ニザフォスの戦い
「申し上げます」
前軍を任されていたはずのプロイティデスが本陣に戻ってきた。
プロイティデスはダルタロスの家老の家系の出で、軍を率いても、民を統治させても粗忽なところが無い、自分の片腕とまでアエティウスに言わしめる人物だ。あの口の悪いアエネアスも剣の腕が立ち、忠臣で得がたい人物だと褒めていた。
一見すると二十歳前に見える若さだが、実際は四十を越えているとか。この外見が止まってしまうという現象は、外見でその人の年齢などを判断する世界から来た有斗にとって意外とやっかいであった。
若そうに見えたら実は大先輩とかありすぎて困るのである。相手の実年齢を探り探り話すしかないのだろう。
アリスディアに言わせると使う語彙や立ち居振る舞いから大体分かりますよ、とのことだが、有斗にはプロイティデスが四十歳オーバーだとはまったくわからなかった。
「三里前方にフォキスの旗が見えるとの物見の知らせが」
「ほほう。南部に生を受けて、いまどき中央に義理立てするような感心な男がいたとはな」
アエティウスは皮肉をこめて笑った。
「数は?」
「五百とのことです。山岳に布陣しており友軍は見られないとのこと」
「ほぼ全軍・・・か」
「だけれども我々と戦うにしては少なすぎる。あるいは我々を誘い出し罠にかけるのやも」
アエティウスはアリアボネのその言葉にひとしきり罠の可能性を考えていたが、
「・・・まぁいいさ、陛下に戦のありかたを教えるには悪くない、一戦するか」と心を決めた。
「全軍に通達! 前方に敵影! 峠の一里前まで進んだのち布陣する!」
有斗はその命令に違和感を覚えた。
敵に備えて陣をすぐ作ったほうがいいんじゃないかな?
有斗は移動中で陣形もままならぬところで、不意打ちを受け敗れた例を知っている。まぁラノベの中の話なんだけど。
また敵が布陣するところまで、伏兵できそうにない開けた場所だと言うのなら、もっと近づいてから一気に布陣したほうがいいんじゃないかなと、有斗は不思議に思った。
「一里・・・? 何故そんな中途半端な距離で? 今すぐに陣を構えればいいんじゃないかな?」
「陛下は戦争を知らないとおっしゃったが、それはいい質問です」
アリアボネは解説を始めた。再び有斗の教師役を務めることにしたようだ。
「われわれが通る道は幅三間(約五・四メートル)ほどの狭い道です。ここで陣を布陣すれば、兵は道の両脇の田畑を通って行くことになりますよ? 田畑を踏み荒らされる民の恨みも買います。それに畑はまぁいい、ですが田んぼは膝まで泥に浸かります。鎧を着ている兵たちが前進できるとお思いですか? またあそこに見える雑木林、その向こうの用水路、溜め池、そこかしこに通るのに困難なものがあります。敵にたどりつく頃には陣形が維持できてるとは思えません」
「ならば、もっと近づいてから陣を構えたら? 敵の百メートル・・・あ、五十間くらいまで近づくとか」
「五十間ならばもう弓の射程距離圏です。とてもとても・・・。それにこの狭い街道を長い縦陣で行軍しているのですよ。陣形を整え兵を並べきるのにどれだけ早く見積もっても半刻は必要です。その間に敵の攻撃があったらいかがします? 我々は敵に比べて優勢です。だが軍が軍であるには綺麗に陣形を敷いてこそです。陣形の整っていない軍などただの兵の塊にすぎません。兵数では勝る軍が、勢い勝る少数の軍に破れた例は数知れません」
「そうか。敵も移動することや、攻撃することも考えなくちゃならないってことか・・・」
すっかり納得がいった。離れすぎても近すぎてもいけないんだな・・・
「そういうことです。一里あれば例え敵が攻撃してきても、それなりの陣形を構えられます」
これもよく覚えておこうと有斗は思った。
敵が近づくにつれ、前だけでなく横へも斥候を出し警戒を強める。
だが幸いなことに敵に大きな動きは見られなかった。
「敵の前軍は山すそに展開しました。旗こそ多いものの、実際はその数は少ないと見ました。我々を誘い出すのが目的かと」
