるようなことになったら、リュケネ隊は崩壊してしまうだろう。

 時々戦い、また逃げる。緻密な、そして一歩でも間違うと即死に繋がるこの退却行を、芸術的なバランスでリュケネは指揮し続けた。

 やがてリュケネが待ち望んでいたものが見える。両側に切り立った高い崖。

 だがもう少しの間ひきつけつつ退却しなければならない。先頭にだけ一撃を与えても大した戦果にはならない。できれば中ほどまで誘い込んでから、伏兵は使いたいところだ。


「リュケネの隊がまもなく来ます」

 アリアボネが崖の上から、その合図の旗を振って知らせてくれた。

 有斗は兵に命じて道を開けさせ、リュケネの隊を収容する。誰も彼もが傷だらけ。よくここまで保ったものだ。

 追撃してきた騎兵隊は有斗たちが陣を整えて待ち受けていたことに気がつくと手綱(たづな)を引いて馬を止めた。その顔には動揺が見える。


 さあ、ここからは反撃の時間だ。

 有斗は腕を振り下ろす。

 先頭に並んだ兵が弓を一斉に放つと、ばたばたと敵が倒れた。

 左軍の先鋒は馬を返し、我先に逃走にかかった。罠にかかったことに気付いたのだ。

「騎兵隊、前へ! 逃すなよ!」

 アエティウスのその声に、アエネアスなど騎兵は残らず一斉に後を追った。

 それと時を置かずして、アリアボネの命令一過、崖の上に伏せていた兵が一斉に立ち、(おびただ)しい数の矢を降り注いだ。おもわぬ不意の攻撃に左軍は混乱の極致に陥る。

 予期しない攻撃に盾で防ぐ(いとま)もなく、ただの一射で(おびただ)しい兵が黄泉の国へ行くことになった。

 後ろから加勢しようとする兵が前へと向かい、前からは敵に追い立てられ逃げようとする兵に挟まれた格好になったヒュベルの第三旅隊と第四旅隊は(はなは)だしい混乱に襲われていた。

 前も後ろも味方なのである。ヒュベル自慢のその力も相手が味方とあっては振るうこともできない。

 頭上からは大量の矢が降り注ぎ、進むことも退くこともできない。

 行き場をなくした多くの兵が味方の兵に踏みつけられて圧死した。

 もはや戦どころではない、一刻も早く逃げるしかない。


 やがて救援するため前へ行こうとしていた左軍の後方の将も、このままでは待っている運命は全滅であると気付いたのであろう。

「転進! 急いで青野原に戻るぞ。いいかすぐにだ!」

 他の将士も同じ結論に達したのか、次々と後ろを向いて退き始める。

 それでやっと左軍は敗走と言う形ではあるが、統一的な行動を取ることになった。

 とはいえ、埋伏していた弓兵と騎兵の逆襲により左軍には甚大な被害が生じている。

 混乱の為、ほとんどの将は指揮を取ることすら困難になっていた。ただひたすら回廊を敗走するだけだった。


 伏兵の(やじり)が届かなくなった辺りからだった。

 それまで後ろを見せて逃げていただけの左軍だったが、組織的な抵抗をしはじめる。

 どうやら少し広くなった場所で隊列を整え待ち構えていたらしい。

 逃走する左軍の兵を援護するべく、南部諸侯の騎馬兵が迫ると、長槍を並べて一斉に襲い掛かってきた。その勢いは激しく、同時にきわめて整然としていた。

 南部諸候軍はその一突きで騎馬兵を30人も失った。

 その攻撃に(ひる)んで南部諸候軍が一旦勢いを弱めたと見るや、一息入れて固まって後ろに退く。リュケネがさきほど披露した撤退方法を寸分たがわず再現していた。

「敵の殿軍(しんがり)も見事だな。リュケネに勝るとも劣らない」

「あれは・・・左軍の第一旅長、陥陣営(かんじんえい)のエテオクロスです」

 リュケネが有斗に耳打ちした。

「異名を持ってるということは有名なの? 君くらいに?」

 有斗の言葉にリュケネは苦笑して、

「私なんかとはとても比べられません。左軍の事実上の軍団長です。部下の信任も厚い良将ですよ。彼とヒュベルは左軍にその人ありと他軍の一兵卒すら知っている、それほどの存在です」と言った。


 南部諸侯軍は二度三度と殿軍のエテオクロスの堅陣を打ち崩そうと試みる。

 勢いに勝る南部諸侯軍が押してはいるが、エテオクロスも負けてはない。

 結局左軍を回廊から逃してしまった。

 本来なら左軍を救援すべく右軍や中軍が兵を出しているはずである。もう一度その兵に負けたふりをして回廊に引き込む、それが当初の作戦だった。

 だがそれは当然、左軍を救援するために中軍や右軍も回廊のそばまで兵を向かわせているという前提で組まれた作戦だ。

 たとえ本気で援ける気がなくても、面子や建前ってものがある。

 だから一部の兵であっても救援の兵を出すはずだったし、その兵を誘い出すことが出来れば、援護の為の兵をも回廊内におびき寄せることができる、そう考えていた。

 だが右軍も中軍も一歩たりとも踏み出した様子はなかった。

 味方の危機に対してもまったく動かないという行動を取るとは、アリアボネにも一片の可能性ですら考えていなかったのだ。


「退きましょう。残念ながら右軍も中軍も左軍を援けに動こうとはしなかった。回廊内に誘い込み伏兵を使って敵を破り、逃げる敵軍を追撃して勝つという我等の目論見は崩れた。残念ですね・・・右府と内府が仲が悪いとは言え、まさか一歩も動こうともしないとは想定しなかった」

 アエティウスが悔しそうにつぶやいた。


 有斗たちは勝った。今日の戦闘に勝利した。

 だけど今日使った作戦はもう明日からは使えない。

 さらに言えば左軍を壊滅するほどに追い込めなかった。むしろこちらの損害も多い。

 ひょっとして・・・今日勝ったことで、逆に明日勝てる(すべ)がなくなったんじゃないだろうか・・・?

 有斗は少し不安を感じた。

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