青野原の戦い(Ⅴ)
「相変わらず・・・凄い腕前だな」
アエティウスが感心してそう言うと、
「・・・私もあれでやられたんだ」
アエネアスも頷きながらそう答えることで、ヒュベルの力を褒めていた。
「しかし弱ったな。まさかこんなことになるとは」
こうなったら有斗は敵将のことなど無視したらいいんじゃないかなと思い、アエティウスにそう告げてみた。
「一騎打ちなど無視したら? 計画通り騎兵中心で攻めてみせて敵を釣り出そうよ」
「釣り出そうにも、こうやられた後では味方の士気にも関わる。しかし一騎打ちなど、今の時代にやるやつがいるとは・・・」
アエティウスも困っていた。いい作戦が思いつかないようだ。
しまったな。アリアボネを連れて来ればよかった。今の状態を打開する策を思いついたかもしれないのに。
この部隊は敵を釣りだす囮だ。そう思ったからこそアリアボネには伏兵の指揮を任せて置いてきたのだ。
失敗だったかな・・・
「兄様! 私が行く!」
その声と共に馬を回そうとするアエネアスだったが、その肩を無骨な大きな手に掴まれた。
「若! 何もお嬢が出るまでもねぇ、俺に任せてください!」
ベルビオだった。ダルタロスが誇る先鋒。確かに彼ならば力負けはしないかも。ヒュベルという敵将も衆に優れた体躯をしているが、ベルビオはそれを更に上回る巨躯なのだ。
「ベルビオか。力比べならお前のほうが上だろうが、お前でもどうかな・・・」
「なんてことはねぇです! 一度見た技、避けきってみせますぜ!」
と言うやアエティウスの返事も聞かずベルビオはヒュベル目指して駆け出した。
「覚悟しろ!」
また無謀なやつが来たのか、やれやれだぜ、とでもいった顔でヒュベルは溜め息をついてみせる。挑発しているのだ。
「なんだまた一人か? 時間の無駄だから束になってかかってきたらどうだ? 俺もいいかげん雑魚の相手はめんどくさいしな」
「俺様相手にそんな無駄口を叩く余裕があると思うなよ!」
ベルビオはヒュベルにいきなり戟で斬りかかった。
ヒュベルは十文字槍でそれを軽やかに防ぐ。
ベルビオは左上段、振り上げて下段、そこで腕を返して中段、回して上段と立て続けに攻撃し、ヒュベルに攻撃する間を与えない。
「おお、ベルビオが押してる」
有斗が感心すると、アエネアスが、「いや違うな。あれはわざと攻撃させているんだ。息を整えてるんだ」と口を挟んだ。
「じゃあ最初より疲れてるってこと? それならベルビオなら余裕で勝てるんじゃない?」
「・・・どうかな」
アエネアスは口ごもる。確かに息が上がった普通の人間ならば、ベルビオにとって敵ではないだろうが・・・相手はあのヒュベルである。厳しい勝負だと言うしかない。
だがその時は、いまだ一方的にベルビオが攻めているように有斗には見えた。
しかしヒュベルもゆるりと防戦から攻勢へと切り替えていたのだ。攻撃の手数が増える。
二十合ほど討ちあうと、やがてヒュベルの攻撃がベルビオを押し始める。
ベルビオは防戦一方だ。だがベルビオの繰り出す強力な戟の一撃は、たとえヒュベルといえども気は抜けない。勝負は長期戦の様相を見せ始めた。
「とう!」
アエネアスは我慢できなくなったのか、ベルビオが危ないと見たのか、兜を被ると馬を走らせた。
「アエネアス!」
アエティウスが叫ぶが、アエネアスは聞く耳を持たず駆けて行った。
ベルビオとヒュベルはその間も攻防を続けていた。
そこに背後から馬を走らせアエネアスが加わった。
「たあっ!」
アエネアスは斜め後ろから青龍戟を突き出す。
だがヒュベルは身体を捻り軽々と避け、十文字槍を逆に突き返した。まるで後ろに目があるかのようだ。
「二対一か。よかろう。二人がかりでかかってくるがいい」
距離を取り二人を見据えながら、さてどちらから料理してやろうかな、と高級食材を手に入れた一級の料理人のように不敵な笑みを浮かべた。
ひとたびアエネアスに槍で牽制をかけると、今度はベルビオに斬りつける。そうやって二人にいいように距離を詰めさせない。
右に左にヒュベルは獅子奮迅の活躍を見せる。二人相手にしてもまったく隙を見せない。長期戦となった。
ベルビオが戟を振るって距離を詰め膂力勝負の接近戦に持ち込もうとする。
ヒュベルの目は主にベルビオに向けられている。
好機だ。ここで挟み込めば!
