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紅旭の虹  作者: 宗篤
第七章 一統の章
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手当て

 王とオーギューガの間の和平交渉がどうやら完全に頓挫(とんざ)したらしい。

 王が自ら王師を率いて越へと向かう。東京龍緑府を出立するのは九月下旬の様子。そんな知らせが羽が生えたかのようにアメイジア中に広がっていた。


 従軍を希望する諸侯の使者が王都目掛けて一斉に押し寄せた。

 理由は二つ。

 一つはおそらく今度の戦が有斗を天下人たるに位置づける最後の戦になるであろうことを、諸侯は敏感に感じ取っているからだ。つまり手柄を立てることができる最後の大きな機会と言うことになる。この戦の後、アメイジアが静謐(せいひつ)になれば、諸侯は大きく所領を増やす機会は当分訪れないということである。

 以前のようにカヒと朝廷どちらが勝つか分からないときならば、従軍にためらう気持ちも出るであろうが、今回は十中八九は王が勝利するのは見えている。

 手柄は立て放題で勝つことが前提の戦で、恩賞が手に入る最後の好機ともならば諸侯が争って参戦を表明しても当然のことである。

 そして二つ目は保身の為である。

 オーギューガを滅ぼせば有斗のアメイジアにおける覇権はほぼ確立されることとなる。つまり有斗がその気になれば、いかなる諸侯でも取り潰しの憂き目に会いかねないのだ。

 有斗に対して後ろ暗いことの無い諸侯は実は少ない。関西に属して有斗と戦った関西諸侯、河東諸侯はカヒに組して有斗に槍を向けたこともある。河北諸侯や南部諸侯だってカヒに組したものは少なくない。カトレウス有利の間はカトレウスと書簡を交わしていなかった諸侯は皆無と言っていいだろう。

 それに長年、カヒ相手にあれほどの勲功を立ててきたオーギューガさえ、此度の一件で討伐対象となったことに諸侯は大きく動揺していた。オーギューガですらこのような扱いでは、いつ何時(なんどき)王の疑惑が自分のほうを向いて、過去の瑕疵(かし)を指摘して討伐されるか分からない。

 ここはオーギューガを相手に巨大な武勲を立てることで、恩を売りつつ忠勤を示す絶好の機会だと思ったのだ。

 オーギューガは武勲を鼻にかけてか愚かにも攻められることとなったが、普通に考えたら、王も巨大な武勲を持った諸侯をむやみやたらに攻め滅ぼしてばかりはいられないだろう。

 ここで従軍し、武勲を立てることは、領土を得るという諸侯の欲を満たすだけでなく、来るべき王の支配体制において諸侯が枕を高くして眠れるか否かと言う平静を得ることにも繋がるのである。


 有斗はそれに対して、諸侯が王に向けて示した(あつ)い忠誠心に感謝を示す一方でその有難い申し出を断った。

 もはや有斗や朝廷の目は既にオーギューガ討伐後の朝政に向いている。

 民の憂いは明日をも生死が知れぬ戦国の世が続くことだった。戦争が無くなった時、次に思うのは日々の生活が成り行くかどうかであろう。今、米を中心に穀物相場は急騰している。貧民は(ひえ)(あわ)で飢えを(しの)ぎ、この窮地を耐えに耐え忍んでいる。

 こんな状態が二年も三年も続けられるわけが無い。その心には日が一日過ぎるたびに不満が蓄積されていく。至急、この糊口(ここう)を凌ぐ方策を彼らに与えねば、不満が高じて今度は民に大規模な反乱を起こされかねない。

 その為には何よりも昨今の穀物相場の高騰を押し留め、官が事業を行うことで民間に仕事を回し、さらには荒民に土地を支給し、食料の援助をする事業を続ける必要があるのだ。

 その全ての鍵は今年の秋の朝廷に入る租が握っているといってよい。そこで得たものをどれだけ市場に放出し、どれだけ事業に投資できるか、全てはそれ次第なのである。

 つまり遠征で余計な兵糧や軍費の支出は避けたいのだ。

 それに、もはやカヒの時とは違って、オーギューガに味方する諸侯は少ない。王師だけであっても充分攻略は可能であると考えているのである。

「後は・・・北辺の対策も将来に備えて考えておく必要があるかな」

 有斗は出兵前に片付けておくべきことをラヴィーニアに列挙し、二人でその対策を一つ一つ立てていた。

「御意」

 北辺は今だ行政区ひとつ置く事ができない化外(けがい)の地のままだった。

 巨大な諸侯もいなく人口密度のまばらな北辺は、おそらく兵を用いて制圧すれば難なく朝廷の施政下に置く事ができるが、流賊やこれまで人の下に立ったことのない北辺の諸侯を心服させるにいたるまでは長く険しい道程になることであろう。

