跳躍
王城での有斗の暗殺失敗に引き続いて、関西での蜂起に失敗し、メッサを失うという誤算はあったものの、教団の計画は現在のところ当初の目的のほぼ全てを達成していた。
南部を確保し、河東東岸を抑えることで河東以東の地域を朝廷から切り離し、また鼓関と王都との間の地域をも押さえることで関西との連絡を絶つ。そうすれば朝廷に残された支配地域は畿内と河北だけということになる。
もちろん北辺を通じての関西との連絡、河北から芳野、越を通して東国との連絡は可能だ。
だが朝廷は諸侯から分離され孤立する。東山道、南海道、西国街道、大河という物流の大動脈を押さえられては、各地に分散している地方の兵士の集結も徴収した税を国庫に納入することも不可能だ。
もちろん地方にいる諸侯に命じて兵を挙げさせることを命じることは可能ではあるが、はたしてこの先行き不透明な情勢下で有斗に馴染みの薄い諸侯たちが兵を出すかどうかは不透明だ。足元での民の動向が不穏であるとか、隣接する諸侯の動きが怪しいだとか、なんやかんやと理由をつけて婉曲に拒否する可能性が高かった。
そうなれば数少ない有斗寄りの諸侯たちも、周辺諸侯を牽制するためにめったなことでは身動きが取れない状況に陥るだろう。
朝廷とアメイジアの全諸侯を全て敵に回して勝てると思うほど教団幹部も傲慢ではなかったから、この策こそが教団の取れる策の中で最高の策であったろう。
それにこれによって朝廷は南部と言う広大な王領を失い、支配圏は一気に畿内と河北だけに半減した。
確かに有斗がこの世界に来たときの畿内だけを辛うじて掌握していた往時の関東の朝廷よりはマシではあるように思えるが、あの時に比べて朝廷の規模は優に二倍以上、官吏や王師も増えている。さらにアメイジアを統一したことでその首都である東京龍緑府の人口は急激に増えている。また、河北をはじめ畿内には屯田法でようやく根付いただけの大勢の元流民が多く生活している。つまり彼らが生きていくために必要な大量の消費財を必要とするのだ。それを畿内、河北だけで全て賄えるかといったら否定的な考えを抱かざるを得ない。
朝廷の米蔵であり、大河と言う流通経路を持つ南部を押さえたことは地政学的にも戦略的にも大きなアドバンテージたりうるのだ。
やがて王都をはじめとして各地では物が不足し、最終的には食すら事欠くことになるだろう。
そうなった時に民の不満に付け込んで煽動すれば、巨大組織ではあるが、様々な組織を寄せ集めただけの急造の混成品に過ぎない今の朝廷は、案外あっけなく崩壊するのではないかと教団首脳部は考えたのだ。
その狙いは見事に成功したといってよい。諸侯は見事なまでに身動きが取れず、諸侯の援兵を当てにしていた朝廷を大いに落胆させる結果となった。
「このままでは王都はいずれ枯渇してしまう。民の信頼を失う前に速やかに打って出て敵を平らげたい」
もちろん有斗は朝議でそう主張していたが、中々廷臣たちに賛同を貰えずに苦戦していた。王命であえて強行突破しなかった理由は廷臣たちの言葉にも一理あったからだ。
理由のひとつは教団の全貌を未だ朝廷が掴めていないことにある。何十万の信徒がどこにどのくらいいるのか分からないのだ。ここで迂闊に王師全軍を王都から出撃させてしまって、実は一連の作戦が王師を王都より引き剥がすことが目的で、その後すぐさま空になった王都を占拠されてしまっては、
兵站を完全になくした王師は一月もしないうちに枯死してしまうであろう危険性を廷臣たちは主張したのだ。
もうひとつは叛徒の総数は四十万を超え、軍勢だけでも十万を超えると報告が上がったからである。
王師の将軍たちからも諸侯に招集をかけて全力を持って戦うべきと主張されれば有斗としても速戦ばかりを主張するわけには行かなかったのだ。
