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紅旭の虹  作者: 宗篤
第九章 疾駆の章
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再び青野ヶ原へ

 王師は準備が整うと、ただちに南海道を南へと向かう。

 有斗と共に出兵した兵は王師十軍五万、羽林二千の合計五万二千の兵、今現在、朝廷が外征に使えるほぼ全ての兵を投入したといってよい。

 教団は畿内から南部へと入る大きな三つの街道、すなわちカテリナ街道、トライアーナ街道、南海道上に三つの部隊を配置して通行を妨げている。

 鼓関と、つまり関西との間の連絡を途絶させているのはそのうち南海道上にいる部隊であり、その部隊は青野ヶ原と鹿沢城の間の山岳地帯付近に展開しているという話だった。

 有斗は幾度か通ったその場所を記憶の中から引きずり出した。

 青野ヶ原から南部へと抜ける部分は両側を険しい山に挟まれた回廊だった。

「武器を手にし兵となった教徒は十万とも二十万とも言われる。だけれどもその主力は南部東部、南京南海府やトゥエンクに展開しているという話だ。おそらく王師と五分に戦えるだけの数は振り分けてないと思う。ならば山岳部に籠もって回廊を通過中の王師の細長く伸びた隊列を横撃するのが一番有効だと思う」

 有斗は教団が取るであろう選択肢を考えて、有斗の馬車の横で馬を悠然と歩ませるエテオクロスに向かって披露した。

 別に見識を自慢したいとかいった理由からではない。こうやって互いに意見を交換することで、敵の取るであろう策を事前に想定し、それに対応した策を作っておこうと言った目論見なのだ。

「だとすると我らも回廊内に兵を進ませず、両脇の山へと兵を登らせて、山岳に潜む敵を(あぶ)り出すといった戦いをすることになるな。少し時間を浪費するかもしれない」

 アエネアスはそう言って眉を(ひそ)める。山岳戦は時間がかかる。関西への道を開ける前に敵の本隊と合流されると少しばかり厄介なことになるかもしれなかった。

「だとしたらむしろ我ら有利と申せましょう」

 だがエテオクロスはその心配は要らないとばかりに明るい声でその懸念を否定して見せた。

「どうして?」

「山岳などでは大軍が展開できません。少人数同士が狭い場所で戦うことになります。少しでも足場のいい地形を取ったほうが有利になりますから、待ち構えている教団側が有利に思われますが、ですが散兵戦をするには何よりも兵士個々の武勇と勇気がものをいいます。素人に毛の生えたような教徒では多少有利な地形に拠ったとしても王師の兵の敵ではありますまい。案外平地で戦をするよりも楽に片がつくかもしれませんよ」

 一対一の戦闘ならば兵として訓練を重ね、度重なる厳しい戦場を往来した王師の兵が、人を斬ったこともないような教徒に遅れを取るはずがない、そう言うエテオクロスの意見は理に適ったものだった。

「そうか。だとすると考えておかねばならないのは隘路(あいろ)を抜けてきた我々を出入り口で待ち構えている場合と、青野ヶ原で敵が待ち構えている場合だな。だが青野ヶ原は王都側に向かって扇を広げたような形になっている台地。しかも歴史上、南部側に陣取ったもので勝利したものは一例しかない北勝南敗の地だ。敵もまさかそこに陣取るようなことをしないだろうし・・・だとすると山岳の向こう側で待ち構えている場合、敵をどうやって破るのかを考えておけばいいか」

「御意」

「油断は禁物だぞ、有斗。アリアボネはその北勝南敗の地とやらで敵の油断を突いて完全勝利した。今度は我々がそれをやられないとは誰にも言い切れないはずだ」

 アエネアスが楽観を戒めるように警句を発する。そう、確かに歴史上に今まで無かったことであっても、未来永劫そうであるということは限らない。ましてや青野ヶ原では一度だけ南部に布陣した側が勝利したことがあるのだ。二度目が今回でないとは誰も言い切れないではないか。

 歴史上唯一、北面して敵を打ち破ったその現場にいた有斗なのだから、それを忘れてはならない。

「ああ・・・そうだったね」

 だがその時、有斗を捉えていたのは来るべき決戦に備えて猛り立つ戦士の心でもなく、冷静に敵を見極める鏡のように澄み切った策士の心でも無かった。

 有斗はアリアボネのことを思い出していた。

『青野ヶ原にはここ数日の雨天で山も森も草木も大地もたっぷりと水を含んでおります。今夕は西日が眩しく輝き、雲ひとつ無い空。こんな夜は冷え込みます。朝方は寒暖差で地面から吐き出された霧で一面覆われて、それこそ一足先すら見えぬくらいになるはずです。その霧に紛れて移動し、敵に気付かれぬうちに兵力を集中して敵陣の側面から奇襲し各個撃破すれば、戦力の劣る我々でも勝利する可能性は大いにあります・・・!!』

