下向
廷臣たちの矛先は後宮に胡乱な人物を入れた堀川宰相から、玉体に傷がつくというあるまじき事態を防げなかった二人の人間の責任追及へと向かっていくことになる。
有斗の親衛隊長であるアエネアスと後宮の総取締役であるアリスディアだ。
特にアエネアスが休みを取った日を明確に狙って、暗殺計画が実行されたことを廷臣たちは問題にした。
「つまりこれは、陛下をお守りするという羽林に機密保持の概念が備わっていないということである。このまま見逃してはおけない重大な過ちだ。早急に改善しなければならない」
関西閥のその亜相の言葉は、何故か熱意を持って関東閥の公卿の間でも受け入れられた。
「そもそも羽林大将は毎年必ず先のダルタロス公の墓前に参ることは今や知らぬ者もいない有名な話だ。つまり必ず長官が不在な日が一年に一回訪れるということだ。もし陛下の命を狙う曲者がいるとするならば、その時を狙うのは自明の理。そのような人物は羽林の要職に相応しくない。陛下にお仕えするよりも、誰か特定の人物の墓参りに行くことを優先したいというのであれば、羽林将軍の職を辞するべきではないだろうか」
公卿間の会話の風向きはアエネアスの罷免を求める動きに繋がっていく。
「もともと今の羽林将軍は、四師の乱で関東の朝廷全体が陛下の敵に回った為、そのままでは陛下の安全が確保できないことを憂いた先のダルタロス公が他に適任者が見当たらず、緊急避難的な意味もこめて任命した情実人事である。確かにあの時はこうせざるを得なかったかもしれないけれども、今や廷臣全て陛下に服せぬ者などいはしない。南部の、ダルタロス出身者が必ずしも羽林という重職を背負わなければならないことは無いだろう」
「そもそも羽林将軍は陛下を軽んじること甚だ多く、言動にとかく問題のある人物である。このような人物を陛下のお側に置いておくのは廷臣の模範とならない」
そういった彼らの言葉を総合して見ると、どうやら共通する目的として王の側に近侍する羽林のトップの要職を得たいということがあるようだ。
確かに王に妃どころか皇后すらいない現状では、王に少しでも影響力を揮うことを望む野心家にとって羽林大将軍、または羽林将軍は魅力的な地位に映ることであろう。
アエネアスと個人的な関係が皆無といっていい彼らにしてみれば、アエネアスの追い落としに一切の遠慮を感じることは無いということなのか、その声は日々大きくなる一方だった。
一方、廷臣たちは容赦なくアリスディアにも非難の矛先を向けた。
「尚侍も尚侍だ。刺客の正体に気が付かなかったとはなんたる失態!」
「さようさよう。更に言うならば、後宮内にその様な曲者がいることに気が付かなかったことも大きな失態だが、刺客を陛下のお側近くに近づけたことこそ尚侍の最大の過ち。しかも話に拠れば仕えて僅か一年だと言うではないか。そのような者を陛下のお側近くに仕えさせるなど、どのような人事を行っていたのか、疑わざるを得ない。もちろんなんなりと言い分はあるとは思うが、とどのつまりは尚侍の油断、職務が疎かになっていたことは間違いないであろう」
その言葉には当のアリスディアよりアエネアスの方が怒りを表した。アリスディアの普段の勤倹ぶりを知っているだけにそれを否定されたことに怒りを爆発させたのである。
「アリスは連日誰よりも熱心に働いている! それにそもそも後宮の人事に横車を通してきたのは彼ら公卿ではないか! 忙しいアリスを捕まえては硬軟とりまぜて圧力を掛けて、自身の息のかかった女人を有斗の側へと近づけようとしているくせに!」
そう、確かに今回有斗を襲った刺客をなるべく早く有斗の目に届くような部署に配置して欲しいと頼み込んできたのは堀川宰相だ。
しかし公卿からの直々の頼みだ。朝廷内に大きな後ろ盾を持たぬ尚侍としては、今後の活動のことも考えると多少は考慮しなければならない。
それに似たようなことはアリスディアを責めている公卿たちも行ってきたのである。それを責めるというのは筋が違うのではないだろうか。
だがアエネアスの声は彼らには届かない。
朝廷内はアエネアス、アリスディアの罷免に向けて着々と根回しが進められていたのである。
さすがに後宮の責任者たる尚侍の地位は彼らとても手を出しづらかったのか、まずは狙いやすい獲物、アエネアスの羽林大将退任に向けて着々と問責文を積み上げていく。朝廷内の統一された意思であれば王としても無視できないであろうと踏んだのだ。
もし有斗が十分元気な状態であったら、そういった動きもここまで大規模になることはなかったかもしれない。
だが目を覚ましたといっても、有斗は尚も予断を許さない状態が続き、しばらくは病床から起き上がることも出来ない有様だった。
廷臣たちの動きを止めることも牽制することもできない有様だった。
このままでは更に騒ぎが大きくなって耳に入り、せっかく目を覚ました有斗に新たな心痛の種を植え付けて、病状の回復を遅らせるかもしれない。
それにこのまま彼らの声を無視し続けたら、彼らは却って意固地になってアエネアスを責め続けることだろう。
