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紅旭の虹  作者: 宗篤
第六章 帷幄の章
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宥免

 王都に戻り、清涼殿(せいりょうでん)に入って、有斗はようやく戦場の空気から解き放たれ、人心地が付く。

 執務机に座ると目の前で、見も(あで)やかな色がふわりと空中に舞った。

 アリスディアが平伏する時に(ひるがえ)した(たもと)が、風に飛ばされた花弁であるかのように見えたのだ。

「河東の大敵を相手に見事なる御勝利、これもひとえに陛下のご威光をもってのことと、心よりお祝い申し上げます」

 アリスディアは深々と下げた頭を上げて有斗を見、にこやかに微笑んだ。

「そして何より無事のご帰還、この尚侍(ないしのかみ)心より安堵いたしました。やはり戦は何が起こるかわからぬもの。陛下の御身(おんみ)に何かありはしないかと、日々鬱々(うつうつ)とし、万一のことがあってはと、心配しておりました」

 優しいなぁ・・・アリスディアは。そりゃあいくらか王様向けのお世辞も入っているんだろうし、僕個人の心配というよりは、王が亡くなった後のアメイジアのことを心配して言っている部分が大きいんだとは思うけど、それでも心配だと口にして言ってくれると嬉しい。どこぞの赤毛の誰かさんとは本当に偉い違いだ。是非見習っていただきたい。

「ありがとう。やはりアリスディアの声はいつ聞いてもいいね。いるべきところに帰って来たといった気持ちになる。殺伐とした戦場にいたせいかな。君の声を聞くと、なんだかほっとするよ。アリスディアの声を聞くだけで僕は癒しを感じられるんだ」

 まぁ、と(うつむ)いて柔らかな笑みを(こぼ)すその姿は、(しと)やかに割く胡蝶蘭(こちょうらん)の花のようだった。

「どうせ私の声にはアリスと違って癒し効果とやらはないだろうさ。悪かったな」

 横にいたアエネアスが不満を少しばかり(あらわ)にしてむくれてみせる。

「そ・・・そんなことないよ! ほら、あ、あれ、アエネアスだって僕をほっとさせるじゃないか!」

 機嫌を損ねて例の理不尽な暴力が向かってきては大変だとばかりに有斗は慌てて言葉を取り(つくろ)う。

「なんだその明らかに付け足したような誠心がこもってない言葉は!」

 アエネアスは疑いの(まなこ)で有斗を見ていた。

「アエネアスってば疑りぶかいなぁ・・・」

「なら私のどこが有斗をほっとさせるのか言ってみなよ。三十字以上五十字以内でな」

 なんだよそのどこぞの国語の問題みたいな回答の求め方は? お前は国語教師かっつーの。まぁいい・・・それくらいお茶の子さいさいだ。

「・・・」

 だがそのアエネアスの簡単な質問にも有斗は答えることができなかった。

 だってアエネアスのどこに癒し的な要素があるというのだ! 嘘もそんなに咄嗟(とっさ)には出てこないよ。

「ほら見ろ! 具体的に何一つ言えないじゃないか!」

 詰め寄るアエネアスに有斗は肩をすくめて(おび)えをあらわにする。

 その様は、肉食獣に睨まれた草食動物のようである。すっかりアエネアスに対する恐怖を遺伝子レベルで刻み込まれでもしてしまったのだろう。

「そ・・・そう! あれがほっとするよ! アエネアスが側にいないとすごいほっとす───痛い痛い!」

 ようやくアエネアスに関してほっとする条件を思いついて言ったのだが、当然それはアエネアスの怒りに油を注ぐだけの結果となった。

 アエネアスは顔だけはニコニコ笑いながら、こめかみに血管を浮かび上がらせ、有斗のほっぺたを力いっぱい(つね)り上げる。

 そんな二人の様子を見て、アリスディアは笑顔を見せた。

「ふふふ。本当にいつも仲のよろしいこと」

 アリスディアの認識ミスに有斗とアエネアスは同時に抗議の声を上げた。

「「良くは無いっ!」」

 寸分たがわぬタイミングで、左右から同じ言葉が異なる声で聞こえてきたことにアリスディアは思わず噴出しそうになり袖口で慌てて口元を覆った。

「ほら、ぴったりと息が合っているではありませんか。そういうのを仲がよろしいと世間では言うのですよ」

 有斗とアエネアスは二人とも、必死に笑いを(こら)えているアリスディアを微妙な顔で眺めていた。


 有斗が執務室にてアリスディアの入れてくれたお茶を飲んでいると、さっそくいつもの面子が次々と入室してきた。

「陛下がお帰りになられたとか、本当ですか!?」

 セルウィリアが息せき切って執務室に入ってくる。そして有斗を見るとにこりと微笑んだ。

「見事に勝利なされたとのこと、お祝い申し上げます!」

 端麗な顔で見つめられると思わず顔が赤くなる。毎日顔を見ていたから忘れていたけど、久々に見るとそのあまりにも浮世離れした美に思わず気後れしてしまう。

 しかし、このまるで有斗の帰りを待ち望んでいたかのような態度はいったい・・・?

