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紅旭の虹  作者: 宗篤
第七章 一統の章
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翻弄(Ⅳ)

 ザラルセンの予想と違い、見張りが積極的に敵の不意を突き、攻撃を主体したのではなかった。攻撃は芳野側から仕掛けられたものであった。

 つまりザラルセンが各所に配していた見張りの存在は敵にすでに知られていたということになる。

 だが奇襲を受けた見張りの兵は応戦すると同時に、一斉に各所に救援を求めた。その騒ぎにつられるように、救援要請を受けた近場に伏せられていた他の見張りの兵たちだけでなく、離れた場所に配されていた見張りの兵も次々と戦場へと集まってきた。敵を見つけたからには自らの役目は終わったと判断したということだ。

 当初こそ戦闘のキャスティングボードを敵に握られた王師だったが、味方が少しずつ加勢する度に敵を押し返し始める。

 つまりザラルセンが遠目に戦場を確認できる位置に近づいたときには完全に優勢な情勢だったので、救援に赴いたザラルセン隊の主力は敵がザラルセン隊の見張りに気付いて率先して攻撃を仕掛けたということを考えもしなかったのである。

 兵数では未だに芳野側が多いにもかかわらず、これだけ優勢に戦を進めていってるということは、こちら側から戦闘を仕掛けたに違いないと勘違いしてしまったのだ。

 だから彼らはこれがザラルセンが各所に布陣した見張りの兵とその目を一箇所に集めるためだけのものだとは思わなかったとしても仕方が無かったであろう。

 さて、ザラルセン隊と交戦を始めた芳野側の兵は芳野の諸侯主体で、主将はサビニアスである。

 パトラ伯やザダール伯などの王師に領土を侵略された諸侯中心で、王師に対する敵意で士気こそ高いものの、さすがにその質と数はザラルセン隊に遠く及ばない。

 ザラルセンは既に自身が到着する前に形成有利となっているその情勢に、戦場にすぐにでも突入したそうな部下を制し、率いてきた兵を左右に振り分けて両翼からの三方包囲に切り替えるように旅長たちに手短に指示をした。

 以前の賊の棟梁としてのザラルセンならしゃにむに勢いで敵を押すことだけを考えていただろう。ここは少しは王師の将軍として成長しているところを見せた。

 兵たちはザラルセンの指示に従い、敵の兵と交戦し続ける味方の後方を追い越して両翼から綺麗に芳野諸侯の兵を包囲しようとする。それを見た芳野諸侯の兵は大きく動揺を見せた。

 ザラルセンはそれを当然の反応であると見た。正面に正対する雑然とした陣形の王師の兵すらあしらえない軍が、三方からの包囲に耐え切れるほどの堅固さを持っていないことは誰の目から見ても明らかである。

 ザラルセンは動揺が広がり陣形が波のように脈打ち乱れる様を見て、それを敵が崩れ去る兆候であると見た。

「よし! 完全に包囲陣形を整えるまでも無い! 敵は浮き足立った!! 手柄を立てるのは今だ、行け!」

 ザラルセンは本陣周りの彼自慢の精鋭たちを惜しむことなく前線に投入した。

 河北の流賊時代から共に戦い、王師やカヒ相手の苦闘にも生き延びた文字通りザラルセンの手足と言ってもよい存在の彼らだ。元々、屈強な流賊の中においても衆に卓越していた彼らだ。それが数々の戦の度に最前線に立ち、激烈な勝ち戦を、惨絶な負け戦を戦い生き延びてきた。カヒとの十年戦争を生き抜いた吉野の諸侯の兵といえども敵ではなかった。

 その力が解き放たれるや、夏の終わりを告げる雷光の矢のごとく敵陣深く突き刺さり、敵の陣形を中央から左と右とに切り裂いた。

 これ以上支えきれないと見たのか敵は後ろを向いて逃げ出した。

「いいぞ! 敵は思ったよりも弱い! お前らの敵じゃないぞ! このまま地の果てまでも敵を追え! 追って血祭りにあげて味方の仇を取れ! 一人も逃がすな!!」

 ザラルセンはそう言って将兵を鼓舞し追撃を命じるだけでなく、逃げる敵兵の背中に自らも矢を放った。

 ここで敵兵に打撃を与えておくことはこの先の戦いを考えても無駄になることでは無かった。この先の侵攻作戦も容易になるし、これに以降、これに懲りた敵は再び大規模な奇襲を行おうなどといった考えが浮かばなくなるに違いない。

