忍び寄る影
兵に二日間の休憩を与え、その間に有斗は鹿沢城内にある武器、兵糧の数を調べさせた。
いざ一朝事が起これば、鼓関より攻め入ってくるであろう関西の大軍を食い止めるための城だ。二万の南部諸候軍を全て城内に入れてもスペースにはまだ余裕があり、武具兵糧もゆうに二年分は蓄えられていた。
「あるところにはあるものだな」
アエティウスは積み上げられた米の量に、嘆息しきりだった。これほどの米を見るのは有斗も初めてだった。
これを得たことは大きい、とはアリアボネ。
「南部諸候軍はいわゆる手弁当で集まってきました。兵糧もそんなに持ってはいない。兵糧が切れれば買うしかないが、そんなに裕福な諸侯はないのです。と、すれば軍を解散するか、略奪するかしかありません。軍を解散されては我々の勝機は薄くなる一方ですし、かといって略奪でもしようものなら、我々は地元の民の反感を買い、一切の協力を得れなくなります」
「・・・そうか、これだけあれば略奪しなくっても済むってことか・・・」
有斗が来たせいで新法と言う名の重税、そしてこの内乱が起きた。有斗はこの世界の人間に迷惑しかかけていないという思いがあった。
なるべくなら民にはこれ以上の迷惑はかけたくなかった。
「ええ」
「だからこそ是非にも、ここだけは奪い取りたかったのです。陛下のおかげをもちまして無傷で手に入れることが出来ました。感謝いたします」
アリアボネは微笑んで拱手する。笑うと花が咲いたようにぱぁっと部屋が明るくなるような気がする。何回も見ているのに不思議だ。
「いや、僕はなにもしてないけど」
「陛下がリュケネ殿の提案を寛大にも受け入れたことで、他の旅長たちも陛下のご人徳に感激して降ったのです。陛下は御自分の功績をもっと誇ってもよろしいのですよ」
えへへ。そこまで言われると悪い気はしないな。嬉しいような、こそばゆいような。
「あと武器も手に入れられたことも、地味ながらも大きな収穫です」
アエティウスの言葉にアリアボネも大きく頷いて、同意を示した。
「南部諸侯の兵は半農半兵。専業でないため、持つ武器の多くが数打ちの粗悪な量産品です。王師の剣槍と打ち合えば一合で折れてしまいかねない脆い物すら中にはあります。ここにある王師謹製の良質な武具を配布すれば、大きな戦力向上が見込めます」
「なるほど」
工場生産とかがない以上、品質にばらつきがあるのは仕方がないところなんだろうな。当然常備軍であるところの王師のほうがいい武器を持っているのはあたりまえだ。
「で、僕等はここで待ち受けるの?それとも敵は王城に篭って出てこないつもりかな?」
「いえ、朝廷の叛臣も我々も考えることは同じのはず。戦が長びいた結果、関西の軍に介入されることを何よりも恐れています。ゆえに王都に向かうどこかで決戦を行うことになるでしょう」
「そっか」
「まぁ勝つにしろ負けるにしろ、堂々の野戦で決着がついたほうがあとくされはないですしね」
と、アエティウスは言った。でも負けるのはいやだ。有斗にとっては自分の命に関わる。
「関西の軍か南部の諸候が関東に攻め込んだときと同じ道を辿ることになりますゆえ、三つの古戦場のどこかで戦うことになるでしょう」
「三つって・・・?」
「青野原、ボジニッツァ川、ファロマオン平原、どこも大軍を布陣できるだけの平地があります」
「ただどこも・・・我々より王師が布陣する地のほうが陣を敷くのに適している地、いわゆる北勝南敗の地。できればそこは避けたいです」
「しかし当然、敵はそれを知っているが故、そこで戦おうとするだろうな」
「ええ」とアリアボネはアエティウスに応えをする。
「とりあえず部屋にでも戻って、これから採るべき作戦でも練りましょうか?」
ここは蒸し暑いですし、とアリアボネは羽扇でぱたぱたと胸元を扇いだ。
・・・チッ、さすがはアリアボネだ。
汗で濡れてスケスケになったところをこっそり視姦するという、僕の戦術を見破ったか!
執務室に帰ってくると地図をばっと開いて、作戦会議を始める。
ええと・・・ここが青野原・・・こっちがボジニッツァ川か。川の方は王都に近い。こっちからだとだいぶ遠いな。
「陛下。お茶などいかがでしょうか?」
アリスディアが地図を熱心に覗き込む有斗に提案した。
「うん。お願いするよ、アリスディア」
「はい。では全員分持ってきますね」
「さすがアリス。気が利くねぇ」
・・・と有斗にはまったく気を利かす様子など見せようともしないアエネアスが、椅子にだらっと座ったまま言う。
いちおう王様の目の前なんだけど、まったく気にしないのか机の上に足まで乗せてる。
・・・それだけ有斗が馬鹿にされているということなのだろう。
アエティウスとアリアボネは王師との戦いを、どうやって少しでも有利な展開に持ち込むか、互いの意見をぶつけあっていた。
敵とぶつかるのは二人の一致したところ、青野原であろうと結論づけた。
青野原は入り口が四箇所、扇状の土地で扇の要が南にあり、北に広がっている地形だ。我々は狭い山道を抜けてくる形になるのに反し、敵は平地に布陣でき、なおかつ三方から包囲できる形に持っていくことが出来る。私が敵の指揮官ならそうする、とアエティウスは力説した。
問題はそうした時に有斗たちはどう戦えばいいかということだ。
ああでもない、こうでもないとアリアボネとアエティウスは数々の案を出してはそれを否定していくという、不毛な作業を延々と続けていた。
あの二人が決めかねているくらいなのだから、当然、有斗にはいい案など思いつくはずも無く、アリスディアのお茶はまだかなぁと考えるのが精一杯である。
やがて待ちかねていたアリスディアが大きな盆にティーポッドとカップを乗せて入ってきた。
その後ろには女官がバスケットにお菓子を大量に入れて続いて入室する。
じつにありがたい。ゲームもアニメも携帯もネットもラノベもないこの世界の今の有斗にとってはお菓子を食べることが唯一の娯楽なのだ。
そういうわけで有斗の目はお菓子に釘付けになっていた。柔らかそうな質感とふくらみ・・・ケーキだろうか?
