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紅旭の虹  作者: 宗篤
第八章 終夢の章
321/417

昼の護衛、夜の護衛

 アエネアスは広々とした浴場に入り、ウェスタにつかつかと歩み寄るとその右手を掴んで、それ以上の狼藉を防ぐ。

「ふふふ、昨日礼部省の官吏からお前が王都に来たと言う事実を耳にして、こうして罠を張って待ち構えていたのだ! 覚悟するが良い!!」

 ウェスタの右手を掴んで湯船から引きずり出すとアエネアスは勝ち誇る。だがそれで直ぐに諸手を挙げて降参するほどウェスタは弱い女ではない。

「罠を張ったと言っている割には、容易く後宮までの進入を許すとは油断があるのではございませんか? わたしが刺客でしたら今頃、陛下は大変なことに・・・アエネアス様にはひょっとして羽林将軍と言う重職は重荷なのではありませんかしら?」

 すかさずウェスタは口でアエネアスに対する反撃の口火を切る。

 もちろんこれはウェスタが誰に対してでも喧嘩を売るといった問題児であるということを示しているわけではない。ウェスタにとってアエネアスはセルウィリアと並んで王の扉を厳重に塞ぐ、いわば憎き門番であると認識しているからだ。

「な・・・! なんだと!?」

「なんでしたらわたしがアエネアス様にお代わりいたしましょうか? わたし、アエネアス様と違って侵入者など一人も陛下に近づけ無い自信があります。アエネアス様は南部にお帰りになって、どうぞご自由にお暮らしになられては? 陛下にはわたしが付きっ切りで一晩中お守りします。それはもう睡眠不足になるくらいに♪」

 ・・・それはそれで嬉しいような気持ちもするし、息苦しいような感じもする。嬉しがるべきなのか、嫌がるべきなのか、有斗は心の中でひっそりと悩んだ。

「断固として断る! 有斗のお守りは南部以来、私が任されているんだ! そうだよな? 有斗!?」

「う・・・うん、まあね・・・」

 アエティウスに押し付けられちゃってから、いつのまにかそういうことになってるんだよな。まぁそれなりに一生懸命やっているし、以前ほどアエネアスが側にいても不快を感じないから問題ないけれども。

 それにアエティウスにアエネアスのことを頼まれちゃったし。無理に変える事はないかなぁ・・・

「ほら! みろ! 有斗は私を深ぁ~く信頼してこの重職を任せているのだ! お前の割り込む余地などどこにもない!」

 と、アエネアスは有斗の言葉を曲解してウェスタに対して勝ち誇ったように胸を反らす。

 いや、そこまで全面的に信頼して任しているわけではないぞ、と有斗は思うが、口に出すのは身の危険に繋がることをきちんと承知しているので余計なことをすることは差し控えた。

 その有斗の内心を忖度(そんたく)してか、ウェスタは自信満々のアエネアスの表情に小首を傾げる。

「・・・そこまで陛下が信頼しているようにはとても見えませんけれども・・・」

「いいから、こっちにくるんだ!」

 アエネアスは一刻も早く有斗の元よりウェスタを引き離そうと、(なか)ば強引に出口へと引きずっていく。

「あん! いったぁい!」

 アエネアスが手首をがっちりと決めて引っ張ったため、ウェスタが抗議の声を上げた。だがその妙に色気を感じさせる声はアエネアスの勘に障ったらしい。

「変な声をだすな! 本当にいやらしい女だな!」

「ちょっとは手加減してください!」

 ウェスタも体力系女子ではあるが、さすがにアエネアスの馬鹿力には抗しきれないのか、渋々といった表情ではあるが大きく抵抗することなく腕を引かれて、アエネアスの後ろをついて出口へと向かう。

 出口の向こうへ出て、アエネアスが扉を閉めている間にウェスタは再び有斗に手を振って

「陛下、また邪魔が入っちゃいましたね。夜にでもお会いいたしましょうね♪」

 ウェスタは可愛く小さく手を振って片目を瞑り、有斗に合図を送った。それを見てアエネアスは反省の色が無いとばかりに怒った。

「いいか、お前が後宮に入ることなど、金輪際ありえないぞ!!! 今日から警護を更に厳しくしてやるからな!!!」

 ばたんと閉じられた扉の向こうでアエネアスの大きな怒鳴り声が鳴り響いた。


 有斗が風呂に入っている間は後宮の女官はほっと一息ついて、のんびりと優雅にお茶をしているわけではない。

 その日、風呂に行った有斗の世話をグラウケネに任せると、アリスディアは有斗が部屋に戻ってくるまでに、有斗の執務室の机の上を綺麗に清掃し、膳司に命じて夕飯を運ばせてセッティングをして、いつ王が帰っても食事にありつけるよう支度を整える。その間も書類を持ってくる官吏や書類を取りに来る官吏の相手をしながらだ。

