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紅旭の虹  作者: 宗篤
第三章 驚天の章
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長征(ⅩⅠ)

 関東の軍が関西に攻め込む少し前のことになるが、河東のカヒ家の当主カトレウスは越のオーギューガとにらみ合いを続けていた。

 実に二十何回目かの対峙だった。いや、三十回は超えていたかな、とカトレウスは脳内で数を数えてみるが、正確な数は思い出せなかった。もはや正確な数を数えることもできないくらい二人は戦場で争ってきた。

 こいつさえいなければ今頃は覇者としてこのアメイジアに君臨していたものを、とカトレウスは苦み走った顔で敵を睨む。

 敵は二万程度だ。対して五万の大軍を率いて来たカトレウスだが決戦を挑む気にはならなかった。

 あやつはわずか七千の兵で三万のカトレウスをあしらった恐るべき敵だ。カトレウスの重臣を何名も戦場で屠った憎むべき敵だ。

 敵が動き、陣形を乱したところを攻め込むしか勝利する絵が思いつかなかった。

 もしこちらから襲い掛かった時には、勝利はおぼつかぬ。よくて共倒れするのが落ちであろう。

 その想いはむこうとて同じらしく、今回もにらみ合いのまま秋が近づき、双方撤兵することになった。

 こうして今回も決着の付くことなく戦は終わった。また一年を無駄にしてしまった。やりきれない思いでなんども溜息をつく。

 若いころは周りの諸侯を倒し、縁組をし、陰謀や戦闘、硬軟合わせ使い十年ほどの間に大諸侯となった。

 そこからは拡大しては縮小の繰り返し。諸侯を味方にしたりしても、配下の諸侯が裏切ったり、どこからか攻め込まれたりと一進一退の状況が続いた。

 特にオーギューガ家と敵対して以降はあの女との戦いだけで相当な時間を消耗していることは間違いない。

 見かけこそ四十そこそこだが、もはやカトレウスと同世代の武将はみな鬼籍に入り、片手で数えられるほどになっていた。

 自分に残された時間は少ない、と溜息もつこうものだった。

 しかも関東に天与の人とやらが現れ、魔法でも使っているかと思わせる勢いで、みるみる勢力を拡大している。その速度、若さを考えると、カトレウスは天下を手に入れる機会を逸したのかと焦るばかりであった。

 天は私に時を()してくれはしなかったか、と長くため息を吐き出す。

 とはいっても彼に明確な政治ビジョンがあり、そのために天下を欲しているわけではない。ただ飾り物の王を立てて実権を握り、権勢をほしいままにする。その程度である。なぜこのような世になったのか原因を探り、そしてどのような世界にしたいのかといった思想的なものには彼は興味が無かった。

 彼にあるものは誰よりも戦国の世の先を行き、偉大な存在になってみせるという上昇志向的なものだけである。

 だがその夢は自分ではないひよっこがまさに叶えようとしていた。

 自分は選ばれた特別な何かではなかった。道端で死ぬ行き倒れと同じ、戦国の世の一部分でしかなかった。そんなろくでもない考えが、己の心を暗い感情に支配させた。

 だが、まだ彼の人生を意味のあるものにする方法が全て無くなってしまったわけではない。

 そう天与の人と名乗る若造を殺してしまえばいい。天与の人ならば神の加護があるから死なない。逆説的に言うなら死ぬのならその人物は天与の人でなく、ただの一人の人間に過ぎないのである。

 俺が天下を手に入れるには、自身が他と違う偉大な存在と周囲に認めさせるにはこれしか残っていない。カトレウスは有斗が現れてからというもの、そんな妄執に取り付かれていた。

 だから鹿沢城に攻め込んだバアルとかいう関西の将軍から、関東の軍が遠く北辺を回って関西に出兵したので、関西を救うためにカトレウスの力が必要だと密使が来たときには、小躍りせんばかりに喜んだ。遂に我が宿願を叶える時が来たのだ、と思った。