見えてないと思い、アエネアスが不用意に馬を寄せた。とたん十文字槍が飛んでくる。
アエネアスは柄で受け止める。だがそれは不完全な受け。前方に加重がかかる。
ヒュベルは好機とばかりに力を込め押しつぶさんとした。
ヒュベルの力に耐えかねて、アエネアスの馬が膝を屈した。
それを見るや十文字槍を回してベルビオと距離をつくり、アエネアスに襲い掛かる。
どうやら先にアエネアスから片付けようと決めたらしい。
必死に馬を立たせようとするアエネアスだったが、思うようには行かなかった。ならばと青龍戟で防ごうとするが、それも馬の下敷きになり引き抜けそうもない。しかたがない馬を捨てるしかない。
「あっ・・・!」
だけれどもアエネアスの裾の一片が馬の下に挟み込まれていた。
避けられない!
アエネアスが諦め、目を瞑った、その時だった。
馬を走らせてアエティウスがヒュベルとアエネアスの間に割ってはいる。間一髪でヒュベルの槍を弾き返した。
「兄様!」
アエネアスが喜びで顔を紅潮させた。
「油断するなよ」
アエティウスは馬上で左右の剣を器用に使いながらヒュベルと戦う。
アエネアスは急いで馬を立たせると、青龍戟を拾い、アエティウスを追いかけた。
「ちょっと待てよ! 三対一でかかってくるとか何考えてるんだよ、お前ら。卑怯だろ!?」
たまらずヒュベルは愚痴を口にした。
「三人いっぺんにかかって来いと言っただろう? お言葉に甘えさせてもらっただけさ」
アエティウスは左右の剣を交差させ、十文字槍を防ぐと、右の剣でそのまま槍を防ぎ、左の剣を突き出して斬りつける。
その刺突を軽やかにかわして、ヒュベルは十文字槍を引きアエティウスと距離を取る。
ヒュベルは舌打ちした。確かに言ったことは認めるが、この三人は一人一人がかなりの実力者だ。さすがにヒュベルでも防戦しかできない。
特に双剣を使う男はやっかいだった。ヒュベルの技を軽く交わし、恐れもなく十文字槍では戦いづらい近距離に容易く潜り込む。
その時、右からはベルビオが、アエティウスが退いた左からはアエネアスが馬を寄せてくる。
挟まると危険だと感じたヒュベルは、アエネアスに向かって牽制の意味で軽く突いてみせる。
その隙をついて、ベルビオが大きく振りかぶり戟を振り下ろす。ヒュベルは槍の柄で辛うじて防いだ。
だがベルビオの巨躯がもたらす力は、ヒュベルといえども受け止めるので精一杯、瞬時に切り返すことなどできなかった。
タイミングを狙って技を繰り出そうとするが、ベルビオの力に押されてその機会がなかなか訪れない。
「はああああっっっ!!!!」
アエネアスは青龍戟をベルビオの刃の少し下あたりの柄に振り下ろす。
二人がかりで潰そうというのか!? ヒュベルの本能が危険を察知する。右にアエネアス、左にベルビオ。三頭の馬が同じ速度で併走した。
「ベルビオっ!」
そうアエネアスがベルビオに合図を送った。
「おうさ、お嬢!」
ベルビオが吼える。
と、ベルビオが十文字槍の頭のほうに、アエネアスが石突のほうに同時に刃を滑らす。
十文字槍の中央で両者の刃を受けていた格好のベルビオは、これでは先ほどブルテウスに使った技は使えない。
それどころかそのままなら槍を握っている指を切断されてしまい、手を離せば両者の力を支えきれず刃をその身に受けてしまう。
これはさすがにかわせない、そう誰もが思った。
だがなんと、刃が拳に近づくその一瞬だけ一本一本指を開くという神業で、押しつぶされることも指を切断することもなくやりすごした。
アエネアスの青龍戟が石突から滑り降りたことを見るや、石突を跳ね上げアエネアスを仰け反らし距離を取ると、十文字槍を頭上で回転させ持ちかえ、ベルビオに切りかかる。
「おうさ!」
だがベルビオは一旦地面にぶつけた戟を跳ね上げ、十文字槍に激突させる。
だが激突したのは一瞬。槍を外し頭上で一回転させ、戟が跳ね上がってがら空きになったベルビオの身体に襲い掛かるに見えたその時、突然槍を引くや右後方に石突を突き出した。
後方から襲おうとしたアエティウスの双剣を防いだのだ。
「おお!」
両軍から驚嘆の声が上がる。
これほどの勝負は木刀木槍を使う武挙でも見られない。一端の戦士でもあれば心躍らせる決闘であった。
だが、さすがにこの三人相手ではこれ以上は危険だ。すでにヒュベルといえども余裕はまったくない。
「ま、遊びもそろそろ終わりか」
ヒュベルはアエティウスの双剣を受け流し、次いでアエネアスの青龍戟を叩き払い、相手がベルビオ一人になったその隙にくるりと馬を反転させて逃げ出した。
「こらっ待てっ! 卑怯者!」
頭に血が上ったままのアエネアスが追いかける。その後をベルビオが続いた。
だけどいくら相手が強いからと言っても、三人がかりで一人と戦ってるほうが言うセリフじゃない、と有斗は思った。
っていうかアエネアス追いかけてるし! 敵に釣られてどうするんだよ!
