その男、マシニッサ。
かくして初めての勝利はあっけないくらい容易くもたらされた。
「まずは緒戦の勝利おめでとうございます」
円座を組んだ一団の中でアエティウスが杯を高らかに掲げた。
「おめでとうございます」
皆が一斉にその言葉に続く。
「ここは・・・ありがとう・・・・・・でいい?」
有斗は皆の視線を一心に浴び、おたおたしながら杯を持ち上げた。
「よろしゅうございます」
アリスディアが有斗の手をもう少しだけ高い位置まで持ち上げるとそう言って微笑んだ。頭の上まで持ち上げなきゃいけないってことか、と有斗はもう一度角度と高さを確認するために杯を持ち上げた。
このように有斗はこの後に控える宴の礼儀作法を皆から教わっていたところだった。
国王が主催する権威ある宴だ。新歓コンパなんかとは当然違う。その違いを覚えないといけない。
諸将が一同に集う場だ。きっと有斗の一挙手一投足は注視されているに違いない。ちょっとしたことでも物笑いの種になる。そうならないように行動しなければならないから、有斗は必死になって覚えようとしていた。
「次に抜きん出た武功の将軍がおられた場合は、今回の戦は何々が獅子奮迅の働きをしてくれたからだ。何々の功に乾杯、と続ければよろしい」
「うん」
あれ・・・でも今回は誰が活躍したとかいうのではなく、勢いだけで押し切ったようなものだ。
強いて言えばアリアボネだけれど・・・でもアリアボネはあまり表に出たくないと言っていたな。
どうすればいいんだろう・・・?
「周囲の者たちが功を立てたと認めるほどの人物がいないときには?」
「我が軍の将士に乾杯だ、とか勝利を祝して乾杯、と言えばいいのです」
「で乾杯すればいいの?」
「はい。一気に飲み干すのが礼儀なので、残さぬようにお飲みください」
そう言われたが、乾杯に使う金属製のこのコップは、上に行くにしたがって弧を描いて広がり、量があるので飲むのは結構大変だ。しかも中に入っている酒ときたら、アルコール度数は低いくせに濁っていて、甘さのなかに辛味があり、しかもそれが全然調和しておらず、さらには原材料の粉っぽい何かが飲みにくさを倍加させているという代物だ。
ひとことで言うと、不味い。とても不味い。日本ならまず売り物にならないレベルだろう。
だけれどもこの世界の皆がこれを美味いと言ってガブガブ飲んでいる以上、不味いと表情に出すのはダメなことくらいは有斗でも理解できる。
有斗が恨めしげにコップに入った酒を眺めていると、
「大変です!」
兵士が本陣に前触れもなく足元もたどたどしく入ってきて、急を告げるように叫んだ。
「戦勝祝いに、や、やってきました!」
「誰が来たって?」
珍しくアエネアスにしてはもっともな質問を発した。確かに主語がないと、こちらも理解することができない。
でもそれだけこの兵士が動転しているということかもしれない。
「それが・・・」
兵士は一旦、顔を伏せると苦々しげな表情で報告した。
「トゥエンク公です」
「マシニッサか!」
アエネアスはその名を聞くと、汚らわしいものを聞いたとばかり顔を歪めた。アエティウスとアリアボネとアリスディアは互いに顔を見合わせた。
え? なになに? このリアクション? いったい何が起きたというのだ?
「今頃何しに来た。迷惑な!」
アエネアスのその言葉にアリアボネが答えた。アエネアスに言うというよりは、有斗にわかるように解説したというところだろう。
「たぶん・・・我がほうの勝利を聞いて、顔を出したというところでしょうね」
「マシニッサって?」
有斗はアリアボネに訊ねた。
「南部四衆のひとつトゥエンクの現当主」
それって大物じゃないか。ということは来訪は喜ぶべきことではないのか?
