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紅旭の虹  作者: 宗篤
第三章 驚天の章
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長征(Ⅷ)

 有斗はステロベの投降を受けると、囲んでいた北辺軍の兵には武装解除を条件に解放を約束する。

 殺すか捕虜にすべきと言う意見も無いわけではなかったが、アリアボネとアエティウスと話し合った結果、両方却下することにした。

 それはステロベが将士の助命に動いたという理由もある。ステロベを味方として引きつけておく為には、殺すなど問題外だった。

 それに関西の民に有斗の寛大さを見せる必要もある。

 もし捕らえられれば殺されると知れ渡ったら、関西の民は最後の一人が(むくろ)になるまで戦い抜くだろう。頑強な抵抗が関東勢の前で繰り広げられるに違いない。

 それならば有斗が関西を攻略できたとしても、最終的に手にするものは無人の荒れ果てた荒野と言うことになってしまう。それでは何の意味も無い。関西の人心を掴むためにも、抵抗を減らすためにも処刑はありえない。

 では捕虜にするのはどうかというと、今現在の五万の糧食でも苦労しているのに、このうえ数千の無駄飯食いを養う余裕は無い。

 だから解放する、というより解放するしか無かったというのが正解なのだ。

 解放した兵が再び集結し行く手に立ち塞がることを考えなくも無い。

 でも解放にもメリットはある。解放したら兵士たちは四方に散っていくだろう。家族のところに帰るかもしれないし、諸侯のところに逃げ込むかもしれない、あるいは健気にも西京に行って朝廷に変事を報告するかもしれない。

 だが彼らはここで起きたことを話すだろう。関東の大軍が攻めて来たこと、北辺軍がわずか一戦で敗北し防衛線が破られたこと、そしてステロベが降伏したこと、関東の王は虜囚(りょしゅう)とした兵士を武装解除しただけで解き放った度量のある王であるということを。

 何千もの兵から何万の耳に伝わり、あっという間に何十万の人々に知れ渡るに違いない。これはただで広報活動をしてもらうも同然なのだ。

 関西の民も諸侯も朝廷も動揺するであろう。中には協力を申し出る者が多数出ることになるはずだ。


 北辺軍を破り、ステロベを味方にした有斗たちは、邪魔者はいなくなったとばかりに南に回頭を命じ、急速に西京に向け街道を南下した。

 街道沿いには多くの諸候の城があったが、立ちはだかる者はいなかった。

 ある者は嵐を避けるように城に兵を篭め、またある者は秘かに使いを送り、中立とも味方とも取れる曖昧(あいまい)な手紙を書いて寄越し、そしてまたある者は公然と関東に味方すると宣言し、兵を出し関東勢に加わった。

 つまり関西に義理立てし、有斗の前に立ち塞がる障害物はもうなかったのである。

 五万の兵は無人の野を行くような早さで西京に迫る。

 こうなったのは、やはりステロベが降伏したこと、さらには彼と共に残った兵の指揮権をステロベにそのまま付与し、客将として(あつ)く遇したことが大きかった。これが有斗のことを知らぬ関西の諸侯にいい印象を与えることとなったのだ。降伏すれば命を保障するだけでなく、きちんとした待遇を与えるようだ、稀に見る大人物である、と。

 また、あの忠義で知られるステロベ卿が、女王を裏切ってまで味方する関東の王とはどのような傑物か、と興味を惹かれたのだ。

 しかし上手くいっているように見える長征だが、不安はまだまだある。西京を陥落させるまではまだまだ油断は出来ない。

 特に有斗が恐れることは空き家となった関東へ出兵されることだった。

 まだ河東には関東が関西に攻め込んでいたことは伝わってないかもしれない。だがそれも時間の問題であろう。それに鼓関には二万の軍がいつでも関東に出兵できる状態でいるのだ。鼓関に対する兵を残してはいるものの、王師がいるわけでも、信頼できる将軍を残しているわけではない、心配だ。

 上手く行っているだろうか、と有斗は不安を抱えながら鹿沢城のある東方を見る。


 鹿沢城の一室では連夜遅くまでラヴィーニアが執務をひとり行っていた。通常の鹿沢城の業務の他に、平行してやらなければいけない仕事を同時にいくつか抱えていたからだ。

 特に輜重。長征が順調に進み、補給戦が伸びるにつれ、配慮しなければならない事項が次々増える。前線の兵士が一日たりとも飢えぬように、確保した兵糧を運ぶために、雇い上げた運送業者とそれを警護する王師右軍をいかに効率的に運用するか、予定を組み直さなければならない。

 それ以外にもラヴィーニアにはアリアボネから二つ重要な役目を負わされているのだ。寝る間も惜しいとはこのことである。

「それで」

 ラヴィーニアは振り向かず背後の影に向けて問いただす。

「西京から発せられた使者が鼓関に入ったのは四日前、直ぐに河東に向けて密使が放たれた。だがまだ河東には一通たりとも届いていない。そしてしばらくは届くことも無い。それで間違いはないな?」

