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紅旭の虹  作者: 宗篤
第七章 一統の章
262/417

七郷炎上

 カヒは一万余の、その時点で動員可能な兵力全てを集中させ王師の侵入を防ごうとしていたが、時間と共に防戦一方となる。

 もはやここでは支えきれぬと見て、ガイネウスはダウニオスと語らい、一旦ヴルトクの渡しまで後退することにした。

 有斗は追撃のそぶりを見せるガニメデを制止し、橋頭堡の確保に万全を期すよう命じた。下手に深追いして敵の反撃に遭い、その勢いのまま敵が再び攻撃をかければ、戦闘態勢を解除している王師は苦戦するかもしれないと思ったからだ。

 王師の中入り軍の最後尾を務めたヒュベル隊が七郷へと入ったのは深夜遅く、丑の刻(午前二時)を既に過ぎる頃であった。

 有斗は翌日まず、ザラルセン、エレクトライの両将軍に命じて七郷の七つ口の一つ、一番近い稲村口へと兵を向けさせる。七郷盆地の内と外から挟撃を行って稲村口を確保し、長期戦になったときのことを考えて、七郷内部の王師への安全な補給路を確立しようとしたのだ。

 それはそうだろう。鹿留川を干上がらせて侵入路に使ったとはいえ、その道は人はともかく馬は通れない。それでは補給に難をきたすし、もし万が一王師が築いた堤防が崩れれば、そこを通る輜重の兵が死ぬだけでなく、補給路を失うことに繋がる。まずは安心のためにも何より補給路の確保が必要だとの参軍たちの意見に有斗が同調する形で、方針は決定された。

 そこでガニメデに続く第二陣、第三陣として七郷に入り、十分に休息を取って英気を回復したその二軍にその大事な役目を振ったのである。

 だがカヒの本軍と戦うのではない、その大事ではあるが地味な役割にザラルセンは不満を漏らした。

「俺はどっちかっていうとカヒの軍と戦いたい。河北が乱れていた原因のひとつはカヒの有形無形の介入だ。河北代表としてカヒの連中に一矢報いたい。その役目は誰か他の将軍に回してくんねぇかな」

「気持ちは分かるけど、稲村口攻略は七郷への補給路を確保する大事な戦いだ。七郷の外から攻めるよりは楽だとは思うけれども、それでも峠に布陣した敵を攻略するのは難事だよ。それには是非ともザラルセンの弓隊が必要なんだ。ザラルセンは河北の出身で山岳戦も得意だろうし」

 有斗は言葉を尽くしてザラルセンの説得にとりかかった。この戦いがいかにカヒの部隊を撃破するのと同じくらい重要で、その為にはいかにザラルセン隊の弓術が必要であるかを力説する。

「・・・まぁ、陛下にそこまで言われちゃ、こちとらも断りにくいや。わーったよ、大人しくそっちをやってやるよ」

 普通なら不敬罪に問われてもおかしくない実に無礼な言動であるが、有斗は不快な顔を一切見せずにザラルセンが引き受けたことにニコニコと笑みを返す余裕すらあった。

 言葉遣いはアレだが、一応有斗を王として扱ってるし、結局命令を聞いたのだから何の問題も無いとすら思っていた。

 有斗は部下に対しても親しげに接する心の広い王様として国民にも知られるようになっていた。それもこれも全てはアエネアスの言動で多少の無礼には動じない耐性ができたからである。それを考えるとアエネアスに少しは感謝しなければならないかもしれない。

 もっともそれを部下の多少の無礼にも怒らない心の広い王と取るか、部下に舐められてタメ口をきかれている威厳の無い王と取るかは受け取る人次第ではあるのだろうけれども。


 カヒはヴルトクの渡しまで後退すると、そこで軍を建て直し王師に備えて布陣した。川を天然の堀と見立ててこれ以上の侵攻を防ごうと言うわけだ。

 ここは敵地だ。有斗は慎重に伏兵に備えて行軍し、二日遅れでヴルトクの渡しに到着する。

 打ち続く敗戦により戦死した兵もいれば、逃亡した兵もいる。カヒの兵はもはや一万を切っていることは確実だった。

 有斗はここで決着をつけるとばかりに、全軍に一斉攻撃を命じた。

 有斗のこの時点での手持ちの兵は八万弱、敵の約八倍である。この戦力差だ。下手な小細工や策を(ろう)するよりも、敵に一切付け入る隙を与えない物量作戦で行ったほうが、却って敵も対処しにくいだろうと判断した。