 今、関東は諸侯も兵もいない。軍は遠く関西の地で関西勢と争っているということだ。ここは(はかま)にオーギューガが食らいつこうとも、それを振り切って畿内に侵攻するべきだ。上手くいけば関西と関東が共倒れになるところを丸々頂くことができるかもしれぬ。そうすれば彼の長年の悲願があっけなく達成されることになるのだ。

 しかし、遠征の準備を始めたカトレウスに驚くべき事態が告げられた。

 河東では米価が例年の四倍、それにつられて麦価も三倍、それどころか(ひえ)(あわ)まで値が跳ね上がっていたのだ。

 最初のころは領民は豊作ということもあり、今年取れたばかりの米や麦を大喜びで売りに出してしまっていた。今年は豊作だ。値段は直ぐに下がる。そうなってから買い戻したら丸儲けだ、と考えたのだ。しかし何故か他の地域の収穫が終わったにも関わらず米値は上がり続け、今や豊作の年にも関わらず餓えている者がいるという不可解な事態になっていた。

 つまり遠征に必要な食料が国内のどこをどう探しても見つけられなかったのだ。

 出入りの商人だけでなく、領内にいる商人全てに兵糧確保を急ぎ命じた。

 東北の奥からだろうが、畿内からだろうが、関西からだろうが構いやしない。値段がいくら跳ね上がっても関係なかった。

 カトレウスは吝嗇(ケチ)で有名な男であったが、ここでは気前の良いところを見せた。

 なぜならこの天から与えられた好機を逃すと、きっと二度と俺には天下を制することはないだろう。そういった予感があったからだ。

 カトレウスはジリジリする想いで食料が集まるのを待った。

 兵はあるのだ。敵は外征で出払っており、敵の抵抗は少ない。攻め込むだけでいい。

 目の前にはカトレウスに召し上がれとばかりに、無抵抗な肥沃の大地が転がっているのに、それに手を出せないもどかしさ。カトレウスは歯軋(はぎし)りをして悔しがった。


 一方、そのころ西京鷹徳府では有史以来初めて、城外に敵影を見ることになっていた。

 知らせを受けて女王も大臣も公卿も慌てて馬車を走らせ、北面の城壁にある一番高い尖塔に昇った。

はるか北に真っ黒に固まった軍勢を見て一様にどよめいた。

「そんな・・・北辺から西京までは20余の城塞がある。また道は険阻だ。これほど早く辿りつくなど・・・ありえん!?」

 北辺から早馬が来て一ヶ月も経ってない。北辺軍も諸侯もいるのだ。一つ一つ攻略していけば一年はかかる道程だ。

 しかもそれまで関東が無事だったらという前提つきでの話だ。

 敵は天から翼を借りて空を翔けさせたとでもいうのか?

 信じられないことだが、そう考えるしか仕方が無い事態に、公卿たちは皆、半狂乱だった。

「それが各城塞は抵抗することなく門を開いたとのこと!」

「なにゆえだ!?」

「ステロベ卿が敵に寝返った模様です。それを聞いてある者は投降し、あるものは抗戦せずに退いたとのこと」

 敵が見えるのとほぼ同時期に西京に駆け込んだ、途中の塞から逃げてきたという兵から事情聴取を終えたばかりの武部尚書がそう言った。

「ステロベ卿が裏切った・・・だと?」

 衝撃が重臣たちを襲った。

 たしかにステロベは女王に直言し、そのあまりのうるささに北辺警護に追いやられた、それは事実。宮廷の重臣のどの派閥にも属さなく、それゆえどの朝臣からも白眼視されているのも事実。だがその戦歴と王に対する忠義の心は一目置かれてもいたのだ。