 注意しないと聞き漏らしそうなほど低く、冷えた女の声がラヴィーニアの問いに答える。

「間違いなく。正と副、両方の使者一行を一人残らず始末しました。死体は人知れず処理、見つかることはありません」

 気がつくと執務机の脇に二通の血塗られた封をされた書簡が置かれていた。

「そうか、よくやった。これで河東の動きを二週間は遅くすることが出来た」

 だがそれもいつまで持つことやら。両者は小まめに書簡を遣り取りしている。あまりにも連絡が無ければ、返って不審を招くだろう。何かが起きてると考えるに違いない。

 そうなれば多数の密偵を放って情報を集めようとする。やがて真実は明らかにされる。

 それに人の口に戸は立てられぬ。商人などから人伝てに知るかもしれない。

 いつかは河東に、関西に兵を向けていてこの近畿の軍事力は空に近いと悟られるであろう。

「それで鼓関の動きはどうだ、出兵しそうか?」

「はい。それも大規模な出兵を計画しているようです。攻城兵器も分解しております」

「攻城兵器だ・・・? そうか、それは助かった!」

 その言葉を聞くとラヴィーニアは嬉しそうに声を弾ませた。

「ということは関西は関東の大軍を退かせるために、ここを攻めると決めたわけだな! 鼓関を放棄して西京を全兵力で守るのではなく───」

 会話はそこで突然途切れた。

「何か用かな、ガニメデ卿?」

 いきなり自分の名を出されて、ガニメデは思わず口から仰天の声を洩らしそうになった。慌てて腹中深く飲み込み、平静を装う。

 話し声が聞こえたから足音を消して近づいたのに、気付くとは・・・

 にこやかに作り笑いを浮かべ、ガニメデは愛想よくラヴィーニアに話しかけた。

「深夜に話し声が聞こえたものでして、何事かと思いまして・・・」

 ああ、そんなことかとラヴィーニアは小さく鼻で笑う。

「悪いな。独り言を言う癖があるんだ。なにせ王に嫌われて左遷の身だ。誰も聞いてないと思っても、愚痴をこぼしたくなるものさ。人恋しくてな」

「ああ、そうでしたか。申し訳ありません。お邪魔したようで」

 薄くなった頭を誤魔化すように()いてガニメデはその場を離れる。

 だが、言葉とは裏腹に、ガニメデは一向にラヴィーニアの言葉を信じようとはしなかった。

 確かに先ほどの会話は相手がいる話し方だった。しかもどこか機密臭い。

 そもそもこのラヴィーニアという女はそこいらに転がっている十把一絡(じっぱひとから)げの女とは違うのだ。高官を焚きつけ四師の乱を起こした真の首謀者である。優れた智謀を持ち、王に反逆する反骨をも持つ。

 言葉を額面どおりに受け取っては、どんな目に会うか分からない。何を考えているかわかったものじゃない。何か企んでいるのではないかという思いは消せなかった。

 だいたい、あんなに兵糧を買い上げてどうすると言うのだろう?

 今朝見た、城の倉庫に山積みされた米俵(こめだわら)を思い出す。

 鹿沢城だけでも、通常時より多くの兵糧を抱え込んでいる。ラヴィーニアに(たず)ねると、西京を王が陥落させたときに帰るのに使う兵糧だと言ったが、当然、それをガニメデは信じたりはしなかった。

 なぜならラヴィーニアは河東にも、畿内にも、河北にも大量の米を集めている気配があるのだ。

 それにここ最近の米相場の値上がりは凄まじいばかりだ。それでもまだ、ラヴィーニアは米を買い続けているという。実に不可解な動きだ。

 まさか、大量の米を買って、国家を破産させるとかいう謀略か・・・!?

 ・・・いや、それはないな・・・

 ガニメデはあまりにも幼稚な考えに首を捻ると、トントンと頭を叩きつつ自室に戻った。


 翌朝、鼓関に張り付かせていた斥候が鹿沢城に駆け込んでくる。

「城を出る敵影を確認! 数は万を越えます! さらには何か大きなものを運んでおります! おそらくは攻城兵器かと・・・!」

 鹿沢城の中は一瞬にして騒然となる。兵士は慌てて武装を整え、緊急招集に備える。将は急ぎ城守ガニメデのところに集まった。

「来たか。情報通りだな」

 ラヴィーニアは口中で小さく(つぶや)くと、執務室を出て将軍たちが集まるガニメデの部屋へと向かった。

 入り口の衛兵が止めようとしたが、ラヴィーニアはその制止を振り切って遠慮なく入る。

 突然の予期せぬ人の闖入(ちんにゅう)に皆驚きを隠せない。

「ラヴィーニア殿、今は軍議中です。用があるなら又にしていただきたい」

 ガニメデはラヴィーニアに丁重にお引取りを願った。実際、今は一刻を争う事態だ。ラヴィーニアに関わっている暇は無い。

「あたしは鹿沢城の全てを預かってきているんだ」

「ですがあなたは文官です。軍事に関しては口出ししないで貰いたい」

 何より何を考えているかわからない御仁(ごじん)でもある。敵に通じているかもしれない。軍事機密を洩らしたら、どんなことになるのやら。

「ハハッ、そう来たか」

 早く出て行け的な視線を一身に浴びても怯むことなく、ラヴィーニアは逆に諸将の真ん中にズカズカと入り込んできた。

「あたしは鹿沢城の兵符を宰相殿から預かっている」

 ゴトリ、とラヴィーニアの手には余る大きさの物体を懐から取り出し机上に置く。兵符だった。

 将軍たちはギョッとした顔でその少し大きな文鎮状の物体を見た。兵符は戦場では何よりも優先する。ガニメデの命令だけでなく、例え王の命であっても拒否できるだけの権限があるのだ。

「これは陛下もご存知のことだ」

 むろん、これは嘘である。将軍たちを従えるためのハッタリであった。

「あたしに従ってもらうよ」

 ラヴィーニアは自分より何回りも大きな将軍たちに威圧するような大胆不敵な笑みを浮かべた。

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