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紅旭の虹  作者: 宗篤
第九章 疾駆の章
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否定、そして拒否反応。

 十万を超える軍が、いや軍未満の集団が移動するのには時間がかかる。

 せっかくバアルたちが苦労して整えた軍隊としての体裁を、マシニッサを破った後、直ぐに崩してしまったから向きを変えるだけでも大事だ。

 全ての部隊の向きを反転させて最後尾から西へと向かうのか、あるいは準備の整った集団から小分けに向かわせるのか、それとも教団が精鋭と思って先陣を務めさせているバラスやカレアの部隊を常道どおりにそのまま先陣のままに反転させ、反対方向を向いている先頭から順次西へと向かうのか、その方針を決めるだけで半日も費やし、デウカリオらを大いに呆れさせた。

「やれやれ敵が傍にいないからいいものの、もしこの間に敵が襲い掛かってきたら連中はどうするつもりだったのかな?」

「きっと慌てて幹部とやらを召集して、次に何を行うべきか話し合うのではないか? それこそ外では矢が降り注いでいる最中にもな」

「それが現実に起こりうることだから、笑い話に出来ない。味方の我々としては困ったところだ」

 彼らがいるところにはガルバ以外の教団幹部が出入りをしないのをいいことに、彼らは舌打ちと皮肉交じりの愚痴と悪口を存分に言い捨てることが出来た。

 もっとも、もしそれを聞いて腹を立てた教団幹部がいても、戦場で人を幾人も殺してきた武将の放つ桁違いに剣呑(けんのん)な殺気を目の前にして、彼らに正面切って文句を言える根性の持ち主はいないであろうが。


 だがその半日の停滞はデウカリオやバアルら雇われ将軍たちに実に嬉しい知らせをもたらすことにもなった。

「約束どおり参りましたぞ。デウカリオ殿」

 にこにこと人の良い笑みを浮かべた白髪髭(しらがひげ)の老武将、ディスケスがデウカリオを見つけるとつかつかと近づいて堅く握手を交わした。

 河東に集結していたディスケスら、カヒとオーギューガの兵を含む傭兵集団が到着したのである。

 アメイジアで王師に唯一劣らぬ精兵と言ってよい彼らの合流は教団の戦力に格段の厚みをもたらしたと考えてよい。問題は教団幹部がその現実をまったく認識しようとしないことだが。

 高名な将軍の到着と聞き、さらには何年も宿敵として血で血を洗う戦いを繰り広げてきた間柄の両者の顔合わせと聞き、野次馬根性の旺盛な将兵たちはその様を見ようと一斉に周辺に詰めかけた。

 あえて近づかない者もその様子を遠くから興味津々といった感じに眺めていた。

「そちらの方々は? さても立派な面構え。さぞや名のある将軍とお見受けするが」

 デウカリオはディスケスの背後に立つ、明らかに将軍と分かる立派な鎧を着込んだ見知らぬ男達を指差し訊ねた。もちろんデウカリオには彼らの正体は分かっている。ディスケスと共にデウカリオのところに訪れたということは彼らはオーギューガの将軍たちに違いない。

 彼らは長年不倶戴天の敵として相対してきたカヒの将兵と顔を合わせるということに緊張を隠せない面持ちだった。

「こちらからアストリア、ナイアド、デスピナ。いずれもオーギューガが誇る先鋒衆の一角を占めた将軍たちです。デウカリオ殿たちに見知ってもらう必要があると思いましてな。挨拶の為に連れて参った」

 名前を告げられる度に将軍たちは頭を下げる。デウカリオはその挨拶のたびに機嫌が良さそうにひとつひとつ(うなづ)いて応対していた。

「いずれもオーギューガにその名を知られた将軍方ではござらぬか。むろんお名前は存じておりますぞ。いや、名前どころではない。幾度かは戦場で互いに刃を交えた間柄ですな。上州で、芳野で、東北で。それこそ幾たびも。実に手強い敵でござった」

