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紅旭の虹  作者: 宗篤
第六章 帷幄の章
207/417

行幸(上)

 畿内だけで無く、河北からもカヒが撤退したことで、朝廷を右往左往させるような一大危機からは当面脱することができた。

 河北に渡った王師には引き続いて残った流賊や敵対する姿勢を見せた諸侯の掃討作戦を命じる。

 その一方、叛旗を翻した諸侯からも色よい返答が返って来始めていた。

 南部はトゥエンクとダルタロスが王に頭を下げる形で罪を許され臣従すると、早々に決着がついた。我も我もと南部諸侯は争うように朝廷に降伏の意のあるところを伝えてきた。うかうかしているとマシニッサに王に反抗するといった口実で攻められかねないとでも考えたのであろう。

 関西は距離があるから、まだ全ての諸侯から返事はない。だがセルウィリアの書簡もあるし、カトレウスが敗れた今となっては朝廷に剣を向けていいことなどあるわけもない。きっと有斗が望むような返事が返ってくることだろう。


 そういったことで有斗がもっか一番頭を悩ましている問題は、どこに予算を振り分けるかということだ。

 朝廷の限られた予算に対して、やりたいことややるべきことが山積みなのだ。

 例えば、難民対策は相変わらず今も朝廷の官吏を悩ませる問題のままだった。河北から逃れてきた民を対象に始められた屯田法であるが、まだまだ全ての難民に田畑を給付するにはいたっていない。

 兵士は連年の出兵、民に課した夫役は街道の整備や崩れかけた堤防の修復などに使うとなると、実行するのに残された道は人足を雇って開墾するか、難民自身にやらせるしかない。難民にやらせるにしても最低限の食事や給金を給付しないといけないだろう。

 それに一旦荒れ果てた田畑や開墾されたばかりの新田はなかなか思ったようには収穫ができない。しかも彼らが入植する土地は放棄された地がほとんどだ。前の住民がおらず、その土地土地に合わせての農業のやり方などのいままで積み重ねてきたノウハウ的なものを誰かから聞くこともできないのだ。

 全てを暗中模索でやるしかなく、安定するまでは国家がいくらか補助しないと飢え死にしかねない。

 それに関係したことでもあるけど、国が少しでも豊かになるように農業を専門に研究させる部署も作りたいところだ。

 具体的に何をやるかってのはまったく思いつかないけれども、農学部とか大学にあるくらいだから、農機具の改良とか土地にあった作物の研究とか学問として体系化すれば役に立つんじゃないだろうか、とふと思ったのだ。

 まぁ、いきなり農薬だとか農業用トラクターとかビニールハウスとか僕でも知っている現代の農法を行うのは無理だとおもうけれども。工業製品を作るには工具もいるし材料もいる。だがそもそも原材料が何であるかも良く知らなければ、原材料がアメイジアにあるかも知らないし。

 だが今現代に存在するそれらは、先人が英知を結集して悪戦苦闘して積み重ねた結果として存在するものだ。

 ならば今の民にすぐに役に立つことはなくても、未来のアメイジアのためにそういった学術的研究機関を持つことは無駄ではないだろう。

 だがそういった、すぐには役に立ちそうもないことを研究することに金を出すといった発想は、あまり官吏の頭の中に無かったらしい。ラヴィーニアですら驚きの目を有斗に向けたくらいだ。この世界は慣習やしきたり、祖法を大事にするあまりに、新しいことを行うための学問や研究がおろそかにされている印象を受ける。そういったものに力を入れていく必要を知っているということだけでも意外にたいしたことなのではと思う。

 そう考えたのはテレビや新聞やネットで多くの情報に触れ、だいぶサボってはいたが曲がりなりにも教育を受けて、さまざまな考え方の基礎を有斗自身が持っていたからだと思う。であるから本当は義務教育制度も導入したかったのだけれども、かかるであろう莫大な予算、そして大切な労働力としての子供を取られる民からの反発を考えてくださいと、ラヴィーニアから反対され保留にしている。

 新法の中では一旦廃止された青苗法も復活させたいところだった。これは種籾(たねもみ)にも困窮(こんきゅう)する貧民を対象に安く貸し付ける法律だが、今もって凍結されたままだ。以前のように官吏が反対しているとかではなくて、貸すための種籾を準備する金が朝廷にはないからである。

 田畑の改良をすすめる農田水利法も予算が無くて頓挫(とんざ)したままだし、夫役だけで整備すると何年もかかりそうな治水、街道の整備もやっておきたい。

 結構荒れ果てている宮城(きゅうじょう)の整備も官吏からはよく提案される事項である。

 だがどれもこれも全てはお金がいるのだ。だけど連年の出兵が大きく国庫を圧迫している。複数同時にやることは不可能であろう。

 しかしあれだな・・・これだけ並べてみると、まるでアメイジアに来て以来、有斗は政治的問題を何一つ解決していないかのようだ。

 これだけ苦労しているのに、後の世に戦に明け暮れた暴君とか書かれかねないとも思えば、王様って言うのはなんて割の合わない仕事なんだろう。

「確かに当分補助が要るし、開墾は大変だけど、流民に田畑を給付するのを最優先にするほうがいいのかな。中には困窮のあまり悪事を働くものもいて、治安問題にもなっている。・・・それに希望無く彷徨(さまよ)っているよりは、定住して暮らすほうがいいと思う。収穫が少ないといっても、飢え死にするよりかはだいぶマシだと思うし」

