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紅旭の虹  作者: 宗篤
第二章 昇竜の章
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ティトヴォ攻防戦(Ⅳ)

 ブラシオスが東方にアエティウスの軍を発見した頃、東の城壁攻略を担当する王師諸隊も、背後から兵が向かってくることに、遅まきながらも気がついた。

「退き(がね)を鳴らせ! 兵を呼び戻すんだ!」

 だが城壁に取り付き、堀を越えようと奮戦する兵たちにその鉦の音は届かない。

 だけれども、もし届いたとしても事態は変わらなかったであろう。

 前線で敵兵と今まさに刃を交えている兵が、後ろを見せてそう簡単に退却できるわけもない。ましてや敵は高所に陣取って弓で射て来るのである。

 間の悪いことに、我攻めの命令と壁内に入りこんだリュケネ隊への対抗心から、ほとんどの兵をその時点で攻撃につぎ込んでしまっており、後方に残った兵はそう多くは無かった。

 そのわずかばかりの兵でようやく迎撃の陣を敷いたブラシオスだったが、兵の多寡(たか)はいかんともしがたく、アエティウス指揮下の騎馬隊と触れた瞬間、蒸発したかのように蹴散らされた。

 その瞬間、王師の敗北は決まったといってよかった。

 もはや組織だって彼等に向かってくる兵は東面にはいなかった。

 先頭はベルビオ。巨体に似合わぬ器用さで、大きな(げき)をくるくると回転させては次々に敵兵を(ほふ)る。アエティウスも馬上から巧みに剣を切り下ろし道を切り開く。その右後ろを赤い鎧を来、青龍(げき)を右手に抱え小柄な武将が付き従う。アエネアスだ。

 前を向けば後ろから攻撃され、後ろを向けば前から矢が飛んでくるというこの状況に、さしもの王師といえど士気が崩壊する。

 とにかく矢の届かないところに、敵がいないところへと隊伍を組むこともなく逃げ出し始めた。

 そのころになって北、西、南にそれぞれ陣を構える王師の武将たちもやっと、どうやら自分たちが罠にはまってしまったことを悟る。

 そこにブラシオスからは『直ちに攻城を已め、城外の敵兵と抗戦せよ』という指令がようやく届く。

「こんな至近距離に近づいてから兵を引いて迎撃の陣を敷けなどとは無茶を言う」

 リュケネは自身の判断で早い段階で街攻略を(あきら)め、いちはやく迎撃の陣を敷き終わっていた。

 東西南北に分散している兵力を急いで東に終結させ、堂々の野戦でことを決す。それならばまだ戦の帰趨(きすう)はわからない。

 南部諸候軍の半分は壁の中で防御陣形を敷いているのである。防衛ならばともかく城外に兵を出しての攻撃には自分たちで作った柵や空堀が邪魔をして時間がかかる。

 彼等がまごついている間に、東の別働隊を(ほふ)ることが出来れば、戦の流れは再び我々のもとに帰ってくるのだ。


 だがそれは当然、他の武将もそれを同時に行っていることが前提であった。

 しかし他の武将は未だ城内の敵と城外の敵、どちらと戦うべきかまごついていた。

 もしまごつくことなく速やかになんらかの行動を起こしていれば、先手を取られたとはいえ、王師側はそのリュケネの策以外でも、まだまだ巻き返すチャンスは沢山あったはずだ。

