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紅旭の虹  作者: 宗篤
第三章 驚天の章
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長征(Ⅹ_Ⅱ)

 残る手段は限られてきた。次は我攻めでもしてくるかと思ったが、敵は土を積み上げ、城壁のようなものを作り始める。

 実にありがたいことだ、とラヴィーニアは思った。

 我攻めでも落ちぬようにいくつかパターンを考えて対抗策は考えていたが、ラヴィーニアは卓越した指揮官ではない。頭脳労働専用なのである。

 現実の指揮はガニメデに任せるしかない以上、少しの手違えでうっかり落城するなどということもありうるのだ。

 特に我攻めのような大規模で全面的な戦いでは、瞬時の判断が求められる。そこはラヴィーニアが苦手とするところであり、確かに先程は優れた手腕を見せたガニメデとはいえ、まだまだ本当の手腕が未知数である以上、なるべくなら避けて通りたいところなのである。

「向い城でも作るのでしょうか?」

 と土の山を見て尋ねるガニメデに対し、ラヴィーニアは違うな、と答えた。

「山と山を(つな)ぐように作り始めた。あれは堤防だな」

 水攻めか、とラヴィーニアは思う。

 鹿沢城近辺は三方を山で囲まれた湿地帯だ。付近を流れている川は水量が多い。南方で()き止めれば、この一帯はたちまち水であふれるだろう。

 実に目の付け所がいい。評判どおりの良将だ。私でもそうする、とラヴィーニアは思った。

 だがそこはラヴィーニアだ。ただし季節が冬でなく、相手が私ではなく、時間があるときならばな、と足りない条件を付け加えることを忘れない。

 土は凍ったように固まっている。作業は想像よりも手間隙がかかるであろう。それにラヴィーニアが手を打った謀計が効果を上げるより前に、堤防が完成しても恐れることは無かった。

 今は冬だ、水量が少ない。一帯を水没させるには春を待つしかないのだ。

 工事が続く中、互いに(にら)み合いが続いた。


 おかしい、とバアルは苛立たしげに鹿沢城をにらみつけていた。

 もう五日目だ。普通ならば、どんなマヌケであろうとも、そろそろ工事を邪魔しに意図を察した敵兵が襲い掛かって来てもおかしくないはずだ。だが敵は城に篭ったまま、一向に外に出ようとは考えていないようだった。

 敵将がどんなに愚かでも、目の前で行われていることが何かはわからぬはずもない。

 普通なら糧道を絶たれ、孤立することを恐れて、焦って工事を妨害する兵を発するというのが常道なのだ。

 そこを待ち受けて叩き、勝利の糸口を探る。全面的な争いに持ち込めば、城攻めをすることなく敵を降参させることもできるかもしれない。バアルはそう考えていた。

 その為にいつでも反撃できるよう、堤防の影に兵を伏せさせてまでいる。だが窮屈な体勢で毎日待つだけの兵たちからは不満も出ていた。士気が落ちていることは頭の痛い問題だった。

 だが実際に焦っているほうは城兵ではなくバアルのほうであった。もしこのまま堤防を完成させて水攻めをするとどうなるか仮定してみよう。

 すると敵味方の間は水で阻まれ、向こうだけでなく、こちらも鹿沢城を直接攻める方法を失うということになる。

 船もない以上、城内で疫病が蔓延するか、飢餓で苦しんで敵が開城するしか勝利は望めない。

 下手をすると半年、いや一年以上この城に二万もの大兵が釘付けになるのである。それは関西にとっては貴重な戦力を死兵にすることを意味する。

 ならば、この城を放置して東京に向かってみるか、とも考えたが、そうすると敵はきっと堤防を切り崩し、バアルたちの背後を脅かそうと躍動を始めるに違いない。

 鼓関との間の連絡も糧道も絶たれ、バアルは不利に陥る。そんな手は捨てるしかない。

 つまり水攻めは敵をおびき寄せる疑似餌だったのに、その疑似餌に敵が掛からないので、本気で水攻めをするという選択肢しかないという結論に落ち着いてしまったバアルなのである。

 もし敵側にラヴィーニアがいたなら優勢な兵力を生かし、攻城兵器を再度作り堀を埋め立てつつ、兵の被害を省みずに我攻めにすればいいじゃないかと言うところであったろうが、策で敵を葬ることに固執したあまり、バアルにはそのような考えがちらとも思い浮かばなかった。

 他にもバアルを焦らしたものがある。関西からの第二報がなかなか来ないことである。北辺ではどういう戦が行われ、どちらが勝利したのか。

 敵はまだ関西攻めを継続しているのか、それとも兵を退いたのか。知りたいことは山ほどあるのに、まったく連絡がないのだ。


 だがバアルの敵も落ち着いてばかりいるわけではなかった。

 そろそろ、関西側は補給が無くなって撤兵しても良いころなのだが、と少しラヴィーニアは不安を浮かべていた。

 別に敵の堤防が完成に近づいていることを気にしているわけではない。

 ただ策士として、自身の予想と現実にずれが生じたことが気に食わなかったのだ。

 それに例え堤防が完成しても、まだ川を()き止める工事もある。それに春になって雪解け水が川に溢れかえるまでは、おそらく水位はそれほど上がらない。そちらについてはまだ心配する段階ではない。