 しかも今日は更にウェスタを羽林の部下に引き渡して厄介払いを済ませたばかりのアエネアスの相手をするという超人振りを発揮していた。

 そこにさらなる客人がアリスディアを、いやそこにいるアエネアスを探して訪ねてくる。

「ツァヴタット伯・・・いえ、ベルメット公が陛下のお風呂に侵入したという聞き捨てならない噂を耳にいたしましたが、本当でしょうか!?」

 セルウィリアは入ってくるなり、そうアエネアスに確認を求める。

「・・・やけに耳が早いな」

 今まさにそのことをアリスディアに愚痴ろうとしていたアエネアスは、何処からその情報が洩れたのか首を傾げざるを得ない。それはついさっき起こったばかりのことだ。噂が広がるにしても早すぎる。

「え? ええ、ちょっと聞き及びまして、おほほほほほ」

 セルウィリアはその辺りを曖昧にぼかして誤魔化そうとする。だがアリスディアにはセルウィリアがその情報を入手した手段が分かっている。

 王としての教育を一通り受けたセルウィリアは尊大であるので上位の女官からの受けはあまりよろしくない。だが同時にどんなに下の者に対しても同じ態度で接し、満遍(まんべん)なく優しさを表すことで後宮の人心を掴んでもいるのだ。

 高貴な生まれも手伝って次代の後宮の主と目されることも多い。そしてそれを本人も強く望んでいることはもはや公然の秘密だ。

 だから今のうちに取り入っておいたほうが利口かもしれないと考える女官が出るのも仕方がないことである。つまり徒党を組んで派閥を構成しているということだ。後宮の主としては少し困ったことではある。

 とはいえそれは派閥と呼ぶには矮小なものであるし、大勢の人が集まれば否が応でもある程度の集団を形成するのは避けられないことだ。

 そもそも宮中と同じく後宮も本来は権謀渦巻く陰謀の巣なのである。

 有斗が後宮を構築しないことと、アリスディアがしっかりと手綱を握っているおかげで、今の有斗の内廷は後宮始まって以来の平和を謳歌(おうか)しているが。

 だから一つ二つそういった動きがあったとしてもいちいち目くじらを立てる必要はないというのがアリスディアの立場だった。

 もちろん後宮全体を巻き込むような大掛かりな陰謀が蠢き出したなら、アリスディアとて相手が誰であれ見逃さず、立ち向かう覚悟ではあるけれども。

「まったく、油断も隙も無い。天井には鳴子を付けた縄を張って兵を巡回させて警戒に当たっていたのだが、そのことごとくをすり抜けたらしい。猫かタコみたいなやつだよ、アイツは。二箇所ほど、どうやっても潜り抜けられないところがあったのか音を立てないように切断していた。それで危うく見逃すところだった。念のために床下や天井裏の様子も覗かせておいたことが役に立った」

「これからはもっと警戒すべきだと思いますよ」

「うむ、確かに。殿舎と廊下との境は床下も天井も隔壁を設ける必要があるかも知れないな」

 まさか常に羽林の兵を天井裏や床下に配置するわけにも行かない以上、それが一番いい方法であろう。そうは分かっていても、その許可は下りないだろうなとはアエネアスも思う。

 東京龍緑府は南京と違い、外壁こそはそこそこの形状で残っているものの、上部は崩れているところも多々あり、昔のように外壁の上を歩哨が一周して警戒するといったことさえできない。

 そして王城の中でさえも廃墟と化した建物を放置している有様だ。後宮とて相変わらず奥の四つの殿舎は廃墟を手付かずのまま放置している。

 そんな中で隔壁の予算を求めても、何よりも見栄や体面を大事にする朝臣たちからは賛同を得られることは無いだろう。

 もっと他に整えるべきものはあると拒否されるのが落ちである。王の命がかかっていると力説しても、天井裏と床下に常時、羽林の兵を置いておけばいいではないかとかいったとんでもない返答が返ってくるに違いない。