今はなんとか蚊帳の外であるアリスディアにも彼らの魔手が伸びて巻き沿いになることも考えられる。
アエネアスはラヴィーニアの薦めもあり、ここは堀川宰相に倣って自宅にて謹慎することを決心した。
有斗はその後しばらくして目を覚ましたものの、一日の半分以上の時間を寝て暮らした。それだけ毒に対抗するのに体力が必要だったのである。
時折起きては体位を変えようとして苦痛に顔をゆがめ、アリスディアが匙に入れて差し出してくれる御粥を食べてはまた顔をゆがめるといった生活だった。
だがたまに高熱を発して意識を失うといったことはあるものの、全体としては容態は快方へと向かっていると典医たちは太鼓判を押した。
暗殺者が振るった凶刃に塗りつけられていた毒は確かに猛毒の一つではあるものの、おそらく持ち込むのに苦労したためであろうか、剣に塗布された量が少なく、また特徴的な匂いから毒の特定も素早く行われ、解毒剤の投与に時間がかからなかったことが幸いして命を落とさずに済んだとの事だった。
アエネアスが素早く傷口から毒を吸い出したのも効果があったであろうと典医は付け加える。
有斗がそのアエネアスが側にいないことに気がついたのは、アエネアスが謹慎して五日後のことであった。
「ねぇ、アリスディア聞きたいことがあるんだけれども・・・」
アリスディアは毎日、朝から晩まで有斗に付きっ切りである。いなくなったアエネアスの分も働かねばと思い定めているのかもしれない。
であるからその時アリスディアは有斗の枕元に小さな机を置き、仕事をしていた。有斗のその問いかけに手を止めて、質問に答えようと顔を上げる。
「なんでしょうか、陛下?」
「アエネアスを見ないんだけど、どうしたの? 確か昨日もいなかったよね?」
有斗はようやく気を失うことも少なくなり、昨日と今日の区別がつくようになった。そしてようやく周囲の状況を把握できるまで回復したのである。
そうすると身の回りから欠けている顔が気になる。ラヴィーニアら廷臣の顔はまぁいい。彼らは職務に励んでいるのだと推察できるからだ。
目が覚めた当初、有斗はすぐに執務を再開したが、次々来る官吏の相手を生真面目に務めた挙句倒れこんで様態を再び悪化させてしまった。だから病床に職務を持ち込むまいといった気遣いから彼らが来ないのであろうことは有斗としても十分推察できることだった。
だが職務に励む = 有斗の側にいる、のアエネアスの顔が見えないことだけが不思議だった。
「その・・・・・・自宅におります」
一瞬答えに詰まるアリスディアだったが、有斗を心配させまいとして無理に笑顔を作った。
「なんで?」
「何故と申しましても、その・・・」
曖昧に濁した言葉を話すだけのアリスディアに有斗は不安感を募らせる。忠実なアリスディアが正確に物事を有斗に告げないということはよほどのことなのである。
「まさか・・・枕元で僕に付きっ切りでいたから、今度はアエネアスが体調を悪化させたとか?」
「・・・そういうわけではございませんけれども・・・」
けれども、何? もっと深刻な状況といったことか!?
「え? まさか僕の傷口から吸い出した毒が体に回ったとか!?」
「・・・え? ・・・え、ええ、そうですの」
咄嗟にアリスディアは有斗の執拗な追求をかわすために下手な嘘をついた。だがそのあからさまな嘘は有斗にすぐさま見抜かれる。
「アリスディア、それは嘘だよね? 僕を心配させまいとして嘘をついているよね? 本当のことを話してくれないかな?」
有斗はアリスディアをじっと見つめるが、そのアリスディアは有斗と目を合わそうともしない。
やがて観念したのかアリスディアはぼそぼそと真実を話し始めた。
「申し訳ありません、陛下。アエネアスは今回の不祥事の責任を追求されたことで自宅にて謹慎し、陛下が御処分を下されることを待っております。その・・・これまでは陛下に心労を掛けまいと黙っておりました。申し訳ありません」
アリスディアは深々と頭を下げて有斗に真実を隠していたことを謝った。
「なんだって!」
有斗は自分が寝ている間にこんな重大事件が密かに勃発していたことに衝撃を受け、思わず立ち上がろうとした。
が、有斗の体はまだそのような急激な挙動に耐えられるほど回復したわけではなかった。
「いたたたたたたたた・・・!」
「陛下、大丈夫ですか!?」
アリスディアをはじめとして側に控えている女官全てが有斗に駆け寄ってくる。普段の有斗ならば美女に寄ってこられるという、どう考えてもご褒美な状況に尻尾を振ってよだれを垂らしているところであるが、今はそのようなことを思い浮かべる余裕すら有斗には無かった。
「いいから・・・大丈夫ッ・・・! それよりも外出するよ、準備してくれないかな? アエネアスを迎えに行かなくちゃいけない・・・」
有斗は痛みに耐えながら女官の手を振りほどいて寝台から立ち上がった。左足を踏み出して以前と同じように何気なく床に着地させただけなのに激痛が走る。
