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紅旭の虹  作者: 宗篤
第七章 一統の章
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かつて彼が僕にしてくれたように

 河東南西部の攻略を担当する主力部隊が進発したのはステロベたちがファルサロに向けて出発した翌日、三月二十一日のことである。

 有斗と行動を共にしたのは羽林一千、王師第一軍、第二軍、第三軍、第四軍、第八軍、第十軍と関西諸侯一万一千の計四万五千である。

 比較的小粒な河東南西部の諸侯を攻略するには過ぎた大兵である。それだけこの遠征において有斗が後背の安全の確保に大変神経を使っていたことを(うかが)わせる。

 とはいえ後背の補給路の安全無くしては十万に及ぶ大軍とて立ち枯れしてしまうのだ。この遠征に国力の過半を注ぎ込んでいて、この機会に全ての決着をつけたい有斗としては、慎重にならざるを得ないところではあるが。

 だが大兵力を引きつれてきただけのかいはあった。

 進路上に立ち塞がる形の諸侯からは続々と靴でも舐めんばかりの書状が次々と舞い込んで来る。といっても攻め込まれないための口先だけの降伏ではあろうが。

 とはいえ『信をもって乱世を統一する』と公言している有斗としては、それを信じないで大兵力でもって攻め滅ぼし後顧の憂いを断つという、しごくまっとうな手段を使用するわけには行かないのである。

 ということは、ここは彼らの心を本当にこちら側に引き付けるような大きな戦果が欲しいところだ。

 ならば極めて打ってつけの存在がある。カトレウスが滅ぼしたツァヴタットの地には、ツァヴタット公としてカトレウスの次男テュエストスが封じられていた。

 まだ公となって間もない。地元の民とも諸侯とも馴染んでいなく、公と言っても名ばかりである。

 これを討つことを有斗は宣言する。当然のことではあるが、王に従う気配を見せてはおらず、これを討ったところで、いかなるところからも後ろ指を差される心配は皆無だった。

 しかもカトレウスの次男は早世した英名を持って知られた長男や、文才を知られる三男、カトレウスお気に入りで智謀有りと言われる五男と違い、極めて平凡であることで知られている。

 父と違い、恐るべき将器ではないというのが一般的な意見だ。

 これを攻めるのは得るもの多くして失うもの少なし、と誰もが見た。反対する意見はなかった。

 とにもかくにも周辺諸侯はツァヴタット伯に縁を持つ者が多い。もしツァヴタット伯にウェスタを復位(有斗から見ると、テュエストス自体が僭称者であるので正当なる伯に反乱者から領土を取り戻したにすぎないが)させることを見せれば、有斗に好意を抱くに違いない。領土を取り上げて自分の子に与えた、カトレウスとの差異もはっきりと彼らの心に印象付けることができるであろう。

 それ以外の諸侯も周囲が王に付いた以上、あえて王に敵対してまで王の大軍の前に立ちはだかるという手段を取るほどの借りはカヒに対してはないであろう。

 それになによりもそうするべきだと有斗が思うのだ。なぜならそこはウェスタの戻るべき場所であるのだから。

 そう、かつて有斗も戻るべき場所に戻してもらった記憶があるからだ。

 アエティウスや南部諸侯が有斗を王都に戻すように尽力してくれたように、彼女を奪われた彼女のいるべき場所に戻す。それは誰にとっても分かりやすい正義だ。

 だから諸侯を味方につけるという乱世を終焉するための権謀のためだけでなく、河東の民にも正義を示すことにもなることだろう。


 南下してすでに二日、近辺の伯には不穏な動きもなく遠征は順調だ。

 他と違って明日通る地域の諸侯は有斗の使者を矢を持って追い返したりこそしないものの、明確に味方につくとか、戦のお供にと人質代わりの息子や弟を差し出したりする気配が見られない。