「それはこちらの言葉ですな」

「まったく。将軍方ほど骨身を折る相手はいなかった。もし将軍方が我々の前途に立ち塞がっていなかったなら、今頃は王に大きな顔をさせることも無かったでしょうに」

 デウカリオはそう言うと、お返しとばかりに今度は傍にいたカヒの驍将(ぎょうしょう)たちを紹介して回った。

「こちらも紹介せねばなりませぬな。ワシはデウカリオと申す」

 デウカリオはディスケスの後ろに控えている者全てに聞こえるように、響き渡るような大声を張り上げて名乗る。

 思わずディスケスの顔がほころんだ。

「このアメイジアにて剣を持つもので、カヒ四天王の名を知らぬものなどおりますまい」

 有斗が来るまでのこの時代の武人の憧れは、東西王朝のそれぞれの王師ではなくカヒとオーギューガにこそあった。

 カトレウスやテイレシアだけでなく、戦場において彼らを支えたカヒの四天王やオーギューガの双璧は別格の重みを持って彼らの間で語られる。

 自分の生まれ育った地元の諸侯以外のアメイジアの諸侯の名前など知らぬ者であっても、その名を知らぬものはいないだけの存在なのだ。

「それは光栄ですな。こちらの赤目の男こそカヒ家中にて赤眼豹との異名を持つ猛将アンテウォルト卿、この後ろの二人は我が黒色備えの一翼を預かっていたボイアースとレイトス、いずれもカヒに二十四人しかおらぬ歴戦の翼長たちですぞ」

 デウカリオの紹介にディスケスは一人一人と握手を交わした。

「もちろん我々もカヒ二十四翼の将軍は全員存じておりますぞ。顔は知らぬとも旗印は嫌と言うほど見ましたからな。御高名はかねがね伺っております」

「そしてこれはパッカス。父の後を継ぎ二十四翼の一つを預かるカヒの若き将軍です」

 デウカリオは一段後ろに控えていた者たちの中から一人の青年の腕を掴んで引き出すとオーギューガの将軍たちの前まで連れて来る。

 パッカスは思わぬ特別扱いに、誇らしげに上気した顔を上げてディスケスらの前で背筋を伸ばして直立不動の体勢をとる。

「ほう、このような若い者まで駆けつけるとは羨ましい。カヒの方々の戦意は未だ衰えずと言ったところですな」

「一兵卒に至るまで王に一矢報いんと戦意は高いですぞ」

 カヒは東国でもう三十年近く覇者を気取ってきた。であるから王に当主を討ち取られ、カトレウスの巨大帝国を解体されたに留まらず、兄弟が相克して相討たれた結果、七郷にカヒのカの字すら残らぬ結果となってしまったその現実を未だに受け入れられないのだ。

 まだ終わっていない。まだ自分たちがいる限りカヒは滅びたわけではないという想いが彼らに武器を持たせて立ち上がらせた。

 ある者は敬愛するカトレウスの仇を討つ為、あるものはカヒに属していたという己の誇りを取り戻さんが為に、またあるものはカトレウス討伐以降のカヒを解体することになった一連の騒動全ては王の悪意による陰謀であると決めつけ、その悪を正さんとせんが為に、平穏な生活を打ち捨ててここにこうして集うことになったのだ。

「しかしこうして肩を並べることになろうとは・・・ほんの二年ほど前には思いも拠りませんでした。人生とは実に不思議なものでございますな」

「いや、まったく運命とは分からぬものです」

 カヒとオーギューガは不倶戴天の敵、どちらかが滅びるまでは決して共に天を擁かざる間柄であるはずだった。

 だが今はここでこうして共に同じ敵に戦いを挑むために肩を寄せ合っている。

「正直言うと、ワシはあんたらを嫌っていた。多くの七郷の同朋がそなたらの剣を受け死んでいった。今ここにいる者たちの中には家族親戚を殺されたものも多い。だがそれがそなたらを嫌う理由ではない。この暴力と悪徳が支配する戦国乱世を終わらせるのは圧倒的な武で逆らうものを叩きのめすしかない。カトレウス様はあえて修羅の道を選び戦国に覇を称えようとしたのに、それを邪魔することが許せなかったのだ。もしテイレシア殿がカトレウス様と同じく武で戦国乱世を終わらそうとしていたのならばいい。ならばその前に立ちはだかるものは討ち滅ぼさなければならない。我らがそなたらを討ち滅ぼそうとするように、そなたらが我らを討ち滅ぼそうとするのは当然のことだ。だがそなたらはカヒの前に全力で立ちはだかることはしても、乱世を武をもって統一しようとは思わなかった。乱世を終わらせようとする御館様の理想を理解しようとしない、それ故に嫌っていたのだ」

 突然、矯激(きょうげき)な言葉を口に出したデウカリオに、成り行きを眺めていた見物人のほとんどが凍りついた。

 それはこれから共に戦おうとする相手に対して言う言葉とは到底思えない。オーギューガの将士から反駁(はんばく)の言葉が、いや言葉を一気に通り越して刃傷騒ぎに発展しても可笑(おか)しくないほどの矯激な言葉だった。

