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紅旭の虹  作者: 宗篤
第七章 一統の章
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興亡の一戦を前にして

 エピダウロスを後にした有斗は、ヒュベル、ベルビオに命じて一部の軍を先駆させ、速攻をかける。

 有斗自慢の猛将二人を特に選んで先鋒にしたのは損害を省みずに攻撃し、一気呵成に敵城砦を陥落させるためである。

 この役目をなまじっか才気走った他の将軍にやらせると、少しでも損害を少なくしようとして、どうしても攻撃を手控える可能性がある。その結果として被害は抑えられるかもしれないが、一城落とすのに時間がかかってしまうことが考えられた。

 ここは、このままでは上州が陥落してしまうと、テイレシアが焦って慌てて越を出てくるように仕向けるために、何よりも電光石火で攻略したいところなのだ。

 だが犠牲者が続出する我攻めの中、落ちていく士気を保ち、継戦し続けるためには、逆境に挫けることなく、その超人的な白兵能力で兵を鼓舞し続けることができる、その二将軍のような猛将に任せるのが最適なのである。

 有斗の期待に応えるように、ヒュベルもベルビオも奮闘した。

 王師の誇るその二将軍の怒涛の攻撃の前に、上州の城砦は片っ端から陥落していく。

 腰の定まらない上州の諸侯の中には、その余りの勢いを恐れて、攻撃を受ける前に早々に王師に白旗を掲げるものさえ出て、有斗の目論見を崩れさせる。

「このままではテイレシアが出てくる前に上州を攻略してしまいそうだな!」

 アエネアスはなにが嬉しいのかやけに上機嫌で有斗にそう言った。

「そうなると芳野の兵も越へと退くだろうし、決戦場は越でということになる。当初の目論見が崩れてしまう」

 それでは芳野をわざわざ回避して大回りした意味が無い。もっとも芳野という大軍に不利な地形で戦わずに済むだけで、王師にとっては有難い話ではあるのだが。

「テイレシアも上州の城が落ちたと知れば、うかうかとしてはいられないさ。芳野の諸侯を見殺しにしたなどと噂されては末代までの恥辱と考えるような女だ。軍神の誇りにかけても芳野へ出てこざるを得ないだろう」

 ・・・

 なんだろう。最近アエネアスときたらやけに機嫌が良い。有斗に対する態度も何処と無く優しささえ感じるほどだ。

 暴力を振るうどころか、その兆しすら見られない。不気味だ。実に不気味だ・・・!

「・・・最近、機嫌がいいね。何かいい事でもあったの?」

 有斗は思わずアエネアスにそう訊ねてみた。だがアエネアスは自分自身ではその変化を実感していないようだった。

「ん? そうか? 有斗の気のせいじゃないかな? 私は普段と変わらないぞ」

「だって最近、アエネアスから暴力を振るわれた記憶が無いよ」

 やばい!

 言ってから気が付いたが、これは相当危険な言葉だ。

 アエネアスはいつも自分の非を決して認めようとしない。最初はなんて我侭な嫌な奴なんだろうくらいにしか思っていなかったけど、その病的なまでの攻撃性に段々と違和感を感じてきていた。それは自分の非が認識できないのではなく、認識してもそれを認めることを頑なに拒否しているといった意味合いが強いのではないだろうか、と。

 そうしないと砕け散ってしまう繊細ななにかがアエネアスの中にあるのではないか、他人に攻撃されることを恐れて他人を攻撃してしまうのではないだろうかと有斗は推察するようになっていた。

 アエネアスが何を言われても攻撃し返さなかったアエティウスだけは、本当に心を許していたのだろうな、安心していたのだろうなと思うのである。

 だから今回のこの言葉はそれ相応の反撃を十分覚悟しなければならない言葉のはずだった。

「なんだよ、それではまるで私がいつも有斗に暴力を振るっているようじゃないか。私の評判を下げるようなおかしな噂はやめろよな、アハハハハ」

 ・・・だが、返ってきたのは笑い声、気分を害したようにも見られない。

 おかしい。有斗が気が付かないだけに確実に何かが起こっている。一昔前ならば今の流れならば確実に鉄拳が飛んでくる展開のはずだ。

 私の評判を陥れるとか許せん、と怒って殴りかかってくる・・・いや、その前のいつ私がお前に暴力を振るった、ということを口では言いながらも、既にボディに一、二発拳をめり込ませるという論理矛盾な光景が繰り広げられているはずだ。

 それがこのまるで大人の女性みたいな対応は・・・いったい・・・?