斥候の知らせにアエティウスは、
「どうやら平地には出てこないようだな」
と、残念がった。
「ニザフォス峠は天険の要害です。両側が切り立った崖で幅三間(約三・六メートル)ほどの登りが緩やかに続く。その峠の頂点に陣取っているのが本陣かと」
アエネアスが羽扇を道に見立てて、その地形を有斗たちに説明した。
「その天険に頼って我々を退けようというのか」
「まぁ常道ではありますね」
「さてどう攻めるか・・・」
悩むアエティウスにアエネアスが献言する。
「兄様、確かに敵に地の利ありとは申せ、数なら味方は二十倍もいる。力押しでかたをつけるべきだ。日暮れ前までに終るだろう」
軍議の席に彼女がいるのが有斗には不思議なことだったけど、こういうことかと納得する。
どうやらアエネアスは常識的な意見を言って議論のきっかけを作るという役目をこのメンバーのなかで担っているようである。
政治なんかだとその役目はアリスディアになるのだが、先ほどから黙っている。もっとも彼女に戦の話は似つかわしくない。
と分かったように考える有斗が一番場に似合わないのは言うまでもない。
「ですが損害は大きなものになりましょうね」
おそらくそうなるだろう、アエティウスはそう思った。この地形では大軍を展開できない。実際に争える兵士の数はほぼ同じだろう。そのうえ敵は高所に陣取っている、矢戦では圧倒的に不利と言えよう。
「どの諸候もいやがるだろうな・・・味方の後背定まらぬ中、人心を掌握していないこの時に、このような役は他家に割り振るわけにはいくまい。まして緒戦だ、敗北は許されぬ。我がダルタロス家が先鋒となるしかあるまい」
「それは困る。我がダルタロスに無駄に死んでよい兵などいないぞ」
アエネアスが苦い顔で他の方策はないのかとアリアボネに目線をやる。
その視線に答えるようにアリアボネは試案を披露した。
「兵を迂回させ後方から奇襲をかけては? 成功すれば敵は混乱を来たし勝利は容易いかと」
だが眼前の小さいが急峻な山を目にして、それが容易ならざる行軍であることは明らかである。
「山を分け入ってか? 間道を使えば通れぬことも無いが大軍の移動には向かぬ。時間もかかる。敵に知られずに進軍できるとは思えないな」
「それでは夜討ちか朝駆けで敵の不意をつくのはいかが? まだ暗いうちなら矢もなかなか当たりますまい。死傷者を減らせます」
アリアボネの再度の提案にアエティウスは同意を示した。
「そうだな。やはりそういうところで落ち着くしかあるまい」
「で、陛下のお考えは?」
と、アエティウスに聞かれた有斗だが、
「いいんじゃないかな」としか答えようがない。だって有斗は戦争のことなんかまるでわかっちゃいないのだから、ここはアエティウスたちに任せるしかないのである。
「お待ちください」
と、そこで再びアリアボネが声をあげた。
「フォキス伯は何故城外に打って出たのか、考えてみるのはいかがでしょうか? そこに解決策があるかもしれません」
その言葉に有斗たちは一斉にアリアボネを注視した。
「殿」
髪もヒゲも白い厳しい家老と共にフォキス伯は峠の最高点から、目の前の街道を黒々と埋めつつ前進する南部諸候軍を眺めていた。
「物見からの報告ではダルタロス以外の旗も見えるとのこと。数は七千を超えるかと」
「思ったより多いな」
目の前の黒い線は一点で止まると、それ以上近づこうとせず、左右に広がり布陣を開始した。
「布陣が完成するのに一刻はかかろうな」
そして傾き落ちる西日の高さを確かめる。もう丘陵に飲み込まれんとする寸前であった。
「日が落ちるまでもう時間はない。決戦は明日だな。だが夜戦をしかけてくるやもしれぬ、くれぐれも油断無きようにせよ」
「はい。その・・・」
家老は己の主君を恐る恐る窺い見る。
「まさかここで王師が来るまで、足止めする気ですか?」
こちらは五百なのである。
