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紅旭の虹  作者: 宗篤
第八章 終夢の章
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買い食い

 毎日、勤勉に王様業を続ける有斗だが、元々根が勤勉な性質(たち)ではないので、ストレスはたまる一方である。

「遊びたい・・・」

 有斗の目の前には次々と書類が積まれ、上級官吏から中級官吏まで次々と政策について面会を求めてくる。

 今まで毎日届けられる報告書の量だけでも殺人的な分量だと有斗は思っていたのだが、実はどうもこれまで官吏は有斗が内政よりも天下統一を主眼において政治を進めていたことに配慮をし、あれでも手加減してくれていたようだ。

 しかしカヒに引き続いてオーギューガもアメイジアから消え失せた。これでもはや有斗の王権は、有斗の急死などの不測の事態が起こらない限りは揺ぎ無いものになったと誰もが考える。

 これからは軍が肩で風切って歩く時代ではなくて、王を支える官吏が主流となる時代だ。

 在る者は己が属する組織に少しでも権益を引っ張ってくるために、在る者は己の出世の為に王の歓心を買おうと、また在る者は戦乱に傷ついた民衆の救済の為の理想に燃えて、次々と有斗に上奏を行おうと列をなして押し寄せたのだ。

 組織や自己の利益を図ろうとする動きは論外だが、それでも仕事に積極的なのは官吏としては褒められるべきことだと思う。

 日本では官僚的といえば決められたマニュアル通りの仕事しかせず、時間が終わったら窓口を閉めるといった負のイメージだ。そういった無気力な官吏であるよりは仕事熱心であったほうがよほどマシというものである。

 とはいえそれだけ有斗の前に片付けなければならない仕事が大量に押し寄せるということだ。起きている時間の八割・・・いや、ほとんどを執務室で仕事をしている計算になる。

 起きて、ご飯食べて、朝議を行って、執務室行って、仕事して、ご飯食べて、仕事して、寝る。

 娯楽と言うものが一切無い生活だ、これはどう考えても酷い!

「何を甘えたことを言っているんだ。大勢の民が、そして官吏が有斗が正しい政治をして、世の中が良くなることを願っているんだ。遊んでいる暇などないぞ! さっさと働く働く!」

 だがそんな有斗にアエネアスがかける言葉は励ましているんだか、嫌がらせを言っているんだかわからない酷いものだった。

「僕だって人間だよ。毎日がこれじゃあ壊れちゃうよ」

「厳しく自分を律し、政務を積極的に行われた順帝にも鷹狩りという趣味がございました。陛下も気晴らしに何かをなさるのがよろしいかと思われます。もしくはたまにお休みになられるというのもいいかもしれません。気分転換にもなりますし」

 アリスディアがお疲れモードの有斗に優しく提案する。すると有斗が反応するより前にアエネアスが反応した。

「あ! じゃあ、毎朝の剣術の稽古を二倍に増やすのはどうだ!? あれは身体も動かすし、気分も爽快に成る!」

「あれはアエネアスは爽快かもしれないけど、僕には苦痛でしかないよ・・・」

 いつも最後はアエネアスに叩きのめされるだけだもんな。アエネアスにはいいストレスの解消方法になっているかもしれないけれども、有斗には逆にストレスが溜まる原因の一つだ。

「インターネット・・・いやいやテレビ・・・あるいは漫画、ライトノベル・・・せめて小説でもいいから、娯楽作品がありさえすれば気晴らしにもなるんだけどなぁ・・・」

 有斗だってそれらがアメイジアには無いとわかってはいても、思わずそれらを求めて愚痴ってもみたくなってしまった。

「いんた・・・? 有斗の言っている言葉が何のことやらさっぱり分からないが、小説ならあるぞ」

「あるのは知ってるよ。でも挿絵もなければ、みんな草書で書かれてるじゃないか」

 あんなみみずがのたくったような文字で書かれても読めるもんか。王命で草書を禁止にしたいくらいだ。

 いや、むしろはやく活版印刷を発明すべきだ。そういった知識はあるのだから、官吏に命じて活版印刷機を作らせるべきだろうかと有斗は思い悩む。

 問題は大量に同じ本を必要とする状況になるかどうかだろうな。あれは大量生産を前提として必要になった機械だ。たった一冊の本のために活版印刷機を作らせるのは費用と手間の無駄でしかない。

「陛下、でしたらいつものようにわたくしが代わりに読みましょうか?」

「・・・いや、いい。いつも迷惑を掛けているアリスディアにこれ以上迷惑を掛けるのは心苦しいよ」

 有斗が疲れている以上、有斗に付き従って常に側にいるアリスディアだって疲れているに違いない。これ以上、有斗の我侭で仕事を増やすのは気が引ける。しかも仕事に関係することならともかくも、それが娯楽のためとあっては尚更だ。