 なんだろう・・・いつの間にか好感度があがるフラグを選択していたということか・・・? まったく身に覚えは無いんだけれど。

「陛下はしばらくは御出征なさらぬのですか?」

「あ、うん。そのつもりだよ」

 有斗には王としてしなければならないことが山のようにある。カヒの侵攻みたいに有斗が出て行かないと片がつかない大事が起こらない限りは、しばらく王都に腰をすえなければならないだろう。

 有斗の返答にセルウィリアはこれ以上無いほど嬉しそうに笑みを浮かべる。

「それはようございました。陛下がいないと話し相手がおらず、張り合いがございませんでしたもの」

 ・・・なるほど。知らぬうちに好感度フラグを立てていたわけじゃなくて、単に暇つぶしの相手が欲しかっただけのようだ。

「アリスディアがいるよ?」

「尚侍は後宮の諸事をこなさなくてはなりませぬもの。私ばかりと話をするわけには参りませんわ」

 それは表向きの理由。セルウィリアは自身の今現在の立場は十分理解しているが、持って生まれた誇りとやらはそう簡単には捨てられるものではない。

 後宮の主である尚侍とはいえ、所詮は彼女から見ると家臣だ。それも自分の家臣ではないから遠慮もする。そもそも家臣に本心を吐露(とろ)してはならないと幼い頃から叩き込まれた帝王学が邪魔をして、話す内容をどうしても気付かぬうちに選んでしまっていたりして、物足りないのだ。

 だがそんな内心を知らない有斗からするといい迷惑だった。

 ・・・そんな理由から話し相手に選ばれるのは間違っている。有斗だっていちおう王様なのだ。王様だってやらなきゃならない仕事が山のようにある。

 セルウィリアにばかり構ってられない。有斗はセルウィリア専用の道化師とかじゃないんだから。

「僕だって仕事をやらなくちゃいけない。セルウィリアの相手ばかりしてられないよ」

 有斗がそう困ったように言うと、セルウィリアは王に向かって不敬な言葉を言ったと気付き、慌てて前に出した両手を振って変な意図があったわけではないと否定の意を表す。

「もちろん、陛下のお邪魔はいたしません」

 と、別の角度から甲高い幼い声が聞こえてきた。

「そうしていただかないと困ります」

 山のような書類を両手で抱えて、ラヴィーニアが執務室に入ってきた。

 そしてどすん、と大きな音を立てて書類を文机に安置すると、これ見よがしに肩を揉んでみせる。

「これ以外にも此度の戦の後始末を陛下にやっていただかなくてはなりませんしね。というよりそちらの方が急務です」

 そのラヴィーニアの言葉に有斗は大きく頷いた。

 そう、ラヴィーニアの指摘のとおり、有斗には取り急ぎやらなければいけないことがある。

「何か陛下が急いでしなければならないことってございましたか?」

 セルウィリアがきょとんとした顔で有斗を見上げる。

「それはカトレウスが作り上げた包囲網の後始末だよ」

 主力であるカヒの本隊は撤退した。であるから同じようにおそらく撤退するではあろうが、まだ河北には万を超えるカヒの軍勢がいる。そのまま占領を続ける可能性もないわけではない。一人、河北で孤軍奮闘を続ける第十軍のためにも、援軍を送らなきゃならないだろう。

 それより問題は南部や関西にはカヒに協力して兵を挙げた諸侯のことである。場合によっては討伐のために王師を派兵する必要が出てくるであろう。

「王師を派兵して攻め滅ぼすべきではないでしょうか? 裏切り者に制裁を加えることで、今後裏切る諸侯が減るはずです。カヒの味方についた諸侯は集めればそれなりの数になりますが、それぞれの思惑がありますからカトレウス以外の人物の下ではまとまらないでしょう。まとまりさえしなければ諸侯など王師の敵ではございません。王師の将軍に任せておけばいいではありませんか」

