権力闘争
王暗殺未遂事件の責任をとって自ら謹慎したアエネアスを有斗が王宮に召し出したことに公卿たちは大きく反発した。堀川宰相が未だ自宅で謹慎しているのに、一方だけ出仕を許しては片手落ちすぎるというのである。
おかげで有斗と廷臣たちの間に溝が出来、官吏たちは面従腹背といったサポタージュ手段をとって、再開したばかりの執務にさっそく支障が出ている。
有斗は頭を抱える羽目になった。
「堀川宰相の謹慎は失脚するのを恐れた堀川宰相が自主的に取った行動だよ。公的に下した処分じゃない。しかもそうなったのは彼らたちが堀川宰相を追い込んだからじゃないか。政敵は一人でも少ないほうがよいからって、ね。それなのにこれでは堀川宰相の処分が厳しすぎる、それに比べてアエネアスへの処分が甘いと今更言われても説得力がないよね。なんだろう、なんだかんだ言っても同じ朝臣、いざとなれば仲間意識が芽生えるものなのかな。それでアエネアスの扱いに納得がいかないのか・・・でもアエネアスだって彼らから敵視されているといったこともないと思うんだけど、どうしてこうなるのかなぁ・・・不思議だなぁ」
有斗がそう言って考え込んでいると、執務を再開したと聞いてさっそくたまった書類を持ち込んできていたラヴィーニアがその疑問に答えた。
「彼らが急に堀川宰相を庇い立てしはじめたのは、同僚愛に目覚めたからと言うわけでも、赤毛のお嬢ちゃんが憎いからでもありませんよ」
「ならどうして? 羽林大将という官職をアエネアスから取り上げたいのかな?」
「羽林大将はなかなか魅力的な職ではありますが、たかがひとつの職を得るためだけに、陛下のお気に入りである赤毛のお嬢ちゃんを排斥しようと言うのはどうでしょうかね。いくら処分の不公平さという大義名分があると言っても、寵臣の排斥を訴えることは王の怒りを買いかねないことです。官職ほしさに陛下に喧嘩を売る程度の人材であると陛下が廷臣たちを見積もっているのなら、いささか彼らの器量を低く見積もっていると言わざるを得ません。廷臣たちが歩調を合わせて陛下に迫ってきたのにはそれなりの理由があると考えておくべきです」
内心は官吏たちの目的をそれじゃないかと疑っていた有斗は自身を馬鹿にされたかのように感じてちょっと気分を悪くした。
といってもラヴィーニアのこの手の忠言とやらで気分が悪くならなかった試しは一回も無いのだが。
「・・・それなりの理由とは?」
「この一件はもはや暗殺未遂事件に対して、誰をいかに処罰するかといった法律論や筋目論では無くなっているのです。寛容を掲げて行われた陛下の処分と、法律を盾にして公正な処罰を求める廷臣の処分、どちらが最終的に選択されるか、その結果こそが問題となっているのです。陛下が自分の意見を押し通せば、朝臣たちは大義名分があっても陛下の意見には逆らえないという先例が確立するし、陛下が廷臣の意見の正しさを認めたら、大義名分があれば王は朝廷の統一した意見には逆らえないと言った前例を確立することになる。これはそれ以降の政権運営に大きく関わってくるのです。つまり陛下と廷臣たちの権力闘争と言ってよい」
「だとしたら有斗は何が何でも引いちゃ駄目だ。もしここで折れてしまったら、廷臣どもは今回のことを例に挙げて、自分たちの思い通りの政策を実行しようとこれからは大義名分をでっちあげて有斗に圧力をかけてくるようになるに違いない。・・・いっとくが私が羽林大将の地位が惜しくて言ってるんじゃないからな」
「赤毛のお嬢ちゃんが羽林大将の職を惜しんでいるかいないかといったことはともかくも、言っている内容は間違っていない、その通りです。ことは王権と言うものの根底を揺るがしかねない大事、陛下は決して朝廷の圧力に屈してはいけません」
「でも政治ってのは利益調停だよ。僕としてはアエネアスが羽林大将から罷免されなければいいから、多少は折れてもいいと思うんだけどな。例えばアエネアスは一ヶ月の謹慎と二ヶ月の給与返上くらいで手を打つとかさ」
それならば堀川宰相への処置が片手落ちだなどと言ってくることもなく、大半の廷臣は引き下がるんじゃないだろうか、と有斗は思った。
「政治とは確かに利益調停です。王と言えども折れることもあれば、諦めなければならないこともあるでしょう。ですがこれは政治の範疇の問題ではなく、その大元となる政治権力が何処にあるかといった問題、すなわち権力闘争です。政治の延長線上にある戦争が妥協も交渉も受け付けない殺し合いであるのと同じように、権力闘争も自ら敗北を選ぶことはできても、妥協や譲歩といった中途半端な状況は許されません。なぜなら権力闘争とはどちらが権力を保持しているのか不明な時に互いが確認する為の検証作業を意味します。権力は分かつことが出来ぬもの、つまり勝つか負けるかしかない」