 山頂に敵陣を見に行ったアリアボネが帰ってくるなり、鼻息も荒く息を弾ませて有斗に言った時のことを思い出す。

 誰もが不可能と思っていることを成し遂げる可能性を思いついたことにアリアボネの瞳は輝いていた。生来の美貌が加わってまさに美の女神もかくやというような美しさだった。

 だけど・・・だけどそのアリアボネはもう傍にはいない。その横でアリアボネの素晴らしい戦術に称賛の言葉を惜しまなかったアエティウスももういない。そして・・・喉が乾いたであろうアリアボネに横からにこやかにお茶を差し出したアリスディアさえももういない。

 今ここにいるのは、アエティウスがこんなにも興奮するくらいだから、さぞかし凄い作戦なんだろうと手放しで褒め称えていたお気楽なアエネアスと、霧が戦闘となんの関係があるのかまったく理解できずにマヌケ面を晒していた有斗だけになってしまった。

「・・・有斗?」

 アエネアスが遠くを見たまま時が止まったかのように動かない有斗を不審に思い、声をかける。

「あ・・・ああ、ごめん。ちょっと昔のことを思い出していたんだ」

 そう言うとまた黙り込んだ有斗をアエネアスは複雑な目をして眺めていた。


 王師動くの報は王都に潜んでいた教団の関係者が馬に乗り、直ぐに近道のカテリナ街道を駆け抜けて、トゥエンクを制圧した教団の本隊へと数日もおかずにもたらされた。

「王師が動いた!? ・・・それで王師はどの道を選んだ?」

「南海道を真っ直ぐに南下中とのこと。おそらくは青野ヶ原から鹿沢城へと抜ける山道で我が方と接触するのではないかと思われます!」

「我らが兵力の一番薄いところを狙って攻めようということか。考えたな」

「それにそこを破れば関西との連絡が取ることができる。我らが計略を見破ったということかも知れぬ」

 王か誰かは知らぬがこちらの手の内を見切った知恵者がいることがイロスには少しばかり腹立たしい。王師が動くまで、もう少し時間が稼げると思っていただけに残念な思いだった。

「で、こちらとしてはどうするのだ? 救援に赴くのか赴かないのか? 彼らには王の足を止めてもらう役目をしてもらうのか? それとも各個撃破を恐れて撤退させるのか? 早く決めないと手遅れになる可能性があるぞ?」

「せっかく確保した山岳地帯を放棄するのは惜しい。それに彼らを直ぐに退かせたら、王が関西と直ぐにでも連絡をつけてしまうだろう。それは我々にとって望ましいことではない」

「しかし我らが辿り着くまで、彼らが王師相手に持ちこたえるのは至難の業と思われますが・・・」

 マシニッサとの戦でバアルとデウカリオに指揮権を渡すように幹部連中を説得したにも関わらず、思うような結果が残せず面目をつぶした形になったガルバは今は教団の中で立場が無い。そこで下手に出ながら己の懸念を他の幹部たちに伝えようとする。

「確かに王師は手強いが、山岳地帯に陣取った敵を攻めるのだ。そう簡単にはいかないだろう。それに彼らとてむざむざ死にたくはあるまい。死に物狂いで抵抗するだろう。我らとしては彼らの健闘を十分に期待しようじゃないか、うん?」

 イロスはまるでまったく関係が無い他人事のようにそう言った。そんなイロスにガルバが遠慮がちに疑問をぶつける。

「しかしこれでは王師と正面からぶつかることになりますが・・・」

 それは当初の計画である、畿内を四方から切り離して孤立させ、干し殺しにするという戦略を大幅に変更することになる。ガルバには性に合わない不満のある策でもあったが、今まで何度も話し合って一番成功確率が高い作戦を選んだという自信もあっただけに、ここに来ての突然の戦略変更には言い知れぬ不安を感じるのだ。

「むしろ願ったり叶ったりだ。全軍を持って迎え撃とう」

 だがイロスは強がりでなくて本気で自信満々にそう言い切った。慎重策である干し殺しを考え出した当の本人である彼に王師と直接戦うという自信を与えたのは、ここまでの教団があげた戦果である。

 王都での有斗暗殺、鼓関奪取と二つの大きな作戦に続けて失敗し、自信を喪失しかけた教団幹部たちだったが、南京南海府陥落をはじめとする南部一帯の制圧と、マシニッサという大物諸侯を退けたことが彼に、いや教団幹部全員に自信を取り戻させた。

 マシニッサは南部でも一、二を争う大物。周囲の諸侯にも兵事では遅れを取ったことは無かったし、王師と共に鞍を並べて戦っても一切の引け目は無かった。しかもあのカトレウスに手出しもさせぬ軍略の持ち主であるとの評判を持つ男である。