 それにそれでは母親に絵本を読んでもらっている幼児みたいじゃないか。外聞が悪いにも程がある。

「ほう! それは有斗にしては殊勝な心がけ。アリスに負担をかけないように気を配るなど感心感心!」

 と言うと、アエネアスは有斗の頭を優しく撫で回した。女の子に頭を撫でられるのは嬉しいイベントのはずなのだが・・・まったく嬉しくなかった。


 だがこのままでは気が滅入る。というよりも発狂する。

 そこで有斗はその日、公務を中止して十ヶ月ぶりに王城を抜け出し、王都での買い食いライフを満喫することにした。

 十ヶ月間に溜まりに溜まったストレスを発散しようとするせいか、いつもにも増して買い食いをする有斗を見て、護衛のアエネアスは少々呆れ気味だった。

「ほどほどにしておけよ。太ったらどうする」

「うるさいなぁ、ほっといてくれよ。たまの自由な時間くらい好きにさせてくれたっていいじゃないか。アエネアスは細かいことに気を遣いすぎなんだよ。僕のお母さんじゃないんだし」

「心配してやっているんだぞ、その言い草は無いだろう。それに豚のように太ったらどうするんだ。ただでさえもてない有斗が更にもてなくなるんだぞ。ちょっとは有斗も体型に気を遣うべきだ。そもそもいつもの何倍も買い食いしているが、お金は大丈夫なのか? そっちだって心配だ」

 アエネアスはさり気無く痛いところを突いて来る。実はそこに深入りされると宮中において大問題となりかねないのだ。

「そ、そんなことはないと思うよ。露天の食べ物は庶民が食べるものだから安いんだよ」

 だから慌てて有斗はアエネアスの疑念を逸らそうと適当な言葉で取り繕い、誤魔化した。

 有斗の買い食いのお金は宮中の雑費から出ていることにはなっているが、雑費と言えども使用目的や買ったものは厳密に記録され、年度末に節部が不正が無いか調査する。

 もちろん買い食いにそのような記録や証拠が残るわけが無い。仕方が無く、アリスディアが適当に処理して初年度は提出したら、節部は内侍司(ないしのつかさ)の大規模な不正事件だと勘違いしたらしく内偵を始め、最後は節部尚書が確認の為に有斗のところに直接訊ねに来るという大事件にまで発展した。

 しかも有斗がそれは買い食いに使った正直に白状しても、それを有斗が親しい間柄のアリスディアを庇う為に嘘をついていると思ったのか、信じようとしなかったため、なかなか決着が付かなかった。

 そこにさらには朝廷の権力争いや派閥争いも絡んで、やれこれは王の寵愛を(かさ)に着た内侍司の怠慢だと言い出したり、最終的には王の言葉を信じようとしなかった節部尚書を不敬罪に問おうとする動きにまでなって、宮中は大きく揺れ動いた。

 しかもその騒ぎに紛れて翌年から有斗にお金を支給するだのしないだのといった肝心の話はどこかに消え失せ、仕方が無くアリスディアが内侍司の予備費を切り崩して工面して出してくれた。

 だがそれはほんの細やかな金額に過ぎない。あっという間に使い果たしてしまった。

 大きな声では言えないが、買い食いのお金はとある不正な手段を用いて裏金を作ることで捻出しているのだ。

 しかし仮にもアメイジア全てを所有する王様が何故そんなことまでしないと、自由に使えるお金に困ると言うのだ。下働きの子でも一ヶ月にもっと貰っているに違いないのに。

 朝廷で顔を合わせている公卿たちにいたっては、その何万倍もの金額が支給されていることを有斗は知っていのだ。

 確かに、ようやく戦国から抜け出したばかりのこの世で衣食住に不自由しないということは恵まれているとは思うけど、もうちょっと人並みな自由を満喫できてもいいと思うんだ。

「この肉の焼き串だって五文もするじゃないか。さっき買ったみずみずしい桃も一個一文もしたし・・・合計すると結構いい金額になるぞ」

 アエネアスのその指摘が有斗を思考の只中から現実世界に引き戻す。アエネアスは本格的に有斗の出費について考え出したようだ。

 このままでは拙い、と有斗は慌てて周囲を見回し、アエネアスの注意を逸らせるような別の話題を探した。

 ちょうどいい具合に視線の先に格好の対象を見つけて有斗は声を上げる。

「・・・? あそこの館、門前に人だかりがすごいけど、何かあったのかな?」

 有斗が見たのは大きな門構えの前に大勢の人の群れが集まって門番となにやら揉めている姿だった。農民だろうか、あまり身なりはよろしくない。とはいえ農民の代表と門番とは互いに代わる代わる話をしていた。お互いの言葉を聴きあっているということだ。

