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紅旭の虹  作者: 宗篤
第二章 昇竜の章
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ティトヴォ攻防戦(Ⅰ)

「諸卿らは、これをどう思うか?」

 ブラシオスは南部よりもたらされた、王の檄文(げきぶん)を手にすると、部下たちに見せびらかすようにひらひらと振って見せた。

「それにしても酷い書かれようだな。どうやら王は相当、我々が腹にすえかねたようだ」

 低い笑い声がまばらにおきた。

「そうでしょうか」

 一人の若い将官が首を(ひね)る。

 最近地方勤務から下軍に配置換えになった新顔である。ブラシオスとの関わりは薄い。

 この年齢で1000人余りを与る旅長になったのだから才はあるのだろう、とはブラシオスも思わないでもなかったが、それでも若さからか彼のことを内心軽視していた。

「リュケネか。ならばそなたはどう考える?」

 右の眉を上げた。それは不機嫌なときのブラシオスのいつもの癖である。

 この表情をしただけで彼に仕える者は恐れおののいて口を(つぐ)むものだった。

 リュケネもそれを知っている。知ってはいるが、ここがブラシオスの運命の岐路であると思い、あえてブラシオスの不機嫌な顔を無視し口を開いた。

「それは文章の上でのこと。檄文というものは多少誇張して書かれるのが常であります。王の実情を考えるに味方は少なく、もし王師一軍が味方するとなれば喜ぶことは必定です。ですから我々は王に味方すると提案してみればいかがでしょうか? 大きな貸しを王に与えることになります。そうなれば王も我々を罰するわけにはまいりますまい。それに我々としても単独で他の三軍と戦うのはなかなかに難しい。王といずれ敵対するにせよ、とりあえず組むという手段は悪手ではないと愚考しますが」

 リュケネの言葉に正論が含まれているのは、ブラシオスとて認めぬわけではなかった。

 だが王を一度見限ったブラシオスには、あの王が一度背いたものを許すだけの広大な器量の持ち主だとはとうてい信じられなかった。いや、信じるわけにはいかなかったと言うべきか。

 もし王がそのような器量の持ち主だとするならば、それを見抜けなかったブラシオスの目が節穴だということになるのだから。

「・・・我々は一度背いた身、今更王に強力するといっても受け入れてはもらえまい」

「それよりも良き手があります」

 ブラシオスが王には味方したくないとする意志を言外に匂わせているのを察して、一人の幕僚が発言の許可を求めた。

「申してみよ」

 と、鷹揚(おうよう)(うなず)いたブラシオスにその幕僚は言葉を続ける。

「我々は中央から離れて独自の道を歩むべきです。その為にも此度(このたび)の王の挙兵はむしろ奇貨(きか)と捕らえるべきです」

「ほう」

 ブラシオスは中央から離れるというその発想に興味が湧いた。

「我々は基盤を持ちません。長期的に考えるとこれは不利です。王の軍は南部諸侯が母体。もしこれを破ることが出来れば我々は南部に強い影響力を持てるでしょう。畿内南西部と南部を基盤にし、他の三人が南部を攻めれば下軍がこれを背後より撃ち、下軍を攻めれば南部諸侯が後背より襲えば、他の三人も迂闊(うかつ)には手を出してはこないでしょう。いわゆる掎角(きかく)の勢を形作ることが出来ます。幸いに南部諸侯が全て王に組みしないうちなら、我々だけでも勝利するのは容易です。しかも生きて王を手中にすれば、これを傀儡(かいらい)とし、王都にいる者たちを逆臣と呼ばせることも可能です。ここは進んで王都の三人が動くよりも早く、王を討つというのはいかがですか?」

「その言やよし」

 我が意を得たりとブラシオスは(ひざ)を手で叩いて、その意見に賛意を表す。ブラシオスは誰にも頭を下げる気はもうなかったのである。当然王にもである。

 だから南部を手に入れ、王を利用するというその提案はまさに意にかなっており、魅力的なものに思えた。

「しかし・・・王と戦っている間に王都にいる他の三軍に背後を襲われませんか?」

 食い下がろうとするリュケネにブラシオスは反駁(はんばく)する。

「その可能性はある。あるからこそ速戦せねばならないのだ。なに王都に戦いの知らせが届く頃には終らしてみせるさ。王は戦を知らぬ。対して我々は歴戦の猛者だ。鎧袖一触(がいしゅういっしょく)だろうよ」