 軍隊を常駐させ、法を周知させ、何年、いや何十年にも渡って人民を教化しなければならない。だがそれで朝廷に返ってくるものはほんの僅かである。北辺は戦国の世であっても誰も取ろうと試みなかった土地、貧しいのである。

「今までは関西やカヒや、畿内のことに追われて何一つ有効な政策を打てなかった」

 北辺の民とて同じアメイジアの民である。注ぎ込む予算に対して期待できる収入が少ないという理由で官が反対しているからといって放置したままでいるのは、有斗としても心苦しい想いである。

「あれがあるではありませんか。北辺と河北との境に城を築き、流賊に備えたことが」

 有斗はラヴィーニアのそのとってつけたようなフォローに思わず苦笑を浮かべた。

「・・・それはどちらかというと河北の民に対して施した政策というべきだね。北辺に何ら益をもたらしたわけじゃないし」

「しかたがありません。朝廷の予算は有限で、陛下は天与の人でありますが、万能の超人ではないのですから、できる範囲のことから行っていくしかないのです」

「そうだね・・・」

「とりあえず陛下がお帰りになるまでに、北辺に配置する兵力、行政区の作成、およびそれに必要になるであろう兵士と官吏を見繕(みつくろ)っておきます」

「頼むね。・・・来春の除目の凍結は命じたし、新しい荒民対策の法案、それからこれまでに決まった諸侯の転封や減封、加増を公式に文面にしたし・・・これでとりあえず朝廷は僕不在でもなんとかやっていけるよね?」

「御意。朝廷は百官がまとまって必ずや陛下が凱旋なさるまで遅滞なく業務を行って参ることでしょう」

 ならば今日で政務から開放され、明日からは出兵の準備にかかれると、ようやく肩の荷が下りて少し気軽になり、自然と顔から笑みが零れる有斗をラヴィーニアはたしなめた。

「しかし陛下は大切なことをお忘れになっている」

「大切なこと・・・?」

 とりあえず問題を頭の中に列挙していく。関西の水利権問題、南部諸侯間の調停、河北の蝗害、畿内西部の旱魃による、予想される収穫不足と貧民への対応策。

 だがそれらは解決したか、もしくは当面の手当てを施したはず。問題の悪化は無い。有斗は心当たりが思い浮かばずに首を傾げる。

「急を要する議題は軒並み手を打ったと思うんだけどな」

「七郷のことを・・・坂東を忘れておりますよ、陛下」

「七郷・・・?」

 カトレウス亡き今、七郷に問題は見当たらない。アルイタイメナスの反乱も後味の悪い結末ではあったが、一応の決着はついたことではあるし。

「今や七郷は宙に浮いております。我々の手先となって七郷を抑えることを期待されたテュエストスは死んで、カヒ公の位は空位のまま。反乱を起こしたアルイタイメナスもテュエストスの手にかかり非業の最期を迎えた。長年、カトレウスの下で一致団結した行動を見せてきたカヒの諸侯ではありますが、七郷の主の位を巡って相戦い、新たな戦国の火種となるかもしれませんし、新たな主にテイレシアを仰ぎ、陛下に敵対するかもしれません。至急、混乱をきたした七郷に秩序をもたらす必要がございます」

 言われてみれば確かにそうだ。

 カトレウスの子供が相次いで死に、テイレシアも引き上げた今、七郷にいる数多い小諸侯を纏めうる人物がいない。

 オーギューガと戦っている背後で互いに争い始めたり、オーギューガに味方して槍を向けてくる前に、彼らを押さえつけるような手を打っておくべきだ。

「といってもなぁ・・・例え王領にして代官を派遣したとしても、それに彼らが従うかなぁ・・・」

「無理でしょうね」

 ラヴィーニアは一言の下に却下する。それは有斗も充分理由が推察できる返答だった。

 有斗も戦国の世のことが段々分かってきた。日本では警察や消防、あるいは役人といったものに基本は協力的だ。もちろんそれらが権威を傘に不合理を押し付けてきたら話は別だろうが、大概はその指示に大人しく従う。国家の持つ権威を、そしてその正しさを信じ、それに協力することが自らが所属する国家という組織には益があり、回りまわって自らのためにもなると分かっているからだ。

 だがアメイジアでは、その権威の一端に繋がっている官吏がそうであって欲しいと思っているほど、民と諸侯は権威に対して有難がっている様子は見られない。王が任命した将軍や官吏であろうとも実力を認めない相手の命令は聞きもしないであろう。特に長年朝廷の支配を離れていた河東の諸侯にはそのきらいがある。

 ならばいっそのことマシニッサにでも任せてみるか、毒をもって毒を制するという手法もあると思ったが、よくよく考えて、それは手法としては取らないほうがよさそうだということに気付いた。

 マシニッサをカヒに移封するとなると四万貫でないと首を縦に振らないというのが、アエネアスの見積もりだ。長い付き合いであるアエネアスの見積もりはおそらく正確であろう。

