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紅旭の虹  作者: 宗篤
第八章 終夢の章
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不機嫌の理由

 有斗は上州、越、芳野の後始末を王師の将軍たちに任せると、本人は一足先に第一軍と羽林の兵を伴って王都へ帰還した。

 王都では凱旋する王を見ようと東京龍緑府を南北に貫く中央大通りである朱雀大路(すざくおおじ)には人だかりでごった返していた。

 京内だけでなく近隣の村々からも噂を聞きつけて人が集まったため、幅二十八丈《約八十五メートル》を超える超巨大道路にもかかわらず、人がごった返して羽林の兵も度々前が詰まって身動きが取れなくなるほどだった。

 もっとも幅員八十メートルを超えると言っても小川が流れる溝、犬走り、柳の並木がある上に、商売っ気の強い商人が屋台を出したり、桟敷席を作ったりして極端に道幅は狭くなっていたけれども。

 集まった人たちもどちらかというと心から有斗の勝利と帰還を祝うと言うよりは、雰囲気を楽しんでいる様子が見られた。まぁお祭りみたいなものなのだろう。

 有斗が行列がちっとも進まないことを愚痴ると、

「いいじゃないか。それだけアメイジアが平和になって、人々の心にこういったことを楽しむことができる余裕が生まれたってことだぞ。それに皆、有斗を見に来ているんだ。有斗に親しみに感じ、誇りに思っているからこそ帰還する姿を見に来ているんだ。有難いことじゃないか。王としては感謝こそすれ文句なんか言うもんじゃない。罰が当たるぞ」

 とアエネアスは普段の理不尽さからはまるで程遠い、殊勝なお言葉を有斗に垂れる。

 最近アエネアスは機嫌がいいなぁ・・・と有斗は不思議に思う。

 ま、こちらにとばっちりが来ないことを考えると、有斗としてはもちろん機嫌が悪いよりは良いにこしたことはない。

 とはいえあまりにも連日上機嫌なので、有斗にしてみればこれは嵐の前触れではないかとびくびくする事しきりだった。

 朱雀門から王宮までの僅か八里(約四キロ)の距離を移動するのに一刻以上費やして、ふらふらになりながらも有斗はようやく人心地のつける場所へと辿り着いた。

「イタタタタ・・・腰が・・・慣れないことはするもんじゃないな」

 王の威厳を見せるべく、背筋をきちんと伸ばし整った姿勢で馬車に座り続けていた有斗は、肩が強張り腰が痛んで歩くのも苦痛な始末だった。

「何を弱音を吐いている! 鍛え方が足りぬ!」

 同じように有斗の横で座っていたはずのアエネアスは実に元気なものだった。こうなると現代人と戦国時代の人という差異以外に、ひょっとして異世界人と有斗とでは体の作りそのものが違うのではと言う疑惑すら浮かんでくる。

 有斗が足早に内裏へと足を向けると、

「陛下、お帰りなさいませ!」と、硝子細工を指ではじいたかのような涼やかな声。軽やかな足音に振り返った有斗の目に、橙色の色が飛び込んでくる。

「此度も見事、敵を打ち破られたとのこと、陛下の御威光まことに素晴らしきものと存知奉ります。それも天下に軍神と呼ばれたテイレシアをかくも短き間に打ち破られるとは、まさしく陛下は天与の人でございますね!」

 宝石のような大きな目に優しい光を湛え、大輪の花が咲いたかのようにすら思える笑みを浮かべ、そこに立っていたのはセルウィリアだった。

 有斗の帰還が待ちきれなかったのか、内裏から一歩外に出て建春門の前にまで出迎えに出たのだ。

 後ろに控えている女官たちが皆荒い息をしているところを見るとひょっとしたら駆けて来たのかもしれない。

 にも関わらずセルウィリアは平静を装い、涼しい顔だ。でもよくよく観察してみれば、平常状態にしては呼吸間隔が短く、激しい。

 はしたないと思われるのが嫌で必死に息を殺しているのだろう。そのどちらも有斗のためにしていると思えば、自然と笑みもこぼれた。

「将軍たちや兵士たちが頑張ってくれたからね。僕は座っていただけさ」

 と有斗が右手を軽く振って否定すると、セルウィリアはその手を両手で挟み込むように握るとにじり寄った。

「そんな! ご謙遜を!」

 どうやらセルウィリアは有斗の語句を謙虚の証と受け取ったようだった。実際、今回の戦ではあまり大して働いた分けではなかったのだが。

「ですがわたくしは胸が張り裂けんばかりに心配しておりましたのよ。戦場では何が起こるかわかりませんから。陛下の御身に何かがあればと思うと鬱々(うつうつ)として夜も寝られず、枕を涙で濡らしておりましたのよ」

