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紅旭の虹  作者: 宗篤
第七章 一統の章
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ザラサ峠口の戦い(Ⅱ)

 敵に近づくにつれ、デウカリオは速度を少し落として兵馬に息を入れさせ、隊列を整えた。

 双方の間を激しく偵騎が往復する。相手の奇手を恐れてか、どちらも正面からぶつかる構えを崩そうとしない。

 互いに互いを警戒した、その(すく)んだような状態は眼前に一舎の距離にいたってもまだ続いた。

 悪手、あまりにも悪手に見える敵の動きにも、デウカリオは喜ばなかった。むしろ苛立ちを隠せない様子だった。

「敵は冬営地を放棄し、布陣し直す様子を見せないな」

 王師の芳野側の冬営地は中越街道のザラサ峠口の出口から少し離れた平地に陣取られていた。

 特に険所に拠って陣営が築かれているわけでもなく、高所というわけでもない。防衛を主眼にして布陣したのではないことは一見しただけで明らかであった。

 場所的に雪の吹き溜まりになることは無いにしても、格別雪を避けれる場所とは思えない。さらには水の便すらいいとは思えず、王師の将軍が何を考えてそこを冬営地にしたのか誰にも理解できなかった。

「敵はよほどの愚か者なのか、陣営地に格別の仕掛けがあり、我らを迎え撃てる目算がついているのか・・・」

「恐らくは後者でしょう。あのガニメデほどの男がそんな迂闊(うかつ)な手段を選ぶはずが無い。我らを誘い出そうとしていると見るべきです」

 幾度も苦汁を舐めさせられたバアルは、敵将がガニメデと聞いて心を(たぎ)らせる。心中には今度こそあの男にいいようにやらせはしないと固く誓うものもある。

 そのいつになく険しいバアルの眼差しをサビニアスは興味深げに見ていた。

「・・・だがどちらにせよ、あの眼前の敵を(ほうむ)らなければ我らは河東へと抜け出られない」

 そのサビニアスの意見には、そこにいる者が皆一斉に肯定の意を表した。

「罠だとしても我らにはそれを回避することなどできぬのだ。まさか敵は中越街道を我らが通っていくのを横目で指を咥えていてくれるわけでもあるまいし」

「確かに」

「だがだからといってこちらも策も無く総掛りで攻め寄せるのも芸が無い。バルカ殿もこうおっしゃっておられることだし、敵の大将に敬意を表してそれなりの馳走をせねばなるまいよ」

 そう言って不敵に笑みを浮かべるデウカリオにディスケスが問うた。

「何か策がおありで?」

「挟み撃ちにする。敵の注意は我らの騎馬隊に向いているはずだ。そこが付け目となる」

 そう言うとデウカリオは地図を取り出して一堂の前に広げ始めた。


「我らが近づくと敵は間違いなく陣営前に布陣する」

 さすがに敵はあの陣営地内に兵を籠め、堅固にそこを防衛するということはないはずだ。何せ陣営地前には堀も土塀も無い。雪が積もった後に設営を始めたとはいえ無防備すぎる。

 狭い陣営内には兵も多く暮らしている。可燃物には事欠かないだろう。雪も消えた今となっては火攻めすれば苦も無く落とせそうだった。

 だから、そのデウカリオの予見に反対するものは一人もいなかった。

「そして陣営地に誘い込み、何らかの罠をもって我々を姦計に陥れようという腹に違いない」

 デウカリオのその意見も十分な説得力を持つように彼らには思われた。

「陣営地に深く誘い込み、建物を燃やして我らが混乱しているところを強襲し、一気に突き崩すとかな」

 彼らとて火計の危険性は承知しているに違いない。放置しているからにはそれを利用しようと考えているのではないかというデウカリオの考えはその場にいる全員から大いに賛同を得られた。

「あるいは陣営地な内部は複雑で入り組んだ構造になっており、初体験の我らがまごまごしているうちに、個別に討ち取られるようなしかけがあるのかもしれませんな」

 ディスケスのその考えも頷けるだけのものを十分に持っているように思われた。

 なにせ敵は冬の間中、こちらの妨害を一切受けずに冬営してきたのだ。雪が融けるまでの、その有り余る時間を何もせずに無為に過ごしていたなどと考えるのは、人がいいのにも程があるだろう。

