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紅旭の虹  作者: 宗篤
第七章 一統の章
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翻弄(Ⅲ)

 三方面に分けた軍から、有斗の下に届いた最初の知らせは、リュケネからのその勝利とも敗北ともどちらとも取れる微妙な報告であった。

 それはこのオーギューガ相手の戦役において、越に攻め込む前の緒戦で、王師がいきなり初っ端から毛躓(けつまづ)いたことを意味する。

 確かに王師としてはパトラ伯領を制圧し、芳野平定に一歩前進したことも事実ではあるが、敵にいいように翻弄され、一方的に犠牲者を出したということもまた事実である。

 この事態が有斗に馴染みのない芳野の諸侯に対していい影響があると考えるのは、あまりにも虫のいい考え方であろう。

 むしろ王師恐れるに足らずと、鼻息を荒くしてますます抵抗を強めることが目に見えるようである。

「リュケネは慎重な将軍だ。当然移動するにあたって、周囲を警戒していたに違いないんだよ。それでも奇襲を防げなかった。芳野の兵は地元を知り尽くしている。今後もこういった戦い方を続けてくるに違いない。・・・思ったよりも厄介な相手かもしれない」

 芳野は山が深い上に、似たような風景が延々と続く。偵騎では思ったような効果が得られないのだろう。

 歩兵の斥候では警戒できる距離が格段に狭くなってしまう。しかも敵を発見してもすぐに報告することができない。下手をすると自らが本陣に報告に帰るよりも早く、敵兵が襲い掛かっていることすら考えられる始末だ。

 しかも大軍勢で地理を知らぬ王師は山に入るわけには行かない。すなわち常に平地にいることになる。芳野の諸侯は常に王師の位置を把握できるということだ。

 それに対して芳野の諸侯は山に隠れることができる。つまり王師から、そしていついかなるときにでも王師に対して奇襲することができるということだ。

 対策としてはなるべく森から離れた見晴らしのいい場所に陣営地を作るしかない。

 有斗は羽林の兵のほかに王の警護のために残されたただ一つの軍である第十軍の将軍である、ガニメデに胸にわいたその懸念をぶつけてみた。

「なるほど、オーギューガとの両面作戦だったとはいえ、カトレウスが芳野を手に入れるのに十年必要だったというのも(うなず)けますな」

「感心してばかりではいられないよ。こんな戦い方をされては、二十四時か・・・いや、十二刻中、兵士たちは常に緊張状態を強いられる。消耗しきった兵では戦闘も覚束ないよ。王師は敵と本格的な野戦や攻城戦を挑む前に敗北する。・・・敵もそれが狙いだろうしね」

「このような動きをしていられるのも、芳野の諸侯には民からの情報が常に入るのに対して、侵略者と思われている王師には、民の協力がまったく得られていないからです。地道に敵の城砦を一つ一つ破却し、芳野の民に諸侯が王師の前では無力であることを見せつけ、敵の行動範囲を狭めていき、敵の居場所を特定する。そして民意が離れ、それまでのような撹乱(かくらん)戦法が使えなくなり、苦境に陥った敵に決戦を決意させる。これが良策かと」

「しかし所詮数では大差がありすぎる。こんな戦をしてもいずれ押し切られるのは目に見えて明らかだと思うんだけどな。あくまで打つ手が無くて足掻(あが)いているだけということだろうか?」

「オーギューガの援軍が来るのを待っているのでしょう。それにいずれ押し切れるとは臣も思いますが、それでも下手をすると何年にもわたる戦役になるかもしれません。思ったより厄介な敵、そして厄介な地形ですからな。そうなれば数では優位に立っている王師ですが、朝廷としては出費が痛い。そこで優位な条件で王と和睦できなくもないと考えているということもあるかもしれません」

「なるほど・・・そんなところだろうね・・・わかった、ありがとう。実に参考になったよ」

 兵力差が絶対的な戦力差ではないことは言うまでもないが、それでも未だオーギューガの旗影を見ない現状では、兵数、兵站、装備、錬度、士気、全てにおいて王師のほうが圧倒している。地味な作戦にはなるが、堅実な戦い方だといえる。とはいえ苦しい戦いになることだけは間違いないだろう。

