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紅旭の虹  作者: 宗篤
第六章 帷幄の章
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狂想曲(Ⅱ)

「ごめんなさい」

 有斗はベッドの上に正座をしてアエネアスにひたすら頭を下げていた。

 腕を組んで仁王立ちするアエネアスと、その怒りを必死に(なだ)めようとするアリスディア、そしてその前でしょげかえる有斗がいた。

 どうやら途中までは本当に夢だったようだ。

 夢の中のアエネアスに触ろうとする動きに合わせて現実でも手を前に伸ばしたら、運悪くそこにアエネアスのお尻があったということらしい。

 本来なら有斗の部屋には誰一人入ってはいけないことになっている。本人は自覚症状が無かったのだが、どうやら連日の激務に身体が悲鳴を上げていたようで、アリスディアをはじめ女官が早朝から何度か声をかけたのだが、まったく起床する気配がなかったという。

 そこは最近の有斗の疲れを気にしていたアリスディアが気を利かせて、陛下は体調が不良だからと、朝議も朝食もキャンセルして起こさないでいてくれたらしい。ああ・・・アリスディアは本当に優しい、まるで女神様みたいだ。

 それに対して余計なことをする、地獄よりの使者とも呼べる存在がまさにアエネアスだといってよいだろう。

「陛下の自室には誰も入ってはならないと決められているのです」というアリスディアの手を払いのけて部屋に侵入し、耳たぶを軽く(つね)って起こそうとしたらしい。とはいえ以前なら問答無用で殴りかねなかったことを考えると、これでも少しはマシになったほうだ。

 だがどうやらそこら辺りから、有斗の夢と(うつつ)が交差し始めたらしい。

 それでも起きない有斗に、これからどうしようかとアリスディアと相談するためにアエネアスが後ろを向いた瞬間、そのお尻を有斗が掴んだというのがことの真相のようだ。

 それにしてもベッドの上で正座をし小さく(かしこ)まっているその姿を見て、これがアメイジアの半分を治める王であると言っても、たぶん初見の人間は絶対に信じないに違いない。

 有斗は先程の右拳で口の中を切ってしまったのか、鉄の味が口いっぱいに広がっていた。それに頭頂部が熱くて痛い。多分身長が三センチくらい確実に増えているだろうな、と有斗は思った。

「もうそろそろ許してくれない?」

 有斗はおそるおそる上目遣いでアエネアスに許しを乞う。

「王だからと言って人のお尻を鷲掴みにするとかありえない! しかも固いとか論評するのは失礼すぎる!!」

「だから謝ってるじゃないか・・・」

 寝ぼけていただけなんだから、もう許してくれよというのが有斗の本音だった。

「寝ぼけていた、夢を見ていたというが、夢の中でなにがあったら、両手をつき出して前にあるものを握り締めるという行動になるんだ?」

 アエネアスの怒りはさすがにようやく沈静しつつあるようだった。まぁそうでもなければ有斗が殴られた意味が無いが。

「その・・・夢の中でアリスディアの胸を触ろうとしたら、アエネアスがそれを止めたんだ」

「うむ、夢の中でも私は常識的だな。そして夢の中でもお前は変態かつ常識が無いんだな」

「・・・」

 うう、アエネアスの馬鹿にするような視線はともかく、僕からそれを聞いたアリスディアの微妙な表情が有斗をいたたまれない気持ちにさせた。

 あれは軽蔑の表情だ・・・嫌われちゃったかなぁ・・・

「そしたら夢の中のアエネアスが代わりに胸を触れっていうから触ったんだ」

「・・・はぁ!? なんだって! お前は私をそんな羞恥心の無い女だと見ていたということか! いくら夢でも許せん!」

 再び導火線に火がつきそうになったアエネアスを宥めるように、有斗は慌ててフォローに入る。

「大丈夫だって! 僕もアエネアスのことをそんな風には思っていない! 暴力的なだけで色気などかけらもないと思ってるよ! だからそんなに怒らなくてもいいじゃないか!」

