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紅旭の虹  作者: 宗篤
第七章 一統の章
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決戦エピダウロス(Ⅴ)

 カヒの兵は次々と裂けた亀裂へと吸い込まれるような動きで王師側の戦列を突破し、包囲された状態から脱出する。

 マイナロスは亀裂の傍で傭兵隊相手に奮戦していたが、逃げようとする他の兵から後ろを押され、脱出を許すまいとする王師側の兵に前から押され、次第に思うように身動きが取れなくなる。

「まずいな・・・」

 マイナロスは苛立ちで顔を曇らせた。

 敵の方が優勢だとか、味方が崩れ始めているとか言う現況を(かんが)みてとかではなく戦う以前の問題として、このままでは圧死しかねない。この場を一時退いて態勢を整えようとする。

 しつこく喰らい付いてくる傭兵隊を後続の兵に任せ混戦の中を抜け出ると、裏切り者の河東諸侯にありったけの兵をもって怒りの感情そのままにたたきつけた。

 名だたるカヒの二十四翼、それも四天王の五色備えの攻撃だ。正面からでもマイナロスの攻撃を防ぐことは出来なかったであろう。

 それほどの苛烈な攻撃を背後から見舞われた河東諸侯は、堪え切れずに右側から順次崩れ落ちた。

 これによりカヒの兵に加えられていた攻撃の手が幾分緩み、手空きになった兵は嬉々として次々と脱出する。

 マイナロスと黄備の兵は憤懣(ふんまん)をぶちまけるかのように、崩れ去り逃げようとする兵にさらなる追撃をかけて、河東諸侯の陣を突き崩しにかかる。

 二方向からカヒの兵の攻撃を受けることになった諸侯たちは小手先の対応に追われるばかりで、目の前の戦況を著しく改善する手段を取ること、いや思いつくことすらできなかった。

 彼らはカヒの下につくことで、しばし忘却の彼方へ追いやっていた、何故カヒが彼ら諸侯の上に立って河東の主になれたのかと言う理由をその身をもって思い知らされるはめになった。

 いや、思い出すことが出来たものはまだ幸せであった。思い出す時間すら与えられずに戦場にて倒れた者も多かったであろう。

 脱出口が広がったことで、これでいつでも脱出できると心に余裕が出来た他の隊もマイナロスの動きに合わせるように兵を返し、再び王師を押し返そうとする。

 だが少し調子に乗りすぎた、というのは頽勢を(くつがえ)(すべ)を探して奮闘を続けていた彼らには酷な言い方かもしれないが、結果論からあえてそう言おう。

 諸侯の兵を蹴散らし、傭兵隊を推し戻し、王師に再び襲い掛からんとしたその彼らに新手の王師が横槍を入れてきたのである。

 やはり彼らは調子に乗りすぎたのだ。脱出したことを良として、素早く撤兵すればその後の悲劇は少しは抑えられたのだが。

 先頭を駆けてきた来たのはベルビオやヒュベルといった一騎当千を誇る王師の猛者たちである。

 陣形を組まずにただ一騎駆けにて敵に(おど)り出る。確かに一騎駆けは戦の華だが、それはよほどの実力があるから行えること。カヒの兵相手にすることではない。手柄を求めていきり立つとは愚かなことよ、とぐらい思ったかもしれない。

 もちろんマイナロスの黄備にも、いやカヒの二十四翼の兵ともなれば、その名を聞いただけで敵を震え上がらせる歴戦の強者も大勢いる。

 止め矢のゼノン、怪力無双のイオラオス、六人裂きのモプソス、手取のイドモン、霞剣(かすみつるぎ)のヴァテア、容赦無手マルキア、破骨のフォカス、六方槍のカンダクジノス、血篭手のモノマホス、千足千鳥のブルボ。

 いずれもカトレウスに付き従い数多(あまた)の戦場を駆け、いくつもの兜首(かぶとくび)を狩って、その異名に恥じぬだけの人外の活躍を見せた剛の者たちである。

 だが開戦より既に三刻、人外と称されていてもやはり人である。既に気力で足を持ち上げ剣を振るっている状態だった。

 一般の王師の兵(といっても傭兵や諸侯の兵に比べたら遥かに熟練した戦士なのだが)相手なら、彼らとしてもまだなんとか受けきって見せたであろう。

 だが相手にするのはヒュベルやベルビオといった彼らを上回る規格外の戦士である。僅かな手足の動きの誤りですら致命的な結果をもたらす。

 彼らが通った後は、血の旋風が舞い上がり、死体で地面が舗装される。

 まるで鍋に入れる材料の下拵(したごしら)えでもするかのように得物で叩きつけ、ざっくばらんに敵を切り捨てる。

 彼らの前には人はいなかった。ただ大風に吹き飛ばされる砂塵と同じ運命があるに過ぎなかった。

 カヒの兵はその驚異的な活躍に大いに恐怖を覚えるが、それでもその場に踏みとどまり、慌てて戦列を組んで超人たちに立ち向かう。

 同時に槍を突き出されれば、さすがのベルビオといえどもその突進力を弱めざるをえない。

「いいか、敵は王師で強いが、我らも坂東にその名を響かせるカヒの強兵だ。決して弱くは無い! 怯むな戦え! 俺を信じろ! お前らは俺の部下なのだから、俺の言葉だけを信じて戦いさえすればいいんだ!」