「それはいい考えだと思いますけれども、急場はしのげません。そ、そこでわたくしに提案があるのですが」

「何? いい考えでも思いついた?」

 侵入に掛けるウェスタの執念とその手腕はアエネアスといえども認めざるを得ないほどのものだ。

 だからと言ってその行為を認めるわけにはいかない立場のアエネアスとしては、なんとしてでも防衛しなければならないことでもある。

 それこそ感情的になんとなくしこりが残るセルウィリアの手を借りてでもである。

「羽林大将は夜は自邸にお帰りになるようですので、わ、わ、わ、わたくしが、よ、夜の陛下をお守りしますっ!!」

「・・・お前が、有斗の警護を? どうやって?」

 アエネアスはセルウィリアの身体を上から下まで眺めて、胡散臭そうに返事を返す。

 セルウィリアは女の身、それも黙ってさえいれば相当美人の部類に入ると有斗に言われるアエネアスから見ても目が眩まんばかりの絶世の美女だが、はっきり言ってその手足の貧弱さと言ったら、アエネアスならば片手でも楽にへし折れるんじゃないかと思われるほどだ。

 この細腕で有斗を守るなどと言われても、警備責任者であるアエネアスがはいそうですかと簡単に許可を与えられるわけが無かった。

「ど、どうやってと言われましても・・・そ、その・・・細々と説明するというのは恥ずかしいというかなんと言いますか・・・はしたないと申すべきことで・・・」

「・・・? 具体的に言わないといいとも悪いとも私が判断できないじゃないか」

 自分から有斗の警護を言い出したというのに変な奴だ、とアエネアスは首を傾げざるを得ない。

「そ、それはその・・・ええと、ベルメット公が例え進入したとしても目的を達しないようにですね、夜の間、一晩中、わたくしが陛下をこの目でしっかりとお守りいたすということです」

「別にお前が有斗を見ていたって何の防御策にもならないぞ。あの女はあらゆる手段を持ってして忍び込む達人だからな」

「で、でも陛下とわたくしが同じ寝台で仲睦まじく並んでいれば、さすがのベルメット公も引き下がるのではないでしょうか?」

 ウェスタが後宮の有斗の寝室に忍び込む、でもそこに先客がいる、とすると諦めざるを得ない・・・

「なるほどな、いい考えかもしれん・・・ん?」

 一瞬、流れで同意しそうになったアエネアスだが、その提案の持つ真の意味に気付いて真っ赤に顔を紅潮させた。

「それではウェスタの代わりがお前になっただけじゃないか! 却下だ、却下!! お前も後宮から(つま)み出すぞ!!!」

「どうしてですか! わたくしは別に構いませんことよ?」

「お前は良くても、有斗にとってはよくない!」

 セルウィリアの願望丸出しのその提案をアエネアスは却下する。

「・・・本当に強情ですね。そんなに陛下を独り占めしたいというのですか? このわたくしがここまで貴女の為に折れて差し上げたというのに!」

「独り占めなどと、なんという言いがかりだ! それに今の提案のいったいどこが折れていると言うんだ!! お前の欲望丸出しじゃないかッ!!」

 アエネアスの反撃にもセルウィリアは怯むことなく頬を膨らませて、不満をあらわにする。

「昼間は羽林大将がずっと警護と称して陛下と一緒ではありませんか。ですから夜はわたくしが警護をいたします。それで五分と五分ですわよね」

「それは職務として側にいるだけだ! 別に側に居たいからいるわけじゃないっ! だから五分じゃないっ!!」

 それにもし二人の女が一人の男を争ったと仮定して、等分に権利を分かちえた時に、そんな分割方法で五分だなどと言えるわけがない。圧倒的に夜に側に居るほうが勝者ではないか。

 だがその言葉は聞き様によっては職務だから仕方が無くやっているとも取れる物言いだ。セルウィリアは目敏くそこに気付いて、責め立ててくる。

「もしかしてアエネアスさんは羽林将軍の仕事がお嫌なのですか? ならばわたくしがお代わりしてもよろしくってよ?」

「うるさいっ!! どいつもこいつも羽林将軍の地位を狙って・・・! 本当に王城から叩き出して関西へ追い返すぞ!!」

 アエネアスはセルウィリアを執務室から追い出して、我侭勝手な提案を一蹴した。


 執務室を追い出されたセルウィリアはぷりぷりと怒りながら廊下を歩いて自室へと退く。

 部屋に入るとたくさん並んだ鉢植えに水をやっているセルウィリア付きの女官の一人が振り返り、笑いかける。

「あ、セルウィリア様、お早いお戻りで。陛下はおられませんでしたか?」

「え、ええ。ちょっとご不在のようでしたわ」

「そうそう・・・今日はお手紙がたくさん来ておりましたよ」

 女官は机の上にそっと置かれた文の束を指差した。

「あら、そう。誰かしら?」

 セルウィリアは以前の軟禁状態より解放されて、かなり行動に自由が認められた。その一環として文のやり取りを許されたのである。もちろん完全に自由と言うわけでは無い。彼女は未だ持ってこの世界で正統にサキノーフ様の血を受け継ぐ関西の先王なのだから。だから来る文も出す文も女官により検問を受けてから届けられる。

