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紅旭の虹  作者: 宗篤
第七章 一統の章
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決戦エピダウロス(Ⅱ)

 ステロベ率いる王師の別働隊がカトレウスの接近に備えて、エピダウロスに兵を戻して再布陣したのは、実は昨日の夕方に行われた。

 偵騎の報告から翌日にはカトレウスがエピダウロスに到着すると逆算した将軍たちは早めの夕食を取って、夕日の光を頼りに素早く移動し、敵がいつ現れてもいいように朝早く起床して待ち受けていたのだ。

 もちろん王師としては何日も前から堀を掘って柵を作り、陣を整えて万全の態勢で迎え撃ちたかったのではあるが、そんなことをして、せっかく罠に()まってエピダウロスに来てくれたカトレウスが警戒し、寸前になって反転でもされたら台無しになると思ったのだ。また上州内で追いつ追われつの鬼ごっこになってしまう。

 それでは身も蓋もないと思い自重したのである。カトレウスが王の内情を知らないように、王師も今だカトレウスの内情を把握していない。

 有斗としてもカトレウスを策通りに動かしていると言う自信もあるが、同時にあるいはカトレウスはそれをも把握して、何らかの策をもってして有斗を逆に引き摺り回しているのではないかという不安もあったのだ。

 双方疑心暗鬼の中、兵を動かしているのである。慎重になろうともいうものだった。

 だが双方の兵が一舎の距離にまで近づいてからなら、例えカトレウスがそれから反転しても、今度は有斗がそれを食い止め、エピダウロスの兵を動かしてカトレウスの後背を襲うという攻防反転させた策が使える。万事問題無い。

 もちろんカトレウスともあろう男がそれに気付かぬわけがない。

 ならば一歩でも七郷に近い場所、勝利する可能性が高い方法、つまりエピダウロスで待ち構えている軍の突破を目指すのは自明の理。王に味方したと見せかけているだけの河東諸侯は中立を保つだろうし、カトレウス優勢ともなれば裏切る可能性も高い。

 勝利の可能性、いや負けない可能性の一番高い方法を選ぶとすれば、カトレウスには上州に入ったことを有斗に知られ、脇街道を塞がれてしまって以降はエピダウロスに向かうしか選択肢は無かったのである。


 もちろん王師の面々とて負ける戦をするつもりは無かった。

 カヒの騎馬軍団の突撃力には韮山でもイスティエアでも嫌と言うほど酷い目に合わされた。それを正面から受けきるのは並み大抵のことではできない。

 起伏地に合わせて兵を互い違いに配置し、八段にも分けた戦列でもって待ち構える。

 実のところその布陣の発案者はリュケネだ。リュケネから概要も聞いたし、兵を使って事前に少し訓練もしたが、プロイティデスはリュケネ考案のその戦列でどれだけの時間、敵を防ぐことが出来るかまったく見当もつかなかった。

 とはいえリュケネに文句を言うわけにはいかない。

 リュケネは敵が一番集中するであろう、この平原北部を東西に貫く道路を塞ぐ最右翼の役目を自ら買って出ている。担当する戦線の長さも前面を担当する三将の中で一番長い。

 リュケネも己が命をこの戦法に懸けている。やるしかないのだ。

 と、鼓が敵陣に鳴り響くと敵はこちらに合わせるように横に陣形を広げていく。

 合わせるようにして一層激しく鼓が鳴り響き、次の瞬間、今度は大きく喊声が上がり人馬が一斉にこちらに向けて駆け出してくる。

 敵に気遅れするまいとリュケネの陣からも鬨の声が上がり、次いでエレクトライの陣、最後にプロイティデスの陣へとそれは波打つように広がっていった。

「来るぞ! 気を緩めるな!」

 プロイティデスがそう叫んだ瞬間、プロイティデス隊は黒い人馬で作られた大きな波に飲み込まれた。


 石突(槍の穂先の反対側、地面に突き立てる部分を包んでいる金具のこと)を深く地面に埋めてしっかりと固定し、待ち受けていたが、カヒの騎馬兵は尋常の騎兵では無かった。

 馬は臆病な生き物だ。普通なら障害物を見れば本能的に避ける行動を取る。後の世の軍馬のように戦場のいかなる事体に対応できるように、常日頃から訓練されているわけではないのだ。