 百人隊長は声を枯らして絶叫する。その声に励まされるかのように兵は前へ進み出る。

 それでも超人的な働きを直に目にすると恐怖で自然と兵の足は後退する。だが己が百人隊長への信頼と敬意とで戦陣は歪みながらも辛うじて崩壊を免れる。

 だがこの歪みが後々まで大きく響いてくることになる。


 それまで個人的な武勇で奮闘していたベルビオらも、今までの驚異的な働きがまったくの嘘のように苦戦を強いられる。

 訓練を受けた兵の組織的な動きの前では個人的な武勇だけではできることには限界があるのだ。

 それでも複数同時に敵の相手をし、倒れるどころか傷一つ負わずに凌いでいるだけでも相対している兵からしてみると恐怖の対象であるのだが。

 それでも一旦恐慌状態を脱すると、カヒの兵はさすが坂東の強兵とばかりに立て直して、二方面の敵に対しても一部の隙も無く対処する。

 だが対応できるということと、先ほどまでのように敵を押し込むことは違う。あくまで受動的に受けて立っているだけだ。ましてやあしらうことなど出来るわけもない。

 しかも先ほどまで王師を押し込んでいたため、カヒの諸隊は人に例えるなら腰の伸びきったような不安定な陣形で戦場に立っているようなものだった。

 これ以上の負荷は耐え切れないのは誰の目にも明らかだった。

 そしてそのこれ以上が目の前に迫っていることも誰の目にも明らかだった。何故ならこの猛者どもは、手強いながらも単なる先行部隊だ。その後方には続々と土煙を立ててその何倍、いや何千倍もの王師の援兵が迫ってきた。

 その様子はカトレウスにも見て取れた。

 兵力がいる。新手を防ぐにはどうしたって今のままでは防ぎ切れない。

 だがその兵力はどこをどう探しても見つからなかった。カトレウスはベルビオやヒュベルら王師の超人たちの個人技に崩れそうになった部隊を援護するために手持ちの赤備の兵をすでにほとんど注ぎ込んでいた。

 正確にはあるのだ。王師を割るためにステロベ隊に攻撃をかけていた傭兵隊とカヒ側に付いた諸侯の兵が。彼らが相手をしていたステロベ隊は兵力が無くて防戦一方だった。余力もあるし兵力もあまっている。だがその部隊は所詮錬度の低い混成軍だ。要請しても上手く動いてくれない。むしろ悪戯に戦場を混乱させるのが落ちだ。

 それに味方の背後を迂回しての長大な機動になる。おそらく間に合わない。

 ならば今の位置で戦線を支えさせて、命令に従って動くだけの能力があるカヒの二十四翼の兵を動かして全ての部隊に有機的な繋がりを作ることで軍を立て直すべきだ。

 カトレウスは必死に伝令を送って諸隊を建て直し、戦列を再形成することに一縷(いちる)の望みを託す。

 王師の包囲策を打ち破り、上州とエピダウロスとに分離していた二隊を合流させたことでカトレウスは欲が出てきていた。

 ここまで上手くいったのだ。犠牲を少なくするためにも秩序だって撤退しようという欲だ。

 敵戦列を突破し、その後味方の脱出を援護し、さらには新手の敵の攻撃で混乱したままのカヒの諸隊を整え、もう一度エピダウロスの南北を貫いて戦列を形成し、万全の守備陣形を敷いて王師を迎え撃つ。

 勝てる見込みは無い。だが負けない方策ならば無いわけではない。

 開戦から既に三刻、落日まではまだ時間があるが、それでもカヒが陣形を整えたらを目にしたら、

 王師とて一度布陣しなければならない。五万の兵とはいえ、今のように戦列も陣形もなしに敵にぶつけるだけでは敵兵の格好の的でしかない。

 五万の兵を布陣するには少なくとも一刻は必要だ。もちろん一旦距離を置いて布陣することになるから、こちらが隙を見せさえしなければ今日は手を出さないということも考えられる。

 もちろん甘い見通しであることは否めない事実だったが、カトレウスにしてみればそれにすがるしかないのが現実だった。

 だが、そうなればカトレウスは夜の闇に紛れて撤兵する。もちろん王師はそれを警戒するだろうが、ここはカヒにとっては庭も同然、王の目をくらますことなど造作も無いこと。きっと逃げ延びてみせる。


