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紅旭の虹  作者: 宗篤
第七章 一統の章
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牧野が原の戦い(Ⅳ)

 ザラルセン隊は後方から射程圏内まで近づくと再びオーギューガの陣に矢を放った。

 矢は吸い込まれていくようにオーギューガの部隊へと突き刺さる。矢の返礼を浴びる前にザラルセン隊はさっと射程外へと退避をした。

 先ほどと違うことは、それで誘い出される兵がいないということである。

 これ以上、テイレシアに兵を割いてザラルセン隊に回す余裕は無いということか、それとも王師の兵を川底へと沈めることを優先したということか、あるいはその両方か。

 だがこれでオーギューガの兵を少しでも引き付け、川岸へ追いやられている王師本隊への圧力を弱めることで戦局を打開しようとするザラルセン隊の目論見は失敗したということだ。

 もしオーギューガが王師を全て川に叩き落してしまえば、退路を失ったザラルセン隊の滅亡は規定事項となってしまう。

 救いといえば自分の他にも山を通って来た部隊があり、そこと共闘できることくらいだが、その相手がよりによってマシニッサ隊だということは必ずしもプラスに判断できる材料ではない。

 何故なら、いつ寝首をかかれないとも限らないのだ。

「敵は後備を失って、敵の陣は薄くなっている。ここは進んで敵陣へ攻め込み、敵を挟撃し、戦列を食い破って向こう側の味方の脱出路を作ってやろう」

 ザラルセンは明るい声でいたってお気楽にそう言ったが、実際のところ、それだけがこの危険な現状を変えることができる唯一の手段だった。

 ぐずぐず矢戦でお茶を濁しているだけでは、滅亡への坂道を転げ落ちていくも同然なのだ。

 だがここで大将が悲壮な顔を部下に晒してもなんら戦況は良化しない。士気を落とすだけだとザラルセンもよく分かっている。

 ありがたいことにマシニッサも同じ結論に辿り着いたらしい、ザラルセン隊と歩調を合わせるようにマシニッサ隊も喚声を上げると九曜巴の旗目指して前進を開始する。

 マシニッサ隊とザラルセン隊とが合わされば七千強の兵力になる。

 名高いオーギューガの勁兵(けいへい)と言えども一騎当千というわけでもあるまいし、後方から襲い掛かるのならばなんとか勝負になるのではないかと言うのがザラルセンの計算だった。

 オーギューガは敵軍が後方より急速接近しているのも意に介さず、僅かばかりの兵を後方に回してその攻撃を塞ごうとする。

 オーギューガ隊は矢を放って両隊の接近を防ごうとするが、先ほどと違い兵数がいない分、一度に飛んでくる矢は少ない。

 おかげで矢に射られて落馬する味方も数少なかった。勢いは弱まることなくザラルセン隊は前進を続ける。

 実に有難い話だったが、ザラルセンはその事態に喜びよりむしろ怒りを覚えていた。

「舐めていやがるのか!?」

 七千からの兵を防ぐにしては少なすぎるその数に、ザラルセンは思わず頭に血が昇ったのだ。

 その思いは配下の兵も同じらしく、怒りが乗り移ったかのように馬の足を速めてオーギューガのその急造の後備にぶつかっていった。

「蹴散らせ!!!!」

 ザラルセンの号令一下、槍先をそろえるように襲い掛かった王師第五軍とそれに並ぶようにして攻めかかったトゥエンクの兵は、オーギューガの兵士に怒りと共に刃を突き立てる。

 だが驚いたことにオーギューガの兵はその第一波を苦も無く受けきった。

 前列の兵が盾を連ねてその攻撃を受けきり、後列の兵は盾の合間から(げき)を突き出す。

 戟は槍に()の機能を併せ持たした兵器である。柄と水平に取り付ける槍の穂先に加えて、柄と垂直方向に戈の刃が取り付けられたものだ。横向きに取り付けられた刃は本来は上から敵を打ち据えて殺傷するのに使われるが、オーギューガの兵はその横に伸びた穂先を使ってタイミングを合わせて馬の足を狙い、足先を切り掬い上げ、騎馬を倒す。そうすれば倒れた馬は続いて突撃してくる騎馬兵にとって障害物となり、その突撃を防ぐ効果があるというわけだ。