 と有斗が言うと、アエネアスは振り上げた拳を辛うじて止める。

 だがその言葉をよくよく考えると、別の意味でアエネアスを小馬鹿にしていることに気が付いた。

「それはそれでむかつくんだよ」

 と有斗の頭を小突いた。

「理不尽すぎる!」

 有斗が抗議の声を上げると、

「陛下の御体調は良くなられたのか?」

 部屋の入り口からひょっこり小さな頭がこちらを見つめていた。

「・・・陛下の寝室には誰も入れないとかいう話だったが・・・」

 ラヴィーニアが執務室との境にある扉から顔を出して寝室を(うかが)い、そこで繰り広げられている惨状に頭を抱えて、そう言った。

「今日は緊急事態だ! 起きてこないこいつが悪い!」

「いや、大事にないならそれはそれで構わないのだが・・・それより騒がしい声が内裏の外まで聞こえていたぞ」

 女官だけでなく官吏にまでこの騒ぎは聞こえているんだから、王の権威のためにも静かにしてくれと言いたいらしい。

「お前は自分の尻を触られていないからそう言うんだろ? 触られるほうの身にもなれ!」

「赤毛のお嬢ちゃんの・・・?」

 それを聞いたラヴィーニアは不思議な言葉を聞いたとばかりに首を傾げる。

「私のお尻を触るなどなんて物好きな、とかいう意味かッ!? お前まで私をそんな扱いをするなッ!」

「いや、そういった意味ではなく、ただ不思議に思ったからだ。で、少し確認したいんだが、陛下がご自身の意思でお嬢ちゃんのお尻を触ったのかな?」

「ああ」

 間違いないとばかりにアエネアスは大きく頷いて見せた。

「お嬢ちゃんが無理に触らせたのではなく?」

「なんで私が無理矢理お尻を触らせなきゃならないんだ! 私にはそんな趣味は無い!」

 憤慨するアエネアスを見てラヴィーニアは大きくその目を見開いた。

「・・・これは驚いた」

「何が?」

「ということは陛下は女に興味がおありだったのか・・・」

 ラヴィーニアがもの凄く驚いた表情で有斗を眺めていた。

「は!?」

 ラヴィーニアがなんでそう言った結論に達したのか有斗はわからずに困惑と戸惑いの表情を浮かべた。

「僕は普通に女の子が好きだけど」

「いや・・・てっきり興味が無いのかと」

 ラヴィーニアがそう言うと、有斗が再び否定する前に、何故か有斗よりも更にびっくりした様子でアエネアスがその言を否定した。

「そんな馬鹿なことがあるか! こいつほど始終女の裸のことを考えている変態はそういないぞ!!」

 ・・・別に有斗の名誉を守ろうとした殊勝な行動というわけでは無さそうだ。ベクトルが多少違うだけで不名誉さで言ったらどっこいどっこいだ。

 しかしそこまで言われるほど変態じゃない・・・と思うんだけどな。

「言葉では女性に大いに興味があるようにおっしゃっている陛下ですが、あたしの家を訪れた時も、あたしが舞妓を呼びましょうかと言ったら喜びこそしましたが、結局それをお命じになりませんでした。喜んだふりをなされただけかと思っていたのです」

 ・・・それはラヴィーニアがアエネアスやアリスディアに告げ口するって脅したから引っ込めたんじゃないか! もし告げ口しないんだったら、呼んで欲しかったのが偽らざる本心だぞ!

「何より後宮には美女が揃っているし、尚侍(ないしのかみ)やそこの赤毛のお嬢ちゃんや関西の女王様もいる。なのに後宮に(つぼね)を賜る女人もないし、それどころか誰一人として手を出された様子も見られない」

「もし私に手を出してきたら根元から寸刻みに()り下ろしてやる!」

 アエネアスが言ったあまりにも恐ろしい言葉に有斗は思わず股間を手で押さえて隠す。

「それに・・・四師の乱の時、誰だったっけ? 有斗が好きだった典侍(ないしのすけ)がいたって話は有名じゃないか?」

「もちろん典侍の話は当時の宮廷ではかなり噂として広がっておりました」

「じゃあ有斗が女好きだってお前も知ってるだろ?」

「ですが帰って来た陛下は女人を寄り付ける様子は見られませんでした。それにどちらかと言うとダルタロスの将軍たちと一緒におられることが多い。ひょっとしてホモなんじゃないかと宮廷では噂が立っていますよ」

「え!!?」

 有斗はラヴィーニアの口から飛び出した言葉に大きくうろたえた。いくらなんでもその噂はない! とんでもない濡れ衣だ!