 それを数の差があったとはいえ、一切の反撃も許さずに領外にたたき出したのである。

 ならばカトレウス相手に苦戦した王師と言うのもそれほど大した実力では無いのではないか、いや、少なくとも今まで恐れていたほど教徒と王師の間には実力差がないのではないかと錯覚してしまったのだ。

 王師、恐れるに足らず。

 イロスは王師との決戦に挑まんと、南部北東部に集結した兵力を大きく北西へ向けて旋回させた。


「そういう訳で皆様方にも移動していただくことになりました」

 ガルバは会議が終わって直ぐ、客将たちの下へと赴き今回の経過を説明した。今や無用の長物となったとイロスらに思われている彼らの相手をするのはガルバの役割である。

「王との決戦か!」

 客将たちは一斉にざわめきたった。デウカリオなどは見るからに顔から喜色を(にじ)み出させ上機嫌となる。

 そのデウカリオにガルバは苦渋に満ちた表情で非情な現実を告げねばならなかった。

「ですが王師の相手は我ら教徒が(つかさど)ります。皆様方は最後尾にて殿を務めていただきます」

 一瞬静まり返る室内。怒号が返って来ること、いや鉄拳が飛んでくることを覚悟したガルバだったが、意外にも冷静な質問だけが返って来た。

「・・・ともかくも王と一戦交えようと言うのは教団全ての意思と言うことで間違いは無いか?」

「さようです」

「ならば問題は無い。我らは王と戦うためだけに加わったようなものだからな。それが守られるのなら何の問題も無い」

 そうデウカリオは気楽に言うが、戦場に現実に出れるかどうかは分からない。そうなった時に彼らの憤激を(なだ)める自信は、さすがのガルバにも無いだけに胃が少し痛んだ。

「それに殿ということは我々も戦場に行くことは間違いないのだな?」

「もちろんです」

 もっとも戦場にいたからといって戦に加われるとは限らない。この人数だ、戦いが開始しても殿である彼らが布陣が終わる前に決着がついていることだってありうるのだ。そこを指摘するかしまいかもガルバには頭の痛い問題だった。

 だがそのことに思い当たらないかのように皆、明るかった。

「何より傭兵たちやカヒやオーギューガの将士は我々が指揮してもいいのだろう?」

 教徒のぐだぐだぶりにすっかり辟易したデウカリオは、バアルの教徒を訓練し一人前の軍隊にするという基本案を頭の中で破棄し、もはや教徒を一切当てにしていなかった。数はぐっと少なくなるものの、きちんとした軍隊の構成員となりうる兵だけのほうがよっぽどマシな戦になると考えていたのだ。

「それはもう」

 教徒だけで片がつくと判断したことで、もはや傭兵などの門外漢の存在は教団幹部の頭の中の戦略図からはすっぽりと抜け落ちていた。

 であるから誰がどう指揮するかをガルバが勝手に判断しても、どこからも何の文句も出る心配は無かった。それにここに集ってきたような荒っぽい連中は、そもそも教団でぬくぬく育ってきた幹部のいうことを聞くような柔な連中ではないのである。彼らを動かすにはそれだけ将軍としての重みを持った名が必要なのだ。彼らに預ける他は無い。

「・・・ですが、教徒たちは教団幹部が直接指揮することになりました。申し訳ない」

 教団の指揮権を預けると言って将軍たちを集めた都合上、ガルバは罰の悪い思いをしていたが、彼らはそんなことは一切気に病んでいないようだった。

「まぁいいさ、我らは我らのやり方で戦うだけだ」

「教団のことはそなたに任せる。そなたが好きにするがいい」

「そんな他人事みたいに・・・ひょっとしたらご自慢の腕を振るう機会が巡ってこないかもしれないのですよ。それにそうなれば私の教団における立場だって悪くなる。他人事では済まされませんよ」

 本音なのか、珍しく情けない声を出すガルバの肩をデウカリオが笑いながら叩いて慰める。

「そうなったら確かにそうだな。本当にそうなったら、な」

 デウカリオの口調からはその未来は絶対に訪れることがないと確信している口ぶりだった。

「だが案ずるな。嫌でも我らの手を借りねばならぬ時が教団には必ず訪れる。その時にはそなたも大きな顔をできるではないか」

「本当に来るでしょうか・・・? そんな時が・・・?」

「来るさ、必ずな。教団幹部如きの細面冠者があの王と王師の相手になどなるものか。鎧袖一触(がいしゅういっしょく)で跳ね飛ばされるのが目に見える。否が応でも我らの手を借りねばならない時がやってくるだろうよ」

 彼らの腕を教団が必要とするときはきっと来る。それも遠くない未来に必ず来る。

 バアルもデウカリオも他の将軍たちも、そこにいる皆が同じ思いを共有していた。

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