表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅旭の虹  作者: 宗篤
第六章 帷幄の章
217/417

狂想曲(Ⅳ)

 翌日午後、昨日からの廷臣の上奏ラッシュもようやく一息つくことができ、有斗は大きく伸びをした。

 吐き出す息と共に、つい愚痴が出る。

「本当になんなんだろう・・・?」

 上奏に時間を取られると、書類を整理する時間が減ってしまう。有斗の下には毎日毎日決済を必要とする重要書類が運ばれてくるのである。

 中には一刻を争う案件もある。となると睡眠を削るしかなくなってしまうので、時間の浪費は避けたい事態であるのだが、上奏を退けるわけにもいかない。

 それは前に一回やって、酷い目に()っているのだから。

 つまり愚痴を洩らす以外、有斗にはできることが無いということだ。

 そんな有斗とは正反対に、アエネアスは今日もまた勝手にアリスディアが用意したお菓子を、許しを請うことも無く、次から次へと食べている。実に気楽なものだ。

「何がだ?」

 有斗に訊ねるその様も、まさに気楽ついでにいった風情で、目線すら合わせずに言っていた。興味無さそうなことがありありと分かる。

「昨日から僕に会いに来る朝臣が、しきりに僕に自宅に来てくれないかっていうんだ。いったいなんで皆、急に僕を宴に招きたいんだろう?」

「はぁ・・・」

 生返事を返したのはアリスディアだ。

 官吏たちの心の奥深くにある真意を昨日のセルウィリアのことでアリスディアはとうに存じていたが、それを有斗に話すべきかどうか迷った結果、まだ言い出しかねていた。どんな騒ぎになるか想像もつかないから考えたくも無いというのが本音である。

「ん~と・・・そうだねぇ・・・有斗の命でも狙ってるんじゃない?」

「え!? そんな兆候があるの!?」

 有斗が鈍いだけで、朝廷にはそのような(きざ)しが既にあるとでもいうのだろうか、思わず有斗は身構えた。

「いや、まったくない。宮中は平穏そのものだ」

 だがいたって暢気(のんき)な口調でアエネアスは否定した。まったくの思いつきを言っただけであるらしい。あいかわらず適当だなぁ・・・

「だとしたら何なんだろう・・・僕を自宅に招いて何かいいことがあるのかなぁ・・・」

「いいじゃんか、宴席だろ。タダで飯食えるんだから文句言わずに出ればいいじゃん」

「でも今日だけで既に四件だよ、四件! 昨日のと合わせれば既に八件! このままじゃあ僕は全部の公卿の家に一回は訪れなきゃならないかもしれないんだ!」

 今の有斗の朝廷での主な公卿のメンツはというと、左府右府は空席、内府一人、正副合わせて亜相四人、同じく正副合わせて黄門五人、宰相七人、八省に霜台(そうたい)の長官を入れて全部で二十六人といったところだ。もちろん兼任もあるから多少は人数は減るけれども、とても全部回るとは思いたくない人数であることには違いが無い。

 そんな暇はとても無いのである。とはいえ断りを入れようにも角が立つから、なかなか言い出せないし。

「一軒一軒回ればいいじゃないか、それも王としてやらなければいけないことだぞ。ちなみに私は付き合わないからな。一人で行って来るがいい」

 どうやら臣下の家に分け隔てすることなく訪問することも、王の立派な義務だとでもアエネアスは言いたいらしい。

 だが羽林の長としては王が行くところはどこにでも付いて行く事も、それが例え地獄であっても、やらなければいけないことではないだろうか、と有斗はいまいち納得がいかない思いだった。


 ようやく奏上も一通り落ち着き、アリスディアに手伝ってもらって、有斗は積み上がった書簡をひとつずつ片付けていく。

「そういえば・・・今日は関西の王女様を見ないな・・・」

 いつもならもう既に一回くらいは執務室に顔を出して、有斗やアリスディアあたりとたわいの無い世間話をしているのが日課なのだ。それが朝から髪の先すら見ていない。何かあったんじゃないかと少しは気にかかる。

 だがアエネアスは一切構うことなくこう言い捨てた。

「生理でも来たんだろ。ほっとけほっとけ」

 ・・・

 なんだろう・・・こうあけすけに物を言われるとちっともエロくもなんともないな。女の子が恥ずかしがって言うからエロさを感じるんだな、と有斗は生きる上でどうでもいいことを再発見していた。