 速度を上げて前へ進んでもすんでのところで避けようと横にそれる。少なくとも王師の馬はそうだった。

 だがカヒの騎馬は違った。僅かな隙間をこじ開けるように速度を落とさず戦列に割り込み、空いている空間を見つけてはそこ目掛けて馬を飛び込ませる。

 中には飛び損ねたのか、あるいは故意か、そのまま王師の兵に圧し掛かるように馬を衝突させる者までいる。

 もちろん馬は高価な軍事物資だ。そこまで慣らすのにも膨大な月日がいる。本来ならばそんなことはしたくはない。

 だが彼らも後ろから王師の本隊がここ目指して迫っていることは知っている。突き破って向こう側に行かなければ、それはすなわち死に直結するのだ。彼らの敬愛する御館様の命令でもある。いたし方が無いところである。

 ともかくも最前列はまたたくまに細断された。続く二陣、三陣と一時(ひととき)なりともくい止めることもできずに押されて後退を続ける。

 王師が陣取ったのは柵も掘も無い場所だが、僅かながらも傾斜のある地、横一列に並んで真っ黒になって挑みかかったカヒの兵であったが、四列、五列と戦列にぶつかるたびに勢いは()がれ、足が止まる。勢いに任せて突撃したのだ。横の部隊どころか、すぐ側の戦友とすら連携もままならない。陣形を整えることなどできはしない。軍対軍、部隊対部隊ではなく兵対兵の戦いとなる。

 その瞬間をプロイティデスは待っていた。乱戦となれば馬上の優位さは無くなる。

「今だ! 敵の足が止まったぞ! 敵は陣形も乱れている、槍を突き入れよ!」

 その声と共にプロイティデスは本陣を固めていた予備戦力を惜しげもなく投入し、敵を押し戻そうとする。

 単騎駆け入った強者(つわもの)も後続が続かなければ敵中に孤立するだけだ。

 孤立した味方が次々と討ち取られるのを見たカヒの百人隊長は声を張り上げて一時(いっとき)退却を命じる。

 乱れた陣形を整え直して再度攻撃しようとしたわけだ。

 だがそれと呼吸を合わせるかのようにプロイティデスは全戦列を前に押し上げて、敵に大きな損害を与えようとする。

 敵の動きからその意図を悟ったカトレウスは、慌てて後退してくる部隊を援護するために次々と新たな部隊を投入する。再度攻守が反転し、今度押し返されるのはプロイティデスということになった。

 このままでは突出した兵が敵の獲物となるだけだ。プロイティデスは退き鉦を叩いて兵を呼び戻した。


 とりあえず王師は敵をこっぴどく叩き返すことには成功した。これは大きい。

 敵はこの突撃で大勢の死屍を積み上げることになった。もちろんこちらも相応の犠牲を出したが。

 こういうものは一番最初が肝心なのだ。流れと言うものがある。一旦頽勢(たいせい)(おちい)った兵は追われた恐怖があるうちはまず使い物にならないし、手強いと思えば警戒して攻撃するにも慎重になるだろう