権力とは相手に望まない行動を強制する能力である。必ずどちらかが上で、どちらかが下なのだ。そこには平等などといった概念は介入する余地が無い。
「朝廷として陛下に一定の影響力を保持しておきたいといった彼らの野心が垣間見える以上、陛下は断固としてそれに立ち向かわなければいけないのです。ここで彼らに遠慮して、彼らに王が本来所持するはずの権力の一端でも分け与えてしまえば、王は飾り物になる危険性だってある」
「なるほど・・・確かにそうだ。権力は本来一つで分けることが出来ないものだ。二つに分裂したら、かつて関西と関東が争ったように乱の元になる。それでは僕が戦国を治めた意味が無い。確かに僕は譲歩するべきじゃないな」
「御意」
「・・・でも、少し不思議だな・・・」
有斗は目の前の小さな中書令を見て首を傾げる。
「何かご不明な点でも?」
「ラヴィーニアは堀川宰相や出入りの商人に対する僕の処罰に不満を言ってなかったっけ? 刑罰が軽すぎる、それでは王の暗殺をもくろむ者に対する警告となりえないとか言っていたような・・・それに法の公平な施行を強調してたじゃないか。同じようにアエネアスの刑罰も軽すぎると考えてるんじゃないの? それなのにこのままラヴィーニアの言うとおりにすれば、アエネアスの処分は変更されない。前後で言っていることが矛盾するじゃないか。それにラヴィーニアだって廷臣の一人だよ。いつも僕にいろいろな提言を行っているが、僕に拒否されて自説を引っ込めることも度々だ。自分の意見を僕に通しやすくするために、彼らと組んで僕に圧力をかけたほうが後々やりやすいだろうにと思ってさ」
「確かに法律の公平な施行という面では堀川宰相に対する処遇はぬるいですし、赤毛のお嬢ちゃんを不問にするなど言語道断です。それに陛下にあたしの政策をより広範囲に採択させるには、廷臣たちと歩調を合わせて陛下に圧力を掛けて権力を一部でも握っていたほうがいいでしょう」
「・・・じゃあ何故そうしないの?」
「それは手段と目的を混同しています。あたしが法の公平な施行を望むのも、陛下に諸々の政策を提言しているのも、戦国乱世を終わらせ、確固とした政権をアメイジアに樹立し、平和を永続させんが為です。法の公平な施行のため、またあたしの政策を陛下に飲ませんが為に、政権の基盤を揺るがしかねない事態をあたしが引き起こすなどと思われるなど、あたしに対する大いなる侮辱です。陛下はあたしをそんな小さな人間だとお思いでしたか」
「悪かったよ、怒らないでいよ」
有斗がそう言うと、さすがに王に対する言い草ではなかったと気付いたか、ラヴィーニアは溜息をつくと一礼した。
「別に怒ってなどおりません」
とはいうものの、ラヴィーニアの顔は十分仏頂面だったが。
「とにかくこうなったからには赤毛のお嬢ちゃんに追加で処罰を与えることなどもってのほかです。権力は天与の人として、そして戦国乱世を終わらせた覇王としての権威を持っている陛下だけのものであることを彼らに思い知らせなければなりません。朝廷は陛下の手足となって働き、陛下に助言を行う諮問機関ではありますが、そこが陛下の命令を拒否できるほどの権限を手に入れてはならないのです。人間、脳が二つあっては体だってどっちの命令を聞いて動けばいいか分からないでしょう」
「わかった」
ラヴィーニアの提言に有斗は頷く。
しかし今まで一貫して遠征中の有斗を支えてくれた朝廷すらも、諸侯と言う外の敵が無くなった途端に権力を求めて主君である有斗にさえ牙を剥く。
彼らだって朝廷の高官として十分すぎるほど権力も持ち、収入もあれば財産だって所持しているだろう。
それなのにさらに追い求める。それが人が持つ向上心だといえばそうかもしれないが、共に天下統一の為に働いていると思っていただけに少しショックだった。彼らにとってはそれも自身がより大きな権力を手に入れるための手段に過ぎなかったというわけなのだろうか。
あまり我欲が無い人間である有斗にとってはそれは永遠の不可解と言うやつだった。
その朝、朝議が始まるや、有斗は霜台の長である御史大夫を指名して、昨日命じておいた今回の暗殺事件の関係者への処分を発表させる。散々反対意見を述べたにもかかわらず、自分の意とは食い違う結論を皆に発表しなければならない御史大夫は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「調査の結果、刺客は単独犯であったと結論付けた。刺客を後宮に入れた原因をつくった堀川宰相は本来ならば死罪なれども、それは本人の与り知らぬ事だったこととして罪一等を減じて、禁錮三ヶ月、贖銅百斤とする。ただし除籍処分とし、宰相の位を剥奪する。同じく堀川宰相に刺客を紹介した商人も与り知らぬとして、店舗を二ヶ月の営業停止を申し付ける。また贖銅五十斤とする。羽林大将については事件当日外出していたにも関わらず、王の危機に駆けつけ刺客を倒す功績ありとして罪には当たらずと判断される。尚侍についてもお構いなしとする」