その時だった。
女官がお菓子の中にいきなり手をつっこんだ。
え? 素手で配るの? ハンカチとかで手を覆って配るとか、トングかなんかで摘まんで配るもんじゃないの?
まぁ女官は美人さんばかりなので素手で触ったから食べれないとか一切ありませんけど! だからむしろご褒美ですけど!
だが次の瞬間バスケットの中から出てきたものは三十センチはあろうかという短刀だった。
「・・・!」
その時には女官はもう有斗のすぐ横に立って、短刀を大きく振りかぶっていた。
有斗が恐怖に凍りついた、その刹那だった。
アエネアスが机の上に行儀悪く乗せていた左足を、滑らせながら机の端に動かすと振り下ろし、この巨大な頑丈で重そうな机を僕と女官の間に跳ね上げる。そして残った右足で女官めがけて机を蹴り飛ばした。
女官は倒れ掛かる机の重さに耐えかねて下敷きとなった。
それにしても・・・なんて脚力だよ、怪獣並じゃないかよ。オイ!
椅子から立ち上がったアエネアスがアエティウスとともに警戒しつつ近寄ると、女官は机の下で青い顔をし、泡を吹いて震えていた。
自分の持っていた短刀で手に切り傷が出来、血が流れていた。どうやら毒でも塗ってあったらしい。
まもなく何一つ言い残すことなく死んでしまった。
「アリス、こいつはお前の部下だろう? どういうことだ!?」
アエネアスがアリスディアに詰め寄る。アリスディアはあまりの展開に動転してオロオロするばかりだった。
「もともとここで働いている女官の一人です。身元もしっかりしている者ばかりと思い、詳しく調べておりませんでした・・・わたくしの油断です。申し訳ございません!」
深く深く有斗に叩頭した。
「少なくとも、私たちと接触する者だけでも調べるべきだろ!」
アエネアスはアリスディアを責め続ける。
「アエネアス、アリスディアを責めてもしかたがない。我々は寄せ集めの寄り合い所帯に過ぎない。ひとりひとり調べていくことなど誰にも無理だ」
「しかし兄様・・・!」
アリアボネはめずらしくアエティウスに突っかかる。
だが、
「それよりも今回は陛下の命が間一髪助かったことを喜ぶべきだ」
とアエティウスが再度、言い聞かせると、
「・・・そうですね。わかりました」
アエネアスは素直に矛を収めた。本当にアエティウスの言うことだけは大人しく聞く。
「通常で考えると朝廷の誰かが送り込んだ刺客と言うことになるが・・・」
アエネアスは刺客の懐を漁って手がかりらしきものが無いか探した。だが見事なまでに何も持っていなかった。
「そう考えるのが正しい、と私も思います」
青ざめたままの顔でアリスディアも意見を述べる。
「今ここで陛下が死なれたら、誰が考えても犯人は朝廷の誰かと思うだろう。だが戦場で殺すのと、暗殺と言う汚い手段で命を奪うとのは諸侯に与える印象がまるで違う。王を暗殺した者と言う汚名を被った者が宮廷にいると、諸侯は朝廷に手を貸すまい。朝廷が劣勢であるならば、そういう手段もしかたがないと思い、実行する可能性もあるだろう。だが我々に比べると、王師はまだまだ優勢だ。暗殺と言う手段にまで訴えるような非常時ではないと思う」
そこまで言うとアエティウスは首を捻った。
「それに・・・陛下のところまで容易に近づけたことにも不審がある。入城してわずか三日だ。どうやって陛下と接触できる地位の人間に刺客を送り込むことができたのだ?」
「考えてみると確かに妙ですね」
アリスディアも不信を感じたようだ。
「よほどの凄腕なのか・・・」
アエティウスの言葉にアリアボネが付け加える。
「あるいは・・・裏で手を引く裏切り者が我々の中にいるのか、ですね」
皆、暗く思い沈む。
だが気軽に犯人探しでもしようものならば、不信感ばかりが増大して、この寄り合い所帯などは軽く崩壊してしまうだろう。それは避けたいところだ。
「とりあえず明日から陛下には信頼できる警護の兵をつけることにしましょう」
アエティウスは有斗に向かってそう言った。
そうしてもらえると助かる。実に助かる。
有斗は恐怖に青ざめた顔のままでアエティウスの言葉に何度も何度も頷いた。