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紅旭の虹  作者: 宗篤
第七章 一統の章
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訃報は巡る

 王師に歩調を合わせるようにして、越から上州に進軍したテイレシアだったが、エピダウロスの戦いにも七郷攻めにもその姿は見られなかった。

 その間何をしていたかと言うと、越に亡命していた上州諸侯のために上州の各城を攻略し、彼らを諸侯に復位させて回っていたのだ。

 だがそれはカヒと戦って軍に損害を受けるのを避けたからでも、王の手助けをするのが嫌だったわけでもない。また、戦の趨勢(すうせい)がどう転ぶか分からないと踏んで、様子見をしたわけでもない。

 ただ、王から上州に侵入してカヒを牽制(けんせい)して欲しいと言う要請だけしか受けていなかったからである。

 王の要請を受けないまま、カヒとの戦いに加わった時に、手柄や恩賞目当てで我意を押し通して戦に加わったなどと、万民に陰口を言われることを嫌ったのである。オーギューガはそういう多分に誇り高く、そして潔癖症気味な、変わった特質を持った家だった。

 とはいえ有斗からしてみれば芳野と上州との両方面に出兵してくれるだけで十分だった。

 それにオーギューガの下にカヒによって追われた元上州諸侯が亡命していることは周知の事実だった。王に協力を要請されたことのほかに、彼らを諸侯に復すこともテイレシアの出兵理由の一つだ。ならば彼女はその為に上州でいろいろとしなければならないことだってあるだろう。だから芳野と上州と少ない兵で二正面作戦をしてくれたテイレシアにこれ以上の負担を強いることは言い出せないと、むしろ有斗が遠慮した面が大きかったのだ。


 上州に来たカトレウスの軍と合流し、カヒ出身の新しい支配者たちは去っていったが、それで上州からオーギューガに抵抗する勢力が全て消え去ったわけではない。

 上州諸侯がカヒへ叛旗を翻すことに反対し、逆に諸侯に叛旗を翻しカヒについた土豪などの諸侯の臣下、また新しい支配者であるカヒに取り入り、積極的にカヒの支配体制構築に協力した者なども少なくはなかったのである。彼らはカヒに見捨てられた形にはなったが、だからといって直ぐにカヒを裏切り両手を上げたものは少なかった。

 復讐心に燃える上州諸侯が彼らを容易く許すはずがないからである。

 生き残る方法は二つ。カヒが王を破り、再び上州に侵攻しオーギューガの勢力を排除してくれることと、手を焼いた上州諸侯から和平と言う形で彼らの罪を宥免(ゆうめん)してもらうことである。

 ただ、どちらの道も抗戦して勝利を勝ち取る必要があるということに関しては何ら変わりが無かった。

 というわけでテイレシアも諸侯を(なだ)めてなんとか両者の仲を取り持ってみたり、カヒに味方した者に上州からの退去を勧めてみたり、平和裏に解決するよう努力をしていた。オーギューガにしてみればカヒと戦うのならともかく、上州の諸侯の内輪もめの為に兵を死なせるのは大変馬鹿馬鹿しいことだからだ。それでもどうしても反抗する態度を示す者には諸侯の懇願もあり攻め潰していく。

 王とカトレウスの戦いの行方は気にはなっていたが、テイレシアはきっとその時が来たら、王からオーギューガに援軍要請が来るものと思い、努めて戦の行方を気にしないようにしていた。

 その時とはカトレウスとの決着をつける時、おそらく七郷攻めの時であろうと思っていた。

 何故ならカトレウスとテイレシアとは長きに渡る因縁がある。テイレシアはそれを神が定めたものであろうと確信していた。きっとカトレウスと戦うために自分は生まれてきたのであろう、と。

 だから王がエピダウロスで勝利したのみならず、七郷までその勢いをもって追跡し、あっさりとカヒを攻め滅ぼした、あまつさえカトレウスを討ち取ったと聞いた時のテイレシアほど哀れな人物はアメイジアにいなかったと言ってよい。

「カトレウスが・・・死んだ・・・?」

 あまりのショックに、それだけを口にするのがやっとのことだった。

 その死を願って幾度も刃を交えてきたと言うのに、何故か望んだその瞬間がやってきたにも関わらず、テイレシアは一片の喜びも感じていなかった。

 浮かんだのは深い悲しみと喪失感。不思議なことにまるで己の大事な人が死んだかのようにさえ感じられていた。

 テイレシアのいつに無いその表情を、オーギューガの将たちは宿敵が死んだことによる達成感なのだと勘違いしていた。あまりにも嬉しすぎて、それをどうやって感情に表したらいいかすらわからないのだと早合点したのだ。