先に述べたように諸侯の下に有斗からの要請が届かなかったり、要請が届いてもなんやかやと理由をつけて、結果として諸侯が動かなかったことで、時間を無駄に失うだけになってしまったのだが。
さて教団は南部第一の攻略目標、南京南海府を実にあっさりと攻略した。一部崩れているとはいえ高い城壁を持つ城塞都市である南京南海府を苦も無く攻略できたのには訳がある。
長い間ダルタロス家の根拠地となっていた南京南海府には当然、朝廷の官吏がいなかった。それどころか南京南海府にまつわる組織すらなかった。
ダルタロス家が立ち退いたことで朝廷としては至急、南部の拠点である南京南海府で司法と行政を行わなければならなくなったが、古い記録などを調べたが、戦乱で記録が散逸したのか、どのような行政組織があったのかさえはっきりしなかった。
同じような立場として朝廷には西京鷹徳府があるが、あれは関西の行政組織をそのまま引き継いで使っている。つまり関西の王都として必要だった行政組織をである。それは三都の一つとはいえ、王都でない都市には不相応なものだ。そこを参考に南京に行政組織を作ったら設立した途端に肥大した組織が立ち上がってしまう。
そこでまずは当面の治安の確保のための兵と、どのような組織にするかを調査する官吏といった僅かな人員だけを派遣していただけに過ぎなかったのだ。
教団の攻撃を防ぎきれないと見た官吏は遂に南京南海府を放棄することを決意した為に、教団は労せずして南京を手に入れることが出来たのだ。
それを官吏の怠慢とばかりに責めるのは酷であろう。何せ戦力的にはまったく相手にならないし、それに戦えば南京に住む民の中から大勢の犠牲者が出るのだから、彼らの行動はむしろ褒められるべきであるかもしれない。
南京南海府を得た教団の次の目標はモノウであったが、ここで異論が出た。
教団の戦力は大きく分けて四つ、すなわち南京南海府を攻略した南部の部隊、鼓関と王都との中間地点を押さえている部隊及び、南部と王都との中間地帯を押さえている部隊の二つの畿内の部隊、最後に河東西部で大河東岸を押さえている部隊である。
このうち前者三つは互いに距離も近く連携して動くことも出来るが、問題は河東の部隊だけが孤立していることだ。
間に信徒が全くいないトゥエンクの地があることで合流どころか連絡にも支障をきたすような有様だったのだ。
「確かに朝廷を孤立させるには兵力を分散させて各地との連絡を絶つことが必要だ。だが、今のままではみすみす朝廷に各個撃破の機会を与えるようなものだ。各地に置く人数はそれほど大きくすべきではない。それではせっかく作った包囲網を王師に破られてしまうと思うかもしれないが、兵を纏めて主力部隊を作ることで朝廷の耳目をそちらに集めれば牽制が可能だ。王都に迫る気配を見せれば、王師は我らの本隊の動きが気になって兵を大きく動かせまい。もしそれに反対するにしても、少なくとも各隊との連携が可能な状態にしておくべきだ。カヒやオーギューガの先例を忘れてはならない。王は個々の部隊を分散させ、少しでも有利な状態で戦うことを心がける戦略家だ。兵力分散こそ我々が最も忌避すべきことではないだろうか」
そう言ってバアルは幾度もガルバに頼んで教団幹部に意見を言う機会を求めた。当初は婉曲に拒否していたガルバも、遂にはその執拗さに負けて教団内部を駆け回って幹部の承諾を取り付ける。
まずバアルの意見が軍事的素人である彼にも理解できるほど理に適った言葉であったことが理由の一つだ。
教団は閉鎖的であまり外部の人間がとやかく言うのを良しとしない雰囲気はあるが、それでも明らかに正言と分かる言葉を退けるほど狭量ではない。
