山人
入口に見張りはいない、木製の扉は蹴とばすとあっさり吹き飛んだ、長く使用された形跡がなく丁番が腐っていたようだ。
中に進むと明かりはない、濡れた床にチョロチョロと水が流れる音が聞こえる。
この石壁の向こうはダム湖、数億立方の貯水池だ。
この水を解放してウィクシーの丘を分断する、残った皆を助ける!
白岩山羊の真似は足場のない急斜面で繰り返しの跳躍でブルーアンバーのエネルギーを吸いつくしていた。
筋繊維のダメージは深い、明日には激痛が待っているだろう。
爆破する目標はメインの放水バルブではなく一段上にあるオーバーフロー用の方だ。
暗がりに目が慣れてくると中の様子が見え始める、オーバーフローを解放するための階段があるはずだ。
レスコー少尉の情報では上の階には見張りが巡回しているらしい、狭い通路で見つからずに済むとは思えない。
「歓迎はされないよね」
戦闘は避けたい、敵とはいえ人間を傷つけるのは嫌だ、しかし……二兎を追って本末転倒になる事だけは駄目だ、命は平等でも優先順位はある。
人間の社会で学んだ事、傷つけたくないのは私の願望で個人の我儘、全体の利益に反するなら殺すべきは私の責任。
ラライダムの中央擁壁部分は現在連邦側の支配地であり守備隊が配置されているはずだが人のいる気配はない、水琴窟の中に入ったように滴る水の音だけが響いている。
階段を上っていくと外の灯が差し込んでいた、ダムの内側を周る通路だ、覗き窓から湖面側の景色が良く見える。
「誰もいない!? 」
そっと首を出して見る、右にも左にも人はいない、湖面を流れる風と光が通路を踊っているだけだ。
通路の踊り場から身を乗り出してみると湖面には流木が犇めき合いオーバーフローの溝を塞いでしまっている。
これでは爆薬を仕掛けようにも潜らなければならない、火薬が濡れてしまっては発火させられないではないか!
困った、中央擁壁に常駐者はいないと分かった、連邦は巡回管理しか行っていないらしい。
実質ほったらかしだ。
「どうしよう……」
メインの放水管を破壊すれば想定以上の水が下流域に押し寄せる、冗談ではなく丘まで一時的には飲み込んでしまうかもしれない、さらに水瓶を失った都市は水不足に陥る、それは食料となる麦や家畜にまで大きく影響するだろう。
駄目だ、丘どころか両国に深刻なダメージを与えることになってしまう。
やはりこのオーバーフロー溝の水位を下げる程度に調整しなければいけない。
潜って溝に嵌めてある板を手作業で抜くしかない!
基本的にリルフは泳ぐことが苦手だ、というより出来ない。
脂肪をまったく持たず、肺という浮袋もない擬体は水には浮かない、ただ石の様に沈んでしまう、常に水を掻いて推力を得る必要があるが一定の水深に留まれない。
有利なのは呼吸を必要としないことだ、水底を歩く事は可能だが地上とは違う、リスクが高過ぎる、視界と水の抵抗は馬鹿に出来ない、沈底物に引っ掛かってしまえば永久に擬体を沈めることになる。
それを理解しているからこそシノも足が付かない深さの川や湖に入った経験はない、隙間なく浮いている流木の下を潜り羽目板にとりつくことが出来るか? 深さと距離が問題だ。
一か八か潜ってみるしかない、時間はない。
決断した、爆破は諦めて潜るとことを選択する。
背負っていた爆薬を降ろして床に置く、覚悟を決めて湖側に身を乗り出した!
「おい、あんた!!なんばしよっとか!? 早まった事するでない!! ]
「!?」
突然響いた声、通路の奥から走り寄る姿があった!
釣り竿を担いだ老人が傍に小さな幼女を連れている、兵士ではなさそうだ、地元民だろう。
「なにがあったかは知らんが若い娘が自死なんて駄目じゃ! 儂が相談に乗る、だからこっちゃさ来い」
どうやら自殺と勘違いしている、まあ、結果は遠からず違わないかもしれないが。
無視して跨ごうとしたら幼女が走り寄りしがみついてきた。
「おねえちゃん、駄目!」
以外にも力強い。
「いや、違うの、これはそういう事じゃなくて……」
「どう違うんじゃ!! 」
老人の手も私の腕を掴んできた。
「その……暑いから泳ごうかなって」
我ながらバレバレだ、クソ爺は嘘のつき方を教えてくれなかった。
「儂は山で猟師をしとるジャルパいうもんじゃ、これは孫のアヴェンタ、怖がらんでええ! 行くとこがねえなら儂の家さ来い、飯ぐらい食わせてやるから、なぁって、お嬢さん、止めときな」
「お姉ちゃん、帰ろうよ」
まいった、説明せずには離してくれそうにない。
追手が来ていれば巻き込んでしまう、早く安全なところまで非難してもらわないといけない。
「お二人は何故こんなところに? 」
「そりゃあ、釣りに来たに決まっとるじゃろ、この先に良いポイントがある、内緒だぞ! 」
肩に下げた魚籠から数匹分の尾鰭が出ている。
「ジャルパさん、このすぐ下のウィクシーの丘は戦争の真っ最中です、こんなところにいては危険です、直ぐにここを離れてください」
「何を言うとる、奴らは忌地だと言って廃墟からこっちへは来やせんわい、あんな馬鹿どもことなど放って置けば良いのじゃ、勝手に殺し合って滅んでしまうがいい」
老人は吐き捨てる、ポムロールから来たと言っていたが浅黒い肌はルーツが別にある山人だ。
「私は……その馬鹿な人間の一人です、今、丘ではポムロール軍が危機的状況にあります、私はある作戦を実行するために此処まで来たのです」
「へえ、あんたみたいな女子が兵士? その割には剣ひとつ持っとらん、それにその白衣、それは医者が着る物じゃろ」
「確かに兵士ではありません、私はリルフ・アバランツァ隊のシノ・レオーネと申します、ここは危険です、連邦軍の追手が来ます、どうか退避を」
少し軍人らしく振舞って見せたが老人の目の疑念は消せない、幼女は私の袖を掴んだままだ。
「リルフだと、あんたが? 益々信じられん、嘘をつくならもっとマシな嘘を言え!」
「本当なのです、どうか信じて! もう時間がないの、皆が死んでしまう! 」
「死ぬとか縁起でもない事言うもんじゃなかぞ、さあ、儂の船が其処にあるから乗っていけ、確かにダム下は戦場じゃ、女が行くような場所じゃない、さあ、日が暮れる前に帰るぞ! 」
ぜんぜん聞いてくれない! どうしたらいい? 如何したら分かってもらえる!?
「そうだ! 私、爆弾もってます! 」
爆弾の樽はまだそこにあった。