「おめでとうございます」

 オーギューガの誇る双璧の一人、カストールがテイレシアに向き直ると満面の笑みで大きな声を出し、祝福した。

「おめでとうございます!!」

 周りの将軍もそれに習って一斉に唱和する。

「あ、ああ・・・ありがとう」

 テイレシアは何故か心が()き乱れ、それだけを言うのがやっとだった。

 こんな慶事にも関わらず、いつにない主の煮え切らない態度にオーギューガの諸将も顔を見合わせるばかりだった。


 風通しのいい、ほどよい室温の部屋に布団が敷かれ一人の男がそこに横たわっていた。その体に何箇所も幾重に巻かれた(さらし)から、その男の傷の重篤さが見て取れる。

 枕元には一人の男が鎮座して様態を確認していた。

 静かに物音を立てずに、一人の顔立ちの整った若い男が部屋に入って来て、枕元にて容態を観察し続ける男に声をかけた。

「サビニアス殿のご容態はいかがか?」

 そう、怪我を負って体を横たえている男とはエピダウロスの戦いで行方不明になっていたサビニアスであった。いったい何故、そしてどこにサビニアスはいるのであろうか? その謎はこの男の名前を聞けば説明が付くかもしれない。

「これはバルカ卿」

 そう顔を上げて返答した男はガルバであった。白鷹の乱後、バアルを探し出し、サビニアスに引き合わせたあの商人である。

「サビニアス殿は今日は目覚められたか?」

「今日も意識を戻しませんね。ですが以前に比べると落ち着いてまいりました。医者も峠を越えたと申しております」

「それは不幸中の幸いだな・・・」

 ガルバは戦場近くで傷つき倒れているサビニアスを発見し、荷の中に隠してひっそりと王師の探索の手をかい潜り、芳野まで連れてきたのだという。

 そのガルバの口からデウカリオやバアルはカヒがエピダウロスで敗北し、危機的状況に追いやられたことを知った。

「それよりも芳野を(うかが)う動きを見せた、王側の南部諸侯たちと戦われたとかお聞きいたしましたが?」

「ああ、昨日もマシニッサは兵を芳野に入れる動きを見せた、王師がカヒをエピダウロスの野で破ったのを聞いて点数を稼いでおこうとでも思ったのだろう。適度にあしらって追い払ったがな」

「さすがはバルカ卿、お見事ですな」

「といっても状況を大きく変える一手を打ったわけではないからな。我らはカトレウス殿が王を打ち破ってくれることを祈るしかない」

「・・・そうですな」

 人の口は塞ぐことができないとはよく言ったものだ。カヒがエピダウロスにおいて大きく敗北したことは、ここ芳野にも直ぐに知れ渡った。

 もちろんこの有り得ないほど早く噂が広がった裏には、この噂で諸侯に揺さぶりをかけてやろうというマシニッサの小賢しい影がちらちらとその後ろに見えてはいたが。

 ともかくも諸侯も民も動揺を見せている。

 さすがに四天王の一人デウカリオとカヒの四千の兵がいるので、直ぐにカヒを裏切ってどうこうと言うことではないが、動揺していることは事実だ。

 だがこのままではいずれ何らかの動きを起こすことは目に見えている。油断はできない。

 と言ってももし芳野の全諸侯がオーギューガなりマシニッサなりに呼応して兵を挙げれば、芳野にいるカヒ兵の運命は全滅しかないのであるが。

 幸いにも芳野の諸侯は小身の者が多い。先頭を切ってカヒに喧嘩を売る度量のある諸侯が見られない以上、おそらく反乱はなかなか起きないであろうと予測できるというのが、バアルたちにとっての唯一の救いであった。


 商人であるガルバには全国各地に部下がおり、かなり正確に近い情報をいつも保持している。

 バアルはそのガルバから聞いた最新情報から、王師の七郷攻めがいかに展開するだろうかと話し合った。

 七郷は天然の要害で防備も十分だ。そこに篭れば一年二年は持ちこたえられる。そうすれば、いずれ王師は大軍で出兵したツケを払わねばならなくなる。つまり兵糧に不足をきたすはずだ。そこを追撃するしかないというのが二人の共通した結論だった。