「怯むな! 敵は寡兵だ! とにかく攻め続けることだ!! こんな芸当が毎度毎度できるわけがない! いつかは敵の防備に綻びが必ず出る!!」

 ザラルセンは勢いを緩めては敵の思う壺とばかりに、声を張って兵を次々と前線へ送り出す。

 数の差は圧倒的だが、双方互角の戦いを繰り広げ、戦線はしばし膠着(こうちゃく)した。

 だがいかんせんオーギューガの後詰は数が少ない。つまり戦列が薄いのである。そのザラルセン隊の前面に展開する僅かばかりの戦列を突破すれば、王師本隊と死闘を繰り広げているオーギューガの各部隊が背中を向けて存在するのだ。

 後ろから襲い掛かれたら、いくらオーギューガの兵であっても、ひとたまりも無いに違いない。人間は前にしか目を持っていないのだから。

 思いは同じなのか、マシニッサ隊もザラルセン隊と歩調を合わせて白兵戦へと突入した。

 王師ではないマシニッサ隊、そして王師でも毛色の違うザラルセン隊はやがてオーギューガ隊を圧し始め、優勢を示していく。

 もちろんそれはオーギューガの主力がベルビオ、エレクトライ、リュケネ、ヒュベル、エテオクロスら諸隊へ向けられているといった幸運もあってのことだが。

「よし! このまま一気に突き破って虫の息の味方を救い出すぞ!! 俺らを二度と馬鹿にはさせぬようにな!」

「合点でぃ兄貴!!!!」

 兵はザラルセンのその勝気さが乗り移ったかのように躍動し、遂にその防御陣形の一角を破りぬいた。

 意気の上がったザラルセン隊、マシニッサ隊はその僅かな隙間を突破口にしようと兵を集中して雪崩れ込む。

 兵はオーギューガの兵を駆逐し、徐々に徐々に味方との距離を狭めていった。

「ザラルセンか! 助かった!」

 絶望的な状況の中、多くの犠牲を払いつつも、それでも戦い続けてきた王師本隊の兵たちにも彼らを救い出そうと勇敢に戦うその姿が見え始める。

 その姿は彼らの萎えていた心に再び力の炎を灯すだけの効果があった。王師はもう一度オーギューガの攻勢を支えようと再び気力を振り絞る。

 前面と後方からの攻撃を受けたオーギューガはさすがに堪えることも限界に達したのか押されて移動しはじめた。

「いける! 助かるぞ!! このまま攻勢を強めろ!!」

 百人隊長は確かな手ごたえを感じて配下の兵を激励し、攻勢に打って出る。

 ところがその攻勢を受けた側であるテイレシアの表情にはまだまだ余裕が見られた。

「よし、そのまま予定通りに全軍を分けよ。決して相手の思うがままに穴を広げられるなよ」

 テイレシアはアストリア隊が敗れ去った時点で正面と背面、両面での戦線の維持は困難と判断していた。

 寡兵のオーギューガにとっては戦闘に参加する総兵力が増えることは不利な条件ということになるが、戦闘する兵士が接する面、すなわち前線が広がることのほうがより不利な条件である。

 ならばその両軍を一つにまとめて、前線を狭めてしまえばいい。

 極めて乱暴で極論であるようにも思えるが、それはテイレシアがこの戦においてオーギューガが取るべき要諦といったものを掴んでいた証拠であった。

 もちろん、そのまとめかたには細心の注意が必要であろうが。

 テイレシアは王師本隊を攻撃している兵を敵を圧しながらも左方のテイレシア本陣へ、そして後方のザラルセン隊と交戦している兵は後退しつつ右方のカストール隊へと収容するように移動させていた。

 王師はその巧妙な誘い込むような後退を自軍が優勢なために押しているだけと錯覚を起こした。

 だが、それをもって王師の将軍たちを一様に無能と責めるのは無粋であろう。ここまでいくつもの戦場を勝利で彩ってきた全ての功を否定するに等しいことだ。そこはオーギューガの将士の演技力を褒めておくのが正しいと思いたい。

 前面の王師本隊と後方のマシニッサ隊が戦列を分断突破し、その向こうの空間へ、そこにいるはずのオーギューガの反対側の戦列の背中へと襲い掛かったのはほとんど同時だった。

 目の前の敵を退けた兵は、前に立ちふさがる新たな敵に向けてその勢いのまま剣を振り下ろす。

 マシニッサ、ザラルセン両隊は味方を救おうと必死だったし、王師本隊は背水の陣から逃れようと更に必死だった。

 何せオーギューガの攻勢に王師はここまでの戦いで崖から落ちるもの、また崖から落ちたくないあまりにパニックを起こした兵が前へ味方を押したことで中央付近に兵が集まり、圧死するものすら現れている有様だったのだ。