味方につかないとしても、ここに来るということはおそらく敵であることはないだろう。
「別名を不動のマシニッサ」
アリアボネの説明にアエネアスは注釈を追加した。
「それは本人が自称しているに過ぎない、アレを少しでも知ってる人間なら『不道』と呼ぶ」
「フドウ・・・?」
アリスディアは咄嗟に机に指で不動、不道と書いて見せた。
二つの漢字どちらを取るかで、意味がそうとう違うことになると有斗は興味を抱き、訊ねた。
「・・・なんでそんなことを言われるの?」
「東方の大豪族カヒ家は勢力拡大を目指してたびたび南部に侵攻をかけます。南部諸候が白旗を揚げた中、マシニッサは自領に引き込んで抗戦を続けました。だが前面に沼と川、後背に山脈があるその場所を見たカヒの当主カトレウスは容易に兵を動かすことができず、にらみ合いが始まりました。とうとう両軍とも戦機が熟さずに槍を交えることなく、冬が訪れる前に退きました。カヒの大軍を相手に三ヶ月、一歩も退かなかった大豪の者よと名を上げました。それで人呼んで『不動』のマシニッサと」
武人としての名声か・・・ゲームでいうとあれだろ、武力九十以上とかだな。だとしたら欲しいな、味方に。
「もっとも南部にいる者でマシニッサをそっちの『不動』で呼ぶ者は少ない。童から老人まで『不道』と呼ぶ」
「不道殿は僭称者なのですよ」
アリアボネがアエネアスの言葉を継いだ。
「姉婿でもある主君を暗殺してトゥエンク家を手に入れたのですよ」
「なるほど」
主君を殺すなど確かに悪いやつだ。皆が嫌うのもわかる。味方にするのは早計というやつだな、と有斗は考える。
「それくらいなら、この戦国の世、他にも例のあることです。特に珍しいことでもありません」
「え・・・そうなの?」
主人であり、なおかつ義理の兄を暗殺するのが珍しくないとか、なんてぶっそうな世界だ。
まさかとは思うけど味方にそんな危険人物いないよね・・・?
いたら嫌だなぁ・・・なんだか今日から安心して寝れなくなっちゃうじゃないか。
「はい。そこにいたるまでの過程が特筆すべき経歴なのです」
アリアボネは有斗の驚愕をよそに平然と頷き、話を続ける。
「マシニッサは陪臣のそれも枝族の出、5人程度の兵がやっとの小さな小さな武家だったのです」
そこまでは・・・おかしなところはないな。
「まずは伯父を酒宴にことよせて自宅で暗殺し、ヒオス家を乗っ取る」
いきなり暗殺とは実に穏やかじゃないと有斗は眉を顰める。
「隣接するメッシニナ家の当主が馬好きと知り、良馬を送って媚び諂い、盛んに交友してお互いの城を行き来しあう仲になったところで暗殺。そして三歳になるメッシニナの子供を、将来の禍根を残さないため暗殺」
「・・・三歳の子供を!?」
「ええ」
アリアボネは驚きのあまりに大声で放った有斗の疑問に、あっけなくその一言を返しただけだった。
三歳の子供を殺すなんて日本なら大事件だよ!?・・・『ええ』の一声で流しちゃえるの? これが戦国の世界に生きる人たちの感覚なのか?
「それらの事件を、ヒオス家の代々の重臣であり、ことあるごとにマシニッサに反発していたアルゴリスがやったと言いがかりをつけ、ついでに打ち首に」
「そしてメッシニナの土地を横領」
「同じトゥエンクの重臣だったスコイネウスを暗殺」
「仇をとろうと攻め寄せてきたスコイネウスの息子を毒酒で暗殺」
「マシニッサの妻は父であるスコイネウスを殺されて自決」
「あまりの腹黒さに近隣諸侯もマシニッサに脅威を抱いてメッシニナ家の血を引く者を担ぎ上げて同盟し、メッシニナの地に攻め寄せました。十倍もの大軍にどうすることもできず、クストリアの合戦で手ひどい敗北をくらったマシニッサは全面降伏すると言って和議を持ちかけ、やってきた敵将二人を謀殺することで敵軍を追い払いました」
アリアボネとアエティウスとアエネアスが次々とマシニッサとかいう男の悪事を並べ立てる。
「約束を守ろうとかいう気はまるでないの・・・? マシニッサとかいうやつは」
有斗は次から次へと出てくるマシニッサの悪行三昧に思わず眉間にしわを寄せた。
その有斗にアエネアスがまるで毛虫とか気持ち悪いものを触るときのような顔でマシニッサについて触れる。
「あるわけがない。それがマシニッサという男だからな。南部ではむしろマシニッサを信じてほいほいと会談に応じた二人のほうが愚かだと笑われているくらいだ」
それもどうかと思うけどなぁ・・・
「領内から敵軍を追い散らすと、今度はクストリアの合戦で自領を守ると言って出兵を断った、リュケウスの支族で重臣でもあるパノスを、家に侵入した盗賊と間違えたと称して闇討ちし、その後に弱体化したリュケウスを攻め滅ぼす」
「リュケウス家に嫁いでいたマシニッサの妹は自決」
「リュケウスを滅ぼす為に篭絡していたグレイヴスを恩賞をやると言って宴に招き、暗殺する」
「グレイヴスに嫁いでいたマシニッサのもう一人の妹はマシニッサを刺殺しようとするが失敗、逆に切り殺される」
「・・・妹二人も死んでるの?」
「ああどちらもマシニッサのせいでな」
アエネアスのその言葉にもう沢山だ、と思った有斗だったが、マシニッサが巻き起こす悲劇はまだまだ終る気配はなかったのである。
「そして主君でもある名家トゥエンクのバルテロバを嫡男もろとも失火と称して焼き殺す」
「バルテロバの妻であるマシニッサの姉もついでに焼き殺す」
「自分の2歳になる子をトゥエンクの跡継ぎにし、トゥエンク家の乗っ取りに成功」
「バルテロバの妹であるマシニッサの二番目の妻は寝所にて切りかかるも、マシニッサが鎧を着込んでいたため目的を果たせずに自刃」
「それから・・・」
「もういい、もういい、わかったから」
話を聞くだけで有斗は頭がくらくらしてきた。これ以上聞いたら気が変になりそうだった。
「いいのか? まだあるぞ?」
まだあるというのか・・・そいつは良心の欠片ひとつ持ってないというのか?