確かにフォキス伯は要衝の地に布陣し、一見有利な態勢を保持しているが、敵は十倍以上の大軍なのだ。力攻めをされては、いつまでも防ぎきれるわけなどない。近隣の諸侯にも声をかけたが色よい返事は無かった。よって後詰はない。兵糧もそんなには持ってきていない。長期対陣も可能ではない。あらゆる要素が敗北の二文字を表していた。
「そんな馬鹿なことを誰がするか」
「ということは・・・単なる時間稼ぎということですか」
主君の言葉に家老は胸をなでおろした。
「違うな。はっきりと朝廷にお味方であるとお見せしなければ、後々面倒なことになるからだ。ダルタロスは我々と比べると強大だが、王師の敵ではない」
「ならばわざわざ野戦を挑まず、城にこもって遣り過されては?」
南部諸候軍は王都に向かうのだ、放っておけばいなくなる。わざわざ兵を起こして、彼らの前に立ち塞がるという寝た子を起こすようなことはしなくてもいいではないかと言いたいらしい。
だがフォキス伯は副官の誤った認識を否定した。
「自領に足を踏み入れられるのを黙ってみているなど、諸侯の物笑いの種だ」
今は戦国なのだ。『あの領主は弱く勇気も無い』などと云う噂が立ったら、すなわち舐められたなら、それで武将としての生命は終ったも同然なのだ。きっと周囲の諸侯によってたかって領土を喰いちぎられることだろう。
「幸いに峠を先に押さえることができた。ここで一戦交えてフォキスの意地を見せた後、ただちに城に退き篭城する」
家老は恭しく頭を下げる。
「そういうことならば、私めも反対はいたしません」
深夜、夢の世界にいたフォキス伯を外部から呼ぶ声が聞こえた。。
「殿、お目覚めですか」
その言葉に反応して、寝所の中では寝返りをうつ気配がした。
「・・・・・・ん?」
まだ目覚めきれてない身体をさすりながらフォキス伯は身体を起こす。
「敵陣に動きが見えます」
その声にフォキス伯は慌てて上着を着て、坂の下を眺められる陣の前方へ小走りで走る。
なるほど、副官の言うとおり敵陣では火が左右に大きく動くのが見えた。
空を見上げて月の位置を確認し、現在の時刻を把握しようとする。
「火の動きが騒がしいな」
「はい」
しばし二人は無言で火の動く敵陣をじっと観察し続ける。
「だが近づく様子は無い」
「この時刻、この暗さでは戦闘をしかけるのも容易ならず。夜襲をするということではないだろう。だが朝駆けを行うために、今から準備しているというのは早すぎる」
フォキス伯は上天に昇る三日月を見、次に東の空を眺める。
「日が上がるまで二刻はたっぷりとありましょうからな」
と、言う家老の言葉に、しばし考えていたフォキス伯だったが、
「わかったぞ!」
と、一つ二つ大きく頷いた。まさに敵の真意を掴んだとでも言わんばかりだった。
「敵は隊を分けて一部を迂回させて早朝に我々を挟撃するつもりだ!」
「そうと考えると今から動き始めるのは理にかなっていますな」
問題はどこをどう通るかということだが、さすがに深夜に道なき道を分け入っていくとは考えづらい。間道を使うと考えるのが一般的だろう。
「で、どういたします。むざむざ挟撃されるのを待っているおつもりで?」
「おまえは馬鹿か? 我々が欲するは完全なる勝利ではない。戦術的な勝利でいいのだ、それも犠牲の少ない方法でだ」
「とするならば・・・やはり?」
「当然間道を通ってくる支隊のほうが数も少なく、待ち伏せも容易だ。我々の後方へ回るのだから当然、通過する時刻も朝早いだろう。素早く戦い素早く退けば、ふもとの本隊がことを知る前に戦を終らせることも可能だろう。そちらを叩くことにする。うまくすれば大将首のひとつも取れるやもしれぬ」
フォキス伯は一刻も惜しいとばかりに、鎧を着けようと天幕に戻る。
「兵を一刻後に起こせ、馬の口を縛っておけよ、決して物音を立てるな。坂を下るまでは松明の使用も禁止だ。陣幕はそのまま、篝火は朝までもたせろよ」
楽しみだな。坂の下からではこの陣が空だとは気付くまい。朝、一斉に息せき切って坂を登ったダルタロスの阿呆どもは、空の陣を眼にして驚きで目を見張るだろう。そしてそこに支隊が攻撃を受け敗北したとの知らせが飛び込んでくる。
