戦場の休日
朝からの雨は時間を追うごとに強くなり、ウィクシーの丘を濡らした。
ただでさえ急傾斜の丘は水を含んでぬかるみ、敵も味方も足を踏み入れることが出来ない。
西の空は黒く沈み午後になっても天気の回復は見込めない。
こんな日は多くの兵士は非番になる。
アンバランツァ隊も同様だ、水晶や石英を食べて身体を癒し、擬体の関節に詰まった泥を掃除して注油したり、剥げた塗装を塗り直す、それぞれ自分のケアに余念がない。
唯一忙しくなるのが厨房だろう、食堂のテントだけは大盛況になっている。
非番の兵士たちは昼間から酒を飲んで憂さを晴らすのが定番だ。
翌日の戦闘に備える意味でも食堂の店じまいは早い、見越してお昼にはすっかり出来上がる兵士は多かった。
そんな喧騒の中にもう一か所、順番待ちが出来るテントがあった。
シノ・レオーネのテントだ。
雨除けのテントが別に用意され、中に置かれたベンチには兵士たちが腰を降ろして自分の順番を待っている。
テント前の立て看板には代筆とあった。
戦場から離れた故郷へ向けた手紙、この時代の一般人、特に男性の識字率は低い、男は農業や職人として働くことが重要な責務であり、仕事で使用する以外の学問は二の次だった、かたや台所を預かる女性の識字は主婦として必携であり、教育を受けていることが多い。
男は外で働き戦い稼ぎ、女は家を守る、それ以外に選択肢は少ない、そんな時代だ。
シノの学力は高い、創造主アレクセイ・レオーネはシノを擬体に騎乗させる前から積極的に整形医学や言語について学ばせた、それはシノ・ククルを再現するにあたり絶対に必要な事でもあったからだ。
休日にシノは基地認定の代筆屋を務めている、紙やペンの消耗品は軍が用意してくれる、長文にならないよう制限するためだ。
便箋一枚で五百文字まで、短い手紙になる、検閲が入るのを考えるとまだ親切といえる。
ガラスペンを持ったシノの前に座っているのはガタイのいい陽気な若い兵士、故郷に残してきた彼女に宛てる恋文、最も苦手な代筆だ。
「でさあ、アレッシアの奴はさあ、こう胸が大きくて、その割に腰は細くてよぉ、性格は明るくて俺のバカ話にも笑ってくれてよぉ、めっちゃいい娘なんだ」
「知っています、これで三回目ですから」
「三回!? そうだったかな、俺は毎日でも恋文を送りたいぜ、この溢れる愛を漏れなく彼女に伝えておかなくちゃ、死んでも死にきれねぇだろ! 」
「それで今日はどんな書き出しにしますか? 」
「そうだなぁ、やっぱりアイ・ラブ・ユーから始めようぜ! 」
そう言って陽気な若い兵士、ビアッジョはウィンクして見せた。
恋心の理解出来ないシノにとっては恋文を考えるのは天文力学を解くに等しい難題、クソ爺が読んでいた恋愛小説を思い出しながら文を捻り出す。
( 言葉はいらない 貴方が見えるなら )
( あの景色の中に永遠に佇んでいる 花の名前を僕は知っているから )
( 気持ちを教えて 僕に聞えるように )
( 祈る時は脆く儚く過ぎ行く )
( 貴方に触れていられるなら 言葉はいらない )
( 貴方が触れてくれるなら と夢を見る )
「こんな感じでどうしょう? 」
「んんー? おいおいチェルヴァちゃん、何か寂しくねえか、これ? 俺らしくないだろ!? 」
「そうでしょうか、繊細なビアッジョさんらしい文だと思いますが?」
「俺が繊細だってぇ? 冗談はヨシコさんってもんだ、もっと明るくパアッと……」
文章を追っていた視線が止まる。
「……」
陽気な男が唇を噛んだ。
「ビアッジョさん? 」
「いや、こんな気分もたまにはいいか、続けてくれ、これでいい」
「はい……」
シノは紙にガラスペンを踊らせてバラードを歌わせる。
アレッシアはもういない、ビアッジョが徴兵されて直ぐに天に召された。
病気だった。
ビアッジョは知っている、手紙は永遠に届くことはない。
人間は泣くことが出来るのに多くの男たちは泣く事ができない、泣いて涙にしてしまえば悲しみも少しは癒えるだろうに。
ビアッジョは自分を責めることでしか報いる方法を知らない、遊び人を演じて自分を卑下するのは愚かな男を罰するため。
そんな男を他にも知っている。
シノは恋文の最後をアレッシアからの返信で結んだ。
「ペルダンァーレ( 許す )」と。
多くの人間は傷だらけだ、どう癒していくのだろう。
代筆をすることで多くの兵士の境遇を知る、皆にドラマがある、人生が凪いでいる人なんていない。
縦糸に希望を編み、横糸に絶望を潜らせる。
どんな色で織り上げるのかはその人の才能と努力よりも偶然掴んだ糸の色による。
糸を用意しているのは神様か悪魔か。
人に出来るのは絶望の糸で布が埋まらぬように希望の糸を表に編むことぐらいだ。
シノは代筆の仕事が好きだった、辛い人生に寄り添う事は同じように辛い、聞いたからといって何一つ救えるわけじゃない、でも。
そんな中にも笑顔はある、兵士たちの生きた声を聞くのが好きだったのだ。
この一年で何百通を書いただろう、文字を通して幾重もの人生を追体験してきた、人として生きる事の厳しさと優しさを教えてくれた。
もう見ることの出来ない顔もいる、怪我をして帰郷した者、新たにやって来る者、僅かの間に繰り返した出会いと別離が人間への理解を深めていった。
やはり人間を嫌悪する気持ちは湧かない、リルフであることを差し引いてもシノは人間が好きだ。
人の持つ優しさや愛情は深い、少しでも理解して近づきたい。
シノは書く、代筆を通して人間を理解するために。
その日もシノのテントは遅くまで灯が消えることはなかった。