 有斗はそう結論を出したことをラヴィーニアに伝える。

 それは案件を朝議にかける前に、どのくらいの予算をもって、どこから難民を集め、どこへと移動させて開墾し、それに必要な官吏をどうやって集め、誰を責任者とするべきか試案を出せということである。

 結構大変な作業だと思うのだが「御意」、とラヴィーニアは文句一つ言わずに一礼するだけである。

 たぶん明日の朝議までには一点の不明朗さもない完璧な試案が仕上がっていると思う。

 まったくラヴィーニアがいなかったら今頃どうなっていたことやらと思うとぞっとするな、と有斗は思った。

「しかしいつまで経っても問題だらけだね。きりがない。これじゃあ戦国を終わらすよりも先に、国家が破産しないか心配だよ」

 先行きの見えない状況に嘆息する有斗に対してラヴィーニアは楽観的だった。

「三年も経てば新田であっても収穫は安定してきますので、順次難民への補助に使うお金が減り、代わりに彼らからの税金が増えます。それに関所が廃止され、商圏が大きく広がりました。関西と関東の交易が盛んになり、経済が回り始めれば、商工業に課された税が増えます」

 税収が増えればやれることは増える、いずれ時間が解決しますよとラヴィーニアが言い切ると、何とかなるだろうと有斗にも思えてくるから不思議だ。


「そうだラヴィーニア、聞いていい?」

「何でしょうか?」

 有斗がラヴィーニアに訊ねるとしたら国事に関わることだけである。それ以外のことはアエネアスかアリスディアのどちらかに訊ねるものだ。

 今のところ朝廷は安定しているとラヴィーニアの目には見える。だが何か自身の頭脳が必要とされるような緊急事態が起きたのだろうか、と身構えた。

「按察使亜相から庭の梅の花が美しく咲いたので見に来ないかって言われたんだ。お疲れの僕をもてなしたいとか言ってきたんだけど・・・」

 聞きたいのは何を目的にいきなりこんなことを言い出したかということだった。按察使亜相とは親しいわけではないし、特に目をかけているわけでもない。それがいきなり屋敷に招くなどと言い出す真意が分からなかった。

 正直、気心の知れない家臣の家なんて行きたくないというのが有斗の本音である。ましてやいい年をしたおっさんと差し向かいで食事などして何が楽しいものか! それに今は山積みの案件を処理しなければならない。連日睡眠不足なのだ。そんな暇があったら一秒でも寝ていたい。

 もちろん行くのがアリスディアの家とかならお金を払ってでも行きたいけどさ!

 と、二人の会話に横からアリスディアが珍しく口を差し挟む。

「陛下、まさかお返事をしてしまいましたか!?」

 しかも厳しい口調だ。どことなく責めるようにも聞こえる。

「ん・・・いや、少し考えてみると答えたけど・・・問題あった?」

「それならようございました」

 とアリスディアはほっと胸を撫で下ろす。

 え・・・何々? 今のに胸を撫で下ろすような大事なことが含まれてた!?

「なんか、結構大変なことだったのかな・・・?」

 有斗のその質問に二人とも大きく頷いて肯定する。

「かなり重大なことです」

 ますます有斗は混乱した。え・・・? ちょっとまてよ。落ち着いて考えてみよう。

 王が家臣の家に行く・・・問題ない。梅の花を見る・・・そんなことをして何が面白いのかわからないけれど、問題ない。次に僕はもてなされる・・・そこで出されるものは料理・・・

 ・・・料理!

 ということは・・・まさか!?

「まさかあの按察使亜相、僕を毒殺しようとして館に招いたのか!?」

 知らぬ間に、新たな謀反の企みがあったとは・・・! こんなに毎日働いているのに、僕をまだ王と認めない勢力が朝廷に巣くっていたとは! 許せんッッッ!

 だが興奮し、立ち上がった有斗に二人は怪訝そうな顔を向けるだけだった。

 あれ・・・ひょっとして考え方を間違えた・・・?

「・・・何をどう考えたらそういった結論になるのか、一度陛下の脳を拝見してみたいものですね」

 ラヴィーニアが明らかに哀れな人間を見る眼で有斗を見上げていた。

 見るなっ・・・! そんな(さげす)んだ目で僕を見るなっ!!