悪魔の生まれ変わりかなにかかよ・・・
「どうやらあまりご近所付き合いしたくない相手のようだね」
その言葉に有斗以外の皆が一斉に頷くのを見て、有斗はとてつもなくやっかいな相手が来たことを心の底から痛感した。
さきほどの話から考察するに、目つきは鋭く、顔に刀傷のある陰険な親父を想像していたのだが、現れたのは軽い、いやチャラい若い男だった。
「やぁやぁ久しぶりだね、アエティウス」
作り笑顔満開の男が現れた。そこそこかっこよくて、どこか小ずるそうな顔である。ホストにでもいそうな顔だ。
だがよく見ると、そうやって話している間も目は油断無くあちこちを観察している。
なるほど、抜け目のなさそうな男だ。
「お久しぶりです不動殿」
「一瞥以来だな! しかしなんだその堅苦しさは! 我らの間に堅苦しい挨拶は抜きだと言ったろう?」
マシニッサはアエティウスの肩に気軽に手を掛け笑った。
「それにしても水臭い。兵を挙げるなら挙げるで、前もって俺に一言声をかけてくれよ。俺とお前の間柄じゃないか。いや、そもそも我らは親友だ、もっともっと付き合いを深めるべきなのだ。たまには我が家に遊びに来てくれよ」
アエティウスの肩に手を掛けながら、空いているほうの手で胸を軽く叩く。その姿は、まるで三十年来の友人のようだ。
その姿に我慢がならなかったのか、横からアエネアスが口を挟んだ。
「そう言って来たところを暗殺するんだろう。誰が行くか!」
「おお・・・麗しのアエネアス殿ではないか」
マシニッサはアエネアスに近づき挨拶の為に手をとろうとしたが、いやそうに払いのけられた。
「なにが『麗しの』だ。お前の口から出る言葉は本当に真がないな」
「何を言われる誠実が服を着て歩いていると評判のこの私に! それにしても・・・いつみても美しい」
「お前に褒められても、まっっっっっっっっっったく嬉しくない」
マシニッサの賛美の声にもアエネアスはけんもほろろだった。
「まだ嫁のいく先は決まってないのか? まったく南部の男どもは何をしているというのだ、なさけない。こんな美人を独り身のまま放っておくとは! 何なら俺のところに来るがいい。俺はいつでも歓迎するぞ」
「結構だ。早死にしたくはないのでな。それにお前と結婚するくらいなら牛か馬と結婚したほうがマシだ!」
ぷっとアリアボネはその掛け合いに笑い声をもらした。これ以上はもうこらえきれないと言ったふうだった。
「おや、アリアボネ殿もご一緒だったか」
一瞬見せた意外そうな顔を素早く仕舞い、マシニッサは今度はアリアボネに愛想を振りまく。
「南部の名花と呼ばれたアリアボネ殿でも依存は無い。どうだ? 嫁に来るか?」
「私は労咳の身です。お構いなきよう」
「そうであったな・・・それは実に残念だ」
さも残念そうな顔を作り終えると、マシニッサは再び愛想笑いを浮かべて問い質す。
「で、王はどこにおられる? お目見えを賜りたいのだが」
「ああ、ここにいるコレだ」
マシニッサの言葉にアエネアスはアゴで有斗を指し示した。
せめて指で指し示してくれないかなと有斗は思った
だがマシニッサは有斗をしげしげと見た後、
「なかなか凝った冗談だな」と頭を軽く掻いてみせる。
「だがお前たちは俺を馬鹿にしすぎだ。冠をかぶせるだけで王に見えるとでも思ったのか? んん?」
マシニッサは有斗を指差すと、なんとアエネアスばりの酷いセリフで罵倒した。
「このツラのどこをどう見たら王に見えるのだ!? 影武者失格だ! どこの農家から借りてきたのかしらんが、せめてもうちょっと威厳のある兵士でも選ぶんだったな!!」
・・・悪かったな。威厳のないツラで。
「あの・・・不動殿」
「なんだい? アリアボネ殿」
「そのお方が陛下なのですよ、間違いなく」