 だがそれはもう無理な段階にさしかかっていた。

 いまだ兵を完全に自陣に引き戻すことに成功している将軍はリュケネの他にいなかったのである。

 それどころか敵の騎馬隊がまだ街の東面で戦っているこの時にも、すでに南面の他の味方の兵はポロポロと刃がこぼれるように逃げ出していた。

 もうそういう応急処置でこの退勢を挽回(ばんかい)することなど奇跡が起きぬ限りありえなかった。

 だが勝利は望めなくても、まだ全てが終ったわけではない。

 幸いにも西の森には前もって伏兵している兵がいる。とにかく全力であそこまで全軍を退却させて、伏兵が敵を急襲している間に体勢を整え反撃に移る。

 これだ、負けない方法はこれしかない。

 リュケネは本陣に駆け込み、ブラシオスにその策を告げた。

 だが返って来たのは罵声だった。

「いまだ城壁から離れられぬ兵がおり、東では敵の攻撃に今も必死に耐え抜いている兵がいるのにここで退けというか!?」

「このままでは自滅します! 明確に退却させる意志を全軍に示し、被害を少なくすることこそ今必要なことなのです!」

 ブラシオスはリュケネを手で突き飛ばし、天幕から追い出した。

「臆病者は去れ! お前を旅長から解任する!」

 リュケネは呆然と天幕の外で立ちすくんでいた。この現状でまだブラシオスがこの場で戦うということは自殺行為に等しい。

 死にたいのなら勝手に死ねばいい。何も一万の兵を共に冥府に連れて行くことは無いだろうに。

 旅団の百人隊長たちがリュケネの周りに集まってくる。

「我々は旅長についていきます! ご命令ください!」

「むざむざ敵の罠にはまったブラシオス将軍の言うことなど無視すべきです」

「ここは撤退して捲土重来(けんどちょうらい)をはかるべきかと!」

 リュケネはこれでも自分についてきてくれる百人隊長たちに(こうべ)を垂れた。

「すまない。もうこの退勢を防ぐ手当てはもう私には考え付かない。退くだけで精一杯だろう。しかも味方はもはや将軍の指揮を離れて、算を乱して逃走に移っている。我々と歩調を合わせて退却を支えてくれる味方も期待できない。だが私は一兵でも多くの兵を逃がすために、また我々も一兵でも多く退却できるよう整然と退きたい。これは骨の折れる戦になるだろう。それでも俺に着いて来てくれるか?」

 男たちは皆、無言で頷いた。


 街の東側の王師を完膚なきまでに叩き潰すことに成功したアエティウス率いる別働隊は、次に北側と南側の王師を攻撃するべく、ダルタロス家の兵を南側に、その他の兵を北側の攻略にと分かれさせた。

 東面で味方がいいように翻弄(ほんろう)されるのを見た北面と南面の王師たちは戦闘が始まる前にすでに壊走を始めていた。

 この時点で街の中に布陣していた南部諸候軍も次々と壁を越えて、王師の追撃に移っていた。


 南部諸侯の一人、エレクトライはその北面を誰よりも速く駆け抜けた。

「敵に立ち直る(いとま)を与えるな! 休まずに敵を追い続けよ!」

 南部に王が逃げて落ちて来、次いでダルタロスが立ったと聞いて、エレクトライは義挙に参加したものの、正直なところ不安だけが強かった。

 王を助けるのが義と言うもの、そう思って北伐軍に参加したエレクトライだったが勝てるという確信はなかった。

 中核となるダルタロスの兵は強兵を(うた)われるが、実際にその武威を発揮していた時代は遥か彼方。アエティウスの父親が当主だった頃なのだ。

 ・・・しかも王は頑張って威厳があるように見えるように取り繕ってる様子がエレクトライにも分かるほどの・・・普通の少年。

 何より王師は強い。南部諸侯の兵と違って精鋭の専業軍人だ。

 互角に戦うことはできるのだろうか? そういう不安だった。


 だが今、目の前を敗走するこの王師はどうだ?