 自信を持って軍の建て直しを計るカトレウスだったが、思ったように兵は動いてはくれなかった。

 王師側の河東諸侯や傭兵隊はマイナロスなどの活躍で追い散らすことに成功したものの、リュケネ、プロイティデス、エレクトライの王師三師は粘性のある攻撃で、カヒの兵にしぶとく喰らい付く。

眼前の敵と刃を交えているのだ。自由な進退など可能になるわけがない。

「どこにこんな体力を隠してやがったんだ」

 彼らカヒの兵も疲れている。だが彼らより少ない数で防ぎ続けなければならなかったこの王師三師の方が彼らよりも何倍も疲れているはずなのだ。

 もちろん王師の兵はくたびれきっている。だがカヒと違って王師は逃げるための余力を残す必要が無かった。

 リュケネもプロイティデスもエレクトライも兵を鼓舞して最後の力を振り絞って戦わせていた。

「小うるさいハエどもめ!」

 幾度振り切ろうとしても、影のように付いて離れない敵に苛立ち、思わず騎馬突撃で片をつけたくなるマイナロスだったが、騎馬突撃で眼前の敵を追い散らしても再び戦線が前へ移動するだけで、ここまで戦いながら退いた距離が無駄になるだけ、それこそが敵の狙いかも知れぬと自重する。

 カヒの兵はどんな劣勢でも前へ前へとどこまでも突き進む力においてはアメイジア(いち)といえるが、それゆえに守勢に回ることが少ない。戦いながら退くと言う地味で根気の要る仕事は不得手だった。それゆえ、敵の援軍が辿り着くより前に戦列を整えて迎え撃つというカトレウスの目論見より早く、有斗率いる王師の本隊に到着されてしまった。


 河東諸侯のあげた嬌声で王師は友軍の、カヒは敵の、援軍が到着したことを察した。

 カヒの兵の顔には絶望が浮かんでいた。顔を上げれば向こう側に一面の敵。絶望が軍という姿となって目の前に現れたのだ、立ちすくむしかなかった。

 敵兵に辿り着いた有斗率いる王師本隊だが、敵は今も友軍と戦闘を続けている。だから王師は弓矢を使うことが出来ない。であるから接触は逃れる動きの出来ない接近戦から始まった。

 王師の兵は敵との距離が近づいたにもかかわらずに、一旦立ち止まって、崩れていた戦列を建て直し、荒れた息を整える余裕すらあった。

 そして一斉に槍を突き入れると、カヒはそれまで耐えに耐えてきた最後の意志の一本が千切れたのであろう、それまでの戦いぶりが嘘のように崩れ去った。

 勝敗は決した。


「むぅ」

 崩れ行くカトレウスは唸った。今なら分かる。敵を突破した段階で見得も誇りも全て投げ捨てて後ろを向いて逃走するべきだったのだ。

 包囲網を突破するのに時間こそかかったが、思ったより兵力を損耗しなかったという良い材料がカトレウスに欲をかかせた。あそこが勝負の分かれ目だった。

 目の前で自身の帝国が崩壊する様を見て立ち尽くすカトレウスに、いつの間に来たのであろうかマイナロスが側に立ち、袖を掴んで退却するよう懇願した。

「もはや支えきれなくなるのは時間の問題だとお考えください! 退路が兵で溢れる前にいち早くお逃げを!」

「お主はどうするのだ?」

「殿をいたしたくございます」

「そうか・・・」

 犠牲を減らすために殿は必要だ。マイナロスなら器量に不足は無い。きっと上手くやって見せるだろう。

 だが万を越える兵相手の殿は尋常の業ではない。

 ・・・おそらく命は助からない。カトレウスにしてみれば長嘆息するしかなかった。

 だがイスティエアとは違い、カトレウスは撤退するのに躊躇する様子を見せなかった。

 ここは地元だ。カヒの兵は郷土愛に支えられ、この地を渡すまいとカトレウスがいる限り奮戦するだろう。カトレウスがぐずぐずすればするほど、それだけ犠牲が多くなる。ならば兵のためにも自分のためにもここは後ろを向いて逃走すべき時なのだ。

 だが全てを投げ出すわけでは無い。

 まだ七郷に敵兵の足を入れさせたわけではない。

「すまぬ。俺のために・・・いや、カヒの為にお前の命をくれ。そなたの家族のことは俺の家族同然に面倒を見る。きっと粗略にはしない」

 若干湿り気が感じられたカトレウスの声に、マイナロスはからりとした笑い声で応える。

「ありがたき幸せ。これが今生の御暇乞(おいとまご)いとなりましょう。あの世でも共に(くら)を並べて天下を目指してみたいものですな」

 それはまるでこれから遊びに行く子供のような、からりとした風情だった。

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