それにようやく心理的痛手とやらから立ち直ったバアルのやる気を殺ぐような真似はなるべくするべきでないと、ガルバが珍しく気を利かせたのだ。
教団幹部はバアルの堂々の演説に万雷の拍手をもって賛意を表すといったことはなかった。だが反論がない、それだけでもガルバには十分な手応えを感じさせた。ガルバからしてみれば理屈だけは達者な一言居士の幹部どもなのに、それが揃いも揃って反論できないということは、声に出さないだけでそれだけバアルの言葉に理を感じているという証拠だった。
「それに河東東岸にはカヒの兵、オーギューガの兵、また東国の取り潰された諸侯の兵や元傭兵の兵がいる。教徒は数こそ多いが、戦闘に対しては所詮素人、彼らなしでは王師相手に勝つことは不可能だ」
客将に過ぎないバアルの差し出がましい意見具申に苦々しい思いを抱く教団幹部だったが、その正しさだけは認めざるを得なかった。
教団は河東に集結した兵力との連携を阻んでいる地域の制圧を優先させることを決定した。
その間も教団にとって幸いなことに朝廷は未だ鈍い動きに終始していた。
教団の最終目的が何なのか、朝廷との平和裏な和解か、何らかの成果を勝ち取るための条件闘争なのか、あるいは朝廷そのものを否定し本気でアメイジアの主権者に成り代わりたいのかすら分からぬまま、王も朝廷も王師も手をこまねいて見守っていたその間も、教団だけが着々と計画通りに物事を進展していった。
時代は教団の未来を約束している、そう教団首脳部が思っても仕方が無いほどの一連の躍進の中で、ただ一人の男だけがあらゆるしがらみを脱ぎ捨て、着実に前へと進む教団の更にその上を飛び越え、前に降り立って立ち塞がった。
その男の名をマシニッサと云い、降り立った地の名はトゥエンクと云った。
トゥエンクの地は大河と海に面している。すなわち漁業に従事している者が多かった。
マシニッサが新しく得たコンチェの地も坂東のへそ、舳倉湊を中心に大海に接し、良港を抱えている。だが当然、そこには先住の漁民がいて、生活を行っている。そこに割り込むのは中々難しいだろう。
農民だって同じだ。それに坂東は肥沃な土地ではあるが、気候は断然南部のほうがいい。気候と土地が変われば農業のやり方だって大きく異なることも考慮すれば、南部を離れたくない者が多いのは当然だ。
マシニッサがトゥエンクの地を離れたとき、多くの下級兵士だけでなく、中や上の身分の者でもトゥエンクの地に残ることを決断したものは多かった。
マシニッサはそれを良しとした。特異な生き方をしてきたマシニッサだからこそ、人には人それぞれの生き方があることを理解していた。
いなくなった分はまた雇いなおせばいい。そうからっと考えるだけに過ぎなかった。
彼は恩顧だとか譜代だとかいった湿ったものを一切理解しないがゆえに、下の者にもそれを求めなかったのだ。もっとも引きとめの言葉すら貰わなかった部下の方としては物足りない想いをいくらかは抱いたかもしれなかったが。
そんなわけで教団が侵入しようとしたトゥエンクの地にはマシニッサの下で戦国乱世を戦い抜いた男たちがかなりの数、残っていたのである。
そんな彼らは結託して、今まで四方から襲い掛かってきた教徒たちをトゥエンクの地に寄せ付けなかった。
だがそれももう限界かもしれない。十万とも言われる教団の本隊が迫ってくることを知り、彼らは絶望に顔を曇らせた。
そこに突然、救世主が現れた。教団より一寸早く彼らの前に現れたのがマシニッサら、かつてトゥエンクの中枢を担っていた男たちである。
教団に押さえられた東山道経由でなく、船を使って南海航路でトゥエンクに直接降り立ったのである。確かにこれならば教団としても防ぎようもなかった。
マシニッサの呼びかけに応えて、たちまちトゥエンク全土から男たちが武器を片手に集まってきた。