「だから我々はそこにあえて乗る。おそらく敵はあっさりと崩れ、我々を誘い込もうとするだろう。我々は敵の誘いを受けて陣営地に攻め込むが、深くは攻め入らない。敵の反撃を受け次第、負けを装い兵を返す」

 言葉にすると簡単だが、それを指揮する指揮官に求められるものは多い。敵に敗北が偽りであることを気付かせぬそれなりの演技力と、後ろを向いて背走する兵を崩れさせぬ統率力、劣勢のまま陣形を支えるための兵からの絶対的な信頼などが必要である。いずれもそこらの将軍にできることではない。だがデウカリオは自ら進んで囮となることでそれを解決した。

 総大将が囮とはまさか敵も思うまい、というわけである。主将自ら危険な役目を引き受けることで、この寄り合い所帯のたがを締めなおしておこうという意図もそこにはあった。

「我々を追って出てきた兵を表へ誘い出したところで、山岳部を迂回し後方へ回ったサビニアスが陣営に火をつける。そうすれば敵兵は混乱を来たすだろう。我々はわざと退路になりそうな場所に穴を一箇所開けておけさえすればいい。敵兵は崩れ去って我先にと逃走に入る。もはやガニメデという男がいかなる策を思いつこうとも、それを実現するための兵はどこにもいない。その手腕を振るわれる気遣いはいらない。後は力押しで一気に踏み潰せる」

 敵の思惑、こちらの兵の構成、彼我の兵力差、どれを考えても穴の無い作戦であると皆一同に判断したのか、全員首肯した。

「では決まりだ。細部の詰めに入ろう」

 そう言うと地図を指差してそれぞれの兵の配置場所を決めていった。


 その軍議後、サビニアスはデウカリオらと別れると山間部へと獣道を分け入って進んだ。

 案内は地元の芳野諸侯より借りうけた、普段は猟師をしているという兵士が務めた。

 予定では開戦の半日前には山を越えて陣営地の裏側へと兵を回りこませることができるだろうとのことだった。

 はぐれぬように隊列の間隔に気をつけて慎重に獣道を進む。

 だがサビニアスらが王師の陣営地の裏手にまで辿り着くことは結局無かった。その行く手を阻む存在が現れたからである。

 それは険しい急坂にへばりつき抜けたその先の、比較的平坦な獣道を通り抜けている時だった。険しい山中のこと、足元を確認することに集中し、完全に意識は周囲から欠落していた。

 そこに突然として一斉に矢が降り注ぎ、一行に襲い掛かったのである。サビニアスも腕に矢が刺さり負傷する。

「伏せろ! 伏せて潅木や木を盾にしろ! ここで慌てて後ろを見せれば敵の思う壺だ!」

 すぐに矢の飛んできた方向に木を背にすると、低く身を沈める。

「しかし右からも左からも矢が来ます! おそらく周到に準備された待ち伏せかと! ・・・ぐわっ!!」

 サビニアスにそう報告した兵も次々と飛んでくる矢に身体を貫かれて落命する。

 敵はどうやらこの低地を見張らせる両側に兵を配置して奇襲をかけたようだ。

 身を隠すのすら容易ではない現状に、混乱し右往左往する部下の惨状を見て、サビニアスはデウカリオの策が裏目に出たことを悟った。

「しかし普通に考えればデウカリオの考えたこの奇手を取るなど考えもよらぬことだ。それに敵は総兵力でこちらに劣っている。例え考え付いたとして、この作戦を取ってくると確信があったにせよ、何故、敵は貴重な戦力をこうも容易く山中に孤軍として配置したのであろうか?」

 サビニアスは敵から放たれる矢の多さから敵兵の規模を推測し、その数の多さを(いぶか)しんだ。


 ツァヴタットの兵は殺戮(さつりく)の饗宴に酔いしれていた。サビニアスの兵がこちら側を隠せばあちら側から撃たれ、あちら側を隠せばこちら側から撃つ。

 面白いように敵兵は矢の餌食となり、次々と倒れた。

「本当に来るとは思わなかった!」

 ウェスタは命じられたから兵を伏せたものの、まさかガニメデの言うとおりに本当に山中を進んでくる部隊があるとは思いもよらなかった。

 嫌がる兵をわざわざ水の便の悪い高所に登らせておいてよかった、とウェスタは思った。もし兵を申し訳程度に低所に配置していたら、敵兵の発見が遅れ、ここまで綺麗に奇襲は成功しなかっただろう。