 一方的な殺戮(さつりく)の時が訪れるかと思われたその時、敵を包囲しようと回り込んでいたザラルセン隊の左翼から大きな喚声があがった。

「やれやれ俺の部隊はどうも好戦的な連中ばかりでいけねぇや」

 いくら敵を殲滅できる好機とはいえ、そこまで喜ばなくてもいいではないかと思って顔を向けたザラルセンの目に映りこんだものは、敵に押され逃げ惑う味方の姿だった。

 左翼の更に向こう側にいつのまにかどこから来たのやら敵が取り付いていた。舞い上がる砂煙にて、よくは見えないがどうやら騎兵のようだった。

「別働隊がいたのか! してやられた!」

 今現在ザラルセンの部隊は最初の標的に向けて半包囲の体制を取っている。新手の敵はそのザラルセン隊の左翼を斜め後方から襲い掛かり、既存の部隊との間とで挟撃を行おうとしているのだ。

 だが今のザラルセン隊はあちこちから集まってきた部隊が前方の敵と戦うためだけに慌てて作った陣構えだ。今からその乱れた隊列を整えて、前方の敵に対処しながらも、左方に現れた新手に兵力を向けるという行動はとても取れそうに無い。

 そもそもそういった細かい動きはザラルセン隊の最も不得手とするところだ。

「急げ!! まずは左右に分断した前方の敵をこのまま一息で壊乱させるんだ! その後、改めて全軍を回頭し左方より攻撃を仕掛ける新手の敵に対処する!」

「はっ!!!」

 だが命令を伝達しても、一向に旅長たちは兵をザラルセンの思う通りには動かしてくれなかった。

 ザラルセン隊は完全に いわば爪先立って殴りかかろうとしている状態だったのだ。腰は伸びきり、体勢は前掛り、いわば前へ行くしか進む(すべ)は無い。

 しかもそれまで防戦一方に追いやられていたはずの前面の芳野諸侯の兵が生き生きと蘇り、ザラルセン隊を押し返した。

 つまりこれまでの陣営の崩壊というのは半ば演技だったのである。ザラルセンたちの強硬な攻撃に戦列を分断させられたのは予定外であったけれども。

 次から次へとザラルセン隊の左翼は壊滅していく。その勢いの凄まじさに、ザラルセン隊の兵たちは怯え、萎縮してますます思ったような攻撃をすることができない。

 唯一優勢にことを進めているのはザラルセンが途中から戦法を変更して、戦力を集中して叩き付けた中央部だけだった。

 だがそこも左右に戦列を分断することには成功しても、突破にまでは至らない。

「ちきしょう・・・! どこのどいつだ! こんな舐めた真似をしてくれやがったのは!!」

 ザラルセンは百倍にして返してやると歯をぎりぎりと噛みしだいた。

「兄貴、赤獅子の旗だ! 大菱旗もある! 諸侯ではなく、カヒの兵かと!」

「デウカリオとバルカのやつか!」

 よりにもよって嫌な奴が自隊に対して有利な体勢をとっている敵の別働隊の方にいやがる、とザラルセンは舌打ちする。

 ただでさえ相手をするのに厄介な連中に、有利な体勢で攻めかかられてはザラルセンには勝利する方策が見当たらない。

 いや違うな、とザラルセンは思い直した。ザラルセンらが当初交戦した部隊の方が別働隊で、後から襲い掛かってきた方が敵の主力である本隊なのだ。

 そしてようやくザラルセンも敵の意図が読めてきた。敵はわざと囮の部隊に敵の目を集中させ、ザラルセンが構築した監視体制を無効化し、その隙に遠くから迂回させてきた騎馬兵を持って囮の部隊と挟撃するという策を立てたのだ。

 確かに山間部を騎馬兵が通行するのは困難なことだし、気配で悟られては奇襲のかけようも無い。ならば王師が気付くはずも無いような遠くの地点で山を降りて、そこからは長駆馬を走らせて奇襲すれば万事解決する。もちろんそのまま近づいても気付かれてしまうから、王師の目を惹きつけるための囮の部隊を編成したに違いない。それにまんまとザラルセンは引っかかってしまったというわけだ。

「それにしても・・・なんてやつらだ」

 敵の現在の居場所、行軍速度から割り出される未来の場所、そして周囲の地形、味方の現在位置、囮の部隊の経路、そして騎馬兵の経路、それらを秤で量ったかのように緻密に組み合わせなければ、この作戦は成功しない。