 敵を追って陣外へ出て行った兵を収容し、もう一度隊列を整え、追ってきた敵を迎え撃つ。

 再び激闘がプロイティデスの眼前で繰り広げられる。

 だが敵には先ほどまでの勢いもなければ、兵数も無い。今度は先ほどと違い隊列を保ったまま敵と戦うことが出来ている。

 綻びそうな戦列を見つけるたびに救援の兵を送り支えることで、今度は容易に敵に突破を許さない。

「よし、これなら粘れる。なんとかなりそうだ」

 やはり最初を(しの)ぎきったことが大きかった。攻勢のカヒ、守勢の王師、本来ならどうしても守勢のほうが気後れしてしまう。

 例え敵をくい止める力があろうとも、勢いに押されて負けることは珍しいことではない。

 だが一回でも槍を合わせ、敵を撃退できたならば、それが敵を呑みこむ気迫となり、兵の自信となる。それでようやく陣は容易に崩されない堅陣となることが出来るのだ。

 だからもうしばらくなら耐えられるとプロイティデスはこれで確信を持った。

 もしこのままカトレウスが同じ方法で攻め込んでくれたらという条件付ではあるが。

 もちろんまだまだ王師が劣勢であることには変わりが無い。前後から挟まれているのだから。

 とはいえ心理的に余裕の出来たプロイティデスはようやく彼の左右に陣取る同僚たちの様子を(うかが)い知ろうと思い立った。


 右側ではリュケネが襲い来る敵を完全に翻弄(ほんろう)していた。

 隊列を意図的に分断させ、そこに飛び込んでくる敵を両横から攻撃しては犠牲を強いる。それを幾度も繰り返して敵の疲弊を誘っていた。

 もちろん敵もリュケネの陣形の乱れに合わせて攻撃を仕掛けるのだが、その攻撃は手応えもなく受け流され、戦列を突破したと思ったら、次の瞬間左右から兵がわらわらと集まってきて、周囲から一斉に攻撃されて多大な犠牲を払う。

 リュケネの陣は陣形としては完全に乱れ、戦列も寸断されているのに、カヒはいつまでたってもそれを打ち崩せず、その向こう側へ出ることは叶わなかった。

 一見すると崩壊寸前に見えるリュケネの陣だが、どうやらリュケネの中ではある一定の理でもってきちんとコントロールして動かしているらしい。


 対する左側のエレクトライもいまだ陣形を保ったまま敵と苦闘を続けていた。

 こちらはリュケネともプロイティデスとも異なった戦い方をしていた。

 プロイティデスと同じく八段もの戦列を組んで敵を迎え撃ったエレクトライだったが、敵の熾烈(しれつ)な突進力になすすべなく食いちぎられ、苦戦を強いられていた。

 もちろん戦列でもって押し戻そうと試みているのだが、プロイティデスと違って陣外へ敵を追い出すことは出来なかった。

 そこに次から次へと後援が注ぎ込まれ、もはや本陣前の最後の戦列までをも投入することで、辛うじて一進一退の状態になっているといった有様だった。

「・・・エレクトライが危ない!」

 カヒは好機と見て、さらに援軍を投入して勢いを増した。エレクトライの陣形全体がずるずると後ろに下がっていく。このままでは支えきれずに陣は四散する。

 だが破滅の危機は突然回避された。エレクトライの左横にいた傭兵隊から文字通りの横槍が入れられることでカヒの前進が止まったのだ。

 左方にいた傭兵隊と連動しながら、エレクトライ隊は敵兵を少し押し戻して、戦列を整えなおす。

 プロイティデスは安堵の息をひとつ漏らすと、ようやく再び眼前の敵へと目を向ける。


 その頃、今まで後方で無聊をかこっていたステロベ隊も敵の攻撃を受けていた。もはや先ほどまでの暇な時間が懐かしいほど、防戦に追われていた。

 彼が相手にするのはカヒについた河東諸侯一万、傭兵隊一万五千、カヒの二十四翼に比べると格段に質は劣る。

 とはいえ二万五千の兵を五千の兵でくい止めようと言うのだ。

 しかもただ戦うではなく、両翼から王師の背後に回り込ませてはいけないのだ。戦線は広く、気苦労の多い戦となった。

「左翼に取り付いた敵の勢いは弱い。直ぐに叩き返せる。それよりも右翼に近づいてくる諸侯に気をつけろよ。数は一千といったところだが、あの旗色は尋常じゃない。強敵だ、油断するな。それと両翼は敵が回り込まないように常に注意しろよ」