追いかけるベルビオやアエネアスを止めようと、アエティウスも馬を敵陣へと走らせた。
王師左軍はそれを見て兵を進め、ヒュベルを援護しようとしていた。
あの三人がいくら強いとはいえ、三人だけで王師と戦うなんて無理だ! 無茶すぎる!
しかたがない。命令したことは無いが、今は僕しか全軍に命令する者がいないんだ。
それにここで有斗らが釣りだされたように前に出たら、きっと敵は応戦することだろう。そこを抗戦せず素早く戻れば、敵は追いかけてくるかもしれない、罠にかけれるかもと思い当たった。
「騎馬隊は突撃せよ! 援護しつつ敵とは抗戦せず三人を回収して退却せよ!」
有斗は命を下し、千の騎兵を出した。
「リュケネ」
有斗は横に控えるリュケネを振り返る。
「はっ!」
「僕らが平野部に出たのを見たら、敵は好機とばかりに襲い掛かるだろう。そこで僕らは始めの計画通りに敗れたと見せかけ、伏兵のあるところまでおびき寄せたい。敵に疑われぬよう、適度に反撃しては退くという難しい役目だが、君以外に適任者はいない。どうだ、殿軍をやってくれないか?」
難解な仕事にも関わらず、リュケネは一瞬も迷うことなく頷いてみせた。
「御意!」
「内府様! 挑発に乗って敵がやってきますぞ!」
ヒュベルを追うように動き出した南部諸候軍を見た軍監が内府に振り返ったそう言った。
「おうよ! 太鼓を叩け、出陣する。全軍をもって殲滅する! この絶好の好機を逃がすでないぞ!」
仮設の櫓に上ってそれを見ていた内府はこれで勝てると喜色を表した。
敵を平原に出してしまえば、こっちのものなのである。
左軍が動き出す頃、プロイティデスやエレクトライに率いられた騎馬部隊はアエティウスら三人の回収に成功した。弓の射程圏内に入るぎりぎりのところであった。
騎馬隊は襲い来る左軍との距離を絶妙に開けながら、扇の要たる位置、すなわち元の位置へと導いた。
そこではリュケネ率いる下軍の旅隊が、すでに迎撃の陣形を準備万端整えて織り敷いていた。
アエティウスらと合流すると有斗は兵を退く様命じた。後はリュケネに任せるのだ。
同時に多数の部隊が回廊内に存在すると、殿軍が退却するとき邪魔になるためだ。
「たのんだよリュケネ」
「万事お任せを、足を掴んでも必ずや回廊内に敵を退きこんで見せます!」
「さあ早く兵を退くよ。僕等がいても邪魔なだけだ」
アエティウスに声をかけるが返事がない。不思議に思い振り返ると、
「・・・」
アエティウスとアエネアスが顔を見合わせていた。
「どうしたの?」
訝る有斗にアエティウスは少し笑みを浮かべて目を閉じた。
「いや・・・陛下も一端の将のような口を叩けるようになったな、と思っただけですよ。大丈夫、的確な指示です。私たちを守るために騎兵を出したことも含めてね」
「門前の小僧とか言うやつだな」
アエネアスが左手をグーに握ると拳でよくやったとばかりに有斗の肩を軽く叩いた。
「え?」
何がなにやら分からずに混乱する有斗にアエネアスは大きく笑った。
「助けてくれようとしたんだろ? ありがとう、ということさ」