 明日は一戦交えることになるかもしれないが、王師の精鋭六軍をもってしたらそれほど恐れることもないだろうと楽観的だった。

 有斗の頭には河東一の山城と名高い、ツァヴタットの虎臥城を如何に攻略するかといったことにしか目下の関心はない。

 この日も予定の行程を終え、宿営地の建設に取り掛かる。

 有斗は王なので専用の大きな天幕を宿営地の真ん中に設置してもらえる。というよりは有斗の天幕を中心にして宿営地が築かれるのではあるが。

 その周囲は羽林の天幕で囲まれ、咄嗟(とっさ)の事態にも万全の守備を敷いている。

 とはいえそれでは将士の一体感が出せないとの意見もあり、この様な防衛上の都合であることは仕方がないと諦めるが、有斗は他のところでは気を配っている。

 例えば、食事。食事は常に一兵卒と同じ食事を取る。時には兵士たちに混じって食事の配給の列に並んだりもする。

 時間がないときはさすがに持ってきてもらうが、それでも兵士たちと同じ食事を兵士たちの見ている前で食べるのだ。

 これはかつて、名将と呼ばれていた将軍がやって兵士の心を掴んだという話を、ありし日のアリアボネから聞いて、実行に移したことだ。

 兵士たちに親近感を沸かせ、不満を持たせないためには実に有効な手段だとのことだ。

 実際、王師の兵の有斗に対する好感度はとても高い。イスティエアまではどちらかというと戦術手腕について未知数、というよりは無知と見られていた有斗にも関わらず、たびたび頽勢に陥っても容易には屈せずに抵抗できたのは兵士たちの有斗への、自分たちが支えてやらなければいけないという想いがあったせいである。

 とはいえ、兵士たちから見られながら食べるというのは、動物園のパンダにでもなった気分であまりいい気はしないものではある。

 ともかくもその日も食事が終わり、有斗待望の睡眠時間が訪れる時が来た。

 広い天幕の中は有斗だけの空間、心休まる一時である。

「だけどあれだな・・・睡眠が何よりもの楽しみって、王様っていうよりは奴隷の生活だな・・・」

 ちゃんとした食事が出るのと、鞭打たれないのだけは王様のほうが断然いいけど、それくらいだよなぁ、と有斗は一人ため息を吐く。

「では食事よりも睡眠よりも楽しいことをいたしましょうか?」

 どこか誘うような、からかうような、それでいて心から楽しそうな女の声が突然響いた。

 有斗は一人っきりの時間を満喫していたところだったので、突然横から声をかけられ狼狽する。

「え!? だ、だれ!? どこにいるの!?」

 慌てて首を左右に振って人影を探すがどこにも人らしい姿は見えない。

 天幕は広いといっても、地図や書簡を置く文机、剣が立てかけられた武器置き、書簡を書く為の机と椅子、後は寝台しかない。

 と、寝台の下からむくりと人影が立ち上がった。

「・・・・・・!!」

 有斗が目を丸くするのを見て、その影は悪戯っぽく微笑んだ。

「びっくりしました?」

「なんだ・・・! ウェスタか・・・」

 誰か潜んでいるか分からないから恐怖を覚えた。だってそれが刺客とも限らないのだから。だが正体が分かれば何ということはない。

 有斗はそこに見知ったウェスタの顔を見つけて、ようやく強張った顔を緩ます。

 今回の遠征、特に河東南西部の攻略ではウェスタの知識と人脈が役に立つだろうと同行させたのだ。

 だがもちろん、彼女とは違う天幕で過ごしている。

 しかし・・・王宮の時のことといい、今回といい、この娘の趣味は人の部屋に忍び込むことか何かか?

「どうしたの?」

 有斗がウェスタにそう聞くと、ウェスタは言葉の代わりに、ずいっと前に出て近づくことでその返答とする。同時にその胸にぶら下がっている大きなものも揺れながら近づいてくる。

「陛下も長の戦陣にお疲れでしょう。ですがこんな(ひな)では陛下を満足させる豪奢も余興もありませぬ。せめて楽しいことでもして気をお晴らしになられてはいかがでしょうか?」

「楽しいことって・・・な、何を?」

 この前のウェスタが引き起こした騒動を考えると、答えは一応分かってはいるが聞いてみる。

ちょっとだけああいった展開を思わず期待してしまうぞ!

「分かっているくせに♪」

 再び悪戯っぽく、まるで小悪魔のようにウェスタは笑った。

「男の方は命の飢餓を味わうと、子孫を残そうとするための行動を欲するとか。その慰みになればとこうしてこっそり陛下の寝所に忍び込んできた次第です。それにこういったこと、陛下もお嫌いではないでしょう?」

「そりゃあ好きか嫌いかで言ったら、決して嫌いじゃないけど・・・」

 だめだ! 何を言ってるんだ僕は!? 好きとか嫌いとか言っている場合じゃない。

「確かに陛下の周りには尚侍(ないしのかみ)を始め美人が揃っておりますが、この私とておさおさ劣るとは思えません。わたしは陛下にとっては手を触れるほどの価値もないほどの不器量でしょうか? それとも以前罠に嵌めようとしたことに今ではお怒りですか?」

 そう話す間にも少しずつ近づきながら衣服を一枚一枚脱いでいく。

「き、綺麗だと思うし、怒ってもいないよ!」

 おかしい。先ほどまではこういった展開を待ち望んでいたはずなのに、いざ実際、目の前でその光景が繰り広げられると何かが歯止めをかけようとする・・・! 何故だ!?