 だがディスケスは笑みを絶やさずに穏やかにデウカリオの言葉に返答する。だがその口から出た言葉は同じく、いや、更に矯激な言葉であった。

「奇遇ですな。我々も全く同じ想いを抱いていましたぞ。あなた方は我らの仲間を殺し、家族を奪った。ですが弓剣を取るのは武門の習いならば、それをもって恨んだりはいたしませぬ。我らが嫌ったのはカヒの貪欲さ。戦国の世とはいえ、難癖をつけて戦争を起こし、周辺諸侯を呑み込むそのやり方。全ての諸侯が欲を捨て、義をもって日々行動すれば戦国乱世の世は終わるのは自明の理。その気高い思考を行動で示すことで御館様は戦国乱世を終わらそうとしているのに、テイレシア様が掲げる義など無力であるとばかりにカトレウス殿は周辺諸侯を劫掠(ごうりゃく)する。その欲の深さこそが戦国の世を作り上げたのに、と我らもあなた方を嫌っていた。義をもって戦国を終わらせようと考えているテイレシア様の理想を介さぬ野蛮人、猿以下の存在だと」

 周囲はしんと静まり返った。それはそうだろう。如何に買い言葉に売り言葉であろうとも、それは相手を刺激しすぎる激烈な言葉だった。

 しかもディスケスもデウカリオも互いに己に誇りを持つ、筋道を通す男、名の知れた将軍たちである。だからこそ相手に迎合し、なあなあと穏便にことを済ますことなど本人がしたくても、体面がそれを許さないだろう。

 このままでは王師と戦う前にこの寄せ集めの軍は空中分解してしまう、そう当事者以外の誰もが危機感を持ったその時だった。

 突然、からからと明るく軽やかな笑い声が鳴り響いた。

「それは酷い。我らは義を知らぬ獣ですか。何処の世界に着物をまとい人語を解する獣がいるというのですかな」

 デウカリオがおどけて自らの着物をつまんで広げ、オーギューガの諸侯に見せると、また笑い声が起こった。

「それはこちらも同じですよ。乱世を終わらせる気が無いなどとは酷い言い草です。それでは我らが戦国乱世が永遠に続くことを望んでいた悪鬼のようではありませんか」

 ディスケスがそう言うと、今度は両陣営から陽気な笑い声が広がる。

「だが今となってはこうも思うのですよ。相手の考えを認めず、己が信じるものの為に叩き潰さんと戦った我らはよく似ていた。まるで表裏一対のものであるかのように」

「そうですな・・・まさに我らは掲げたものは違えど、最終的には武という同じ手段をもって物事を解決しようとしたゆえに、よく似ていたと申せましょう」

 デウカリオの意見にディスケスも頷いて同意を示す。

「王は信という理想を掲げて乱世を終わらすと公言するところはオーギューガと似ており、敵対したものを打ち滅ぼしたことはカヒとよく似ている。だが我らと王とは根底から何かが違う、食い違う。それが天与の人というものであるといったらそうなのかもしれんが、そういう気がしてならんのです。我々が武を使うのは目的を達するために必要不可欠な手段だからですが、王はあくまでも複数ある手段の多くの選択肢の一つに過ぎないと考えているような気がします。それになによりも惣無事令を見るに、王は目的の為に武力を用いることを否定しようとしているような気がします。それは我らの考えを、今まで行ってきたこと全てを否定しようとしているに他なりません。同輩や当主の仇討ち、主家の復興、王に対する反骨心・・・なんやかやと理由をつけてはいますが、我らが王と戦う理由は本当は違うのかもしれませぬな。我々が王に対して戦いたい、戦わねばならぬと思うのは王が我らの考えを否定したことに、自身を根底から否定されたかのような嫌悪感を持ってしまうからではないでしょうか」

 人は己が間違っていると薄々気付いていても、他人にそれを指摘されるといい気がしないものである。ましてや今までその考えで何の問題も無く生きてきたのに、突然それは間違っているといわれて平然と受け入れることなどできはしないのだ。

「確かに戦国の世を終わらせるのには、王のやることは正しいのかもしれない。我々は天与の人である王に比べれば取るに足らない諸人であるのかもしれない。ですがそれを強制される我らは(しつけ)が必要な家畜ではない、人です。人として生きる意地が、今までその考えで人生を生きてきた意地がある。お前らの考えは間違っている、俺の考えが正しい、だから今すぐ馬鹿な考えを全て捨てて、俺の考えを受け入れろと命令されて、はいそうですかと諸手を挙げて受け入れることなどできはしない。どうしても拒否反応を感じてしまう。それこそが王と戦う理由なのかもしれません」