 後さ、もうちょっと恥じらいと言うものを持ったほうがいいと思うんだ。いちおうアエネアスも嫁入り前の娘なんだし。

 まぁ、いまさらアエネアスに恥じらいをもたれても、きっと気持ち悪いだけだという気はするけどさ。


 王女不在のまま執務を続ける。だがその日の奏上はまだこれで終わったわけではなかったのだ。

「え? 次は関西の旧臣が揃って僕に奏上したいことがあるって?」

 しかも集団で奏上とは珍しい。奏上とは基本朝会の大勢の前で話したくないことや話せないことを王だけに話すための場なのだ。

「昨日、彼らの要求を聞いて関西の王女様に会わせてやったばかりなのに、まだ何か不満があるのかな・・・」

 いや、もしかしたらそれに関係することかもしれないな、と有斗は珍しく勘を働かせた。

 というか、昨日の今日だ。それ以外考えられない。そして同時に内容がただ事とは思えない。

 集団で来るということは奏上する件について、その全員が一致した見解であるということだ。そして人数を揃えるということは、数を持って有斗にプレッシャーをかける、つまりかなりの重大事だと分からせるため以外は考えられないということでもある。

「甘やかすから付け上がったんじゃない? きっと王女の待遇改善とかそういったどうでもいい案件だよ。たとえば侍女を増やして欲しいとか、さ。まったく我儘(わがまま)放題なんだからあいつときたら」

 アエネアスは自分の勝手な想像でセルウィリアを一方的に(けな)した。

 本来なら事情を知っているアリスディアが何か言うべきなのであるが、何故か口を閉じて押し黙ったままだった。

「ま、会うしかないか。いいよ入ってきてもらって」

 取次ぎを受けたグラウケネにそう言って執務室に彼らを招き入れるよう指示を出した。


「関西の王女に結婚を勧めたいって言うのかい?」

「はい」

 有斗は大きく口元を(ほころ)ばせた。

 よかった。国政を二分するような、どんな難事を持ち込まれるかと冷や冷やした。だけどそれは単なる気苦労だったようだ。

「ああ・・・そうだね、関西の王女様も年頃だもんねぇ。たしかにそれは君ら関西出身の人間にとっては重大事だろうね。サキノーフ様の血を引く由緒ある家柄だし、このまま彼女の代で終わるというのはアメイジアの民にとっても色々残念に思うところがあるだろうしね。それに、長年仕えてきた主君だ。それが片付くまでは君たちの気持ちの整理も付かないという理屈も分かる。いいよ。僕も別に彼女に幸せになる権利などないとは思っていない。彼女が王として僕に敵対する気ならば断固として戦うけど、一人の女性としては幸せになって欲しいと願っているよ。結婚を許そう。候補者を見繕(みつくろ)っておいて欲しい。とはいえ相手の意向もあることだし、今すぐと言うわけにはいかないけれどもさ」

 にこにこと微笑む有斗に対して、関西の旧臣たちはどうも彼らの言ったことを理解していないと思われる有斗に、どうやって理解させるべきか分からず顔を見合わせる。

 やがておずおずと関西の旧臣中最高位の西庭黄門が進み出ると、有斗に懇切丁寧に説明した。

「いえ、姫殿下に、ではなく姫殿下と結婚をお勧めいたしたいと思っております」

「と?」

 いや・・・だから彼女が誰と結婚するかということが問題なんだろ、と有斗は当惑した眼を西庭黄門に向けた。

 だが西庭黄門からは要領を得ない返答が返ってくるだけだった。

「はい」

「関西の王女と・・・誰を?」

 その言葉でやっと西庭黄門も有斗と自分たちの間に認識のずれが生じていることに気付いた。どうやら王は御自身をその対象からすっかり外してしまっている、と気が付いたのだ。

「・・・ですから陛下とです。東西の融和の象徴としてはこれ以上の慶事など無いと思うのですが・・・」

 何故いきなりそういう話になったのかまったく理解できず、有斗は思わず「は!?」と口に出してしまった。

 だが本人よりも驚いた人物がいた。

「気は確かか!」

 先程からあまりのことに口をぽかんと大きく開けて黙って聞いていたアエネアスが突然立ち上がると大声で怒鳴り、ずかずかと足音高く詰め寄った。

 剣帯したアエネアスの怒りをあらわにした表情に、思わず関西の旧臣たちは思わず腰が引ける。

「いえ、これは決して、決して羽林中郎将が陛下に相応(ふさわ)しくないとかではなく、ただアメイジアの安定した発展のためによかれと思い、我らが無い知恵を絞って考えたことです」

 突然のアエネアスの激昂に大いに恐縮した(てい)を取る。

 そう言って場を取り(つくろ)うとしたのは、いちおう中書令からはアエネアスは王の寵姫では無いとは聞かされていても、正直半信半疑だったからだ。

 それも仕方があるまい。有斗の行くところにその影有りといわれるほどいつも傍にいるのだ。河東への遠征にさえ付いて行ったくらいなのだ。普通に考えると王の愛人と思われていても不思議ではない。

