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紅旭の虹  作者: 宗篤
第七章 一統の章
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決戦エピダウロス(Ⅰ)

 有斗がカトレウスを追って動き出したことは物見の兵よりカトレウスにすぐに伝えられた。

「敵は夜明け前に、こちらが動き出したのを知ったようです。朝の炊飯の煙が周囲も暗いのに立ち上がったのこと。通常より一刻は早かったようです。おそらくは我が方が敵に見張りをつけていたように、敵も同じくこちらに見張りを貼り付けていたのでしょうな。それでもあれだけの規模の軍を動かすには時間がかかります。実際に王師が動き出したのは(たつ)の刻頃のようですが」

 当然、カトレウスが兵を動かした時間よりも遅い。だが・・・

「思ったより早いな」

 カトレウスは渋面を作る。

 王は迎撃の為の陣を敷いていたはずだ。炊飯をし、飯を食うのはともかく、それを移動できる態勢にもっていくのには一刻や二刻ではなかなかに難しい。敵が動けるようになるのは昼前ではなく夕刻だと思っていた。

 荷物をまとめ、隊列を移動できるように整える。それだけのことではあるが、(あらかじ)め準備をしていなかったのならばこう手回し良く追撃にかかれない。

 王はこちらが戦わず退いた時のために、いつでも追撃できるよう準備していたということか・・・? 

 王はこちらの意図を全て読みきって行動しているのではないかという疑念が、再び鎌首をもたげるようにカトレウスの心に湧き上がる。

「さすがは腐っても王師というところですな。行動が素早い」

 年若い幕僚は王師の行動の素早さの原因をそう特定したようだ。たいしたことではあるまいと、この迅速な対応のことを気楽に考えているのだ。

「・・・そうだ。そうだな・・・」

 心なしか暗い口調のカトレウスに供回りの武者たちが興味深げな視線を投げかける。

 周囲の目線が自分に集まっていることに気付き、カトレウスは慌てて表層を取り繕い、努めて明るい声を出した。

「仮にもこの俺に敵するのだ。それぐらいでなくてはな。それでこそこちらも戦い甲斐があると言うものだ」

 カトレウスはさも愉快なことを聞いたとばかりに大笑し、自信ありげに振舞った。

 それに王がこちらの意図を読んでいたとしても構わないではないか。

 こちらより出発は半日も遅い。向こうは王師とはいえ歩兵主体、こちらは騎兵主体だ。行軍速度が違う。いざとなればこちらは歩兵を切り離して逃げればいい。それなら追いつくことなど無い。それにもはや策は定まり、動き出したのだ。今更、兵を返して追撃してくる王師五万と戦うことなど馬鹿げたことだ。

 確かに堅陣に篭った敵を打ち破るよりは楽になったといえるが、それでも二万五千の兵で五万の王師を打ち破る確率と、このまま敵兵から逃げ切る確率を考えると後者のほうが総じて高い。ならば後者を選択するべきだ。

 それに敵がこの先にいかなる策を用意していたとしても、それを打ち破ればいいだけのことでもある。それだけの知恵はこのカトレウス何十年もの戦場暮らしで十分得ている、とカトレウスは己を誇る。