 ディスケスの言葉はデウカリオらカヒの将士たちの心中に溜まっていたもやもやを、言葉にならぬ真実をまさに言い当てていた。

 自身の中にある王に対する拒否感の正体を遂に理解したデウカリオは、興奮した顔をディスケスに向けると叫ぶようにまくし立てた。

「確かに、そうだ! それにそれは思考の放棄だ! 今まで生きてきた人生全てに対しての否定、全否定だ! 赤の他人に今まで生きてきた人生全てを否定されるいわれはない!」

 興奮したディスケスとは好対照に、ディスケスは落ち着き払って笑みを浮かべながらも言葉を続ける。

「戦国の世に生まれつき、その中を生き抜いてきた我らは、己の存在意義をかけて、人間には権威にも権力にも・・・どのようなものにも屈しない尊厳というものがあるということを示すためにも王と戦わねばならないのかもしれませんな」

「まさに、まさにその通り」

 その場にいる皆が大きく頷いて賛同の意思を表した。


 紹介が終わると、誰からとも無く酒を持ち寄り宴会が始まった。酒宴は戦場で生きる者にとって身分の高下に関わらず必要不可欠のものである。酒の好き嫌いに関わらず、人を殺したことや死への恐怖、日々の鬱屈(うっくつ)を忘れるためになくてはならぬものなのだ。

 酒盛りはこちらの席からあちらの席へといった具合にたちまち陣中に広まっていった。

 どうせ最後尾を行くことになる彼ら傭兵たちの移動は半日以上先であろう。ならばしばらくは飲んでいても何の問題も無いといった横着な考え方からであった。

 きりのいい頃合を見つけ出して酒宴を抜け出すと、その会合に現れなかったバアルの姿を求めてパッカスは陣中を探し回った。

 接収した人家にも天幕にもおらず、パッカスは広い陣営地内をうろうろと探し回る羽目になる。

 バアルは酒宴には加わらず、一人で離れた木陰に卓を置いて涼んでいた。 何巻かの書物を一斉に広げているところを見ると、調べ物でもしているのであろう。

「バルカ様!」

 声に反応してバアルが顔を上げると、そこに芳野で別れたパッカスの姿があった。バアルは驚きで思わず目を見開いた。

「パッカスか・・・!? 本当に来たのか・・・!」

 芳野での別れ際での約束通りに駆けつけたのに、歓迎や(ねぎらい)いの言葉ではなく、どちらかというと驚きの言葉が返って来たことに、バアルとは生死を共にした兄弟とも主従とも思っていたパッカスはいたく傷ついた。

「え? なんですか、その反応は・・・ひょっとして私は歓迎されていないとか・・・? 私は将軍にとってお邪魔ですか?」

「い、いや、嬉しいのだ。そなたのような将軍は望んでも得られるものではない。嬉しくないわけがない!」

 パッカスがバアルの本心を思い違いをしたことに気付き、バアルは慌てて打ち消しに入る。

「だが嬉しくもあるが、同時に悲しくもあるのだ。今度の戦は王と戦うことは今までと同じであるが、今までのように統制の取れた軍隊を率いて戦うのとは分けが違う。私は当初はそのことを軽く考えていたが、今ではそれが大きな問題であることを強く認識するようになった。思った以上に大変だぞ、素人を含んだ軍で戦うのは。数こそ多いがこの兵でもって王師と戦うのは並大抵の苦労ではないだろう。今度の戦いは我らの意地を示すことは出来ても、勝利を得ることはできぬかもしれぬ。そのような無謀な戦にパッカスのような若い未来のある若者を加えていいものか、(はなは)だ疑問なのだ」

 バアルは心中の不安を隠さずに吐露するが、

「意地を示せるだけの戦いができるならばそれでいいではありませんか。他には何も望みますまい。それにバルカ様だけでなくデウカリオ様、ディスケス殿がいるのです。教徒がどれほど足を引っ張ったとしても、むざむざと惨めな負け戦になどなりますまい」

 とパッカスは意にも介さない。

「それに私が若いと言われますが、バルカ様だって私と年がそう離れているわけではないではないですか」

 バアルの心配を聞き流し、死ぬことなど何も恐れていないかのように明るく笑うパッカスにバアルは複雑な表情を向けた。

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