「だが彼らにも事情がある。周囲がカヒについたから、と流される形でなんとなく包囲網に参加した諸侯もいるだろう。あるいは領土がカヒに近いから攻め込まれるのを恐れて、カヒに味方せざるを得なかった諸侯もいるに違いない」

「反乱を起こしたのですから、有無を言わせずに攻め滅ぼしてしまうのが当然だと思いますけれども。慈悲を施せば相手に必ず感謝の気持ちが芽生えるわけではございません。再び反乱を起こされて大勢の犠牲を出すことになるかもしれませんよ。そうなってからでは悔やんでも悔やみきれません」

「だけど今回の反乱に加わった諸侯はちょっとばかり数が多すぎる」

 これを全部攻めるとなると大変だし、反発も大きいだろう。それに関西の西の果てから南部の東の端まで広範囲に散らばっているのだ。制圧するまでに(こうむ)る被害は甚大なものになるだろうし、戦争に使う経費も莫大なものとなる。それにどれだけ時間がかかるかわからない。その間にカヒに立ち直りを許してしまうかもしれないことを考えると、長々と決着を先延ばしにしないほうがいい。

「ここは硬軟使い分けて、なるべく穏便に済ませ、一刻でも早く国内を落ち着かせて国力を蓄えるために、味方にすべきところだと思う」

 それにもセルウィリアは納得できないようだった。

「あくまで陛下と戦うという諸侯がおられたらどうなさいます? こちらが望んでも向こうは平和を望まない場合も十分考えられますわ」

「王師を送って鎮圧するしかない。もちろん、それは戦うさ」

「・・・ならよろしいと思いますけれども・・・」

 まだ自説に未練を残しているのか、口篭った。

 しかしこれはセルウィリアにとっていい兆候かもしれない。自説にこだわったのはその方が有斗の、というよりは朝廷の、ひいては臣民のためになると本気で考えているからだ。他人事と思っているのなら自説に固執する必要はまったく無い。適当に臣下に合わせて流されるまま嫌々政治をとっていたことを考えると素晴らしい進歩だ。

 もっともこれが有斗の前で『国政を真剣に考える私』という人物を演じていなければの話ではあるが。

「みんなはどう思う?」

 有斗は執務室にいる一人一人に意見を求めた。

 まず口火を切ったのはアエネアス。

「裏切った諸侯にダルタロスも入っているからな・・・私からは諸侯を攻め滅ぼせとはちょっと言えないな。ま、でもカヒに勝ったといってもこちらの被害も大きい。今は国力充実の時だ。有斗の考えを支持するよ」

 次に目線を向けたアリスディアは立ち上がると一礼して

「わたくしは尚侍です。国事に関しての私見は差し控えとうございます」と、言った。

 次に指名したラヴィーニアの語ったことは彼女に相応しく、双方の損得を明確に提示することだった。

「それぞれに理あり、と考えます。陛下が何をもって優先したいか、それによって選ぶべきと申し上げておきます。もし王権の確立や諸侯の引き締めを優先したいとお思いなら有無を言わせずに攻め滅ぼすべきかと。ただこれは国力の低下を招くことだということも覚えておいて頂きたい。諸侯は各地に広く点在するのです。すべて平定するのに何日かかるかも分かりませんし、国中が荒れ果ててしまう可能性もあります。次に諸侯の罪を許した場合のことを考えましょう。現在の国力を考えると、戦争に回す経費を国力充実に使えるのは明確によいことです。再びカヒと戦う日のために兵を養い、武器を揃え、兵糧を蓄えることができます。もちろん同様にカヒも力を蓄えるでしょうが、領土の大きさを考えると時間が経てば経つほど朝廷有利となるは必定です。ただ諸侯に反乱しても大したことはないと朝廷の威信を侮るものが生まれる危険性があります。また矛を収め和睦を了承した諸侯の仲に面従腹背の徒がいないとも限らず、戦場で裏切られる可能性が出てくることだけは覚えておいていただきたい」

 有斗はあごに手をあててしばらく考え込んだ。

「・・・やはり説得することにしよう」

 長い目で見たらやはり国力を充実させるのが一番と言えよう。

 それに大半の諸侯は自身の生き残りをかけてカヒに付いたに過ぎない。有斗に個人的な怨恨は無いはずだ。

 ならば国力を充実させ、カヒより朝廷のほうが強いと感じさせれば、彼らは裏切らないということだ。マシニッサみたいのはともかく、少しは恩義に感じてもくれるだろう。

 その恩義が朝廷とカヒが五分五分で拮抗した場合に、諸侯を有斗のほうにぐいと引き寄せてくれるかもしれない。

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