 確かに彼我(ひが)の戦力差を(かんが)みるに、王師のほうが錬度、兵数ともに上回るだろう。負ける要素は少ない。だが戦闘に勝ってその後どうするというのだ。南部は反中央の気風が強く、一回の戦闘で勝ったからと言って、心から味方につくほど生易(なまやさ)しい連中ではない。

 きっと反乱が起きる。それも何度も。

 南部を支配するのに手こずれば、きっと王都で逡巡(しゅんじゅん)している者たちとて、好機到来とばかりに兵を向けるに違いないのだ。

 その時、下軍の将士がいつまでもブラシオスについて来てくれるかは未知数であると言わざるを得ない。

 それにブラシオスは忘れているのではないか。

 確かに王は異世界から呼び出されたばかりで兵としても馴染みは薄い。とはいえ王に反逆したという後ろめたさを少なくない数の将士が抱いているのも事実なのだ。

 今の下軍はブラシオスを支持しているとはいえ、いつまでそれも続くことやら。

 そういった者達に後ろめたさを忘れさせるなんらかの正義を示してやる必要があるのではないか。それが優れた将というものであろう。

 明らかな悪を抱いて生き続けられるほど強い人、もしくは狂人はめったにいないのだから。

 王に今すぐ味方すれば大功であり、ブラシオスは功臣となれるだけでなく、他の三者の『逆臣という地位』と違う立場に立つことが出来るのである。

 今こそ小さな誇りなど捨て大義につくべきであるのに、とリュケネは小さく溜め息をついた。


 ブラシオスは翌朝、日の出と共に太鼓を叩かせ、鹿沢城より下軍一万全てを率いて南部へと足を向けた。

「斥候を出せ、王の軍とやらがどの程度の数で、どこへ向かっているか調べるのだ」

 通常の斥候なら早朝に出立すれば遅くとも夕方には戻って報告をするものだ。

 もし斥候が殺されたとしても、帰ってこない斥候を出した方角で少なくとも敵の存在する方向は確実にわかるからだ。

 だがブラシオスは斥候に敵を見るまでは帰ってくるなと言って送り出した。

 なぜなら敵がいる方角は既にわかっているのだ。そして王が向かうのは王都東京龍緑府とうけいりゅうりょくふ。知りたいのは距離とその間にある地形だった。少しでも戦いに有利になるような地形に布陣したいものだ、と思った。

 もちろん王もそう考えていることだろうが。

「はてさてどこでぶつかることになるのやら」

 南部諸候がいくら味方したかはまだ分からぬが、少なくとも数千の兵を(よう)しているはず。

 こちらも一万を数える。その両軍が激突するにはそれなりの広さの空間がいる。

 なるべくならその地に先手をうって布陣し、少しでも敵に対して優位を得たいものだ。


 南部諸侯軍が王師下軍の斥候を発見したのは昼過ぎだった。

「斥候が敵の斥候と出会い交戦しました。双方に被害は無い模様」

 諸候ごとの間隔が開いてしまい、隊列を詰めるために休憩している有斗に斥候が報告した。

 後方の諸侯の軍がどうなっているのか見に行っていたアエティウスも急いで戻ってくる。

「敵が近くにいるってこと?」

「はい」

 アリアボネは(うなず)く。

「となると、どこに布陣するかだ。川があればそれを挟んで布陣することになるのが常道だが・・・」

「このあたりに川はありませんね」

 二人のその何気ない会話も、有斗にはいまいち理解できないことが含まれている。

「川があればそこに布陣するものなの?」

「ええ」

「行軍している軍隊は縦に長い縦列で行軍しております。敵と戦うには横に広がり陣形を構築しなければなりません」

 有斗はフォキス伯との戦の時を思い出す。確か陣形を整え終わるのに一時間はかかった。

「川があれば、敵が川を渡るのに手間取っている間に、自軍の隊列を整えることもできますし、川を渡るという行為は、陣列を原型を留めないほど、極端に変形させるものです。敵が川を全て渡りおえない間に攻撃を与えれば、勝利しやすい。つまり川は自然に出来た要害、互いに相手を渡らせようとした結果、挟んで布陣することになることが多い」