はめられた、と悔しがる顔が目に浮かぶようだった。やつらの顔を見るためにその場にいれないことが残念なくらいだった。
フォキス伯はしばし楽しげな空想に酔った。
東の空がかすかに明るくなっていく。
敵は初めて通る間道を通過するのに時間がかかっているのだろうか、まだ現れない。
無理も無い。間道は獣道が少しマシになった程度のものでしかないのだ。
だが少しかかりすぎる。
もし峠の陣所を朝駆けするのなら、とっくに眼前を通過していなければならないはずだ。峠の反対側の入り口を塞ぐことすらできないことになるぞ。
フォキス伯はいつに無い苛立ちを露わにしていた。
峠のほうとて、いつまでも擬陣でごまかしきれるものでもあるまい。日が昇りきれば炊煙が上がらぬことを不信に思うだろう。
そうなれば敵は峠に攻めあがるに違いない。
いや、我々が山中にいることに気付けば、峠を下り、間道の出口を塞いで我々を森の中に閉じ込めようとするだろう。挟撃される危険性だってある。退くことを考えると、ここにいられるのはそう長い時間ではないのだ。そろそろ来てもらわないとせっかくの待ち伏せが全て無駄になる。
一撃を食らわせてやるだけでいいのだ。あとは王師がダルタロスらを退治してくれるまで、ひたすら安全な城の中で篭っていれば良いだけ、実に簡単なもののはずだ。
それで俺は数千の兵を目の前にしながら一歩も引かなかった武功の者、という誉ある名で天下に知られることになろう。
恩賞だってあるはずだ。官職も得られるやもしれぬ。
木々が揺れだすと、それが少しずつ近づいてくる。
「チッ、やっときたかグズめ!」
しかしいくらなんでも遅すぎる到着だった。道でも間違えたか?敵の軍の先導は馬鹿しかいないのだろう。
「伯爵様、大変です!」
見張りをしていた兵の一人が突然大声を出した。馬鹿がここにもいた。
見つかったらどうする。夜半から待ち伏せをしてきたことが全て無駄になるではないか。
指で声を抑えるよう合図し、その兵の下に向かう。
「どうした?」
「あれをごらんください!」
木々が生い茂って視界を遮っていた。足を爪先立て木々の向こう、兵が指差した方角を覗き見た。
無人なはずのニザフォス峠から一筋の黒い煙がもくもくと立ち上り続けていた。誰かが違う誰かに何かを知らせようとするかのようだった。
一瞬、何が起きたか把握できなかったフォキス伯だったが、すぐにそれが敵軍のあげた合図だと悟った。
その時、何故夜半に出立したはずの敵軍に遭遇するのが今になったのかということをフォキス伯は理解した。
「いかん! 背後が塞がれるぞ!」
間道を通るこの軍は始めから我々を釣りだす罠だったのだ。
夜中にうごめいていた松明は兵士の移動の為ではなく、兵士が移動していると思わせる為だったのだ。
おそらく出立はもっと遅かったに違いない。
もう大声で敵に気付かれるとか気付かれないとかいう問題ではなかった。このままでは退路を塞がれて、我々は袋のネズミだ。司令官の顔色を見て、兵士たちも危険を察して我先にと逃げ出し始めた。
有斗たいは峠の最高点から西の森をずっと見ていた。アリアボネやアエティウスも一緒だ。
やがて間道のほうから待ちに待っていた煙が上がる。白煙だ。敵と遭遇したというしらせだ。
「アリアボネの想像通りだ。二手に分かれることなく僕らを迎え撃つことにしたようだね」
有斗たちは無人のニザフォス峠を一兵も損なうことなく占拠していた。
「それも予想通りに、間道のほうだった」
「ええ、わざわざ深夜に兵を起こし、松明を持って陣内を右往左往までさせたのですから、引っかかってくれなければ困ります」
「フォキス伯の目的は我々を一叩きすることでしょう。我々と城外で五分に戦うには数が足りません。そして間道を通るのは奇襲の分隊です。間道は狭い、そこを通る分隊は我々本軍よりも数は少ないのが常道です。木々が生い茂り待ち伏せも容易です。さらにはより城に近い。どこをどうとっても、誰が考えても、待ち伏せするとしたら間道を選ぶでしょう」