 有斗がそういった深い思考の迷路に入り込んでいる横で、同じように考え込んでいたガニメデがぼそりと誰に言うでもなく(つぶや)いた。

「あるいは・・・敵は大魚を釣り上げようと狙っているのか・・・」

 その声に思わず有斗は現実世界に引きずり戻された。

「・・・大魚?」

「あ、いや、なんでもございません。単なる独り言です」

 有斗はガニメデのその(いぶか)しげな態度に首を傾げたが、特にそれ以上訊ねようとはせずに、再び自らの思考の中へと意識を追いやる。


 有斗はさっそく今回の戦いの顛末(てんまつ)と、敵の戦術が遊撃戦であり、その目的がおそらく王師を疲弊(ひへい)させることにある以上、これからも似たような手段で攻撃されるであろうと全軍に告げ、警戒を呼びかけた。

「エレクトライとリュケネがやられたのか」

 ベルビオと共にステロベからその説明を受けたザラルセンは思わず(うな)った。

 ザラルセンの見るところ、王師の中で部隊を率いる将軍としてもっとも手堅い戦をするものがリュケネである。

 派手な戦い方、個人の武勇、兵卒に愛されているということにおいては他の将軍に右を譲るが、敵の奇手にもっとも引っかかることはない堅実さがあると思っていただけに意外だった。それだけ敵将が優れているということかもしれないが、それでも驚愕するに足る事実だった。

 とはいえ、そういった戦い方は河北の流賊上がりのザラルセンにとってもお手の物である。

 もちろん敵に合わせてその戦い方を、この王師の大軍勢に流用するわけには行かないが、敵が取ってくるであろうおおよその対応は考えに織り込むことができるということである。

「芳野の諸侯のこの戦い方は、河北東部と芳野一帯の山岳地帯に古くから行われてきた少数の軍勢特有の戦い方だ。大軍勢での平原での決戦に慣れた中原の兵には珍しいかもしれないが、餅は餅屋さ、俺に任せときな。対処法はある」

 自慢げに胸を張るザラルセンにステロベは一瞬奇異な表情を浮かべるが、ザラルセンの前身が何であったかを思い出した。

「そうだったな。ザラルセン卿は河北の出であったな。ならばこの際、その経験を大いに当てにさせてもらおうか」

 ステロベの言葉にザラルセンは力強く頷いてその(たくま)しい胸板を叩いてみせる。

 さっそくその日からザラルセンが宿営地を決めることとなった。

 敵は山間部を兵を伏せて移動し、王師に気づかれぬように宿営地に近づいて奇襲をかけるものと思われる。山間部の獣道は道を選べば馬を連れて通れないこともない。だが複数の馬を連れての行軍は(いなな)きや馬という巨大生物の動く気配から容易く遠くから敵に居場所を察知されてしまう。つまり奇襲を旨とする部隊は徒歩(かち)で近づいてくることになるわけだ。そして山麓から平野部へと降り立った兵は敵陣へと姿を隠したまま近づかなければならない。そうでなければ奇襲できないのだから。もし奇襲に失敗すれば数に劣る奇襲部隊は王師に簡単に踏み潰されてしまうのだ。

 すなわち、王師を襲うであろう奇襲部隊は草むらや低地などの兵が容易に発見できぬ場所を選んで王師に近づくことになる。

 そういった地形は芳野であっても限られる。そこに逆に兵を伏せて監視すれば敵の発見を容易に把握できるというわけだ。

 そうすれば宿営地の兵士たちに常時緊張を強いることも無くなるわけである。

 念のために、経路となりうる複数の場所に見張りを置き、念には念を入れて報告のために騎馬兵まで配備するという念の入れようである。

 がさつでズボラなザラルセンにしてはよくやったほうであったろう。

 現にザラルセンからどのような方策を取るか聞いたステロベも、これなら大丈夫であろうと満足したほどだった。


 その王師の動きは民の口から諸侯の兵へ、そして諸侯の兵からデウカリオら首脳部へと口伝えに伝えられた。

「王師はこちらの目論見どおりに、見通しの悪い、我々の進行経路になりそうな地点を選んで兵を伏せている。こちらの奇襲に備えようとしているようだ」

 ということは完全に打つ手を封じられたということになるのだが、その割には話すデウカリオの口調に暗いところは微塵も見られなかった。

「的確な素早い対処、敵はこの芳野において一般的だが、他の地域ではあまり見られないこの戦法に深く通じているということです。やはり馬人(ケンタウロス)の紋章のあの旗はザラルセンの物でした。これで我らの作戦は八割方成功したといってもいいでしょう。あの旗が我らを欺くための偽物という可能性も考えていたのですが・・・」

