再び、刺客。
デウカリオにはそう言ったものの、バアルも大いに気が動転しており、しなければならないことも、したほうがよいことも一切思いつかなかった。
どちらのことも今ここに確かに存在していることは理解しているのにである。
「さて、まず何から手をつけるべきか・・・」
そう言ったきり、黙り込むバアルをガルバは奇異なものを見る目で見ていた。
ガルバにだって彼らがこれからやらなければならないことなど指折って列挙できるほど思いつくのだ、七経無双とやらならば考える必要もないと思うのだが。
だがいつまでたってもその二人の口からは良案が出てくることは無かった。
問題の解決の糸口を示したのは意外なことに部外者であるはずのガルバだったのである。
「なにはともあれ、まずはこの大事に対して貴方がたがいかなる対応をするかを決めるべきでしょうな」
「そうだ、当面の対応を決めなければ・・・デウカリオ殿!」
だがデウカリオはバアルの呼びかけにも顔を僅かに声の方へと向けただけだった。
「当面・・・当面とは?」
「まず、この知らせを公表するのかしないのかということです」
デウカリオは何を馬鹿なことをといった表情でバアルを見つめる。
「・・・公表は・・・できぬだろうな。もし御館様の死を知ってしまえばカヒの兵士たちは戦う気力が失せてしまうだろう」
それは一理ある考え方だ。カヒの兵のカトレウスに対する尊敬の気持ちは信仰に近いものがある。カヒの滅亡、カトレウスの死といったことを立て続けに聞けば、もはや兵士として使い物にならなくなるかもしれない。
だが、しかし・・・いずれ知ってしまうことは避けられない。いつまでも隠し続けることなどできないのだ。
「ガルバ殿はどう思う?」
自分が言うと角が立つかもしれないとバアルは思って、ガルバに話題を振る。部外者であるからか、ガルバは先ほどから冷静で適切な意見を言っている。
ここは商人にしておくのはもったいない程の、そのガルバの頭を利用させてもらおう。ガルバならきっとバアルの意図を汲んで、デウカリオに実情に即した進言をしてくれるだろう。
ガルバはそのバアルにちらと目線を送って、わかっていますよとアイコンタクトで応える。
「公表すべきかと思います」
「馬鹿な!」
「密事は秘匿していてもいずれ漏れます。王やオーギューガもカヒの兵の士気を崩壊させようと流言を振りまくでしょう。それにデウカリオ殿のこの姿を見た者もいるはず。嵩山の猛虎と恐れられるデウカリオ殿のこの狼狽ぶり、勘のいい者は真実に気付くやもしれません。それに隠せば、却ってどんなことが知らぬところで起こっているのかと不安が増し、噂が噂を呼び兵たちの不安が不満へと昇華しかねません。ここはむしろ積極的にその死を公表することで、内部の結束を固めましょう」
「それはいい!」
バアルはガルバの言葉に一も二もなく頷いた。この苦境をバアルたちが乗り越えるためには、まったくもってそれしか方法がないのである。
「カトレウス様の死まで謀略の種にするのか・・・」
だがカトレウスに心酔するデウカリオにはその提案は受け入れられない様子だった。
心酔する主君が死んだのだから気落ちする気持ちは分かる。だがカトレウスはもはやどうやっても冥府から戻ってくることはないのである。ならばカトレウスのために嘆くなどという非生産的なことは後回しにして、今、生きているバアルやデウカリオや芳野にいるカヒの兵のことを考えるべきだ。
カトレウスは死んで原始の混沌の中に戻っていった。だが我々は未だこの現世と言う苦界の中で生きている。そして前にオーギューガ、後ろに王師、そしてアメイジアのどこにも味方はいないと言う、バアルたちの置かれたこの状況は絶望的なほどに悪いのだから。
「何を甘いことをおっしゃっておられるのか。カヒが滅び去った今、デウカリオ様やバルカ様の立場は危険極まりないものになったということにまさか気付いておられないので?」
「・・・わかっておる。王師はいずれ我々を退治しにやってくるであろうこともな」
「いいえ、わかっておられぬご様子」
「ほう、そこまで大口を申すのならば言ってみるがよい」
いまどき四天王の一人にこんな口を聞く者も珍しい。そこまで言うのなら妙案があるのだろうなとばかりに、デウカリオはガルバに皮肉交じりに訊ね返す。
それに対してわかりました、とガルバは筋道を立てて説明を始めた。
「まずデウカリオ様たちには現状、敵がいますね」
「わかっておる。オーギューガと王、両方とも大敵だ。とても我らだけでは防ぎきれぬ」
「いいえ、それだけではありません。こうなった以上、芳野の諸侯、そして配下のカヒの四千の兵も敵になりかねないと言うことを認識すべきです」
「・・・馬鹿な!」
芳野の諸侯はともかく、カヒの二十四翼の兵はカヒの象徴と言ってよい精鋭ぞろいだ。敵になどなるはずがないではないか・・・!