 ヴルトクの渡しがある川は元々水量も豊かでなく、淵となっている場所は多くなくほとんどが浅瀬である。攻撃を防ぐ水壕としては、申し訳程度の障害でしかない。王師の全面攻勢を支える盾としては極めて頼りないものであった。それでも無いよりは遥かにマシである。ダウニオスは広く薄くではあったが、なんとか王師に正対できる陣形を整え、王師が川を渡って押し寄せて来るのをひたすら待った。

 カヒが射掛ける矢の雨の中、まるで津波のように王師は川を渡り、堤防に布陣するカヒの陣に対して攻撃を開始した。

 堤防を駆け下りて攻撃を加えてくる兵をまずは防いで支える。カヒの兵は最初の一撃で王師を(まく)り返すことができなければ、王師の数に取り囲まれることを恐れ退却する他ない。不利な態勢と判断して、一旦後ろに退くカヒの兵に付いて坂を駆け上り、カヒ側の防衛線である堤防の頂上を占拠しようと試みる。

 カヒは慌てて戦列を整えなおして、王師の行動を阻害しようとするが、如何(いかん)せん数の差がありすぎる。手負いの数が徐々に増加していく一方だった。

 だが絶望的な兵力差の中でもカヒの将士は奮戦を続けた。二度三度と王師を川の中へと押し戻したほどだった。

 しかし健闘も最初のうちだけだった。半刻も経たないうちにカヒの兵は堤防の上から全て叩き落される。

 王師は次から次へと岸へ這い上がり、当初の目標であった堤防を確保しても、カヒをひた押しに押し捲った。

 完全に押し込まれていたが、それでもカヒはまだ崩れなかった。

 二十四翼の将軍の一人、アガトンの翼は敵の兵力が他のどの部隊よりも集中する地点にいた。それでも指揮下の一翼が五十余に打ち減らされるまで戦場に留まり、王師の突破を許さなかったが、最後は打ち減らされた兵と共に、せめて敵将に一太刀浴びせようとエテオクロスの部隊に斬り込み、前後左右縦横無尽に暴れまわるものの、衆寡敵せずに討ち取られる。

「カヒの二十四翼の一人、アガトンを討ち取ったぞ!!」

 大きな栄誉に手にした一兵士が剣を振り上げて得意そうにそう宣言すると、王師全体がそれに応えるように大きく喚声をあげる。勢いづいた王師は益々攻勢を強めた。

 カヒの戦列はもはや寸断されて、前面だけでなく左右からも攻撃が加えられる有様で、崩壊は時間の問題だった。

 死を覚悟した将兵たちはせめて最期に一花咲かせようと、次々と王師の中へ討ち入り散っていった。

 名も無い兵士だけでなく、ニカノルやコイノスといったアメイジアにその名の知れた大将も次々と討ち死にしていった。

「これはもはや防ぎきれぬ」

 もはや組織的な抵抗ではなく、死を覚悟した武者たちの死に狂いだけが、辛うじて王師を押しとどめているような現状だ。

 カヒの滅亡は必至と見たダウニオスはガイネウスにその場を任せると、グラウコスの下へと急いだ。


 ダウニオスに後事を託されたガイネウスだったが、河東随一の軍師と言われるガイネウスにも、この状況下では勝利の為に、もはやいかなる術も残されていないことを確認すること以外できることはなかった。

