翻弄(Ⅵ)
まず王師に奇襲をかけたのはデウカリオ指揮下のカヒ四翼から選りすぐられた三百の兵だった。
もし万が一、彼らが奇襲に失敗した場合は、彼らは囮となって王師の目を惹き付けることになっていた。その間に本隊は大きく迂回し、反対側から襲い掛かるというわけだ。
だが奇襲が成功したからには、わざわざ迂回して大切な時間を浪費するよりも、このまま勢いに乗ったまま混乱する敵兵を突き崩したほうが良い。
デウカリオが腕を振り下ろすと、少数の先行して奇襲した部隊に遅れじと、一斉に兵は槍を引っさげ突撃した。
先行した部隊も奮戦した。選りすぐられた精鋭だからなのか、王師の不意を突いたからなのか、カヒの兵は陣営地の一角をあっさりと切り崩すと、その勢いのまま次々と陣内に雪崩れ込んだ。
「想像以上に手ごたえが無い。これが王師の一角か?」
曲がりなりにも王のいる本営なのである。その手ごたえの無さはもう少し苦戦すると身構えていた彼らには拍子抜けする事態だった。
「行ける! 王の首を取れるぞ!!」
彼らは高揚するまま敵の戦列を寸断し、陣営内を突き進んだ。
だが王の馬印のある本営の方へ進もうとすると、重厚な隊列の兵が彼らの行く手を阻み、なかなか割り込む隙を見出せない。
「さすがに本営、なまくらな兵だけでは無いな」
着ている鎧は王師の兵と違い華美、だがその様相よりも、統率の取れた手堅い防御、そして何よりも一人一人の卓越した武技が彼らの行く手を阻む。
「この派手な出で立ち・・・! 羽林の兵か・・・!!」
それは手強い相手に出会えた戦士としての喜びだけではなかった。羽林の兵が彼らの前進を阻むということは、それだけ王の側にまで到達したということを表してるのだ。莫大な恩賞が彼らの頭の中にちらつき始める。王をその手にかければ栄耀栄華は思うがままである。天与の人をその手にかけるということは恐ろしいことではあったが、同時に歴史に名を刻むという栄誉にくるまれることは間違いが無い。
だがそんな夢に酔うことができる時間はほんのつかの間に過ぎなかった。
彼らは右に左に分け入って、敵兵を打ち倒しているのに、一向に王の本営には近づけなかった。
しかし敵の戦列を押し割れないのではない。幾度も敵戦列を突破し、その向こう側に出ているのだ。だが打ち破っても打ち破っても王と彼らの間には、羽林なり王師なりの兵が立ちふさがるのだ。
これはいったいどういうことであろうか・・・? 敵は古の魔術でもって彼らと王との間に無限の空間を作り出しているとでもいうのであろうか・・・?
兵たちの間に徐々に徒労感がつのる。
そんな中、やがて一人バアルだけが真実に気付いた。
カヒの攻撃を受けてあっさり戦列を突破されているかに見える王師の兵だが、突破した時にその先に斜めの戦列を作ることでカヒの攻撃を常に外側へと受け流していたのだ。つまりカヒは四角い王師本営の一面を突破してと思っているが、実際は右側面なり左側面へと排出させられているだけなのだ。戦列突破時に起きる混乱と興奮とで当事者であるカヒの兵は一切そのことに気が付いていなかった。
またこのような複雑な混戦状態では、右に左にと動かされることで当事者は方向感覚も失いがちなのである。
結果として、いくら敵戦列を突破しても、目の前に次々と新しい戦列が現れ、いつまでたっても王の下に辿り着けないといった不思議な感覚だけが残るだけなのである。
「兵のこの動き・・・! まさか!」
バアルはどこかでこの感覚に出会ったことがあると思った。そう、これは韮山で、そして河北でバアルが苦戦した時と同じような感覚。兵を精巧かつ緻密に動かし、敵兵の行動を思うがままに操るという大胆な用兵だった。
そして敵旗に翻る鷲獅子の紋章を見て、その疑問は一気に全て氷解した。
「やはり第十軍の軍旗、ガニメデか・・・!」
バアルは隊の指揮をパッカスらに任せて、デウカリオの元へと馳せ参じる。
「デウカリオ殿、我らは敵の思惑に乗せられている! このままではいつまで経っても王の足下にはたどり着けない! 勢いに任せての我攻めは中止すべきです!」
「なんだと! そんな馬鹿な! 我々はこの通り、あらゆる局面で敵を圧倒しているではないか!」
確かに今だ王の顔の見える距離には近づくことはできてはいないが、味方は優勢に戦を進めているようにデウカリオには思われた。それが証拠に、敵は反撃すら行っていない。
「それが敵の目論見なのです。わざと弱い箇所を設けて敵に攻撃させ、そこをわざと突破させる。我らは大した抵抗も受けずに突破できることから攻撃が上手く行っていると錯覚しているに過ぎません。 実は敵は巧みに右へ左へと我らの攻撃を受け流しており、我らは決して本営には突入させておりません。我らは本営の周囲を実はぐるぐる走り回らされているだけなのです!」
「そんな馬鹿な! そんな器用なことができるものがいるものか・・・!」