「しかし向こうが兵を二手に分けて僕らを防ごうとしていればどうするつもりだったの?」
「それはないでしょう。もし我々をフォキス領に一歩も入れないことが目的ならば、兵を二つにわけることもありえますが、我々を防ぎきるには何度も申し上げたとおり数が少なすぎます」
「そんなものなのかな・・・」
「それに、万が一そう行動していてもかまいません。被害は出ましょうけれども、少なくとも峠に陣取った五百の兵と真正面から戦うよりは損害は少ない。我々が王都に向かうにはどの道ここを通らねばならぬのですから」
もう一度、有斗の注意を向けようと、アリアボネは羽扇で西の山麓からあがる煙を指した。
「敵は迎撃を諦めたようですね、退却を開始したようです」
白煙はすでに消えていた、今そこにあるものは黒煙。それは事前に取り決めた軍の前方に障害物なし、の合図。すなわち敵が退却を始めたというしるしだ。
「よし、ベルビオ! お前に騎兵二百を預ける! 存分に暴れて来い!」
アエティウスの横に控えていた巨漢は、その言葉に不敵な笑いを浮かべると、
「委細承知!」
と、喜び勇んで坂を駆け下りていく。ダルタロスの兵士が二百人ばかり後に続く。
続いてプロイティデスを呼び出し、兵五百を付け後援とした。
「ベルビオは目の前の戦闘に我を忘れる悪い癖がある。お前が行って援護してくるがよい」
「はっ!」
「アエティウス殿、追撃もほどほどに」
目的を忘れてもらっては困る、とアリアボネは釘を刺した。
「今回の目的は我が軍をニザフォスの峠を抜けて王都へ向かわせること、フォキス伯を破ることではないのです」
「帰師は遏むる勿れ。囲師は必ず闕く、窮寇は迫る勿れです。もはや敵は城に帰ろうと必死になっております。死地に追いやられた兵は思わぬ力を発揮するもの。殲滅しようと囲むのではなく、背面を襲う程度に留めるべきですね」
「兵書の一説か、わかってるさ。しかしフォキス伯に打撃を与えるのは長期的に見ても悪くは無い。我々の後背でチョロチョロされても目障りだしな。少しばかり痛い目にあってもらって、王都が陥落するまで蓋の閉じたサザエのように城に閉じこもってもらうことにしよう」
周りを囲む兵士たちから一斉に陽気な笑い声が起きた。
アエティウスの言葉の通りフォキス伯は少なからぬ兵を損じることとなった。
ベルビオらは、あえて間道の出口を開けておき、山岳から兵を平地に引っ張り出して後に、隊列もままならぬフォキス伯の軍をさんざんに打ち負かしたのだった。
味方の被害は少なかった。なかでも両手に戟を構えたベルビオの活躍はすばらしく、腕を振るう度に敵兵の死体を積み上げ、兜首だけでも十は数えた。
部下が取った首とは、主君が奪った命に等しいのだから、きちんと見届ける必要があるとアエティウスに言われ、首検分とやらをやらされるはめになった。
人間の顔は見慣れているものだが、それがゆえに返って胴体の無い首だけの姿だとかなりショッキングな光景だ。
そのことごとくが恐ろしげな表情で、見るだけで寒気をもよおした。
しかも持ってくる武者の鎧は血だらけ、首からも血がポトリポトリと垂れている。それが何十と続くのだ。正気でいろと言うほうがおかしい。
情けない話であったが有斗は首検分の後、おもいっきりげーげーと胃の中のものを全て吐いてしまった。
「これくらいで吐くなんて情けないやつだな」と、アエネアスは言うが、首だけの死体を見て平気でいられるほうが精神がおかしいんじゃないかと有斗は思うのだ。
「陛下は平和な世界から来られたのです。首検分の間、我慢なさったのですから、たいしたものですよ」
と、アリスディアは吐き気が治まらない有斗の背中をゆっくりさすってくれた。
優しいなぁアリスディア。本当に傍に居てくれるだけで幾度心が救われたことか。
アエネアスに爪の垢を煎じて飲ませてやりたい、と有斗は強く思った。