議場は一瞬、凍りついたかのようにしんと静まり返り、ついで風に煽られた葦の葉のようにざわめく。
自分たちが主張した意見が王を全く動かさなかったことに動揺し、とりわけ自分たちの同僚である堀川宰相にだけ重すぎる処分であると不服だったのだ。
「これは理不尽です!」
「陛下、これでは片手落ちすぎますぞ!!」
「陛下、是非ともご再考ください!」
朝臣たちから口々に言葉が躍り出る。どの口からも出てくるのは否定的な言葉だけだった。
「どう理不尽で片手落ちだというんだい?」
有斗の人を食った質問に口々に諸々の言葉を叫びだした百官を右手で抑え、内府が一歩正面へと進み出る。内府が皆を代表して有斗と対決しようというわけだ。
「まず、商人と堀川宰相の罰が同じでないことが納得できません。もちろん商人には官位はありませんから、まったく同じと言ったふうにはいかないでしょうが、二人の罪は騙されて紹介したということだけのはず。でしたら少なくとも贖銅の数は同じにするべきなのでは?」
まったくもってその通りと言ったふうに何人かが頷いて賛意を表した。そんな彼らに有斗は用意しておいた返答をすぐさま返した。
「それは公人と私人の違いだよ。宰相と言う高い地位についているのだから、それだけ責任は重大だったはず。より慎重に彼女のことを調べるべきだったんだ。それとも君たち官吏の言う国家を背負う重責とやらは、公でなく私を重視し、利を玩ぶ商人と同じくらい軽いものだったのかな?」
「それは・・・」
官吏は一気に沈静化する。小さな反論はあったものの、多くの者は官吏の背負う国家への重責が商人と同じだなどと言われては口を開くのは躊躇われたのであろう。彼ら官吏の存在意義は国家を支えているということにあるのだから。
「で・・・では、羽林大将と尚侍を罪に問わなかったことは如何ですか? おかしいとは思われませぬか? 彼らとて堀川宰相と同じ官吏ですぞ!」
形成悪しと見た内府は矛先を変えてきた。内府の声に素早く同調する声が上がるあたり、彼らにとってはこちらのほうがより重要なのであろう。
「まずアエネアスはあの刺客を後宮に入れるのに何の役割を果たしたわけじゃない。それに羽林の長として僕の警護に最善を尽くしている。元より罪などどこにもない」
「しかし刺客は羽林大将の不在を狙って陛下を襲いました。何かと言い分はあろうかと思いますが、これは羽林大将の大きな失態かと」
「確かに刺客があの日を選んで襲い掛かる決意をしたのは、アエネアスが側にいないということを知っていたからだろう。だが刺客はいずれ隙を見て必ず僕に襲い掛かったはず。その時が今回よりももっと確実に命を落とすような危険な状況であることも十分考えられるじゃないか。ならば命が助かった分、今回でよかったとも言える。それにアエネアスは僕の危機を察して墓参を切り上げ帰って来た上に、刺客を切り倒すという手柄を立てた。彼女を罪に問えば朝廷は功罪をどう見ているのかと民に不審を持たれるだろう」
「・・・では尚侍はいかがですか? 後宮に新たに人を入れるのには最後に尚侍の許可が必要です。それに彼女は刺客と毎日接する機会があった。いくらでも見抜く機会があったとさえ言えます。罪に問われない道理はないはずですぞ」
「確かにアリスディアにも責任の一端はある。だがアリスディアは堀川宰相に無理に頼まれ、彼女を後宮に入れざるを得なかったという事情がある。朝廷の高官に頼まれてはアリスディアと言えども断ることは難しいことはここにいる皆ならば誰でも分かることだろう。それに堀川宰相ほどの人物の紹介ならば信じてしまうのも仕方がないことだ。疑うほうが失礼に当たると考えても、なに一つおかしくない。そうそう、後宮に縁者を入れるようにアリスディアに頼んだのは堀川宰相だけではないらしいよ。いっそのことそういう不届きなことをする連中をまとめて処分してしまおうかとさえ考えているところだ」
「・・・!」
二人も後宮に捻じ込んだ内府としては声すら出ない攻撃だった。
「それに後宮に女官を入れる最終決断をするのは僕だ。全ての書類は僕の印璽が押されるからね。最終責任は僕にある。ということは内府の言葉を借りるとするならば、僕も罪を背負っていることになる。刺客を見抜けなかった責任をね。つまり僕も王を辞めなければならないと言っているのかな? そうだとすると内府は王権を転覆しようと企てていることになるんだけどな」
有斗の嫌味が含まれた舌峰に内府をはじめとした廷臣たちは沈黙するしかなかった。