日頃から抱いているバアルへの反発にそうは言ったものの、同時にバアルの才覚には十分敬意を払うだけのものがあるとも考えているデウカリオは、その言葉を全て退ける気にもならなかった。だからバアルのその言葉に応えるように、その時初めてこの戦場を俯瞰的に眺めた。
そしてデウカリオも気付いた。
カヒの兵が攻撃すると、王師の戦列は脆くも破断するが、その破断は中央ではなく、必ず左右どちらかで起こる。そしてその亀裂にカヒの兵が飛び込むと王師は後ろの戦列も持ちこたえられずに裂けるのだが、その裂け方が巧妙で、入ってきたカヒの兵を斜めに排出する弁のような形となってその破断面に新たな戦列を作るのである。そのおかげでカヒの兵は斜め前方にスライドするように進むことになる。斜めであっても、とりあえず前進していることには変わらないから、我が方は優勢であると錯覚してしまうだけに極めてたちが悪かった。
「なんと・・・! なんと狡知に長けた兵術を使いおって!」
「カヒの兵が自然と何も考えずに敵の弱点を見抜き、何も考えずとも体が敵の弱点を突くことができる熟練した戦士であるが故、余計に引っかかってしまうのです」
「・・・して、これを打ち破る術はバルカ殿はお持ちか」
「方法はただ一つ。あえて敵が重厚に槍を重ねている戦列中央を強行突破することだけです」
「・・・それでは敵の最も堅固なところの突破を計ることになるぞ。我が方の被害も無視できない。それこそ敵の思う壺ではないか?」
「もちろんそれ相応の被害は覚悟しなければなりますまい。もしこれ以上の犠牲を惜しまれるなら、早く撤退なさるべきでしょう。ですが敵は応変の動きをして、我が方の攻撃をかわすように適した陣形を組んでおります。見掛けは堅固に見えるかもしれませんが、実態は見かけほど手強くないはずです。もちろん正面突破するにはそれなりの犠牲を払わねばならないでしょうが、我々の目的は敵の不意を突き、王の首を取ることです。奇襲には既に失敗したと考えるべきですが、まだ敵を正面から襲い掛かることで不意を突くという奇手が残されております」
そう言ってバアルはデウカリオに決断を促した。
確かにデウカリオにとって仲間であるカヒの兵は大事であろうが、王の命を取ることよりもそれは大事にすべきものなのかと、バアルは言外にデウカリオに問いかけていた。
もしここで退けば、確かにこのまま強硬に攻撃を続けるよりも多くのカヒの兵を一旦は生きながらえさせることはできようが、王と戦い続ける限り、カヒの兵は死んでいくのである。王を殺す機会を逸失することで最終的により多くのカヒの兵の命が失われることだって十分考えられる。なにしろ今や王はアメイジアのほとんどを手にしているのだから。
冷血な意見であることは十分承知していたが、その得失を将として考えてほしい、とバアルは訴えたかったのである。
「む」
どちらとも取れる曖昧な返事を残してデウカリオは口篭る。もちろんデウカリオほどの男だ。バアルの意図を瞬時に理解していた。
だが部下を危険に晒す覚悟も無い将軍は尻尾を巻いて逃げ帰れと言わんばかりのバアルの言葉に反発を感ぜずにはいられなかった。それがデウカリオの一瞬の無言となったのだ。
しかしデウカリオは最終的に判断は誤らなかった。
王の首が取れる機会など、そうは巡って来ないのである。デウカリオと王、いやオーギューガと王とは所持している戦力には大きな開きがある。今回、この場を逃すと、戦力面でほぼ同じ条件で戦える好機など恐らく二度と巡ってはこない。
「わかった。どうやらそうするしかなさそうだな」
自慢の黒髭を撫で付けると、納得したのかデウカリオは全軍に響き渡る大声で命令を下した。
「者共、敵戦列を分断して突破することではなく、敵戦列を完膚なきまで破壊して前進することだけを考えよ! 目指すは王旗唯一つだ! 迂回や回り道は許さぬ! ただ真っ直ぐ前へと突き進め!!」
応、と応じる声が上がると兵たちは隊列を整えなおして、デウカリオの指示通りに真っ直ぐに突き進んだ。
今度は敵戦列を寸断しても、破断点を広げて向こうに行く行動はせずに、ただ敵戦列全体の壊滅だけを心がけるように横と連携しながらじりじりと前へ進んだ。
もちろん王師もその場に留まろうと踏ん張るが、どうしても防御一辺倒だと押されてしまう。かといってガニメデは攻勢に移る気にはなれなかった。攻撃するということは自ら作った堅陣を崩すということでもある。それこそ敵の思う壺であろう。
「戦い方を変えてきたか」
ガニメデは先ほどまでと違う敵の動きを見て口元を引き締める。
デウカリオは先ほどまでと違い、機動力を使って王師を翻弄させるといった方法ではなく、正面からのぶつかり合いという素朴で単調な戦闘方法に切り替えてきた。
だがそれこそがガニメデがもっとも恐れていたことである。