「バルカ殿! 大変だ!!」

 そこにデウカリオが息せき切って駆けつけてくる。

 館中を探し回ったのか息は切れ切れで大きく肩で呼吸をしていた。それでとにかく大変なことであることはバアルにも一発で理解できた。

 何故なら、あいも変わらずデウカリオとバアルの仲は一向によくなる気配を見せないのだ。互いに接触を極力避け、辛うじて事務的な会話をかわす程度、どちらかというと反目状態、よくて武装中立といった按配だった。

 そのデウカリオ自ら、バアルを探して話を持ちかけなければならないなら、よほど大変な事態が起きたに違いない。

「どうなされたデウカリオ殿?」

「これ・・・これを・・・!」

 そう言うと、デウカリオは震える手で一通の書簡を二人の目の前に差し出した。

 バアルとガルバは目を合わすと尻餅をついて放心しているデウカリオの手から書簡を引っ手繰るように奪い去り、中身を(むさぼ)り読む。

 そこには四男アルイタイメナスの名前で、エピダウロスで破れたこと、七郷防衛に失敗したこと、父カトレウスが立派な最期を迎えたことが格調高く(うた)いあげるように書かれていた。

 ついてはカトレウスがデウカリオに与えた芳野防衛の任務を解除することと、すぐに激高するデウカリオが自暴自棄になって暴走したりしないように、そしてカトレウスが預けたカヒ四千の兵について、是非とも未来のカヒの為に温存するよう善処してもらいたいと書かれていた。

「なんと・・・! カトレウス様がもはやこの世の人でないと!?」

 ガルバもその文面に大いに衝撃を受けたようだった。気温は高くないはずなのにしきりに(そで)で額に浮き出る汗をぬぐっていた。

「カヒが滅びたと言うのか・・・」

 それは王に対抗できる巨大権力がアメイジアから無くなったと言うことでもある。

 関西王朝の復興はこれで叶わなくなったのかとバアルも思わず途方にくれてしまう。

 だがすぐに別の可能性に思い当たる。

「いや、まて・・・敵の流言ということはないだろうか? 我々から戦意を奪い、芳野攻略の障害を排除しようという目論見ではないだろうか」

 マシニッサなら大いにやりそうなことだ。これは鵜呑みにして軽挙妄動をしないようにしたほうがよいのではないかとバアルは考える。

 だがその可能性は即座にデウカリオに否定される。

「事実だと思う・・・思うしかない」

 何故ならそれはカトレウスの四男、アルイタイメナスの直筆であるからである。誰よりも孝心厚く、謙虚で思慮深い彼がまったくの虚偽の内容をデウカリオに告げる必要性が見当たらない。それにカトレウスが死んだとデマを流して、彼が得るものは何もないのである。それどころか、もしカトレウスが生きていたら、たちの悪い嘘を流したと言うことで命の危機ですらあるのだ。

 デウカリオのその言葉にバアルもようやく書状がどうやら本物であるらしいと悟り、顔を青くする。

「そんな・・・御館様が・・・まさか・・・」

 デウカリオは敬愛するカトレウスが既にこの世のものではないことに衝撃を受けて、魂を宙に飛ばすのみだった。

 そんなデウカリオの肩をつかみ、バアルは激しく揺さぶった。カトレウスの死を嘆くことなどいつでもできる。芳野のカヒの総大将であるデウカリオには、いま現実に目の前にある危機に対処してもらわなければ困るのである。

「デウカリオ殿! しっかりなされよ! デウカリオ殿はカトレウス様から預かった四千のカヒの兵の命を預かっているのです。ここでこのまま手をこまねいて、敵に付け入られて四千の兵を失うことになったら、黄泉でカトレウス様に合わせる顔がありますまい! それにまだカヒが滅びたわけでもありません! 書状に書かれている通り、いつかカヒを再興させることをこれからは考えるべき時です! その為にはこの四千の兵が必ず必要になります。なんとしても失ってはなりませんぞ!」

 バアルはそういってデウカリオを力付けようと励ました。

 もっともそれはカヒという強力な盾を無くした自分に、まだ関西の再興は可能だと言い聞かせる側面もなかったわけではない。

 だがデウカリオはバアルの声に二度、三度と(うなず)くことだけが、その時できる精一杯のことだった。

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