「アリアボネ殿まで私を担ごうとするのか? 冗談はいいから陛下のところへ連れて行っていただきたい」
「・・・・・・」
皆、口ごもる。
「アエティウス、俺とお前の仲じゃないか」
アエネアスがニヤニヤしながらマシニッサに認識の過ちを訂正した。
「お前の言う、その威厳の無い男こそが我らの王だ」
マシニッサはニヤニヤ笑うアエネアスと不満げな有斗の顔を交互に何回も見ると、どうやらそれが本当のことだと気付いたようだ。
「これは非礼を・・・!」
マシニッサは慌てて有斗に拝の礼を捧げ神妙な態度を取る。
「いや・・・いいよ」
有斗はアエネアスのおかげでもうすっかり、そういったぞんざいな態度に慣れきっていた。悟りの境地だったのだ。
有斗は一つの真理にたどり着いていた。有斗はどんなに絢爛な衣装を着ても、どんなに豪華な王冠をかぶっても、王に見えることなど決してないらしい。
やっぱりあのぼろっちい衣装のままでいてもよかったんじゃないかなぁ・・・と有斗はいじけた。
マシニッサは有斗に非礼を詫び、敵対することは無いということを回りくどく話していた。
とはいえ有斗はその間も目の前に置いたままの杯とマシニッサの両手から目を離さないことに全神経を集中させていて、何を話しているかなんてほとんど頭に入ってきやしなかった。
目を離したら杯に毒薬を入れられるんじゃないか、袂から暗器でも出るんじゃないかとヒヤヒヤしどうしだったのだ。
「では不動殿のお手も借りられるものと考えてもよろしいので?」
おお・・・そういえばそこが大問題だよな・・・
有斗が監視に手一杯で何も言わなかったのを見かねたのか、アエティウスが問う形になった。
「是非そうしたいのだが、我が領地はご存知のごとくカヒの領土に近い。迂闊に兵を動かすとあの豺狼の野心に火をつけかねぬ。なぁに代わりと言ってはなんだが、例えカヒが南下して南部に攻め込もうとも、私が全て食い止めてみせる。安心して王都へ向かうが良いだろう」
そう言って胸を昂然とそらせるマシニッサにアエティウスは皮肉たっぷりに言った。
「それは何より心強い」
マシニッサが出て行った後、有斗はアリアボネに疑問をぶつけた。
「ねぇアリアボネ」
「なんでしょう陛下」
「マシニッサは僕に挨拶をしに来ただけなのかな?」
「そうではありません」
これには深い意味があると、アリアボネが指摘した。
「陛下に会いに来たことで朝廷の味方をしないことを表し、また出兵しないことを名言されたことで、我々の味方もしないと宣言したのです。・・・つまり中立ですね」
「あいつらしい汚いやりかただな。勝ち馬に乗ろうって魂胆か」
アエネアスが吐き捨てるように言った。
「それでもありがたいな」
どうやらアエティウスはアエネアスとは違う考えのようだった。
「後背を気にせずに進むことができるからな」
「ええ。でも油断は禁物です。相手はあの不道殿なのですから」
「わかってる。監視はこれまでどおりに続けることにしよう」
どうやらその口ぶりでは今現在も監視しているふうだ。
・・・実に抜かりはなく、心強いことだ。
それにしてもあれだなと有斗は思う。王だというのに有斗はそういうことも基本、蚊帳の外らしい。
・・・しかたがないけどさ。
マシニッサは陣所から出ると繋いでおいた馬にまたがった。
外で待たせておいた副官が馬の首を並べるようにして近づく。
「どうでしたか? 王にお会いできましたか?」
「ああ、会った。気弱そうな少年だったよ。あれは傀儡だな。実質ダルタロス家が牛耳っていると考えておいたほうがいい」
それを知れただけでも来た甲斐は十分あるというものである。アエティウスが操っているというなら王師相手であっても、まさか容易く敗北したりはしまい、とマシニッサは腹の中で計数する。
「で、我らはどういたします?」
「どうもせんよ」
