狂想曲(Ⅴ)
河北、そして関西の反逆者を討ち、治安回復の役割を課せられた王師たちが順次その役目を終えて、王都に帰還し始めていた。河東に攻め入ってからしばらく、ほぼ休みなしで働き詰めだった兵士たちにとって久々の休息と言うことになる。
イスティエアでカヒの大軍を打ち破り、地方での反乱を見事収めたことで彼らの顔は明るい。
数々の武勲に恩賞も貰えるだろうし、家族の元に帰れる、しかもこれでしばらくは出兵はないであろうと思えば顔も綻ぼうというものだった。
「ベルビオの兄貴、折り入って話しがあるんですが、いいですかね?」
ベルビオは帰ってくるなり、鞍を愛馬から外すよりも先に声をかけられた。
振り返るとダルタロス出身のよく見知った顔だった。とはいえ彼は王師の兵ではなく、羽林の兵、アエネアス直属の兵である。
「ぶはははは、どうした? 恋の悩みか何かか? いいだろう昔のよしみだ。金のこと以外なら快く相談に乗ろうでは無いか!」
ベルビオは豪放磊落に笑った。
「いや、お嬢のことです」
「ん? お嬢がどうかしたのか?」
ベルビオはアエネアスの名前が出るや、それまでの半ばふざけた顔を引っ込め、急に真剣な表情に変わった。
ベルビオら、ダルタロス家出身の王師や羽林の兵にとって主君は有斗では無い。もちろん、馴染みの無い新ダルタロス公でも無い。心情的には未だに主君はアエティウスであるのだ。
その主君が最期まで支え続けていたから、有斗に手助けしているというのが本音ですらあった。
それと同様に彼らが大事に思っているのはアエネアスのことだ。
ダルタロス家という大家の家長であるアエティウスが、一向に妻を娶ろうとしなかったのは、アエネアスが好きだからだという暗黙の了解が彼らのうちにあった。
状況さえ許せばきっといつか二人は一緒になるとさえ思っていた。
例え、そうでないにしても、アエティウスがアエネアスをとても大事にしていたことには間違いが無い。
彼らの目には全てのことに超然としているように見えたアエティウスだったが、ことアエネアスに関することとなると人が違うかのような振る舞いをすることもあった。
だからこそ彼らもアエネアスに対しては自分の娘、あるいは妹に対するかのような強い保護者意識をもっていたのだ。
その大事な『彼らのお嬢』に関することだと言われては黙って放っておくことなどできるはずもない。
「正確にはお嬢のことというか、陛下のことというか・・・」
「なんだ、はっきりしろ! 南部の男だろ! すぱっと俺にもわかりやすく言え!」
何事も真っ直ぐ、直球勝負が信条のベルビオだ。ぼかした言い回しが気に入らないらしくイライラし始めた。
殴られでもしたらたまらない。ベルビオが軽く叩いたと思っても、軽く負傷は覚悟しなければならないレベルなのだ。言ってみると熊に殴られるようなものなのである。そうなっては堪ったもんじゃないと慌ててその羽林は本題を切り出した。
「陛下に縁談が持ち上がっているとかで・・・今や王都中その話題で持ちきりなんです」
聞いたとたん、ベルビオの顔がぱっと明るくなる。
「そうか! 遂に二人とも決心なされたか! なかなかくっつかないから心配だったんだ! 式はいつだ? やはり水無月あたりか? 式は王都かな、できれば南部で挙げて欲しいものだが・・・」
当事者でも無いのに式の日取りまで考える暢気なベルビオに羽林の兵は勘違いを正そうと試みた。
「いえ! それが、相手はお嬢じゃないんですよ!」
「なん・・・だと・・・?」
ベルビオは大きく絶句した。
「なんか厄介なことに巻き込まれてる気がする・・・」
アエネアスには出て行きざまに、必ずお前のいやらしい野望を打ち砕いてくれるわ! などと言われるし。
しかし何なんだよアエネアスってば。なんだか分からないけど異常に張り切っていやがる。そんなに僕が幸せになるイベントが嫌いだとでも言うのか! それともセルウィリアの為に?