「え、だって、他に問題がありそうなことが思いつかないよ。梅の花を見ることに危険はないし、まさか臣下の家に行くことに問題があるとは思えないし」

「重大事ですよ。陛下が臣下の家に行くということ事態が重大事です。特に最初に訪れる家は、ね」

「へ?」

「だってこれは陛下が即位後、臣下の家を訪問した最初の事例となりますからね」

 いや、最初じゃないぞ。なぜなら───

「・・・一回、アリアボネの家にお見舞いに行ったことがある」

 と言うと、アリスディアが仰天して上ずった声をあげる。

「・・・え!? わたくし、そんなことがあったとは聞いておりませんけれども!?」

 しまった。あれはアエネアスと秘密で抜け出したんだった。

「あ、ごめん。色々大げさなことにならないようにアエネアスとこっそり行ったんだ」

 アリスディアはそれを聞くと悲しそうな顔をした。

「・・・王城から出る時は例え身分を隠されてのことであっても、わたくしに知らせることと、警護の人数をちゃんと付けておいてください。アエネアスと一緒に出られたようですから、危険は無かったとは思いますが・・・」

「う、うん」

「で、話を元に戻しますが、実際は一度アリアボネの家を訪問したことがあるようですが、これは知られていない以上、次の訪問が陛下が公式に臣下の家を訪問した最初の事例となります。ここまではよろしいですか?」

「うん」

「いいですか、最初に訪問される臣下は周囲からこう見られます。その臣下が陛下はお気に入りで、重視しているという証と見られます」

「だから僕に訪問して欲しいと言ったってこと?」

「そうです。いつまで経っても、陛下がどの臣下の下にも訪問する気配が見られない。ならば、と自ら動いて先手を打ったということでしょう」

「別に按察使亜相の家に行ったとしても、それは言われたから行っただけで、一番信頼しているとか、一番親しいというわけではないよ?」

「陛下がどう思うかは関係ありません。周囲に陛下から信頼されていると見られることが重要なのですから。それを見た朝臣たちは王の信頼を得ようとして按察使亜相に取り入ろうとすることでしょう。つまり労せずして朝廷で一大勢力を作り出すことができる」

「なるほど」

「今、朝廷は関西閥、南部閥、関東閥のみっつの大きな流れがあります。もちろんその中にもそれぞれ小さな派閥があり争っています。皆勢力を大きくしよう、そしてその中でも少しでも優位に立とうと虎視眈々狙っています。陛下の安易な判断で最初に訪問する朝臣を決めてしまったら、それがきっかけで朝廷内のバランスが崩れてしまうかもしれない。下手をすると政変が起きかねない。最初に訪問する人物は慎重に選ぶべきです」

 え・・・たかが臣下を訪問するだけで、そんなことまで考えなければいけないのか?

 相変わらず朝廷って所はドロドロしていて虫が好かない。だからと言って政治をほっぽり出す訳にもいかないしなぁ・・・

 とすると、慎重に選ばなければいけないだろうな。派閥に属してない人間とかだとオッケーってことだよな。

「じゃあアエネアスとか・・・?」

 それなら気兼ねもしないし楽でいい。

 だがアエネアスの名前を出すとアリスディアが顔を曇らせ反対した。

「それは・・・止めておいたほうが無難かもしれません」

「どうして? アエネアスは朝廷とも関係ないし、派閥を組んでもいないよ」

 つるむとしてもここにいるみんなか、羽林の半数を占めるダルタロス出身の兵たちくらいだ。朝廷で出世してどうこうと言った野心は見当たらない。いばれないから、官位だけはラヴィーニアよりは偉くなりたいみたいだけど。

「アエネアスでは陛下に近すぎます。南部以来の苦難を共にした仲、羽林の将軍で、いつでも陛下に謁見できる権限を持つ。結局陛下が信頼しているのは南部の人間、特にダルタロスの者だけだと他の者に思われたらどうしますか? 多数を占める関東や関西の朝廷出身の朝臣たちが不満を持ちましょう」

「じゃあ具体的にはどういう人物を選べば丸く収まると思う?」

 候補者を決めかねて有斗は二人にいい考えが無いか訊ねてみた。

「そうですね権勢争いに関わらないように、大きな派閥の長とかは避けておくべきかもしれません。と言うよりはできれば派閥に属してない者が適任かと」

 個人名を出すと後宮が政治に口出ししないとの禁令を破ることになるからか、アリスディアが抽象的にそう言うと、それではまだ足らないとばかりにラヴィーニアが付帯条件を付け加える。

「かといってあまり小物を選びすぎると大変です。なんであんなやつが、と周囲に嫉妬され、嫌がらせを受け、その人物の官吏としての生命を断ってしまうことにもなりかねません」

「権勢争いに加わらず、派閥に属さず、それなりの存在感がある人物か」

 そんな人物、今の朝廷にいたっけかなぁ・・・

 有斗は適格者をまったく思いつかず、ただただ首を捻り回すだけだった。

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