 その結果、この戦で最大の激戦がその場で展開されることとなる。

 剣と剣との切っ先がこすれあって発する火花で戦場は眩く輝いたとまで軍記物語には書かれているほどだ。


 さすがはオーギューガの精鋭だ、これまでにも増して手応えがあると、()()()が思いあっていた。

 つまり、そこで展開されていたのはオーギューガの戦列を突き破って邂逅(かいこう)した王師の兵同士の殺し合いだったのである。

 どうしてそんな馬鹿げたことが起こったかと言うと、この時代、カヒの五色備えのような例外はあるが、今の軍隊のようにお揃いの軍装で敵味方を判断することなどできる芸当ではないからだ。

 それを判断する唯一つの方法は旗印だけである。だが乱戦になったことで旗印など確認する前に互いに剣を振りかざしてしまった。

 それに左右は分厚いオーギューガの兵なのである。当然、前もまだオーギューガの兵であると思うのが当然であった。

 兵士にとって向かってくるものは敵であるという、戦場を生きるために(つちか)われた本能がある。

 そして前から武器を持って接近してきた以上、武器を構えない愚か者はいないし、そして前に武器を構えた兵士がいるのに、武器を振り下ろさない馬鹿もまたいないのである。

 何故ならもしそんな馬鹿がこの世に生を受けていたとしても、今まで戦場で生き延びてくることはできないのだから。

 やがてその間違いに真っ先に気付いたマシニッサが、スクリボニウスに命じて兵たちに大きく旗を降らせ声を張り上げ、同士討ちをやめさせようとする。

「馬鹿が! 味方だ! 味方!! 攻撃を中止しろ!!!」

 マシニッサは配下の部隊長たちにも攻撃の中止を命令する。といっても目の前にいるのが友軍と分かっていても、現実問題として槍や刀をこちらに向けて攻撃してくるのだ。身を守るためにも部下に武器を振るうなとまでは言うわけにはいかなかった。

 ために双方、同士討ちをしているということに気が付くまで相応の被害者を出すこととなった。

 だがようやく一部の者が異変に気付きだし、双方の攻撃が収まり始める。

 そしてその場にいる王側の将士全てが同士討ちよりも恐ろしい真実に気が付いた。

 そこにはさすがに王師全てが入り込むスペースは無く、王師の一部が入り込んでいただけなのだが、オーギューガが戦列を動かして作り出したそこは、西にカストール、東にテイレシアが布陣する丁度真ん中と言うことになる。

 更にはオーギューガは左右に兵を退かしながらも陣形を変形し、まるで壷のように内部に球体を形成し、そこに王師を誘い込むだけでなく、戦列までも形成するという離れ業まで演じて見せて、万全の体制で周囲を取り囲んでいたのだ。

 しかも王師の兵は我先にと中へ突入した結果、戦列どころか隊伍も組んでいなかったのだ。

 この時、オーギューガが作り出した壷の中にはザラルセン、マシニッサ、ヒュベル、リュケネ、エテオクロスという五将軍が入り込んでいた。

 いずれも自部隊の苦戦を見て、陣頭に立って督戦(とくせん)し指揮しなければこの混戦を脱し得ないと考えて、陣形の前方に位置していたことが裏目に出たのである。

 落ち着きを取り戻した彼らも、あまりの状況にただ呆然とするしかなかった。幾つもの死線を潜り抜けてきた彼らほどの男たちが、である。

 それほどまでに完璧な、もし違う世界の軍人に布陣図を見せたなら、陣形の余りの美しさ故に空事(そらごと)だと思うほどの完璧な包囲殲滅陣形だったのである。これは先ほどまでの背水の陣が生ぬるく見えるほどの絶体絶命の死地であった。

 陽光に輝く白い鎧を着たテイレシアは大きく右手を振り上げる。

 壷の中に入った兵士が迎撃体制を取る前に磨り潰しにかかったことは誰の目にも明白だった。

 もしこのまま戦闘が終わったのであれば、王師は後方からの挟撃と言う必勝の策を自ら捨てて、敵が作った落とし穴にのこのこと自ら(はま)りに行ったのだなどと、後世の軍事評論家あたりに散々に罵倒され、嘲笑されていたことは間違いないところだった。

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