 バアル、ステロベは関西軍の二枚看板と言ってよい。

 それが裏切ったのだ。関西の宮廷に与えた衝撃は少なくないものがあった。


「そんな・・・」

 それを聞いてセルウィリアは頭を金槌を叩かれたかのような鈍い痛みを感じた。

 わたくしは上手く女王を演じてきたはず・・・権勢争いに満ち溢れた、この複雑怪奇な宮廷を破綻なく廻していくという、父から引き継いだ大事な役目をきちんと果たしていたはず。小さな事件こそ多々あれ、権力争いの果ての暗殺や内戦は起こさせなかった。

 それが帝王学を幼くして叩き込まれた彼女の自負だった。

 小さな不満はあれども破局までには至っていないと思っていた。

 それなのに・・・何故裏切りなど・・・!

 ステロベはうるさがたの臣下であるが、関西にとって重代の家臣でもあり信頼していた。

 北辺はいつ何時賊が襲ってくるか分からない地。その割りに評価されることが少ない、地味で人気のない役回りだが、重要な役目である。だからこそステロベに任せたのだ。

 それが真っ先に裏切るとは・・・!

 呆然としたセルウィリアに大臣達が駆け寄ってきた。

「まだ王都には三軍がおり城壁も堅固。鼓関にはバルカ卿が。王都をしかと守り抜けば、やがて各地から義勇軍が起こり、賊軍の後背を脅かすこともあるでしょう。そうなればやつらは補給にも事欠き、退却せざるを得ません。まだ諦めてはなりませんぞ」

 セルウィリアは蒼白になった顔で大臣たちに二回、三回と立て続けに(うなず)いた。


 外から見た西京は広大な外壁を持つ要塞のようだった。石造りの壁と堀でぐるっと周囲が囲まれていた。

 東京や南京もきっと大差ないんだろうけれども、その二つからは特にこんな感覚を受けた記憶はなかった。攻める武将の目で見てなかったからだろうな。これはなかなか落とすのに苦労しそうだ。

「さすがにそろそろ河東にも、我々が近畿を空にしていることが知れ渡っているころでしょう」

 アリアボネが遥か遠くの西京を見たまま動かない有斗の横に立つ。

「残された時間はあとどのくらいかな?」

「一ヶ月。帰ることを考えると一ヶ月でけりをつけましょう」

 アリアボネの言葉にアエティウスも(うなづ)いて同意を示す。

「一ヶ月か・・・一ヶ月で落城させられるかな・・・」

「敵をどれだけ切り崩せるか、ですね。関東有利と見たら、裏切る諸侯も次々と出るでしょう。一つだけでいい、彼らの前で勝利を見せ付けたいところです。ここまで我々は北辺での勝利を大々的に喧伝(けんでん)することで戦争を優位にすすめてきました。これからもそうありたい」

「そっか・・・」

 アリアボネが直接城攻めをする具体的な提案はなにもなかった。それだけで難事だということが伝わってくる。だがこれはやってみるしかないだろう。

 ここまで来て何もせずに帰っては何のために遠路はるばる来たのかわからない。

 それにやってみるしかないものはどうこう考えても仕方が無い。やるだけである。

 だが懸念材料は他にもある。

「僕らがいない間にカヒに内応する諸侯とか出たら、僕らは帰るべき場所を失う。大丈夫かな?」

「大丈夫でしょう。残っている連中にそんな気概を持っている諸侯は見られません」

 何故かアリアボネに代わってマシニッサが有斗の問いに答えた。

 でもマシニッサの言うことは半ば正しいかもしれない。有斗はそう感じた。

 戦の趨勢(すうせい)がどうなるか判らないうちは、例え通じても中立がいいところだろう。カヒに全ての体重を載せて軸足にするほど現状がカヒ優勢ってわけじゃない。もちろん敗北したときはカヒに通じる者が大勢出るだろうけれども、それは仕方が無いことだし、今考えてもどうにもならないことだ。

 それに・・・なにより一番反乱を起こしそうなマシニッサはここに連れてきている。

 それだけでも大分安心できる条件だというものだ。

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