 槍を突き入れただけで背中を見せて敗走するその無様な姿には、彼が恐れていた王師の姿はなかった。

 エレクトライは高揚し配下の騎兵を巧みに操ると、城内から追撃に移る兵に呼吸を合わせて三方向から攻め立てた。

 三方向から攻められ、王師は次々と倒れていき、遂に陣形を保つことが出来なくなった。王師は旗を捨て、槍を捨て、刀を捨てて我先に逃げ出した。

 もうそこには『軍隊』と呼べるものは南部諸候軍の他にはいなかった。

 もはや南部諸候軍の勝利は疑いようが無いものに思われた。


 だが南面は少し様子が違った。

 ダルタロスの騎馬隊は南に回ったとたん、組織だった抵抗を受け、足を止める。

「ほう。このような戦況になってもまだ陣形を崩さずに戦い続けるとは、たいしたやつが敵にもいるものだ」

 さすがは王師だ。そう()めるべきであろう。

 既に王師全軍が崩壊しているのである。戦の趨勢(すうせい)も見えた。王師の兵は命だけは助かろうと皆一目散に逃げている。

 だがその中で岩のように屹立(きつりつ)し、陣形を維持したまま戦いつつ、ゆっくりと西へと移動していた部隊がある。

 リュケネの旅団だ。それが千五百を数えるダルタロスの騎兵隊の津波のような突撃を食い止めたのである。

 将と兵との間によほど強い信頼関係があるのだろう。

 そうでなければ、このような困難な局面にあのような芸当が可能であるはずがなかった。


「殺すには惜しいな。ほどほどに相手をしてやれ」

 アエティウスはその部隊の相手をプロイティデスに任せると、馬首を(ひるがえ)して王師の本陣向けて襲い掛かった。

 王師の本陣にはいまだ将軍の居場所をあらわす馬印が高々と掲げられていたが、もはやもぬけの殻であろう、とアエティウスは思った。

 だが本陣に一番最初に突入した武勲は武勲だ。

 それに馬印が倒れれば、いまだ抵抗する王師の士気を(くじ)くことにもなる。無駄なことではない。

 だが本陣に残る雑兵を蹴散らし、天幕を破って本陣に突入したアエティウスの目に、床几(しょうぎ)に座った、威厳ある白髪交じりの武将が映っていた。


「まさか・・・武部尚書殿か?」

「いかにも!」

 さすがは武部尚書にまで上り詰めた男、かくなることになっても誇りを捨てて逃げ出すことはしていなかったか。

 見上げた性根と褒めるべきである。兵を見捨てて逃げないというのは立派なことだ。

 だが一人の人間として立派なことでも、兵を預かる将軍としては最低の行動だ。

 将は兵を指揮するためにいるのだ。将が討ち取られれば軍に命令を出すものがいなくなり、混乱し組織だって戦えなくなる。犠牲になる兵士も増えるのである。

 危ないと思えばすぐに逃げ、安全な場所を確保してから再び指揮を取るべきなのだ。

 アエティウスならそうしたことだろう。

 そこが武部畑を歩いてきたとはいえ、所詮は文官でしかないブラシオスの限界であったのかもしれない。


「降参なされよ。命だけはお助けする」

 ここでブラシオスを降伏させれば、王師一軍が丸々手に入ることになる。

 王が助命に反対すれば面倒なことにはなるが、そこはなんとか説得してみせるさ、アエティウスは楽観的にそう考えた。

 だがその言葉にブラシオスは剣を(さや)から抜き、アエティウスに向かって無言で剣を構える。

「意地でも降参せぬか」

 しかたがない、とアエティウスは馬から降り剣を構え近づいた。

 先に切りかかるブラシオスの剣をかわすと剣を一閃する。

 悲鳴すら立てる(いとま)を与えず、ブラシオスの首が、ゴトリと地面に転がった

「武部尚書!!!」

 まだ本陣に残っていた幕僚たちの口から悲鳴が()れる。

「おのれ! 将軍の仇!!」

 アエティウスに切りかかる一人の兵。だが何かに(つまづ)いたかのように地面に転んだ。

 アエネアスが青龍(げき)を巧みに使い足を引っ掛けたのだ。

 そのまま(げき)を両手で器用に一回転し、回転力を使って月牙(げつが)を叩きつけ、スイカのようにその兵の頭を兜ごと叩き割った。

「ありがとう。アエネアス」

 そう言ったアエティウスにアエネアスは上気した顔で馬上から微笑む。


 ブラシオスを討ち取ったという知らせは(またた)く間に王師全体に伝わり、その瞬間、まだ辛うじて陣の形を保っていた南面と西面に残っていた王師も我先に逃走を始めた。

 だが、それでもリュケネの旅団だけは、一兵の落伍者(らくごしゃ)も出さずに部隊を後退させながら退くという、神業を披露し続けていた。

 逃げ出そうとする兵がいなかったのは、一兵卒は自らの百人隊長を信じ、百人隊長たちはリュケネを信じていたからである。

 だが北側から回り込んできた騎兵と、街から追撃に移った弓兵、そしてダルタロス勢に囲まれて、もはや進むも退くも出来ない苦境に陥っていた。

 アリアボネはその様を見て唸るように感心した。

「たいしたものです。王師といえどもあれほどの将軍はそうはいません」

 有斗もその働きぶりに感心して、アリアボネに何気なく言う。

「やっぱりそうなの? ダルタロスの兵でも陣を破れないから、驚いていたんだ。彼等を味方にできないかな?」

 有斗がそう言ったのは、ゲームやラノベだと優秀な将軍は大体戦った後、味方になるものだという単純な理由からだったが。

 勝ち戦が見えてきたということもあったが、この頃には有斗も、なんでラノベだと無能な将軍は味方にならないんだろうな・・・永遠の謎などと、くだらない考えを思いつくくらいには落ち着きを取り戻していた。

「陛下がそうおっしゃるのなら」

 にこりとアリアボネは微笑んだ。

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