戦場のアンバランツァ
三人目が見つからない、最も近い場所から出撃したはずの小隊、部下だろう遺体は持ち場の近くで数体見つけることが出来たが指揮官がいない。
嫌な予感、逃走している可能性だ。
隊と任務を捨てて逃げ惑い、あらぬ方向へと移動しているかも知れない、僅か数キロとはいえ数えきれない遺体が転がる丘全てを捜索するのは不可能だ。
焦る気持ちを押さえて暗闇に目を凝らす。
「落ち着いて、冷静に考えるのよ」
自分に言い聞かせる、重戦矢の雨の中、隠れる場所はない、遠くまで辿り着くことは出来ない。
ぐるりと死臭が漂う戦場に首を回す、逃げるなら、隠れるなら何処?
「!!」
シノが視線を止めた場所、両軍の丘の真ん中には運河から流れる川と水道橋の下には廃墟群がある。
「あそこだ……」
重戦矢が仲間を貫いていく中、誰よりも早く丘を駆け下りる将校の姿が想像できた、怪我をしているのか、錯乱しているのかは分からないが彼は逃げた、きっとそうだ。
夜明けまで三時間、時間がない。
バッ 暗闇の中で地を蹴る、大股で飛ぶように走り降りる。
リルフ・マリオネットの一番の能力は走る事、酸素を必要としない代謝システムは疲労による能力低下が少ない。
量産型ではなく完全オリジナルで創作されたシノの擬体、創造主のクソ爺は強力な材料を手に入れていた、この世界に存在した生物のなかで最も巨大で柔軟性を兼ね備えた骨材、それから人間の骨二百四十種類全て削り出して組み上げた。
その骨材の耐加重は実に十トンを超える、同時に折れることのないしなやかさを持つ。
暴力の究極形態、ドラゴンの骨だ。
筋肉が収縮して生み出される力だけではない、カーボン・グラフェンで出来た競技用義足のように骨自体が瞬発力を生み出す、地上を走る最速の鳥、ダチョウは時速八十キロ、そしてフルマラソンを四十分で走りきる。
操者がまだ完全には能力を引き出せてはいないが、シノの擬体はダチョウを超えるポテンシャルを持っていた。
他人の目が届かない環境でシノは全力を解放した!
本来なら誰も居ないはずの廃墟街に一分とかからずに到達する、居ればそれが救護者だ。
動きを止めて五感をフル回転、虫の吐息さえ聞き逃さぬように気配を探る。
シンッ 空気が冴える……ハァハァッ……最初に捉えたのは呼吸音、生きている!
奥だ、距離は分からない、行ってみるしかない。
方向は間違っていない、しかし一度は大きくなった気配が再び遠くなる、追い越してしまったと気付いた時は既に廃墟の端、その先は運河に続く渓谷、ゴルジュ帯(V字の岩場)、人間に踏破することは出来ない、まして怪我人なら自殺するのと同意だ。
「違う、もっと手前だわ」
声に出して呼ぶか迷う、助けてほしいのかどうか分からない、逃亡するつもりなら見つかりたくはないはずだ、最悪攻撃される可能性もある。
「そうだ! 足跡だ!」
再び廃墟の入口まで戻り丘から降りてくる靴跡を探す、多くは敗残兵の靴、負傷し疲労して歩幅が狭く爪先を引き摺ずっている、その線が一本だけ廃墟方向へと伸びていた!
「見つけた……」
けれど。
大きな男だ、身長は百九十を超えているうえ太っている、体重も百三十キロはあるだろう。
廃墟の隅にダラリと力なく足を放り出して座っていた、左足に矢が掠ったのか出血がある。
「小隊長、無事ですか?」
「ポムロール軍フィクシー・アンブランツァ隊シノ・レオーネです」
優しくそっと声をかけたが返事はない。
様子がおかしい。
「小隊長、レスコー・バルバラ少尉殿」
今度は個人名も入れてはっきりと呼びかけた。
「あ……あひぇ……」
どよんと曇った表情に締まりがない、意識混濁、視線も定まらない。
「これは……」
足元に白いパッケージが幾つも落ちていた、痛み止めのモルヒネではない。
きっと麻薬だ、怖気づいて現実から逃げ出したに違いない。
「最悪!」
白い包を蹴とばす。
自力での歩行は期待できそうにない、この巨漢が背負子に乗るだろうか、更に途中で暴れだされても困る、拘束しなければならない。
「少尉殿! レスコー少尉! 分かりますか!? 助けに来ました、少尉! しっかりしてください!」
「げっ、げっ、あおっ、おええっ」
やはり駄目だ、完全にキマっている、貴族で下手に金があるとその筋の薬屋にはいいカモだ、明日死ぬかもしれないとなれば今日の金を惜しまなくなる。
両手と両足を縛り猿轡も噛ませる、暴れなかったのは幸いだ、そうなっては昏倒させるしかない、しかしテンプルを打ってもそうは都合よく眠ってはくれない。
ブツブツと意味のない事をひとり言のように呟いきながら時折大きく震えだす。
熊のような男を背負子に括りつけ、腰を降ろして肩紐に腕を通し立ち上がる、ギシリと背負子が軋んだが男の身体は抵抗なく持ち上がった。
平均的な少女からは少し大柄だが後ろから見るとシノの擬体は完全に隠れて座った熊が空中に浮いているように見える。
大の男でも担架で運ぶには四人必要だろう。
それを一人で担ぎ踏み出すと、ズンと柔らかな地面に小さな足跡を残る、一歩一歩と加速して、やがて丘を駆け上がっていく。
夜から朝へと太陽が顔を覗かせる前にシノは三人の将校を戦場から連れ帰った。
リルフの傭兵、シノ・レオーネは戦場のアンバランツァ(救急車)、武器を持たず白衣で戦場を駆け負傷兵を担ぎ連れ戻す。
その人形は、昇る朝日に向かい戦場に残る躯に膝を折ると、手を合わせ祈りを捧げた、彷徨う魂たちが無事に輪廻へと還れるように。