「となると布陣するのは平地か丘陵ということになりますが、我々は敵より数が少ない。右から回り込まれないように右方を山岳なり崖なりある場所を探したほうが良いということになります」

「・・・右側だけ? 左側も崖とか山とかで包囲されない地形のほうがいいんじゃない?」

「陛下は軍学の知識もおありか」

 アエティウスが驚くような顔で僕を見る。褒められたようで気分がよい。

「えへへ」

 確か側面からの奇襲とか後背からの回り込みが有効だった気がする。これもまたラノベで仕入れた知識によると・・・なのでどのくらい有効かは有斗にも正直なところは分からなかったが。

「陣を引いた軍の横幅ぴったりに左右が要害のある場所はまず・・・いやはっきり申せばあるはずがありません」

「軍の陣形を左右の要害の距離に合わせて陣を引けばいいんじゃないの?」

 そうすれば左右からの攻撃を気にせず戦える。

「もし陣の横幅より要害の幅が大きい場合は兵士間の距離が開き、敵に中央突破されやすい。その逆であれば陣形を縦長に組まねばならず、戦闘中に無駄な兵力になる・・・いわば死兵が多い。つまり両側に要害の地を置くというのは現実的ではないのです」

 確かに言われてみればその通り。軍の大きさに合わせた場所なんてそうそう見つかるわけは無い。

「となると右か左かどちらかを要害の地で守るという戦い方がいいということになります」

「でもさっきは右側に限定して話していたよね?」

「ええ。軍の主流は重装兵と長槍兵が主力です。重装兵は左手に持つ盾がすぐ左に位置する兵士を半分(おお)うことで防御を高め、接近戦で無類の強さを発揮します。ところがいちばん右の端の兵士は自身の右側面が無防備であり、弱点となっています。その為、回り込むには敵の右側、すなわち味方から見て左回りに回り込むのが有効とされているのです。また長槍兵も左手を前に、右手を後ろにして槍を構えます。すると陣の左方から攻めてきた敵には、槍を向け応戦することが可能ですが、右側から攻められると槍を回すことが出来ず交戦出来ない。それに対応するためには陣全体の向きを変えるしかない。戦場でそれを行うには危険が伴うし、かといって一部の兵が個別に反転すれば陣形は乱れ、そこに乗じられるのは自明の理。よって右翼の攻防こそ戦争全体の帰趨(きすう)を決定付けることになるということになります。ですから右側に要害の地を配置して敵が回りこめないように布陣するほうが良いということになります」

「難しいものなんだね・・・」

 たぶん素人にもわかりやすいように言ってくれているとは思うのだが、悲しいかな有斗には半分くらいまでしかついていけなかった。

 まぁ自陣の右側に要害を配置したほうがいい、左側から回りこんで攻めればいい、これだけ覚えりゃ十分だよなと大雑把に考える。

「それなら私に一案が。この近くに戦乱で荒れ果てた街があります。人はもう住んでいませんが、城壁も残っており防御に適した地。そこに軍を敷いて敵を待ち受けましょう」

「そんな街あったかな・・・?」

 アエネアスが首を傾げた。

「ティトヴォです」

「ティトヴォ・・・?」

 名前を聞いてもアエネアスにはピンとこないようだった。

「ああ・・・そんな街があったな。だがあそこは100年は前に放棄された街だ。城壁と言っても土で固めた土壁、崩れている箇所も多いだろう。どれほど防御効果があるか疑問だ。多少の有利さはあるだろうが平野部での合戦と変わらないのではないか?」

 アエティウスが否定的な言葉を言ったのに、アリアボネはそれに対してにっこりと微笑返した。

「それに一旦南海道を離れ、東に少し戻る格好になります」

 アリアボネの言葉は、何故かティトヴォに布陣するのに否定的な材料だった。

「無駄な回り道じゃないか、そこまでして布陣する価値があるとは思えないんだが?」

「ですが敵もおそらくそう考えてくれるでしょう、それこそが私の狙いなのです」

 皆が自身の思惑を看破できないことにアリアボネは嬉しそうに笑った。

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