 少し気落ちしていた、自分らしくなかったとカトレウスは自省すると同時に自らを鼓舞する。

 敵を振り切るためにも、兵糧を切らさぬためにも、敵に妙手奇手を打たれぬためにも、とにかく急ぐことだ。


 カトレウスは通常一日一舎(約十五キロメートル)と言われる行軍速度を一舎半近くまで上げて西へと歩を進める。

 だが王師は歩調を合わせるように行軍して、引き離すことが出来ない。

 そこが不気味で気になるところではあるが、同時に安心できる材料ともなる。

 すなわち敵の策が何であれ、その策にはカトレウスの後ろを付いてくる軍が必要と言うことである。

 もし必要ないのであれば、連日、強行軍をしてまで付いてくる必要は無いのだから。

 だが、既に王の目論見は狂っているのだ。

 王師はこちらの速度に合わせるために一日のうちのほとんどを移動に費やしている。

 連日の強行軍で足腰がくたびれきった兵などいざと言うとき使い物になるとでも思っているのだろうか、と思うとカトレウスの口から笑いも漏れる。

 その考えが浮かぶたびに、幾度ならずとも兵を反転して王師と戦いたいという誘惑に駆られるが、辛うじて転進を命ずる言葉を口の中に飲み込む。

 反転したと知れば敵は急ぎ布陣して迎え撃つだろう。半日あれば堅陣を組んで空堀や仮柵くらいは作れそうである。それをカトレウスが破れるかどうかは天のみぞ知る、賽の目次第といったところであろう。

 それにこちらが息を整えている間、陣形を構築している間に攻め込んでこないとも限らない。

 そうなったら数が少ない分、こちらが圧倒的に不利な状況に陥るだろう。

 かといって今度は陣を離して布陣すると敵から攻撃を受けないかもしれないが、こちらも攻撃することはなかなかできない。再びそこで睨み合いが始まれば敵の思う壺だ。こちらは食料が少ないし、敵にはオーギューガという始末の悪い援軍がいるのだ。

 やはり上州で時間を消費する可能性がある方策だけは選ばないほうが良い。カトレウスはそう思い、ひたすら軍を進めた。

 カトレウスは臆病と取られかねないほどに慎重な男だったのだ。


 三日後、いよいよカトレウスの待ち望んでいたエピダウロスの入り口が見えてくる。

 後ろを気にしながらも、カトレウスは山脈を左手に見ながら南西へと足を早める。

「やはりな・・・」

 ぐるりとエピダウロスの野を見回して、カトレウスは溜息をついた。

 エピダウロスの出口一帯で王師は上州に槍を向けて兵を幾重にも折り敷いて防御陣形を取っていた。

 これを見れば敵の考えはカトレウスでなくとも理解できる。そう、ここでカトレウスの足を掴んで後方の王師とで挟撃する気なのだ。

 西から河東諸侯、傭兵隊とが混じり混じりに布陣し右翼には王師の旗が四旗翻っていた。

 敵ながら悪くない考え方だ。いや、実に良い。

 カトレウスが考えていることは二つに分けた軍を一つにすること。目の前の敵を撃破することではない。

 とするとエピダウロスの東端へと向かうために最短距離となる王師右翼を撃破して突破するのが常道だ。

 ならばそこに最精鋭を配置して守備することになるのは当然のことだった。

 それに河東諸侯の中のかなりの数が実はカヒに通じている。だがそれはどちらかと言うと積極的にカヒに味方しているというよりは、双方を両天秤に掛けているだけの諸侯が多いであろう。王師と共に積極的に攻撃しようとしない代わりに、カヒに通じて裏切ったりもしない。どちらが勝者になるか分からない以上、勝者が見えてくるまでは、どちらからも恨みを買うような真似はしたくないと考えているだろう。

 だがもちろん攻められたら話は別だ。攻め込まれたら自衛のために戦わざるを得ない。

 だからカトレウスとしては目の前の五万近い敵軍の中で戦わなければならない敵は実際は王師二万一千、傭兵隊八千といったところだ。見かけほどの兵力差があるわけではない。

 もちろん河東諸侯の中にも王師に積極的に味方につくものもいるだろうが、同時に傭兵隊の中でも戦に消極的なやつらだっていることだ。

 敵の実数は三万、こちらは二万五千、しかもエピダウロスには諸侯一万、傭兵一万五千の味方がいる。兵数で上回ることができるのだ。

 だが同時にこういうことも言える、様子見を決め込んでいる河東諸侯には槍を一切向けることが出来ない。つまりそこを突破することは出来ない。

 戦場はこの広いエピダウロスの野の中でも極めて限定された空間で行われることになるだろう。

「しかしエピダウロスにいた我が方の兵は何をしていたのだ。王師が布陣し終わるまで、ただ指をくわえて待っていたとでも言うのか」

 カトレウスはそう文句を垂れる。もし敵がエピダウロスに戻ることを阻止していれば、あるいは陣を敷くことを阻止できていれば、カトレウスは戦うことなく撤兵に成功していたのだ。