 半里でも半刻でも、どこかにずれが生じれば、崩壊しかねない繊細な玻璃(はり)細工。

 それを一切、破綻させること無くこうしてやり遂げてみせる。その武将としての手腕は大きくザラルセンを上回っていた。

 しかし今は敵将を褒めている場合じゃない、とザラルセンは気を引き締めかかる。

 大切な部下の命を救うためにも、いや、大事な自分の命を救うためにもここは踏ん張り時だ。

 ザラルセンは押し返された兵をもう一度、敵に向かって突撃させる。活路を斬り開くために。


 半刻の戦いの後、ザラルセン隊はやっとサビニウス率いる芳野諸侯の軍を真っ二つに裁断し、その向こう側へと抜け出すことに成功した。

 だがその間にザラルセン隊の左翼は完全に背走し、残った右翼の兵も今や二方向からの攻撃を受けて退却しつつあった。

 ザラルセン隊は既に軍隊の形状をほぼ成していなかった。もはやこれ以上の継戦は不可能な上、無意味だった。

「敵は窮地を脱したかに見えるが、友軍と合流するには我らを打ち破らなければならない。よし、このまま攻勢を強める! ザラルセンの首も取れるかもしれんぞ!」

 既にザラルセンらの退路を遮断する位置にデウカリオは手回し良く兵を動かしていた。だが快勝に笑みを浮かべて舌なめずりするデウカリオの袖をバアルが引っ張る。

「デウカリオ殿、あれを」

 そしてバアルはゆっくりと南西の地を指差した。デウカリオもしぶしぶ首を向ける。

「む・・・新手の敵、援兵か」

 そこにはもうもうと土煙が舞い上がっていた。(かす)かに喚声や人馬の(とどろ)きも聞こえてくる。

「我々の目的は敵を疲弊させることと、敵の注意を我らに惹きつけることにあります。我らの兵は所詮は寡兵、王師との野での長期戦闘は援兵の見込める王師有利で我等は不利。今回も敵に対して大勝しましたし、ここらあたりが退き時だと思われます」

 デウカリオはザラルセンの残された戦力と南西にあがる土煙とバアルの顔を交互に眺める。やがて決心が付いたのか、ようやく口を開いた。

「わかっている。今回はこれで退こう」

「御賢明な判断です」

「なぁにここでザラルセンの素っ首切り落とせなかったのは残念だが、後々の楽しみもあることだしな。で、例の件は何時頃やるのだ? 次の次くらいか?」

「何度も同じことをやっては敵に乗じられる恐れもあります。この次はどうでしょうか? そろそろ頃合かと思いますが・・・」

「そうか! ならよい! 次にしよう!」

 けたたましく乾いた笑い声をデウカリオは立てた。そして次の瞬間引き締まった精悍な表情に舞い戻る。

「次か・・・次が楽しみだな」

 デウカリオはそう言うと、口元の端だけを大きく曲げた。


 その知らせは再び有斗のいる本営に届けられた。相次ぐ敗報は心痛の種の一つとなった。

「ガニメデ、今度はザラルセンが敗れたそうだよ」

 有斗は続けての敗戦の報告に大きく肩を落とした。

「先ほど聞きました。ザラルセン殿は河北の出身、芳野の諸侯が取る遊撃戦術のことをよくご存知だ。だがそこを逆手に取られましたな。取ってくるであろう対策を見越して策を立て、取りうる選択肢を極力排し、我らの行動を縛る。敵は相当なやり手と見えます」

「そんなに敵を褒めなくっても・・・まさか王師の将軍では太刀打ちできないとか思っている・・・?」

「ハハハ大丈夫です。確かに個々の戦闘では負けていますが、王師は敵対勢力を打ち破り、日々行動範囲を広げています。全体として王師は優位に戦を進めています」

 それはそうではあるが、勢力圏を縮めてはいても、敵は兵力を護持したままだ。このままではいつまでたっても敵の戦力を無力化できる見通しが立ってない。

 このまま遊撃戦を続けられたら・・・敵を壊滅させるより早く、王師が消耗しきってしまわないだろうか。そこが有斗が不安に思うところだ。

「・・・次に敵はどうしてくるかな?」

「敵は我々の三方面軍のうち二つを叩きました。東のリュケネ殿、北のステロベ殿、進行方向からいっても、敵の支配圏内にただ一つ飛び出しているという位置関係を考えても、次は西にいるエテオクロス殿たちを叩くというのが常識的な考えですな」

 ガニメデは有斗の諮問にそう答えた。

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