それでは拙いのではないか、と副官は問題があると言わんばかりだった。
「態度を明確化しておかねば、後々やっかいなことになりはしませんか?」
「王師は強い。されど南部十二諸候も集まればちょっとしたものさ。簡単に優劣はつけられんよ。河北の賊の動向もある、関西も最近は何かとちょっかいを出してくると聞く。王師四軍全てを南部に回すなどできはせぬ。戦争はセルゲイの乱のように長引くと考えたほうがよかろう」
かつて南部で起きたセルゲイの乱は休戦期間があったものの、前後七年に渡って南部一帯で長期にわたって行われた大戦だった。
「必ず勝利するのならともかく、それが分からぬ以上、ここはじっとしておくのが吉さ。今回、王に会いに来たことで王への面子は立った。少なくともアエティウスあたりは、しばらくは俺が動かないと考えてくれるだろう。王側が勝利しても加増されることこそあれ、俺が処罰されることはない」
「ですが朝廷側が勝ったとしたら?」
「その時はこたびのことは王を暗殺せんとしたが、警備が厳重で失敗しましたとでも言ってやればいいのだ。そして王師が南部に攻め込む前にダルタロス領に侵攻してその全てを手に入れる。かくして我がトゥエンクは南部一の大諸侯となるというわけさ」
「それなら・・・」
副官は首を傾げた。
「自領から兵を遠征させている今こそダルタロス領に攻め入られてはいかが?」
どうせ手に入れようとするなら早いほうがいいに決まっている。副官の見るところ、結局は王師が勝つと思われた。
そもそも南部で起きた反乱騒ぎは歴史上数多くあるが、南部から中原へ攻め入って勝った例は何故か一度も無いのだ。
偶然と言えば偶然だが、それゆえ南部の者には中原を憎む心と同様に、中原の朝廷には勝てないと言うトラウマに似た心も持ち合わせているのである。
それゆえ副官はそう進言した。
「無理だな」
だがマシニッサは副官の献言を一言で退けた。
「アエティウスほどの男だ。兵士全てを出兵させてはおらぬだろうよ。万全の防備の体制を敷いているにちがいない。我々が攻略に手間取っている間に兵を帰すだろう。我々は腹背から攻撃を受けて敗れる」
「でもむざむざと敗北はしません! 一矢報いることも可能でしょう!」
トゥエンクとて南部四衆のひとつだ。ダルタロスと五分に渡り合えるはずである。
「そうだな。だがその後はどうなる? 我々もダルタロスも兵を大きく損ね睨み合いが続く、そうなれば・・・王師がやってきて弱りきったダルタロスを葬り去るだけだろう」
「だけれども恩賞は下賜されるのではないですか?」
「中央の連中がダルタロス領をこの俺にくれるとでも思うか? あの交易の要衝であり、肥沃な土地を?」
マシニッサの指摘に副官は押し黙った。
「いえ・・・それは・・・」
「我々は多量の兵馬と兵糧と金銭を無くしてまで得るものは、お褒めの言葉と些少の金くらいなものさ。ああ、あれがあったな、官位とか言う腹の足しにもならないゴミが。あれもくれるかもな。だが肝心のダルタロス領は朝臣が自分たちで分けあって俺の手には入らない、違うか?」
「おっしゃるとおりで」
「以上から俺は動かない。ダルタロスが勝てば王から礼金や領土をせしめ、朝廷が勝てば俺はダルタロス領をいただく。これ以上の良策があると思うか? んん?」
「納得しました」
「ただ、ダルタロスに攻め入るという発想は悪くないぞ。もう少し俺に兵があったなら、今すぐにでもそうしてやるのだが」
マシニッサは心底、悔しそうにつぶやいた。
「実に残念です」
「しかし、まぁあれだ」
マシニッサは肘で副官を小突くと不敵な笑みを浮かべた。
「お前もなかなか俺の腹心ぶりが板についてきたようだな。考えることが実にあくどい」
「マシニッサ様の教育の賜物かと」
何がおかしいのやら主従は同時に楽しげに笑った。