「デウカリオ様やカヒの四千の兵は恐ろしい。だからこそ芳野の諸侯はカヒに味方したのです。ですがこうなった以上それもいかがでしょう。このままでは王師にデウカリオ様もろとも抹殺されかねないと自身の将来を危惧するのでは。いつ裏切ってもおかしくない。それにカヒの四千の兵卒もどうでしょうか? カトレウス様が死んだ今、もはや戦う意味はないと考え、故郷の七郷へ無事に帰りたいと考えるのが人情というものではないでしょうか? その障害となるのは指揮官たちです。デウカリオ様がそれに同意しないと帰れない」
「だがワシは死んでも王の武装解除の要請などに応じるつもりはない!」
「デウカリオ様ならそういたすでしょう。そして兵もそうすると思うことでしょう。ですがその結果待ち受けているものは全滅でしかありません。兵たちが命を全うする方法はデウカリオ様を殺すしかない、と思い詰めないと誰が言えましょうか?」
ガルバのその言葉に目覚めたのか、デウカリオも先ほどまでの腑抜けた面を投げ捨てて、いまや持ち前の兵を怯えさせるほどの獰猛な面構えに戻っていた。
「確かに王師やオーギューガの兵と戦うよりも前に命を落としかねないところであった」
「自ら今の現状を包み隠さず話し、なんとかして諸侯と兵士の心を掌握する。そして芳野諸侯と四翼から落脱者を出さないこと、これが当面の貴方様がたに必要なことだと思われます」
そうすれば北にいるオーギューガも南にいるマシニッサと南部諸侯も芳野には容易く足を踏み入れられない。もっともそれとて時間の問題ではあろうが。
「だが問題はその後だな・・・」
デウカリオの呟きにバアルも溜息をつきつつ同意を示す。それからどうやって我々の身の安全を確保するか、それが何よりも問題になってくる。バアルたちは芳野という鳥篭に入れられた鳥も同然なのだから。
「確かに・・・」
「例えば芳野の地をもって独立する。そこにカヒの血を引く方を迎え入れ、カヒの再興を図るとかは・・・?」
「無理だな。オーギューガと王に挟まれて、そんな状況が長く保つとは思えない。芳野の諸侯もそういつまでも言うことを聞かないであろう。滅びの未来図しか見えぬわ」
一瞬だけカヒも復興し、デウカリオの武人としての意地は立つ。感情的にはそれでもいいかという投げやりな気持ちがデウカリオにもないとは言えない。
だがカヒの旗を打ち立て、滅亡の戦をすることなど、いつでもできることである。それよりももっと、未来に希望が持てる方策を探すべきだ。せっかく御曹司も逃れられたのだ。カヒの再興を目指すべきだ。それができるくらいの底力をカヒは未だに持っているはずなのだから。
「であるならば、降伏なさいますか?」
あまりにも慮外なその提案に、デウカリオは渋い表情でガルバを睨みつける。
「もっての他だ」
結局、カヒの滅亡を明らかにするということ以外の最終的な結論は出ず、明日へ持ち越しということになった。
バアルは館から離れて駐屯する指揮下の一翼の本陣へと馬に揺られて帰還する。
デウカリオは今頃参軍たちと膝を突き合わせて、カトレウスの死を知って動揺するであろう諸侯や兵の心を掴むような名文を考えていることだろう。
大変だがやってもらわねばならない。兵の掌握に失敗し、諸侯の離反を招けば、その瞬間にも南北から敵が雪崩れ込んで来るだろう。そうなったらバアルたちの待つ運命は討ち死にでしかない。
とはいえ兵を納得させられるだけの言葉については心配していなかった。七郷の人間の気質を知りつくしているデウカリオらが考えるのだ。将士の心を捕らえぬはずがない。それに曲がりなりにもカヒの四天王の一角、将士の心を捕らえることくらいお手の物であろう。
「バルカ様・・・? いかがいたしましたか?」
と、突然馬の足を止めたバアルに近習の者がいぶかしげな視線を向ける。
次の瞬間、金属音が二度したかと思うと、その従者のこめかみに匕首が根元まで深く、正確に突き刺さっていた。
「刺客か!?」
バアルは刀を一閃させて己に向かってきていた匕首を二本打ち落とし、時間差をつけて飛んできた匕首を避けたのだ。さすがに従者に飛んだ匕首を打ち落とすことまではできなかったが。
続いて地を旋風のように低くうねりながら高速で影が近づいてくる。
「さすがはわたしが見込んだ男だ!! たいした腕だよ、あんたは!!!」
影は口を開くと同時に両手に持った刃渡り十寸(三十センチメートル)ほどの剣をバアルに向ける。
バアルは剣を起用に回転させ、時間差で襲い来る、その両方の刃を弾き返す。女はバアルのその受け流しの力を逆に利用し、空中で機動を変え、バアルの死角から回し蹴りを見舞おうとする。
だがバアルは死角からの攻撃になるであろうその蹴りを、難なく腕で防御した。
その顔には見覚えがある。いつぞや河東で出会ったガイネウスを狙った、あの女刺客だった。
「はははははは、面白い、面白いよ、あんたは!!!」
女は一旦バアルから距離を取ると、狼のように口をひん曲げて冷笑した。
その間にバアルは素早く馬から地面へと降り立った。こういう器用な、そして一撃が致命の一手となる敵に対して、体捌き抜きではバアルとしても生き残る自信がなかったのだ。
「・・・どうして私の首ごときを狙う? まさか王の命令か!?」
バアルのその質問を女はせせら笑った。
「ははははは。笑わせるんじゃないよ。王はお前の首なんかに興味はないさ! 自惚れるのも程ほどにしときな!」
一瞬、いつまでも関西再興を諦めずに活動するバアルのことが目障りになったのかとも思ったが、どうやらそれはないらしい。
「ならば何故狙う! カトレウスやテイレシアのような大諸侯の首や高名な将軍の首の方が狙い甲斐があろうというものではないか!」
ふん、と女は鼻で笑った。
「いつでも寝首をかけるような相手はお断りだよ。取りづらい敵から首を取ったほうが、手に入れた時の喜びは大きいじゃないか!」
そう言うと、もう一度バアル目掛けて駆け出した。
「いいことを教えてやろう! カトレウスはわたしが殺した! その刃を防ぐことはカヒですら出来なかったのだ! だからお前も観念して首を渡すが良い!」