教団と言う侵略者に対する反発もあるし、なんと言っても彼らにとっては、まだまだマシニッサが主君であるといった考えが残っていたからであろう。
マシニッサは汚い手段で敵を陥れるだけでなく、ややもすると腹心であっても切り捨てる非情な男であったが、意外なことに多くの民たちにとっては公平に税を取り立て、裁判を行ってくれる良い領主であったのだ。
「マシニッサ様が来てくれれば百人力、いや千人力だ! ソラリア教とかいう胡散臭い連中はトゥエンクに一歩も入れやしない!」
マシニッサを囲んだトゥエンクの民たちは感動しきりだった。
自分たちを救いに遠く坂東の地からマシニッサが来てくれたと感涙に咽ぶものさえいた。
もっともマシニッサはかつての領民が見せた時ならぬ感情にも、ただ無感動に頷くだけだったが。
だがそのことさえもこんな時でも教団と戦うことを冷静に考えていらっしゃるのだと好意的に考えるほど領民たちはマシニッサに感謝していた。
マシニッサは坂東の地で南部の叛乱騒ぎを最初に聞いたときは、それが特に重要なことであるとは思わなかった。
よくある農民反乱のひとつにしか過ぎないと思っただけだった。
「今もトゥエンク公であるならば、すぐさま兵を率いて不逞な叛乱分子を掃討しつつ、その荘園地を軒並み接収してやれたのだが、我が身は遠く坂東とは・・・南部から移封とは惜しいことをした」
と、この叛乱に付け込んで領土拡大が出来ないことを残念そうにスクリボニウスと話したくらいであった。
だが次に王都で起きた大規模叛乱、それがソラリア教の起こした反乱であると伝わってくるや、すぐさま南部一帯が火の海になると確信し、各地に散った家来や新参の部下をも招集せずに、近場にいた将士だけを船に乗せて、一刻も惜しいとばかりに舳倉湊を漕ぎ出したのだ。
「せめてもう少し兵を集めてから・・・」というスクリボニウスの声は飛び散る波しぶきと共に打ち消された。
「それではトゥエンクの地は教団に制圧されてしまう。坂東から連れて行く僅かばかりの兵がいても消し飛ばされてしまうだろう。教団より早くトゥエンクの地に辿り着き、旧臣を糾合して立ち向かう。これしか勝利の可能性は残されていない!」
トゥエンクの旧臣が全て駆けつけてくれるとは限らないし、例え駆けつけたとしても教団に太刀打ちできるとはとても思えないスクリボニウスは主に翻意を促した。
「南部ではソラリア教団は一大勢力です。トゥエンクの力だけではとても対抗できません。それよりもこれは大乱になります。坂東や七郷の不穏分子も動き出しましょう。わざわざ南部へ行かずとも、足元にある好機を逃さぬことです。いつものようにこの乱に乗じて周辺諸侯を併呑する策を立ててはいかがですか? 坂東に船を帰すべきです」
「このような坂東の片隅で小敵相手にごたごたやってて大きなものが得れるか! アメイジアを巡って全ての物事は王と教団の間で行われることになる。その一大決戦に加わらずして何が得れるというのだ? それともそれが行われているのを遠くで指をくわえて見ていろとでも言うのか? 俺はそんなのは御免だ! 俺は一番の大魚を釣り上げてみせる!」
確かに王と教団との間で行われるであろう戦いで貢献できれば、大きな褒章が期待できるであろう。だが王が勝つとはまだ決まったわけではないのだ。王が負けたらマシニッサは極めて不利な立場に追いやられることであろう。
それにその間に放り出してきたコンチェの地を誰かに取られたらどうするというのだ。マシニッサは帰るところまで失うなうことになるのである。
だが彼の知る主君は、その程度のことが分からぬ男ではないのである。
だのにこの選択肢を選んだ。実におかしなことだ、とスクリボニウスは首を傾げた。