「だがまだできることはある」

 ガイネウスは一人そう呟いて、死に向かいつつある己を鼓舞する。

 カヒは滅ぶかもしれない。だがカヒという家が全て滅び絶えるわけではない。カヒの血族を落ち延びさせ、再起の時を窺うと言う最後の手段が残されている。情勢が許せば諸侯に復帰する機会は無きにしも非ずなのだから。

「その為にはここで王師を何刻食い止められるかにかかっているのだ」

 鹿留川の堰き止めに始まる王師の七郷侵攻作戦はカヒ側の予想を上回る速度で行われた。

 当然、カヒ家の親族はいまだ国府台の館に留まったままだ。今頃逃亡の準備に大わらわなことであろう。ここで直ぐに崩れ去っては彼らが王師に捕まってしまう。

 それから一刻、ガイネウスは八倍を越える敵軍を支えきった。陣形は歪み、戦列は寸断されているのにもかかわらずである。それどころか幾度か王師を押し戻す場面すら見られた。ひょっとしたらいつまでも支えきるのではないかとすら王師に思わせるほど、カヒは隙を見せなかった。

 将を失った兵をまとめて崩壊を防ぎ、ゆっくり退きつつ戦線を小さく、守りやすいように畳んで行く。

 だがそれも崩壊するときが来る。

 王師の突撃に耐え切れず本陣が押し込まれたときに、ガイネウスがその攻撃に巻き込まれて負傷したのだ。

「ガイネウス様!」

 一斉に参軍や近習が駆け寄って王師を追い散らし、手当てをするも傷は深く、これ以上の指揮には耐えられない。

 それどころか死神が秒読みをしている段階だった。

「引き鉦を鳴らせ。もはやこれまでだ。後は散り散りになって逃れるが良い」

 それがガイネウスの最期の言葉だった。

 もはやカヒの誇る多くの勇士は死に、名のある将軍もいなくなった。ガイネウスが死ねばカヒ全軍を指揮できる能力の持ち主はどこにもいないのである。であるならばこれ以上戦を続けても、無駄な死者を増やすだけである。戦いを放棄することがカヒの指揮官としての彼の最後の仕事であろう。

 ガイネウスはもはや外界で起こる全ての出来事から興味は失せていた。ガイネウスの関心は内なる世界、カトレウスとの思い出の中にあった。

 諸国流浪の身の上を拾っていただき、才を存分に発揮する場を与えられた。そのご恩は山よりも高く、谷よりも深い。そのご恩を全て返すことができなかったのは心残りといえるが、そのカトレウス様のいる黄泉へと旅立てるのはなによりの喜びである。

 ガイネウスの顔には実に安らかで満足そうな笑みが浮かんでいた。


 ダウニオスは少しの時間も惜しいと馬に幾度も鞭を入れ、国府台の館へと急いだ。

 そこは閑散としていた。建物だけはいつもと変わらずに立派に鎮座しているのに、どこかが普段と違う。理由は単純だった。人気(ひとけ)が見当たらないのだ。

 いつもなら四天王の一人ダウニオスでさえ容易く館に入れないほどの物々しい警備体制が敷かれているのだが、馬を駆って館に入るダウニオスを(とが)める者どころか、門兵一人小者一人すら見当たらず、ダウニオスは戸惑いを隠せない。