有斗は言葉にならない声を口から発すると蹲った。
「そんな無茶です!!」
「陛下、例え訪問なさるにしても、もう少し体調が回復なされてからにいたしましょう」
アリスディアもそう言って有斗の袖を引っ張り、引き止めようとするが、有斗は頑として言い分を曲げなかった。
「とにかく一刻も早くアエネアスのところに行かなくちゃ」
いつにない有斗の強引さに、ここぞという時の強情さではラヴィーニア以上と揶揄されるアリスディアも最後は押されるようにして、渋々ながらも外出許可を出す。
有斗を乗せた馬車はひっそりと王城を出て王都の大通りを走り抜ける。いや、走り抜けてはいない。傷口に響かないように足の遅い驢馬に引かせた有斗の馬車はゆっくりゆっくりと進んだのだ。
おかげで前後を固める羽林の騎馬兵は馬車から離れないように馬を御するのに大層な苦労をしなければならなかった。
馬車を遅く走らせるということはそれだけで不審に思われ人目にもつく。
その結果、いつもの隠密行動ではなく、大規模に羽林の兵を動員して警護する、物々しい道中になった。
さすがにそこに王がいるとまでは思わなくても、かなりの重要人物が中に乗っていることだけは誰が見ても想像できる大行列となった。
その姿がさらに人を集め、人だかりを警戒して更に羽林の兵が周囲を取り囲むといった悪循環が起きていた。
本来ならばそういった大仰なことは嫌いな有斗であったが、これをどうすることもできなかった。
なにせ有斗には外を見る元気もないので、供回りがどんなに派手な状態になっているのか確認することが出来なかったのだ。
ともかくも有斗を運ぶようにして行列はアエネアスの邸宅へと向かった。
アエネアス邸の門前に羽林の兵が円陣を組んだところに馬車を横付けし、数人の侍女と共に有斗に代わってアリスディアが出てくると、見物していた街の住人から「おお」と、溜息とも感嘆の声ともつかぬ声があがった。
アリスディアは尚侍としての盛装だ。本人が持つ天然の美しさもあいまって威厳を感じるほどの美々しさであった。
見物人たちもこの貴人を守るための物々しい行列か、と納得する態だった。これから有斗が続いて出て行ったとしても、たぶん従者か何かにしか見えないことだろう。もっとも有斗は馬車の後部座席で完全にグロッキー状態になっていたが。
侍女が門扉を叩くと、一拍の間も空けずに扉が開いて中から一人の少女が顔を出した。
どうやら門前の騒ぎに気付いて門の向こう側にでもいたのであろう。年のころ小学校高学年から中学生くらいの少女だった。
その少女はアリスディアを見ると嬉しそうに笑みを浮かべて深々とお辞儀する。
「あ、これはアリスディア様! お久しぶりです」
「久しぶり、元気そうですね」
アリスディアもよく見知った顔なのか、親しげに少女に話しかける。
「えへへ、元気だけが取り得ですから! それにしても何が起こったんです? 何故、ここに来るのに、こんな大行列???」
少女は頭から?を四つくらい出しそうな表情で、門前で繰り広げられている、このお祭り騒ぎを一通り眺める。
当たり前だが、まだ現状を完全に把握しきれてはいない様子だった。
「悪いのですけれども、入らせていただけないかしら?」
これ以上、門前で騒ぎを拡大することはあまり好ましくない。有斗の容態も気になるところだ。
それに一刻も早く決着を付けたいアリスディアとしては、早いところ有斗とアエネアスを会わせて話し合わせたい。
「あ・・・! でも・・・仕事でへまをしたとかで落ち込んでおられて、誰とも会わないとおっしゃっておられますよ?」
そう言って訪れた人に引き取ってもらうように言われていたことをすっかり忘れていたのか、突然思い出したかのようにその少女は付け足した。
「なにせベルビオさんにまで会わないんですから重症です。これはきっとあれですよ! 仕事で失敗したとか言うのは大嘘で、失恋でもしたに相違ありません! 誰かに派手に振られちゃったんですよ!! アエネアス様は見かけはお綺麗ですけれども、性格にだいぶ難がおありですからね!」
そうでないとここまで落ち込むなど辻褄が合わないと、鼻息も荒く興奮しながら主張した。
しかし小間使いの癖に自分の主人を言いたい放題である。アリスディアはともかくも横に控えている女官たちは笑いを押し殺すのに苦労せねばならなかった。
「まぁ・・・当たらずとも遠からずってところです」
アリスディアだけは口の端に笑みを浮かべながらもいつもと変わらぬ落ち着いたあの口調で落ち着いた返事をする。
「は? それはどういう意味ですか?」
アリスディアはその問いにはまったく答えずに懐から綺麗に折りたたまれた白絹を取り出すと、少女に渡した。
「大丈夫。これをアエネアスに見せれば必ず許可は下りますよ」
少女が首を傾げながらその白絹を広げてみると、それは一部が赤く染まっていた。血ではない、朱印で押された何かの紋様のようだった。
少女には分からなかったが、それは有斗だけが所持する金印の紋様、玉璽の印影だった。