「良かった」

 だがそんな有斗の苦悩も知らず、ウェスタはほっとした顔で有斗の胸にその顔を埋めると、手を有斗の背中に回して逃がさないように抱きついた。

 頭の中では戦場でこういったことはしてはいけない。将士に示しが付かないという考えはあるものの、服越しでも伝わるその柔らかな感触に有斗の体からは抵抗する力が失せた。

 このまま押し切られる、と思った瞬間、天幕の入り口がめくり上げられて人影が入ってくる。

「おい! いいかげんにしろ!」

「アエネアス!」

 有斗はほっと一安心する。これでなんとかなるだろう。

 アエネアスは何故かこの手のことが大嫌いなようで、常に有斗の邪魔をする存在だ。

 宮中でもアリスディアやセルウィリアあたりといい雰囲気になりそうになると突然現れ、嵐のように場を引っ掻き回して去っていく。それがアエネアスという女だ。

 いつもは火災の炎のように近づきたくない思いで一杯の赤い髪も、今だけはこの苦境から救い出してくれる聖火に見えるから不思議だった。

「また、お前はアリスディアが目の届かないことをいいことに、女を引きずりこんでいやらしいことを・・・! 成敗してくれる!」

 アエネアスは有斗に近づくと耳たぶを(つね)った。

「いたいいたい! 怒るべきなのは僕じゃなくて彼女だよ!」

 有斗の言い訳に何を白々しいことを、と一瞬アエネアスはさらに不快になったが、女の有斗を抱きしめて話さない腕、有斗は服を着たままなのに女のほうは半分脱ぎ捨てていることや、女の顔を見てウェスタであると確認したことやらで、どうやら有斗の言が正しいということを認識したようだ。

「・・・どうやらそうらしいな」

 ようやく矛先をウェスタのほうに向けてくれる気になったようだ。

「何故、入ってきたのですか?」

 だがウェスタも一歩も引く気はなかった。有斗に抱きついたまま、目をぎろりと向けてアエネアスに対抗する。

「何故って・・・天幕の中でこんな騒ぎが起きて入ってこないほうがおかしいだろう!」

「聞き耳を立てていたのですか、嫌らしい人ですね」

 ウェスタはまるでアエネアスのほうが悪いかのように吐き捨てた。アエネアスは真っ赤になって反論する。

「聞こえるんだよ! 天幕は外を隔てるものは布一枚で、私の天幕はこの横なんだから!」

「てことはこの騒動、羽林の兵にも聞こえてるのか・・・」

 王としての威厳やなんやらは消えうせてしまっただろうな・・・と有斗は泣きたくなった。

 その有斗にさらに追い討ちをかけるかのようにアエネアスは言った。

「羽林どころか、その外の兵舎でも聞こえているぞ!」

 ああ・・・明日からどんな顔をして兵士たちと会えばよいというのだろうか・・・

 とにかくこの場を収拾することだ、とアエネアスは脱ぎ捨てられたウェスタの衣服を拾い集めると、それをウェスタに渡して有斗から引き剥がした。

「いいからお前は出ろ! 説教はそれからだ!」

「ちぇっ」

 不満げにアエネアスに向かって口を尖らせる。と、有斗ににっこりと微笑みかけ、

「陛下、今日も邪魔が入りましたけど、いつか必ず、陛下の厚恩に報いて見せます。待っていてくださいね」と、言った。

「いいから行くぞ!」

 アエネアスが利き手でウェスタの襟を掴んで、有斗の天幕からウェスタを出そうとする。

 両手で衣服を抱え込んでいる格好になってウェスタは引きずられたため、大きく手を動かせない。辛うじて動く手首の先だけを動かして有斗に小さく手を振ることで別れの挨拶とする。

 有斗もつられて手を小さく振った。

「お前も相手をしないっ!!」

 機嫌の悪いとき特有のアエネアスの怒号が有斗を襲った。

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