 館に入るとグラウコスの姿を探す。それでも館は完全に無人というわけでは無いようだ。蔵から武器を取り出し、武装をする小者の姿があった。

 グラウコスは縁側に座り、カトレウスが丹精籠めて作り上げた自慢の中庭を眺めていた。

 容姿は言うまでも無く、雰囲気から(たたず)まいまで在りし日のカトレウスの姿そのままで、思わずダウニオスは目を疑うほどだった。

「・・・・・・随分と静かですな」

 今も幾人もの家人が干戈を響かせ断末魔の悲鳴を上げているであろう戦場とは偉い違いだ。

 だが同時に両者は同じものであるということにも気が付いた。戦場での狂乱も、この館の静けさも、全てはカヒの滅亡を表しているのだ、と。

「人がいないからな。家人はほとんどが逃げ去ってしまった。今ここにいるのは三十人ほどの僅かな家人しかいない」

「・・・随分減りましたな」

「逆によくもまぁ三十人残ってくれたと思う。カヒと共に死のうと言う奇特な連中よ」

「アルイタイメナス様とタンタロス様は?」

 カヒの家宰やカトレウスの四男、嫡孫、ここにいるべき者の姿が多く見られなかった。

 まさか命惜しさに逃げ出すような連中ではないとは思うのだが、とダウニオスは不快を胸に押し沈めながら訊ねる。

 だがそれは杞憂(きゆう)だった。グラウコスはあっさりとその理由を述べる。

「落とした。今頃は七郷の遥か東だろう、王師の追及は届くまい。カヒの血を絶やしてはならぬからな」

 ダウニオスはグラウコスの言葉に頷くことで、同意を示した。

 カヒは長き伝統を持つ旧家である。ここで途絶えさせてはカヒに長年仕えてきたダウニオスも代々のご先祖に申し訳がたたない。

「申し訳ありませんグラウコス様。もはやカヒの頽勢(たいせい)(くつがえ)せぬところまで来たと申すしかありません」

「そうか・・・」

 王師が鹿留川を()き止めて七郷への侵入を果たした時点から覚悟していたことではあるが、やはり現場で兵を指揮し戦ってきたダウニオスの口から直接きくと敗北の重さが心にずんと圧し掛かる。

 やはり影武者は務まっても、カトレウスの代わりなどという大役は自分には無理だったのだとグラウコスはため息をついた。

「もはやこれ以上、カトレウス様の真似をせずともよろしいでしょう。グラウコス様は本来の姿にお戻りになられてはいかがでしょうか。王もグラウコス様がカトレウス様でないと知れば、お命を永らえることも可能ではないかと愚考つかまつります」

 カトレウスならばさすがに数々の陰謀の首魁(しゅかい)、罪に問われることから逃れることはかなわないであろうが、王は寛大な人間であると聞く、その弟、単なる影武者であるならば罪に問われても命までは奪わないかもしれない。

「それはできぬ」

 だがダウニオスの提案は一顧だにされずに却下された。

「・・・どうしてですか?」

 ダウニオスの声は上ずっていた。拒否されるはずのない自分の建言が拒否された驚きと戸惑いだった。

「私は今の今までカトレウスとしてカヒの兵に死を命じていたのだ。彼らはその私が命乞いのような真似をすることを許してくれまい」

「全てはカヒを思ってしたことです。兵も許してくれるはずです」

「兵が許したとしても世間が許さんよ。グラウコスだと認めてもらえば、私は助かるかもしれない。だが兄上はどうだ・・・? 兄上は王に負けただけでなく、落ち延びる途中で刺客の手にかかり間抜けにも命を落としたと笑いものになってしまう。戦場での名誉ある戦死と戦場以外での暗殺で命を落とすのでは世間に与える印象がまるで違うからな。それにそれではまるで兄上ごときに王の手を煩わす必要すらなかった、だから命を無駄に落としたんだと言われかねない。それどころか王は、私を本物のカトレウスだということにし、カトレウスは卑屈にも自分は弟のグラウコスだと言い逃れて、命を永らえようとしたなどと嘲笑して私を処刑し、カヒをさらに(おとし)めるかもしれない。そうなれば兄上の名声は地に落ちる」

 だがそれはカトレウスの名誉なのである。グラウコスの名誉ではないはずだ。死んで花実が咲くものかと俗にも言うではないか。どんな未来が待っているかは人である身には分からない。屈辱であれ栄誉であれ、少しでも生き延びてこそ味わうことが可能なのだ。

 それにカヒが滅ばんとしている今、カトレウスの影武者としてのグラウコスの役目は終わったのである。これから別の生を生きても誰も責めたりはしないであろう。

「確かに兄上は王に負けた。所詮、ただの人である兄上が天与の人である王に逆らうことなど愚かなことだったのかもしれない。王はこの戦国乱世を終わらせる偉大な賢人で、兄上はそれに逆らった重罪人かもしれない。だけれども兄上が今まで戦国の世を戦い、幾多の戦に勝利し、幾多の敵を討ち滅ぼし生き延びてきたことは嘘じゃない。兄上が乱世に輝いた一等星、類稀(たぐいまれ)なる英雄であることは間違いがない事実のはずだ」