「それともあのハゲオヤジには敵の動きが見えていたのかな」

 だとしたら大したものではあるが、とウェスタは一瞬だけ思った。だけどあの外貌からするとそこまでの将軍とは思えないな、と直ぐに否定する。

 彼女は見かけで人を判断する女性である。たまた、まぐれで勘が当たったのであろうと結論付けた。

「まぁいい。敵を射つつ、見せ付けるように背後へと回る動きをする! 援護しろ!」

 ウェスタは敵の退路を防ぐかのように兵を動かした。

 彼女には戦の経験がほぼ無い。もちろん最低限のことくらいは知ってはいるが、射撃戦ならともかくも、混戦になったときに的確に指示できるかまでは心許ないのである。だからそれは陽動だ。だが絶大な効果があった。

 その動きに釣られてサビニアス隊は大きく動揺を示した。サビニアスは逃げ出そうとする兵の首根っこを掴んで、大声を出して督戦せねばならない有様だった。

 と、一人の兵がそのサビニアスを狙っていた。ただむやみやたらに矢を放つ他の兵と違い、じっと呼吸を整え、一点を狙って矢を引き絞る。

 ひょうと放たれた矢は狙いと寸分たがわずにサビニアスの眉間を打ち抜いた。

 飛び散る鮮血、うめき声、絶叫、そして周囲からあがる悲鳴。

 それが合図となったかのようにサビニアス隊は一気に崩れ去った。


 敵兵を追い散らし、戦場に転がる死体を眺め、勝利を確認していたウェスタの袖を郎党が軽く引っ張る。

「お嬢、これを!」

 ウェスタが振り返るとそこは一団の人だかりが出来ていた。中心にはひとつの死体が転がっていた。

 その死体を調べていた郎党が、ウェスタの顔の方にその死体の顔を向けた。彼女も幾度か見たことのある大物の顔がそこにはあった。

「これは・・・サビニアスか! ・・・わたしたちはとんでもない大物を仕留めたらしい・・・!」

 王師との戦の前だ。サビニアスという大物が率いていた兵が単に山中を河東へと抜けるためだけに本体と別行動をしていたはずが無い。

 彼女には分からなかったが、何らかの役目をもって別行動を行っていたと考えるのが一般的だ。

 ということはそれを事前に防いだウェスタはサビニアスを仕留めたことだけでなく、本当の殊勲をあげたことに他ならないが・・・

 まだガニメデの手腕に懐疑的なウェスタは何かしっくり来ないものを感じて頭を(かし)げるのだった。


 一方、ザラサ峠口では双方ついに肉眼で互いを目視できる距離にまで接近していた。

 その時になって初めて、それまで動かなかったガニメデがようやく動きを見せた。

 ガニメデはいかにも慌てて敵に備えて急ごしらえの配置をしますよ、といった風に陣営から巣の壊れた蟻のように兵をわらわらと出し、前面に配置する。

 左右で兵数も違えば、戦列も乱れている。あくまで急ごしらえの布陣っぽく見せかけていた。わざと愚将を装って敵を誘おうというのだ。

 彼自身は自身の名が敵にまで知れ渡っていることをまだ知らなかった。

「さぁ、せっかく冬の間を使って準備をしてきたんだ。攻めかかってきてくれよ」

 ガニメデは祈るような思いで敵の動きを見守った。

後記


十二国記新刊が出るそうですね! もっとも出るのは短編集で戴はどうなったんだよおおおおおってことも不安ではありますが、素直に新刊が出るとは楽しみです。タイタニアも続刊が出るそうですし、今年は何か「終わらない物語」が動き始める年のようです。

この調子で銀英伝幻の外伝第五巻とか出ませんかね?

まぁ一番出て欲しいのは、群雲大阪城へなんですが・・・もうきっと出ないんでしょうねぇ・・・

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