普段の会話を考えると、そんなにセルウィリアのことを考えているようには思えないんだけどな、と有斗は疑念を抱いた。とはいえ他に理由も思い当たらず首を捻るばかりではある。
「陛下、もし不満があるのならばそうおっしゃるべきです。このままでは周囲に押し切られてしまいますよ。もちろん陛下がそれをお望みであるならば、遠慮なさることはありません。この尚侍も全力を持って陛下のご希望に沿うように鋭意努力するつもりでいますけれども」
アリスディアは有斗の頼まれたらなかなか嫌といえない性格を危惧して、遠まわしにこの婚姻を望むのか望まないのかを訊ねてみた。
これは有斗にとっても国家にとっても重大事だ。しかも相手が相手だ。一回結婚してしまったら、気に入らないから簡単に分かれるというわけにはいかない。慎重に考えるべき事項だ。
「う~ん・・・美人だとは思うし、最近は国事のことも一緒に考えてくれるし・・・悪く無い子だとは思う。よくよく考えればあんな美人、僕が王でなかったら会いさえもできない人だ。僕にとっては高嶺の花みたいなもののような気がする。だけど・・・」
「けど?」
「だけど、結婚したいほど好きか、と聞かれたらいいえと答えるしかない。そこまで好きってわけじゃない。もちろん嫌いではないよ。ただ・・・そんな中途半端な気持ちのまま結婚するのは相手に不誠実じゃないかって・・・そう思うんだ」
それに何かが前に足を踏み出すことを邪魔している、と有斗は感じていた。
それが何であるかは有斗にもまだその時は分からなかったけれども。
ベルビオは同じように王師としてしばらく王都を離れていた幾人かのダルタロス出身の兵に声をかけて、アエネアスのいるであろう士官たちのたまり場である王宮の広場横にある一室へ向かう。
アエネアスはいつものように南東の日当たりのよい角を占拠して既にベルビオたちを待ち受けていた。
「お嬢、聞いたんですけど、あの関西のクソ女が陛下と結婚するかもしれないって噂は本当ですかい?」
河東、河北、関西と長期間出征したベルビオの苦労を労ってやろうとアエネアスが声をかけるより早く、ベルビオがいきなりそう切り出した。
「なんだよ。久しぶりに会った第一声がそれかよ」
「これは大事なことなんです。本当ですかい?」
「そうかなぁ・・・大変なことではあるが、大事なこととは思えないけどな・・・まぁ、もちろん断固阻止するつもりだ」
アエネアスが反対の意思を表すと、ベルビオは大きく安堵の笑みを浮かべる。
「よかった」
一緒に来た王師の兵たちも同じ気持ちであるのか皆一斉に頷いている。
「お嬢がその気概でしたら俺らも心強いってもんです」
「・・・・・・? なんでお前らが心強く思う必要があるんだ?」
アエネアスはどうにも噛みあわない会話にちょっと頬を膨らます。
「そりゃあ相手があの関西の王女だとお嬢だって分が悪いや。こちらが南部きっての大豪族のダルタロス家の出であると言っても、あっちはサキノーフ様に連なる王家の血を引いてますからね」
「それに器量じゃあ、あっちの方が随分上だ。もちろんお嬢だって大したものですが、ちょっと物が違う。相手が悪い。アリアボネさんなら話は違ったかもしれませんがね」
「はぁ!?」
なんでここでアリアボネの話が出る? だけど目の前の兵たちはそれが当然であるかのようにしきりに頷いて同意を表していた。
その彼らの行動に、アエネアスは自分が何か重大なことを聞き逃してしまったのかと疑心暗鬼にさえなった。
「だがこっちは南部からずっと一緒にいるんだ。陛下とはもはや家族みたいなものだ。それにアエティウス様のことを考えたら、陛下とてお嬢を選ぶに決まっている」
「まてまて、いったいお前らは何の話をしているんだ? さっぱりわからないぞ」
とりあえず落ち着け、とアエネアスは両手を前に突き出して認識の共有を計ろうとする。
「ですから、陛下とあの関西のクソ女とが結婚することを中止させようっていうんでしょ?」
「うん・・・まぁ、そうだ。ぶっちゃけると、そうとも言える」
「じゃあ俺たちに任せてください!」とベルビオは胸を二度三度と叩いた。
「そうか、お前らも手伝ってくれるか!」
「そりゃあ、お嬢の為とありゃあ、俺たちも一肌脱ぐしかねぇ」
「・・・別に私の為ってわけじゃないんだけどな」
どちらかというとあの関西の王女のためといえるだろう。
「まぁ何はさておき陛下の元に陳情に向かいましょうや。ここは正攻法でぶつかってみるべきです。なぁに陛下と俺らの仲です。腹を割って話し合えばきっと分かってくれますぜ」
「は?」
あのスケベな有斗のことだ。結婚すれば美貌の王女を好き放題いろんなことができることを考えると、この好機を逃すはずが無い。それを白紙にしろって言ったって馬耳東風、まったくの無駄じゃないか。素直に攻めるなら王女の方を説得することだと、アエネアスは少し怪訝に思う。
そんなアエネアスにベルビオは是が非でも有斗と交渉すべきだと訴える。
「だってお嬢の最終目的地は陛下と結婚することでしょ?」
ことここに至って、ようやくアエネアスは自身とベルビオたちの間に大きな認識のずれがあることに気が付いた。どうやらベルビオたちは有斗と関西の王女との縁談をぶち壊し、アエネアスと有斗とをくっつけようとしているのだ。
「違うッッ!!!」
アエネアスがベルビオらの思い違いを机の上をダンッ、と大きく叩いて否定する。机の上のバスケットに入れられたワインのガラス瓶がぶつかってガチャリと大きく音を立てた。
だけど彼らはそれを合図にしたかのように立ち上がる。
「ちょっと待て! まだ話の途中だぞ?」
だがアエネアスのその狼狽を照れからくるものだと勘違いした彼らは聞く耳を持たずに、有斗の執務室めがけて歩き出した。
「おい、待て! おまえらは勘違いしているぞ!」
呼び止めようとするアエネアスの声が虚しく、部屋に響いた。