 とはいえ王と言うものは元々プライベートなど無いに等しい身分。手紙も侍女が代筆し、読み聞かせてもらっていたセルウィリアにとっては全く平気なことであるらしいのか特に気にした様子は見られなかった。

「あら、これはオルトシアからのお礼状ね」

 オルトシアはセルウィリアの心安い友人の一人である。

 平安時代のように家柄で出世が固定されていないこの時代、親が三公(左府、右府、内府)であっても子が三公になるというのは稀なことだ。だが彼女の家は高祖父、曽祖父、伯叔祖父、父と四代に渡って三公になった。公卿になったものを含むと四代で九人もいる関西屈指の名家と言ってよい。

 その四世三公の名家の出という、本来ならば嫁の行き手に困ることの無い娘であったのだが、有斗が関西を滅ぼし、父親と叔父が白鷹の乱に参加したことで運命が狂った。

 反逆者の子として肩身が狭くなり、婚約を破棄され、家人にも逃げられ生活に困窮した。

 侍女でもよいから仕えさせて欲しいとセルウィリアのところに手紙を寄越さねばならないほどだったのだ。

 自尊心の強い彼女にとってはいくら親しいとはいえ、そう告げることは一大決心であろうとセルウィリアは胸を痛めた。

 だが今のセルウィリアには何一つ彼女にしてあげるだけの力は無い。

 悩んだ挙句に有斗に相談したら、諸侯との間の縁を取り持ってくれて、彼女は嫁ぐことになった。それに対する恩礼状だった。

「よかった・・・オルトシアも気に入ってくれたのね。普通でしたら四世三公の名家の娘ですもの、それなりの家格でないと釣り合いが取れないと、陛下が紹介した縁談を断るかと思いましたけど、どうやら当人同士の気が合ったのね、本当によかったですわ」

 書き連ねてある感謝の言葉にセルウィリアは胸を撫で下ろす。やはり関西の旧臣のことは彼女にとってもっとも心を痛めることだった。

 幸い有斗は比較的東西どちらの朝臣に肩入れするかのような態度を示してはいないが、それでも王に槍を向けた事実は事実、朝廷内で関西閥はあまり大きな顔は出来ない。

 だがそれをもたらしたのは全てセルウィリアの不徳の致す所であると彼女は最近後悔しきりなのである。

 続いての手紙は随分前に宮廷を退いたセルウィリアにとっては母のような存在であった女官からのもの、そしてその次は関西の旧臣よりの時候の挨拶など、ぱらぱらと読み進めた。

 その中に何故か一通、封が切られていない手紙があり、セルウィリアの目に留まる。

「差出人は・・・裏には書いてありませんね」

 小刀を使い封を切ると、そこに書かれていたのは見覚えのある文字。

「・・・バアルからの手紙・・・!?」

 慌てて他の女官の目に触れないように他の手紙の下に半ば隠して、その手紙を読み進める。

 そこには彼女への丁寧な挨拶から始まり、彼女の身を案じる心境が事細かに書き連ねてあった。そして必ず今の生活から助け出し、彼女を至尊の位に復すことを誓っていた。彼女の手にこうして手紙が届いたように、無事に協力者も得ることが出来たので、気を強くして待っていて欲しいと書かれてあった。

「・・・わたくしがそのようなことを望んでいないと知らないんだわ・・・」

 連絡のつけようが無い以上、当然といえば当然であるが。バアルはきっと西京鷹徳府でセルウィリアに誓った誓いを守ろうとしているに違いない。

 セルウィリアはどう行動すべきか悩んだ挙句、その手紙を燃やして無かったことにすることにした。

 逆にバアルに手紙を出して説得することも出来なければ、バアルのことを有斗に注進するといったことも躊躇(ためら)われたからだ。有斗のことは大好きではあるが、やはりバアルのことはバアルのことで気になるのである。

 しかし後のことを思えば、セルウィリアはどうやってその手紙が、検問を潜り抜けて自らの元に届けられたのかと言うことを深く考えるべきだったかもしれない。

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