 ということは暴力沙汰とかではないようだが・・・

 元々アエネアスの注意を逸らすためだったはずが、いつの間にか有斗がその騒ぎに惹き込まれていた。

「ああ・・・あそこは戸部侍郎の館だな。地方から集団で陳情にでも訪れているんだろう。租税を減免して欲しいんだろうな。最近あの手の陳情が多いらしい」

「租税を減免・・・? まさか地方官が腐敗して定められた以上の税を取っているとか・・・?」

 普通の租税ならば十分に余裕を持って生活できるように配慮して税率は設定されている。わざわざ地方から王都に出てきて陳情しなければならないなんてことはないはずだ。

 ということは考えられることは現地の官が私服を肥やすために重税を課しているということだ。

 有斗の政権はまだまだ始まったばかりなのである。ここで最初から不正を見過ごしてしまったら、似たようなことがこの先どんどん悪化して広がっていくに違いない。朝廷は足元から腐敗が広がり、屋台骨がガタガタになってしまうだろう。

 想像に眉を(ひそ)める有斗だったが、アエネアスは深刻な有斗の顔を見て勘違いさせたことに気付き、有斗の認識に訂正を加える。

「ああ、違う違う。有斗が考えているようなことじゃない。南部では領主に掛け合って荒地を借り受け、そこに流民を集めて食わせる代わりに開墾させ、大型荘園を作って利益を得るという商売をしている連中がいるんだ。何を隠そうダルタロス領にも五つか六つあったんじゃなかったかな。なにしろ戦国が始まってこのかた、どこも人口は減る一方で、領主は徴税対象である農民の確保に頭を痛めていたからな。こちらは元手を出さずに税収が上がるからな。どの諸侯も大喜びだった」

「私的に僕の屯田法を行っていたようなものか・・・で、それがどうしたの?」

「彼らはその荘園から上がる利益の一部を諸侯に渡し、大部分を懐に入れていた。それはまぁしょうがない。彼らは私財を投じて荘園を作ったんだから、利益を一番受け取るべきだろう。兄様もそう言って納得していた。だけどこんどの領土替えで、そういった土地も王領に組み込まれたんだ」

「そうか・・・王領になったからその契約関係は無効になってしまうってことか」

「そう。官吏はそういった荘園に他と同じように税金を掛けようとしている。そうなれば利益はほとんど見込めない。それどころか荘園を取り上げられる危険性もある。彼らは諸侯と違って王からその土地を与えられたわけでなく、王からその土地を治めることを許された諸侯から土地の使用権を借りただけだからな。王がその土地一帯の支配権を諸侯から奪い去った以上、彼らにはその荘園を所有する根拠が無い」

 多額の私財を投じて作った荘園だ。それをただで取り上げようとすれば大きな反発があるだろう。

「彼らはなんとかして自分が持つ権利や権益を守ろうとするだろうね」

「だとすると方法は二つ。これまで彼らが得ていた利益と税金分の合算を働き手から取り上げるか、税金を彼らが諸侯に払っていた程度に下げてもらうかだ。だが前者は難しい。そんなことをしたら働き手は荘園から出て行くだろうし、非道なことをしていると国に介入の絶好の口実を与えてしまう」

「だからああいうふうに陳情しているってことか・・・」

「そう。もちろん税金を下げろなどと言っても門前払いだ。だから弱きものである元流民の情に訴え、税金まで課されてはこのままでは生きていけないなどと言いくるめて、彼ら自身でなく元流民に集団陳情させる手口が流行っているんだよ」

 なるほど。陳情団の素性と、それが何故、戸部侍郎の館の前で行われているかという理由、そして彼らの背後にある思惑はこれで理解できた。

 しかし・・・今度は新たな疑問が沸き上がる。

「しかしよくそんなこと知ってたね」

 いつも有斗の側で食っちゃべっているか、ベルビオらと遊んでいるだけだと思ってたのに、実はアエネアスって意外と切れ者・・・?

 だがもちろん、アエネアスがそんな凄い二面性を持つ女であるわけがなかった。アエネアスはいつでも表裏なくアエネアスなのだ。

「アリスディアが最近王都ではこんなことが起きているって教えてくれたんだ」

「・・・」

 なるほど。おかしいと思った。それにしてもさすがはアリスディアだ。宮廷一の地獄耳の名前は伊達じゃない。

 だけどそれでもまだ問題が一つ残っている。

「僕のところまでこの件は上がってきてない・・・どうなっているんだろう?」

「まだ下のほうで対策を練っているからじゃないかな。確かラヴィーニアの奴も処置に困って戸部尚書らと意見の擦り合わせを行ってるとか言ってたぞ」

「ああ、そうなんだ」

 有斗は一気に気分が晴れた。ラヴィーニアらが考えていてくれているのなら、それなりの解決策を模索してくれるはず。有斗が思い悩むことは無い。

 そして有斗はアエネアスの疑念を逸らすことに成功したことに胸を撫で下ろし、再び買い食いの戦利品を片付ける作業を再開する。

 宮中のお上品な料理と違ってコテコテな味付けの露天料理に、有斗は思う存分に舌鼓を打った。

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