 とはいえ最悪の事態を考えねばならぬし、兵を遊ばせておくのももったいない。

 敵の堤防の高さや地形を考えると七尺(約二メートル)くらいは水没しそうだな、とラヴィーニアは目算する。ラヴィーニアは城の中庭や倉庫に木を組み合わせ中二階を形成させ、いざというときに慌てないように準備を進めた。

 だがこれは敵の堤防作りが着々と進むのを目前にし、不安を感じていた将士の心に安心をもたらす意外な効果をもたらした。


 この膠着(こうちゃく)状態に変化が訪れたのはきっかり二ヵ月後だった。

 ついにラヴィーニアが待ち望んでいた報告がバアルの元に届いたのだ。想像より二週間は遅い。

 どうやら敵の倉庫管理者は少しでも兵糧の流用の発覚を遅らせようと苦闘したらしい。けなげなことだ。

「兵糧が・・・ないだと!?」

 鼓関からの急使の言葉にバアルは思わずよろめいた。

「は・・・はぁ」

 申し訳なさそうに使者は生返事をする。

「ないはずがない! 着任した後、あれほど倉庫の検査を厳重にしたではないか!」

 確かに倉庫には帳面どおりの数はなかった。無かったが、ゆうに一年は出兵できる兵糧があったはずだ。

 それをバアルは立ち会ってその目で見ているのだ。それが消えうせることなどありはしない。

「それが・・・どうも最近の米価の値上がりに横流しした者がいたようでして・・・」

 倉庫役人は、どうせ大半は使われないんだ、米価の高いうちに売り飛ばして、安いときに買い戻せばいい、それで差し引きゼロだ、と商人に言われ、美味い話だと飛びついたらしいのです、と使者は言った。

 その米はどこへ行ったかというと、もちろんラヴィーニアが買い取って王に送ったのである。

「周辺の諸侯や駐屯地から兵糧を融通してもらうことはできないのか?」

「今までもそれをして、何とかやりくりしていたようなのですが、それも限界が来たようです。とても、もう二万の兵を餓えさせずにすむまでの量はどこにも・・・」

 西京に頼み輸送してもらうのも、商人から買い集めるのも時間がかかる。

 飢えた兵など使い物にもならない。とても外征などしている場合ではなかった。

 バアルは飢える前に撤兵するしかないと決意し、直ぐさま軍を鼓関へと帰す。

 作業する兵が土手の上から消え、敵陣の旗がざわめく様から撤兵を知り、ガニメデは鹿沢城より兵を発して、追撃をくらわそうと試みた。

「さあ行くぞ」と明るく兵に声をかけたガニメデは追撃戦だ、楽な戦になると思って既に敵を飲み込む気概だった。

 (りゅう)旗が空高く立ち、鼓が打ち鳴らされ、兵士たちは敵の首を求め、勢いよく平原に散っていく。

 だが高い土壁が彼らの行く手を(さえぎ)った。登ろうと試みると、突然土壁の上に伏せていた関西の兵士たちが一斉に立ち上がった。それを見て関東の兵士はたたらを踏むように止まった。

 皮肉なことに途中まで築いた堤防が、バルカ軍を敵からの攻撃を防ぐ城壁のようになった。

「いまだ! 打て!」

 足を止めた敵に向けて、バアルの命令で一斉に矢を放つ。反撃を予期していなかった鹿沢城の兵は浮き足立った。それを見るや関西の兵は得物を槍に持ち変え、土手の上から滑り落ちるように坂を勢いよく下り、戦列に突き刺さった。

 わずかな時間で敵を崩し追い散らすが、その勝利は所詮局部の勝利。バアルは勝利に浮かれ立つ兵に声をかけ、軍を引き締める。

 そう、目的を見失う行動は取るわけには行かない。

「深追いするな! 撤収せよ!」

 その声に導かれるまま、兵たちは整然と帰還の途につく。バアルはわずかな損害で難しい撤兵を完了することができた。

 しかし関西に攻め込んだ関東軍がバアルの鹿沢城攻めの動きを聞き、慌てて兵を帰したという報告はまだ来ない。つまり当初の出兵の目的は何も果たせなかったということだ。それが不安だった。

 だがこの出兵にも収穫がなかったわけではない。

 睨み合いの間に河東のカヒ家と連絡が付いたのだ。最近連絡がないのを不審に思っていたのだが、どうやらこちらの使者が向こうにたどり着いていなかったようなのだ。

 敵は密使を殺すことで、河東と関西の連絡を絶ち、関東の軍が関西に攻め込んでいることを知らせないようにしていたということか。

 実にこしゃくなやつだ。

 だがそのことはカヒ家に伝わったのだ。あの大いなる野心の持ち主は、きっとこの好機を逃すはずなどありはしない。畿内にカヒ家の兵が攻め込んだら、関東の軍も引き返さざるを得ない。

 なるべく早く兵糧を確保しておくべきだな。そうすれば共に攻め込める。その時こそバアルが関東に今回の復讐を果たすことができるであろう。そう気を取り直す。


 だが事態はバアルの望んだようになることはなかった。

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