もちろん正面からの攻撃にも耐えられるだけの布陣であると自負はしているし、それに対応するように兵を動かせる自信はガニメデにもある。
だが戦は所詮水物である。いくら全体的に有利に戦を進めていても、ほんの一瞬の油断が元で王の側まで敵兵の接近を許し、討ち取られないことが無いとは言い切れない。
早速その恐れていた事態が発生した。
黒色備えの強兵の攻撃に押されて上手く後退することができずに、中央が裂け、そこから完全に敵の突破を許してしまった。
だがガニメデにはまだ余裕があった。王師第十軍五千で周囲を取り囲んだ陣の中には疲弊していない重装備の羽林の兵一千が待ち構えていた。
「今だ! カヒの山猿どもに羽林の兵の精強さを思い知らせてやるが良い!!」
アエネアスが素早く兵を指揮し、陣内に入り込んだ敵兵を文字通り叩き返す。
王旗を目の前にして、カヒの将士はむなしく一旦引き返して体勢を整えるしかなかった。
有斗は敵襲を受けたことを各地に散っている王師に知らせ、迎撃を指示するとやることが無くなった。後は前線の将兵に託すしかない。
「・・・大丈夫かなぁ・・・」
有斗の本営にここまで兵が近づくのは韮山での敗戦の時以来である。その時のことを思い出して、どうしても不安が募る。
戦の勝敗、自分の身の安全、そして有斗は督戦のために有斗の側から離れて前線に立っているアエネアスの身を心配した。
いたらいたでもう少し離れてくれないかなぁなどと常に考える存在なのだが、いないならいないでやはり不安になる。なんというか生活の一部になってしまっているのだ。
大きく攻め込まれるたびにアエネアスは陣頭に立って剣を振るい、兵と共に敵を押し返した。そのたびに有斗はハラハラしながらその小戦闘の成り行きを見届けねばならなかった。
その後も一進一退の攻防がしばし続いた。相変わらず攻めるカヒ、守る王師の形態は変わらない。
それと同様に戦況も膠着して動かなくなった。カヒの将兵には徐々に攻め疲れが見え始めていた。
さらには無視できない事態もデウカリオたちに襲い掛かった。
「デウカリオ殿! あれをご覧ください!」
その一人の将士が指差す先には土煙がもうもうと舞い上がっていた。
「援軍か・・・」
デウカリオは顔を顰めて東方を見た。それが意味するところは明々白々だった。敵に援軍が到着したのだ。
強行軍に長時間の交戦、デウカリオの兵は疲れきっていた。このままでは士気も旺盛で疲れが無く、数にいたっては三倍近い敵の新手に叩き潰されるだけだ。
「デウカリオ殿、敵の新手だ。これ以上戦っても利あらず。ここが引き時かと」
「分かっている。しかし・・・」
王まであと一息というところまで迫りながら、このまま指を咥えて退却することにはデウカリオはまだ未練があるようだった。
「いいではありませぬか。王師に劣る兵力にもかかわらず敵をいいように翻弄して打ち破り、さらには王の本営まであと一息というところまで攻め込んで、王の心胆を寒からしめたのですから」
バアルがそう言うと、デウカリオも少し気を持ち直した。確かにそれだけでも十分すぎる功績だと言えよう。オーギューガが彼らに望んだことは王師への牽制である。だが彼らは単なる牽制どころか王師に大打撃を与え、王に今一歩のところまで近づいたのだ。
それにまだ戦は終わりじゃない、戦が続く限り、いつか再びこのような機会が訪れないとも限らないのだから。
「まぁ・・・それもそうだな」
デウカリオは退き鉦を鳴らし、揚げ太鼓を叩かせた。カヒの兵は一方的な攻撃がもたらす熱狂から急速に冷め、我先に撤退準備に取り掛かる。
それを見て。それまで押さえつけられていた鬱憤を晴らすかのように王師は反撃を開始して、彼らの足を離すまいとした。
だがカヒの兵は王師の追撃をなんなく振り切り、見事に撤収に成功する。
もっともそれはカヒの精強さを示すというよりは、ガニメデが追撃に兵力を裂くと、逆に手薄になった本陣を再び襲われるのではないかという危険性を考えて追撃に主力を回さなかったためでもある。
なぜなら東方に土煙を上げたのは戻ってきたリュケネたちの軍ではなくて、ガニメデ隊の一部の兵だったからである。彼らが馬の尻尾に木の枝を取り付けて走ることで土煙を上げ、さも大軍が近づいてきたかのように装ったのだ。
そういう小細工をしなければいけないほど、ガニメデにも最後のほうには余裕が無くなっていたのだ。
だがデウカリオやバアルらも戦場であげたその功を誇ってばかりはいられなかった。
王師は手痛い損害をこうむりながらも地道に、着実に一歩一歩前進し、そのたびに彼らの行動圏は狭まっていかざるを得なかったのだから。
だがガニメデがデウカリオたちが王の本陣へ強襲することを看破していたように、バアルも王師が取るべき行動をこの時、既に予測していた。
神知を持つ者は何もガニメデ一人だけではなかったのである。