 そう言うともう一歩、さらに一歩セルウィリアは有斗の側へと寄る。もはや息の触れ合う距離、身体は接触こそしていないものの、服がこすれあうほどの距離。

 有斗の顔を僅かばかり見上げるセルウィリアの小さく開いたピンク色の唇が(なまめ)かしかった。

 アエネアスの目が怖いが、両手で手を掴まれている関係で逃げようにも逃げられない。まぁ正直逃げたくは無いわけだが。

 有斗は思わずドギマギする。

「ここまで猫が被れるなんて大したものだ・・・」

 案の定と言うか、アエネアスから不機嫌そうな声が投げ付けられた。その声に負けじと鋭い目をしてセルウィリアはアエネアスに振り向く。

「何か言いまして? 羽林将軍()?」

「べつにぃ~」

 と汚らわしいものを見るような目をセルウィリアに一瞬向けるが、直ぐに視線をそらすと、くるりと(きびす)を返し歩き始めた。

「どこへ行くの、アエネアス?」

「どこへだっていいだろ! もう王城についたんだし、有斗のお守りはもう十分! あ~あ、肩がこったこった!」

 と不機嫌な声で肩をこれ見よがしにぐるぐる回しながら、有斗を放って置いてどこかに行こうとする。

「なんだよアエネアス、また機嫌が悪くなってるや」

 せっかくの晴れの凱旋なんだから、ここはお祭り気分で盛り上がるべきところだろう、空気を悪くすることはないと思う。それにここは有斗やセルウィリアやアエネアスだけでなく、女官や羽林、金吾の兵、さらには官吏までいる。衆人の目がある以上、ここはいわばまだ凱旋式の一部なのだ。ここで一悶着あったら、皆のせっかくの雰囲気も壊れてしまう。

 もうアエネアスも以前のようなダルタロス公の従妹といった私的な立場の人間じゃなく、王の親衛隊長という責任ある立場の人間だ。個人的に何か機嫌が悪くなることがあったとしても表面上はニコニコする、それくらいはしてくれてもいいんじゃないかなぁ・・・

 それにしても何がアエネアスをこんなに機嫌を悪くしているのか、最近はどちらかというと柔らかくなったアエネアスの顔を見ていただけに有斗はとても不思議だった。

 まるで有斗と会ったばかりのアエネアスを見ているようだ。

 ふと頭の中で考えを(まと)めてみる。

 王都を出発するときは、これから遠征に出ると言うのに、まるで旅行にでも行くのかと言うくらい上機嫌で、不謹慎なくらいだった。

 最初にアエネアスの機嫌が悪くなったのは河東へ到着してからだ。そして芳野攻略戦の間、ずっと始終不機嫌だった。

 ところが上州へと兵を向けた途端、また再び機嫌が良くなった。芳野では王師は劣勢だったから、もしくはいつ敵に襲われるか分からないとピリピリしていたことが理由だと考えられなくも無い。

 だがそうだとすると今現在のこの状況が説明が付かない。

 いくら味方が優勢と言っても、戦は水物だ。ちょっとしたことで負ける。つまりアエネアスだって命を落としかねない。王都に戻ってきたと言うことは、つまりそれらの不安から完全に開放されたと言うことだ。

 不機嫌になるという理由がまったく分からない。

 女の子の日だから機嫌が悪いのかなとも考えたが、でもなぁ・・・生理だとしても不機嫌な期間が長すぎだったり、期間が不安定すぎるしなぁ・・・

 ストレスで不順になるとは聞いたことがあるけれども、有斗を思う存分罵っている自由奔放に生きるアエネアスのような人間に、ストレスなる高尚なものが存在しているかははなはだ疑問があるところだ。

 とはいえ有斗は他の要因を思いつくことができず、再び首を傾げた。


「陛下がどのような活躍をなされたか、是非わたくしにお話してくださいませね♪」

「う・・・うん」

 有斗は浮き浮きと明るく笑うセルウィリアに手を引かれて清涼殿へと向かった。

 だが既に有斗の帰還は朝廷内に広く伝えられており、有斗が執務室で見たものは、続々と大量の書類が運び込まれるその様と、それを指揮しているラヴィーニアと、そして受け取った書類を記帳して記録するのに大忙しのアリスディアをはじめとした内侍司(ないしのつかさ)の面々だった。