 次々と指示を出して兵を動かし、敵の突破を許さない。

 幸いなのは敵が諸侯と傭兵の混成軍であることだ。

 味方が攻めているから同調して攻めようだとか、味方が一旦兵を退くからこちらも退却しよう、といった程度の連携はあるが、一隊を陽動に使い、反対側に戦力を集中して突破を図るといった大きな意図をもって戦場を組み立てることはできない。

 ならば五千の兵でもじゅうぶん守りきってみせるさ。ステロベは兵を広く左右に伸ばして、敵を迎え撃った。

 兵たちはステロベの命に応え、敵の突撃を体を持って食い止め、敵に組み付いてでも先に行かせはしない。幾度もの敵の執拗な攻撃も兵たちの血によって塞ぎ食い止められる。

「いいか、どうやってでも敵をここから先に行かすんじゃないぞ! 苦しいだろうが何とか耐えてくれ! そうやって耐えていれば、陛下が必ず駆けつけてくださる!」

 五分なのか十分なのか、それが果たしてどのくらいの時間を稼ぎ出しているかは、死んで行く兵にも、死を命じているステロベにもまったく分からなかった。

 だがひとつ言えることは、兵が一人死ぬ代わりに王が率いる本隊が一歩近づき、同時にステロベ隊は少しだけ劣勢になる。

 ステロベ隊が崩壊するのが先か、有斗が戦場に辿り着くのが先か。それが勝負の分かれ目になる。


 最初の頃こそ王師は突撃を繰り返すカヒの動きを跳ね返し、幾度も陣の外に叩き返していたが、何度目かの突撃以降はそれは見られなくなった。もはや敵は陣形を保つのが精一杯であるとカトレウスの目には映る。

 カヒは全ての戦線で敵を押し込んでいた。兵力も兵の士気もカヒが上回っていると見た。

 敵は背後からも攻撃を受け、誰がどう見ても完全に劣勢である。

 だが最後の一手、致命の一手が打てない。どんな戦にもそれはある。今までカトレウスは幾度もそれを見出して勝利してきたのだ。だがこの戦ではその兆しすら見えなかった。

 何故、それが見つからないのか自分をもどかしく思う。

 いや、それが見つからないのはカトレウスだけではない。カトレウス自慢の猛将たちも優勢に戦を押し進めているという実感はあるものの、敵を打ち崩せると言う確信までは得られなかった。

 そして開戦からこの方、陣でひっそりと息を潜めて戦の成り行きを見守っている河東諸侯も同じである。カヒの合計五万近い兵に対して、王師は二万九千程度、全軍の三分の二程度しか戦っていないのである。それでこの有様だと言うのなら、王が戦場に到着すればどうなるというのであろう?

 もちろん今の状態が両軍拮抗である以上、新手の援軍が参加したほうが勝ちに近づくことは紛れも無い事実である。そしてその選択が今だ戦に参加していない河東諸侯に握られていることも分かっていた。

 だがその決断を自らするほど勇気のある諸侯もいなかった。自分がどちらかに味方すると決めても周囲の諸侯も自分に引き続いてそちら側に味方してくれるとは限らない。それを不可とされ、周囲の諸侯から一斉に攻撃されたらたまらない。

 それに周囲から攻撃されなくても、もしその見積もりが甘くて負けたほうに味方でもしたなら、その諸侯の運命は滅亡でしかない。もろもろのことを考えると、しんと静まりかえって戦の趨勢を見守るだけが彼らにできる唯一のことだった。

 カトレウスはいらいらと落ち着きないそぶりを見せると、床几(しょうぎ)を立ち上がってウロウロと歩き回る。

 そして解決の糸口を求めて一瞬だけ後方を見、次いで天を見上げた。

 陽は既に空高く上っており、時間が思ったよりも進んでいることを示していた。

 歴戦の将であるカトレウスが時間など気にできないほど激戦が繰り広げられていた証拠だった。

 早くも戦闘開始から一刻半(三時間)が過ぎ去っていることにカトレウスは驚いて目を見開いた。

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