 これから死ぬと言うのにグラウコスには後悔することなど一片もなかった。むしろ充足感すら覚えていた。

「ならば兄上は最後まで英雄として死んで行くべきだ。最期まで王と戦い死んで行くべきだ。それでこそ兄上の名前が輝こうというものではないか。それにそれは兄上の為だけではない。兄上の半身として生きてきた私の栄誉のためでもあり、兄上の為に死んでいった多くの兵のためである。英雄の為に死んでいったのならば兵たちも多少は救われると言うものであろうが」

 ダウニオスはグラウコスを将器として評価していなかった。それどころか人間としても評価は微妙だった。カトレウスの操り人形、その程度の評価だった。だからこそグラウコスを助けてやろう、助けてやらなければと上から目線で忠告したのだ。

 だが返ってきた言葉はダウニオスの想像をはるかに越えた域に達した言葉だった。

 ダウニオスは降伏を良しとしないであろうグラウコスを説得し、カトレウスの遺言から解放して生き延びさせてやろう、それがカヒの忠臣としての自分の役目だなどと考えていた己の愚かさを大いに恥じた。

 グラウコスは既に現世でのしがらみを超越し、その向こうにあるものを見据えていた。未だカヒの四天王の一人として少しでも名誉のある生き方を模索して足掻(あが)いているダウニオスとは偉い違いだった。

 カトレウスの影武者だった男が、グラウコスという名を捨て去り、カトレウスとひとつになって歴史に記憶されようとしているのである。現世での生を絶ち、永遠の生を得ようとしていたのだ。

 どんなことがあっても生きる。(みにく)くても足掻(あが)いても人を蹴落としてでも生きる。それは人という生物としての本能であり、間違ったことでは決して無い。人は群れをなして生きる生き物、一個体がいなくなればその所属する群れに何らかの迷惑がかかるのだから。

 だがグラウコスが選んだ道。死して名を残す、それもまた群れに所属している他の者の為になる行為である。

 カトレウスの名が輝けば輝くほど、カヒの名誉もまた高くなる。

 カヒの者はそこに属していた自分を誇りに思い、それまで費やした時間を無駄ではなかったと肯定することができる。これからの新しい生を生きていくのに。それはきっと支えになってくれるはずなのだ。

 グラウコスはカトレウスの影として一生を生きた男だった。歴史書はきっと彼のために割く頁を持たない。

 だが光であった兄が死んだこの危急存亡のこの時になって初めて、彼は兄の影であることを脱却し、その持てる真価を発揮したのである。

 ダウニオスにはその存在があまりにも眩しく輝いて見えた。往時のカトレウスよりも(まばゆ)かった。

「御意」

 長い逡巡の後、ダウニオスはそう言って深く深く(こうべ)を垂れる。

「ダウニオス、戦場から一人で帰ってきたのか?」

「いえ、供は五人ございます」

「ということは屋内に残った愚か者と併せると四十名程度か。しばし正門を守って塞げばそれなりの戦にはなろうな」

 最後の戦になるであろう戦いが王師の一方的な虐殺であっては困るのである。カヒにも後世に伝えられるような活躍が欲しいところだった。それでこそ戦国の覇王カトレウスの死に際であり、河東きっての名族、カヒ家の滅び際なのである。