 今回はいつになく溜まったなぁ・・・などとまるで人事のように有斗は書類の山を眺めた。正確には己のことと思いたくないからそう述懐せざるを得なかったのだが。

「帰還して早々これはないよ・・・せめて明日からとかさぁ・・・」

 戦の後は一日二日は休養に当てるべきだと思うんだ。このままじゃ過労死まっしぐらだぞ。

 だが有斗のささやかな望みはラヴィーニアの心には届かないようだ。

「そんな訳には参りません。数多くの火急の案件が陛下の裁断を今や遅しと待ち構えているのです。さぁ! さぁ!!」

 というとさっそく書簡を一つ二つ取り上げ、それが如何に火急かを力説する。

「これは河北の灌漑の事業継続の要望書、河北は開墾が進んだのですが、田畑に対して農業用水が圧倒的に足りません。これは南部内における諸侯間の揉め事に対する双方からの告発状、放って置いては戦になるやも知れません。そしてこれは・・・って、陛下、聞いておられますか!?」

 ラヴィーニアは大事な話をしているのに、呆然と座ったまま身じろぎ一つしない有斗をきつい目で睨む。

「ああ・・・聞いてるよ」

 本当は聞きたくも無いけれどもな、と有斗は心の中でそっと毒づいた。

「でしたら───!」

「中書令、陛下は遠征を終えたばかり、大変お疲れのご様子です。国事には一刻の猶予もならぬ案件があることは存じておりますが、ですがお疲れの陛下がでは万が一・・・と言うことも無いとは申せません。とりあえず陛下には一休みしていただいて、夕方から執務と言うことにされてはいかがでしょうか?」

 そのアリスディアの提案にも何か言いたそうに一旦は口を開いたラヴィーニアだったが、やがて渋々といった表情で口を閉ざした。

「・・・しかたがないですね」

 こうしてラヴィーニアからの仕事をしばらく退けることが出来た有斗はアリスディアに心からの感謝の言葉を述べる。

「ああ、本当に優しいね・・・アリスディア。宮中においてはアリスディアだけが僕にとっては癒しだよ」

 するとセルウィリアがちょっと怒ったかのようにぷいと横を向いて、尖った口調で有斗に嫌味をぶつけた。

「わたくしでは癒しになりませんか、そうですか。実に申し訳ないことですね」

「も、もちろんセルウィリアもだよ! 決まってるじゃないか!」

 有斗が慌ててフォローすると、セルウィリアはくるりと元の方向に顔を向けて微笑んだ。

「ですよね~そうだと思っていました」

 その顔はにこやかに笑っているけれども、どこかしら少し怖かった。セルウィリアって文句なしに美人だけど、生まれながらの王女ってこともあるし、気位やプライドが高くて付き合うとなると結構大変そうだな、と有斗は余計な感想を抱く。

 そこに有斗が休むことに同意して一旦退室したばかりのラヴィーニアが何故か戻ってきた。

「どうしたの?」

「一件だけ先に陛下の許可を頂いておきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか? 少しでもできることから動かしておきたいのです」

「・・・一件だけなら」

 有斗は一件と言いながらどさくさ紛れに二件三件と増やすんじゃないだろうなと警戒しつつも、その提案を受け入れる。

「戦国の世を終わらせる法律を発布してみてはいかがでしょう?」

「・・・戦国の世は終わりですよ、と告知でもするの?」

 告知して終わるのなら、苦労はしないと思うのだが・・・

「ですから禁止するのです、私闘を。どのようなことであれ法の外での自力救済を禁じ、それを破ったものは重罪に処すのです。争いを裁く権利は朝廷だけが有し、朝廷に全ての権威と権限があることを広く知らしめるのです」

「それはオーギューガとの間で問題になったことだね」

「ええ。ですが私闘を許したままでは戦国の世はいつまで経っても終わりません。ですからこれを期に明文化し、天下に布告し、これをもって戦国の時代は終わりを告げたと知らしめるのです」

 確かに私闘を明確に禁止しないと諸侯間での争いは止むことが無いだろう。朝廷に逆らう大諸侯はいなくなっても、今のままでは小さな争いが続くことになる。争いが続いている間は平和になったとは言いがたいし、小さな争いが周辺を巻き込んで大きな争いへと発展する危険性がある。それに大々的に争うことを禁止すると告げることで、そういったことに対する大きな抑止力になるに違いない。

「うん、いいんじゃないかな」

 有斗はラヴィーニアにさっそく草稿を書いてくるように指示をした。

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