「宮中の噂好きの女官たちの間では、あれは擬態で当時の本命のお目当てはプリクソス殿だった、その後はアエティウス殿がお相手だったとかいう噂も広がっているくらいです」

「ちょっと! いつの間にそんな不名誉な噂が広がっているんだよ! 断固として抗議するぞ!」

「ああ・・・お前そういう趣味だったのか。引くなぁ・・・ちょっと引く、いやドン引きだ」

 先程までの怒りはどこへやら、アエネアスは有斗からさりげなく距離を取ると侮蔑した目線を有斗に向けた。

「違う!」

 有斗は必死になって否定するが、アエネアスとアリスディアから信頼を取り戻すことはできなかった。

「・・・いえ、別に陛下がどんなご趣味であろうとも陛下であることは変わりませんから、当然わたくしもこれからも変わらずにお仕えはいたしますが・・・」

「『が』、って何? そこで区切られると続きが妙に気になるんだけど、アリスディア?」

 アリスディアは有斗とまったく目を合わせようとしなかった。

「そこは察してやれよ・・・」

 アエネアスの声に振り返って見ると、アエネアスも慌てて有斗から目線を逸らす。

「アエネアスまで!?」

「それにあたしの家に来られた時にあたしの裸を見たのに特に反応しませんでしたし」

 あ、馬鹿! それは今ここで言っちゃ駄目な奴だろ! 現実にあったこととは絶対違う意味に解釈しちゃうだろ!

「へ、陛下・・・」

 ラヴィーニアの言葉にアリスディアはその端整な顔の眉と眉の間に幾本ものをしわを作って嫌悪感を表した。有斗との間にさらに心の溝を作ったようだった。

 お願いだアリスディア、そんな目をしないで・・・アリスディアだけは何があっても最後まで味方してくれるとばかり思っていたのに・・・

 捨てられた子犬のようにすがり付く目線をアリスディアに送っていた有斗だったが、「おい、有斗」と機嫌の悪い時のアエネアス特有の抑揚のない声が聞こえ、背筋に悪寒が走る。最近アエネアスのことなら、ほとんどわかるようになってきた自分がとてつもなく嫌だ。

「お前はこのちんちくりんの家に行って何をしたんだ!? まさか姦淫の罪に当たるようなことを犯したのではあるまいな!? あれか、幼女にしか興味が無いとか言う変態的な奴だったのか!?」

「さっきまで僕をホモ扱いしてたのに、なんでラヴィーニアの裸を見たことで怒るんだよ!? 僕をどっちの立場だと思ってるわけ? 本当に訳が分からないよ!!」

「こいつの嘘じゃなくて、本当に裸を見たのか! おいラヴィーニアはこの身体なんだぞ! どう考えても犯罪じゃないか犯罪! それにどっちにしても変態であることには違いは無い!」

「どちらも濡れ衣だ! 僕は無実だよ! 変態じゃない!」

「ラヴィーニア、いったいこいつはお前の家で何をしたんだ!? 答えろ!」

 詰め寄るアエネアスにラヴィーニアは平然と簡潔に答えた。

「別にたいしたことじゃない。一緒に風呂に入っただけ」

「ちょっと! ラヴィーニア、火に油を投じるような言い方はやめて!」

 確かにあの状況を言葉で表すとそうなるかもしれないけどさ、もっといろいろ説明しないと勘違いしちゃうでしょ! 一緒に風呂場には入ったかもしれないけど、浴槽に一緒に入ったわけでもないし、ラヴィーニアはすぐに出て行ったことを付け加えないと理解してくれないでしょ!

 ほら、まるで虫を見るような目付きでアエネアスが僕を見ているじゃないか。

「そうか・・・陛下は一応女人に興味はおありだったということか・・・」

 ラヴィーニアはそう言うと何かを思いついたらしく、こうしてはいられないとばかりに有斗の執務室を後にした。

 後にはもはや有斗がどう弁解しても信用してくれそうにないアエネアスとアリスディア、そして有斗だけが残されるという最悪の展開が待ち受けていた。


 修羅場だ。

 これは完全に修羅場だ・・・

 有斗は韮山でカヒに負けた時にも感じたことが無いような、とてつもなく不吉な予感に身を震わせた。

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