「御意。国府台の館はそれなりの構えをもった館でございますれば、少ない人数でもすぐには飲み込まれますまい」

 グラウコスはダウニオスの言葉ににやりと笑った。

「すぐに落ちたとあっては武門の恥、しばし狂い戦って、王師に坂東武者の力を思い知らせてやろうではないか」


 ダウニオスに長い休息は取るだけの余裕は与えられなかった。

 西方に王師の旗が見られたとの報告を受け、正門上の櫓に登って西の空を眺めると、既にその旗は幾十幾百と数を数え切れぬほどだった。

 慌ててダウニオスは兵を正門へ集めると同時に門を閉め、勝手口、台所口にも兵を配置する。

 王師は館をぐるりと幾重にも包囲し、蟻も逃がさぬ態勢を整えてから攻めかかった。

 圧倒的な数の差もカヒは名族の意地を見せるかのようにその攻撃を跳ね除け、しばらく持ちこたえてみせた。

 最初に突破されたのは勝手口だった。

 次々と仲間が切り殺される中、中間が最後まで一人獅子奮迅の働きをみせ王師を館内に入れなかったが、最後は槍を捌ききれずに腹部を三本の槍で貫かれ絶命する。

「もはやこれまで」

 敵兵が充満する庭内を見てグラウコスがそう言うと、小者が夜に備えて用意してあった灯りを手にし、館のあちらこちらに火を付けて回る。

 グラウコスは正殿の表へと出ると自ら率先して敵兵に槍を突き入れる。

 彼の左右には兵が立ち、必死にその場を支えて敵を寄せ付けまいとする。だが所詮多勢に無勢、次々と倒れていくしかない。


 ダウニオスは群がる敵に対しても一歩も退くことなく、()ね付き、荒れ狂う。その首を狙って近づく勇士も誰一人匹敵せず、逆に首を献上する有様だった。

 被害が大きくなるばかりの現状に業を煮やした旅長が一旦兵を下げ、空間を作り矢を射掛ける。矢を受けて次々とカヒの兵も傷を追う。もはや十八人しかダウニオスの手元には残っていなかった。

 ダウニオスは刀を振るい、しきりに矢を払うが払いきれない。まるで(みの)のように矢が体中に刺さった。動きが鈍くなるのを見た王師は再び一斉にダウニオスに押し寄せその首を狙う。

 近づく王師を切り捨て、突き伏せ、押し返す。ダウニオスは再び荒れ狂った。

 だが一人の王師が突き出した槍が遂にダウニオスの胴体を貫通した。ダウニオスの口から大量の鮮血がほとばしる。

「やった・・・!」

 喜びに打ち震えるその王師の兵の目の前で信じられない光景が現出された。ダウニオスは腹に刺さった槍の柄を左手で握ると、なんとこともあろうに自らの手でさらに奥へと深く突き刺したのだ。

 ダウニオスを刺した王師の若い兵は目の前で起こったあまりの出来事にその槍を握った手を離すことすら思いつかなかった。

 槍を深々と貫通させることによって敵兵に近づいたダウニオスは、その敵兵の驚愕に満ちた顔に右手で握った刀を振り下ろし二つに叩き割って切り捨てる。と同時に、崩れるように片ひざを地面に付く。もうそれ以上の力はダウニオスには残っていなかったのだ。

「御館様ーーーーッ! お先に!」

 最期に大音声でそう叫ぶと、前のめりにどうと地面に倒れこんで動かなくなった。

 王師の兵が争うようにその死体に群がった。


 カヒは数人に打ち減らされるまで死力を尽くし戦った。炎上する館を背にして、高欄(こうらん)に取り付き縁に登ろうとする王師の兵を懸命に追い散らす。

 次々と倒れる家人を見て、グラウコスは諦めたように天を見上げ嘆息する。

「もはや存分に戦いつくした。これにて思い残すこともなし」

 と、言って、生き残った周囲の者が懸命に支える間に、グラウコスはゆっくりと火炎に燃え盛る館内へと足を踏み入れる。

 大将首を狙って慌てて追おうとした王師の兵の頭上に焼け落ちてきた(はり)が崩れ落ち、その行く手を(はば)んだ。

 王師の兵が手をつかねて見守る中、グラウコスの姿は黒煙と火炎に飲み込まれて消えていった。

 それと同時に燃えた柱が屋根の重さに耐えかねたように折れ、館全体が崩落した。

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