 だが彼らにだって言い分はある。敵は彼らの二倍なのである。しかも諸侯と傭兵の寄り合い所帯、上手く連携して動くことなど出来るはずもない。

 それでも彼らは彼らなりに頑張った。小規模の部隊で奇襲をかけるなど、それなりに妨害工作はしていたのだ。もっともあまり効果は見られなかったが。


「鼓を鳴らせ、戦闘準備をしろ」

 カトレウスがそう命じると、エピダウロスの東端に布陣している諸侯と傭兵隊にも聞こえるように力強く鼓を叩き。重低音が響き渡った。

 これでエピダウロスの東端にいる友軍にもカトレウスの到着と、敵軍との対峙は知られたはずだ。すぐに行動を起こしてくれるに違いない。

 山を降り、エピダウロスを駆け参じて、カトレウスの目の前に展開する王師の背後を襲うことだろう。

 とはいえ今すぐそれが可能であると言うわけではない。

 山を降りなければならないから全軍がエピダウロスに展開するのに一刻から二刻はかかることになる。

 せめて敵に合わせるようにこちらも平野部に布陣してくれていたら、もっと楽な戦にできたのだがな、とカトレウスは愚痴をこぼさんばかりに嘆いた。

 だが過ぎたことを悔やんでも仕方が無い。

 例え平野に布陣していなくても圧倒的に優位なのはカヒ側なのである。

 それに背後を襲われる恐怖で王師は気が気じゃないはずだ。不安のある兵は突き崩しやすい。案外友軍が来る前に片が付いていることも考えられる。

 カトレウスが手を振って合図を送ると、鼓が全軍前進を表す音に変わると、兵は矢頃までじりじりと近づきだす。


 有斗がエピダウロスに残した王師は第一、第四、第六、第九軍の四軍二万一千である。

 将軍の名を上げてみるとプロイティデス、リュケネ、ステロベ、エレクトライ。これを聞くだけで有斗の意思は明らかだった。

 ヒュベル、ベルビオ、ザラルセン、アクトールといった攻勢に強みを発揮する将軍ではなく、守勢において強みを発揮する将軍が多い。防衛を行うことを考えていなければ残せない将軍たちだ。

 当初からエピダウロスの野で挟撃することが目的だったのだ。

「俺たちの役目は陛下が駆けつけてくるまで一兵たりともここから逃がさないことだ」

 そのリュケネの言葉に兵たちは少し顔を見合わせて戸惑いを見せる。

 無理も無い。陛下はいつ来るか分からないが、敵の援軍はここから見える位置に存在するのだから。

「背後は気にするな。ステロベ卿が命がけで守ってくださる。お前たちはお前たちで前方の敵のことだけ考えていればよいのだ」

 そう言ってはみたものの、リュケネは自分の言葉をまったく信じていなかった。

 ステロベは関西王師にその人ありと言われた名将だが、五千の兵で二万五千の敵兵をどこまで支えきることができるかといえば、正直未知数と言うしかない。

 だがもはや信じることしか己に出来ることはない。こちらとしても王師三軍でカヒの二十四翼を支えきらなくてはならないのだ。こちらも相当な難事であることは言うまでもない。人の心配などしている場合ではないのだ。兵を回したくても余剰兵力などどこにも無いのだ。

「さぁ来るぞ」

 リュケネは背後をもう一度だけちらっと見る。山から降りてくる兵が巻き上げる土煙で(かす)かに煙っていた。

 一刻から一刻半だろうな、そうリュケネは見積もった。一刻あればこちらも戦は序盤戦から中盤戦へと差し掛かることだろう。酷い戦いになりそうだな、とリュケネは思う。

 未だ士気の衰えぬ敵との戦いの最中に、後ろから突如新手の敵が襲い掛かる。どんな惨状が待っていることやら。

 だが、それの対策を考えることすらザラルセンに託すしかない。

 リュケネの眼前にも前方のカヒ兵が津波のように波打って近づきつつあったのだから。

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