 しかしそれは以前の話に過ぎない。七郷がこんな混沌とした状態になった以上、きっと五万貫とか六万貫を要求することだろう。

 五万貫から六万貫といえば、四千から四千五百の兵を有することになる。アメイジアで五指に入るか入らないか、つまり五番目か六番目の規模の巨大諸侯と言ってよい。

 それどころかテュエストスが貰うはずだった巨封を要求しかねない。そんなものを与えたら、これ幸いと七郷全土の併合を企むに決まっている。

 そんな未来図は今のオーギューガよりも見逃しておくことが出来ない事態だ。

「かといって僕が直々に治めるわけにもいかないし、あるとしたら以前のように王師込みで王師の将軍を常駐させるくらいしか方法は無いよ。それとも他にいい方法があるかな?」

 王師の駐屯は出費がかさむので有斗としてはなるべく取りたくない選択肢であった。

 浮かない顔をする有斗に対して、ラヴィーニアはうきうきしたように両手を擦り合わせてこう進言した。

「あります。取って置きの秘策が」

 もちろんラヴィーニアが七郷の事を言い出したからには、当然、それに対しての回答を既に持っていることは有斗とて承知してはいたが、

 だがそこまでヒントを貰っても答えを導き出せないということは、有斗の能力はやはり王としては足らないところがあるんだろうな、と悔しくも思う。

 だがここは、問題を把握し回答を導き出せるだけの頭脳を部下に持っているということだけでも満足しなければいけないのだろう。

「聞かせてもらおうかな」

「カトレウスの次男と四男は今回の事件で二人とも死にました。カトレウスの弟と三男はエピダウロスの戦い以降、ぷっつりと足取りが途絶えております。おそらく死んだのではないかと。だがカヒ家には若くして死んだ長男の息子が残っております」

「そんな話し聞いたことがあるな。でも確か凄く幼いとかいう話だったはず・・・しかもカヒの一族は遠い縁戚も含めて、七郷での戦いの後、一人として行方が知れない。どこにいるのかも分からない。生きているのかどうかも・・・」

 彼らはカヒ滅亡と同時に、その姿をくらました。後難を恐れてのことであろう。特に有斗は罪を問うたりするつもりは一切無かったのだが、相手はそうは思わなかったということであろう。

 有斗の信を持って乱世を終結させるという言葉が信じられていなかったということであろうし、王に付いたテュエストスによって家督を継承する邪魔者と看做され殺されるかもと思ったのかもしれない。

 カトレウスの血族であっても降伏すれば命は取らない、大いに歓迎すると公言すべきだった、とそこは反省する。

「生きていることは確かです。アルイタイメナスと共に国府台の館から逃げ出したところまでは動きを掴んでおります。彼を新しいカヒ公にしましょう。七郷内の動揺を抑えられます。なにより彼の者は幼い。諸侯としては補佐する者が必要です。彼の身を王都で保護し、現地で采配をする者として朝廷の息のかかった者を多数送り込む。そうすれば彼らは主君の身を案じて我々の言うことを聞かざるを得ない。坂東で乱が起きる余地はなくなる。此度のオーギューガ討伐から不確定要素は排除される」

 思いっきり利用するだけ利用するといった姿勢が見え見えな提案だったが、現状でそれに代わる代案が有斗に無い以上、乱世を終わらせる為には必要なことだと、諦めて受け入れるしかないようだった。

「あまり気が進まないけど・・・今現在の情勢を考えるとそれが一番いい手法かな・・・その子にはいずれカヒ公の位をきっちりと継がせ、埋め合わせをすることで許してもらおう・・・」

 有斗がしぶしぶながらも自らの提言を受け入れたのを見届けるとラヴィーニアは満足そうに頷いた。

「御意。既に配下の者を七郷に送り行方を捜させております」

「・・・手回しがいいね」

 有斗はアリスディアのように有斗の心の中を(おもんばか)って先回りしたというよりは、有斗の心の中を勝手に決め付けたかのような、そのラヴィーニアの言葉を少し不快に感じた。

 それは自身が絶対的に正しいと信じるが故の行動である。自身の行動が正しいから、有斗もきっと認めてくれるに違いない。だから王の許可を得る前に、前へ前へと話を推し進める。

 実際、王の立場として考えたら、誰でもラヴィーニアが示した選択肢を取らざるを得ないであろう。

 だが有斗は知っている。それは今回に限って言えることだ。有斗が絶対正しい行動を取れるとは限らないように、ラヴィーニアも必ず正しい判断をするとは限らない。

 もしかしていつか有斗とラヴィーニアの考えが食い違った時に、とんでもない破局が起き、二人の間を引き裂くのではないかと、ふと思った。

 そしてそんな日が来なければいいと思っている自分にまた驚いた。

 だってその感情の相手はラヴィーニアなのである。

 セルノアの仇としてあれほど憎んでいたラヴィーニアだと言うのに。

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