 しかし、有斗はあれほど優しくしとやかなアエネアスを望んでいたはずなのに、いざ目の前のアエネアスがこれまでと違うと嬉しいよりも、何か落ち着かないのは何故だろう。

 考えれば考えるほど頭が痛くなってくる。いろいろなことを考えても答えが出ない迷路にはまり込んだ有斗は、ふと別のことが突然気になった。

 そういえば・・・いつの頃からアエネアスは僕を名前で呼ぶようになったんだろう・・・?

 最初の頃はボンクラだとか、お前だとか散々な扱いだった気がするんだけど、いつの間にか名前で呼ばれるようになっているな・・・


 王師の激しい攻撃を受けた上州諸侯からの悲鳴のような救援を求める書簡が、オーギューガの白鹿館にもたらされた。

「上州へ打って出る」

 書簡を読むなり言い放ったテイレシアのその言葉に、ざわりとその場がざわめいた。

「罠です! 敵が芳野に続いて上州の城を片っ端から落としているのは、我々を誘いださんがため! ここは自重していただきたい!」

 カストールをはじめ、オーギューガの宿将たちは揃いも揃って反対の意を表明する。

「罠なのはわかっている。百も承知だ。だが上州諸侯の無勢を侮り王師の大軍を恐れて、救援を求める声に耳を貸さなかったなどといわれてはオーギューガの家名に傷がつく」

「上州勢は隙あらばカヒに寝返り、情勢が悪くなるとオーギューガにつく表裏卑怯な輩どもです。例え助けなかったとしてもどこからも卑怯の(そし)りを受ける覚えはありません!」

「それで越で王師を迎え撃ってどうなるというのだ? 確かに地元の利はあろう。不慣れな地に王師の隙を突く機会もあるかもしれない。だがそれは上州でも十分同じ戦い方ができるはずだ。ならば上州の諸侯を見捨てぬためにも上州で戦うべきだ」

「ならばせめて芳野の兵と合流してから上州へ向かうべきです」

「芳野は今だ雪で交通が途絶されている。待っている間に上州は王師によって蹂躙されてしまうだろう。それに芳野を丸々空にするわけにはいくまい。連れて来られたとしても五千がいいところであろう。遊撃戦では王師相手に互角の戦いをした彼らでも、野戦においてはおそらく額面どおりの数の働きしかできない。しかも芳野と越の境の雪融けを待って兵を呼ぶ頃には上州の城は全て陥落しているに違いない。そうすれば芳野兵五千を得る代わりに、上州諸侯の兵一万を失うのだ。それでは本末転倒と言うしかないではないか」

「上州の兵一万よりも、芳野の兵五千を得るほうが勝利を得る確立は高くはありませんか?」

 ここまでの戦いを見る限り、それは正しい。上州の兵は諸侯にバラバラに指揮された複数の集合体で、カヒとオーギューガの戦いでも目を見張る活躍をしたことが無い弱兵、しかし芳野はデウカリオの下、指揮権は一本化しており、なおかつ王師を幾度も破るほどの強兵だ。

 だが軍は有機体である。新たに加わった兵は数がどれだけ大きかろうが、個人としてどれだけ強かろうが、既存の部隊と同じ動きが取れないばかりに却って足を引っ張ることさえある。援兵の実力が軍全体に与える影響は容易く計り知れないのだ。