 バアルの取り越し苦労をデウカリオは笑い飛ばす。

「そこが貴卿の悪いところだ。敵を疑いすぎる。敵は全知全能の神ではないのだぞ、我らの打つ手を全て読んでいると思っては、我らは何一つ手が打てないではないか。それに曲がりなりにも誇りある王師だ。なるべくそういった奇手奇策は使うまい」

「しかしあらゆる可能性を考えて策を立てなければ、不測の事態に備えられません」

 戯言(ざれごと)へのバアルの生真面目な反論にデウカリオは渋い顔をした。こういう両者の協調が必要な時に、何も喧嘩を売るように我意ばかり押し通そうとしなくてもいいではないか。

 本当はこれがバアルの一番悪いところだと腹の中で苦々しく思う。

 しかし色々我慢して、せっかく築き上げた共闘体制だ。些細なことで崩すまい、とデウカリオは不平不満を押し殺した。

「ま、ともかくもだ。これで我らは当初の計画通り、一切の変更もせずに作戦を開始することにしよう」

 バアルはデウカリオのその言葉には重々しく頷き同意を示す。

「サビニアス殿の腕の見せ所ということになりますな」


 ザラルセンの陣営に、見張りから急の知らせが告げられる。

「西の潅木(かんぼく)に潜ませていた見張りから知らせが! やつらがこっちへ向かってくるそうですぜ!」

 待ち望んでいたその知らせにザラルセンは膝を手で打つと、その七尺の巨体をゆらりと持ち上げ、立ち上がった。

「よし! 敵は網にかかった! 出るぞ! 迎撃する!!」

 兵が集まるのも待たず、そのまま一人でも出て行きそうなばかりの勢いのザラルセンに部下が単独行動することへの懸念を表した。

「兄貴、他の将軍方に知らせなくていいんですかい?」

「ああ、そうだな。忘れていたな。・・・よし、知らせてやれ。まぁ、奴らにも少しくらい戦功のおすそ分けをしてやらねば嫉妬するだろうしな」

 ザラルセンはそう言ってにやりと笑ってみせる。敵は奇襲という秘策を看破された以上、もう打つ手は無いはずだ。

 ならばザラルセン隊だけでも勝利することは容易いことだが、まぁ今回は奴らの面子も立ててやろうといったふうに考えたらしい。ザラルセンには珍しく、気前の良さを見せた。

 ザラルセンは同僚たちに敵の存在を掴んだことを知らせると同時に、馬上の人となった。

 ザラルセン隊の主力は軽装の騎馬である。一騎駈けで陣営を飛び出したザラルセンの後を準備のできた騎馬から慌てて追いかけた。やがて彼らは前方にて戦塵が舞い上がっていることに気が付く。

 だが見張りには念のために交戦しても一瞬で壊滅しない程度に、それなりの規模の兵を残してある。それに戦闘が始まったと分かれば、近くの他の場所に伏せさせた兵たちも加勢に駆けつけるはずだった。

 現に、その場で交戦しているザラルセン隊の兵は一箇所に伏せさせた兵としては多すぎる数だった。

「どれ、間に合った」

 ザラルセンは馬上で手庇(てびさし)を作って戦場を(うかが)う。

 おそらく周辺の兵を集めて、こちらから奇襲をかけたのだろう。戦場は数が少ないにもかかわらず、王師が押していた。

 それを見たザラルセンは部下に軽口を叩く余裕すら生まれるほどだった。

「やれやれ。このままでは他の隊の連中どころか、俺らも戦功には(あずか)れんかもしれんぞ。急がねばな。行け! 味方が圧倒的に押している!! このまま押し倒してしまえ!!」

 一斉に喚声をあげてザラルセンたちは矢を放つと、うろたえる敵兵の群れの中に飛び込んだ。

 敵はもはや抵抗力を失っていたようだった。ザラルセン隊に突き入れられると、反撃できずに脆くも崩れ去った。

 奇襲をかけるつもりだったのに、逆に奇襲をかけられて心に余裕が無くなったかな、などとザラルセンは戦闘中にも関わらず、寸評する余裕すらあった。

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