「もちろん陛下の寵姫である羽林中郎将には不快の段があると思う、平にご容赦いただきたい。しかし、これもひとえに陛下と姫殿下とアメイジアのことを考えてのこと。どうかお怒りをお静めください」

「違う!」

 どうやら目の前の関西の旧臣が大いに怯えているのは、有斗との関係を邪推した結果だとアエネアスは悟り、精一杯の大きな声で打ち消した。

「私とこれは何の関係も無い! 私が怒っているのはそんなことじゃない!」

 王を『これ』扱いするアエネアスに関西の旧臣たちは思わず気圧(けお)され、反論をすることすらできなかった。

 本来なら全員アエネアスなんかよりもよほど高位の人間で、タメ口などきける相手では決してないのであるが。

「いいか、あの女は気に食わないやつだが、それでも一人の人間だ。毎日顔を会わす仲でもある。この変態の前に差し出してみろ! はらぺこの狼の前に家畜を放り出すようなものだ! いくら気に入らないからと言っても、そんな非人道的な行為を見逃すわけにはいかない! 賭けてもいい、明日の朝には妊娠してしまうぞ! そんな道徳的に許されないことを勧めるとはお前らそれでも元家臣か!? いくら主従の絆が切れたからといって、一身の安全を計るために一人の少女を人身御供にするとは人間としての魂を捨ててしまったとでも言うのか!?」

 翌日には妊娠させちゃうなんて、どこのエロゲの主人公だよ。今まで数々の罵倒をアエネアスの口から聞いてきた有斗だったが、さすがにこれはちょっと酷すぎると思った。

 僕はそんな器用なことはできないぞ、と有斗は厳重に抗議したい気分だった。

「アエネアス、二人きりの時はともかく、諸臣が見ている前では陛下を侮辱するような発言は控えて、ね?」

 アリスディアが急ぎ慌ててアエネアスの口を塞ぎ、耳元で(ささや)く。

 アエネアスもさすがに公然の場で有斗をいつもの調子で言うのはまずいと気付いたのか、口をつぐんだ。

「んぐぐぐ・・・」

 とはいえ口からあふれそうなくらい怒っているのは(はた)から見ても明らかだった。

 怒りは台風の目に入っているだけであることを見て、関西の旧臣たちはここは一度、戦略的撤退をしたほうがいい、と判断したようだった。

「羽林中郎将を怒らせてしまい、陛下には申し訳もありません」

 ただひたすら頭を下げる。

「ごめんね。なんだかよく分からないけどアエネアスはこの件については反対みたいだ」

「ですが、これは広くアメイジアの為になること、陛下も是非ご検討なさることをお願いいたします」

「う、うん。そのうちね」

 とにかくこの場を丸く治めておきたい有斗は曖昧な返事でその場を切り抜けた。

 アリスディアとグラウケネが押し出すようにしてようやく関西の旧臣たちを出て行かせる。

 そしてアリスディアは扉を閉めると怒った調子でアエネアスに詰め寄った。

「元からの関東の朝臣や南部出身の官吏の前でならいいですけど・・・いや、本来なら良くないことですが・・・仕方がありません。ですが、河北や関西の廷臣の前ではちゃんと陛下を立ててください。この朝廷は寄せ集めの寄木細工なのです。ちょっとしたことでどこかに(ほころ)びを生じかねないということを分かってくださいまし」

 アエネアスは南部派の要人と目されているのである。そのアエネアスと関西の誰かが対立でもしたら政変だって起こりかねない。

「・・・すまない。なんだかわからないけど、ついかっとしてしまって、止めないといけないと思ったんだ・・・おかしいな、私はそんなにあの王女とは仲がいいわけではないんだけどな・・・・・・とにかく、なんだか許せなかったんだ・・・」

 アエネアスも原因がよく分からないのかしきりに首を(ひね)っていた。

 そのアエネアスを有斗は複雑な表情で眺めていた。

 仲の良くない王女の人権は尊重し、宮廷の高官にも楯突くが、長い付き合いの有斗はぼろくそに(けな)す。普通、逆じゃないかな。その判断基準がよく分からないな、と有斗は思った。

「まぁ、いいけどさ」

 別にアエネアスが失礼なことは今に始まったことじゃないし、王に暴言を吐くことも王都では知れ渡っている事実だ。

 今更隠したところでもう無駄であると、有斗はそう諦めていた。

「しかし・・・なんでいきなり僕とあの王女様を結婚させようなんて考えになったんだろうな・・・」

 そのことの是非はさておき、そういう考えにいたった理由が知りたいところではある。

「お前・・・まさか、この話に喜んでいるんじゃなかろうな?」

 アエネアスが上目遣いに有斗を(にら)む。

「してないしてない!」

 有斗は命の危機を感じ、咄嗟(とっさ)に否定して見せた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