 だからそれは詭弁でもある。テイレシアは発言した宿老を激しく睨み付けた。

「これは誇りをかけた戦いだ。勝敗はもとより重要では無い」

「勝つおつもりはないとおっしゃるので?」

「もちろん戦うからには勝利を目指して戦う。だからこそ上州に向かうのだ。そもそも考えてもみるが良い。越にて各地に篭って抗戦すれば、何ヶ月かは持ちこたえてみせようが、今のアメイジアに我らを助けようなどという義侠(ぎきょう)にあふれた存在はありえない。我らを待つ運命は少しずつ数を減じての滅亡だけだ。だが我らは誇り高きオーギューガの将士ぞ。幾つもの激戦を戦い抜いてきたではないか。攻め寄せる三万のカヒの兵、二万の河東諸侯を僅か一万の兵で迎え撃ち、勝利を収めたことを忘れたのか? いつからオーギューガは敵の多勢を恐れ、味方の無勢を嘆く惰弱(だじゃく)な存在に成り下がったのだ?」

 テイレシアの叱咤にオーギューガの宿将は一斉に下を向き、恥じ入った。己の心の中にいつの間にか天与の人への恐れと朝敵となる恐れ、そして勝利不可能な大敵を前にしての死への恐怖が存在していることに気付いたのだ。

 だがテイレシアはその存在も自らの死も一寸も恐れてはいないようだった。

 己がしたことの正しさを信じ、それを否定する朝廷へ正しさを表明するために受けて立つ。その神聖な行為に一片の疑いも持ってないからこそ取れる態度であった。

 彼らは改めて彼らの御館様が軍神と呼ばれるその理由を思い知ったのだ。

 宿将たちの自らを見る目に再び力強い光が宿ったのを確認し、テイレシアは大きく頷いた。

「ならばここは敵の思惑に乗ったとみせかけて上州へ行き、堂々の野戦で興亡を決しようではないか!」

 その言葉にあるのはテイレシアの迷いの無い、不器用で真っ直ぐで不変な意思。

 その言葉にはその場に集ったオーギューガの宿将の心を激しく揺るがし、オーギューガに向けられた王師の鋭鋒に気後れしていた心を大きく鼓舞するものを有していた。

 王師の征東軍の前にゆれ続けていたオーギューガの家内は、ここに再び強固な一枚岩と化したのだ。


 野戦はなんといっても数だ。数が全てに増して大きく勝敗を左右する。そういう意味ではオーギューガにとってもっとも不利な条件の戦いでもある。

 だが援軍が見込めないオーギューガが王師に勝つにはこれしかないのも事実だ。

「越を空にして興亡の一戦を行う。上州に入れば王師は諸侯の城攻めを中止し、我らに襲い掛かろうとするに違いない。すなわち戦場を策定するのは我らという事になろう。迎え打つ場所について何か存念があるものは申せ」

 宿将たちは顔を見合わせ押し黙っていたが、やがて意を決したようにカストールがしずしずと申し出た。

「牧野が原、九十九谷川、ヴェロヴォハの一帯がよろしいかと」

「そうしよう」

 意を得たりとばかりにテイレシアが大きく頷いた。

 もっとも誰が考えようとオーギューガが王師を迎え撃つにはその場所しかなかった。

 その一帯は越に近く、オーギューガが先手を取って確保できる場所であり、カヒと何度も戦った馴染み深い場所でもあり、さらには王師の大軍を配置できるだけの広さを持っているが、同時に兵を伏せるに相応しい場所が各所にある布陣に絶好の場所だった。

 テイレシアは目的地点をそこに定め、急ぎ出立の準備を急ぐ。そんなテイレシアに提言をした者たちが現れた。

「野戦にて全ての決着をつけようという御館様の心意気、我らも大きく感動いたしました。それならば本城に僅かばかりの兵を残しても大きな違いはありますまい。願わくば我らもお供の端に加えていただきとうございます」

 それは白鹿館にて守留を命じられていた老兵や戦なれぬ若い者たちからの嘆願だった。

 テイレシアはその申し出を大きな喜びを持って受け入れた。

 そもそも野戦で負ければそれでお仕舞いなのである。王師は逃げる敗兵を追って津波のように越に侵攻してくるに違いない。

 越に僅かばかりの兵を残していたところで、支えきることなど出来るわけがない。

 ならば越を空にして、文字通り決死の一戦を挑むといったほうがオーギューガの家風としては相応しい。

 それに微力ながらも手助けしたいという、その老若の兵士の心意気は嬉しいものだった。

 それはこの戦に対するオーギューガの将士の意識の高さを表しているのだから。

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