余白
廃墟に建つ教会は当時の隆盛を物語っていた、ルネッサンス様式の白い外壁、内部の建築にも凝った彫刻やステンドグラスが残されている、疫病時には臨時の病院ともなっていたことで逆に貴重品が残されていた。
人の気配はない、沈静化しているとはいえ黒呪病は一度発症すると最悪翌日の朝日を見ることは出来ないと言われている。
唯一の特効薬は白霧聖女の祈りだと聞いた、その霧を浴びれば発病しないのだそうだ、隣国の話、眉唾ものだ。
鐘楼の高さは二十メートル程あり廃墟群や森の木々を越えて連邦側の丘を見渡せる。
「ここなら確かに見えるけど……一体何のため?」
数時間は早く敵襲を知る事が出来たからといって迎撃の手段はない。
連邦側でも同じだ、重戦矢もここまでは届かない。
考えられる可能性はひとつ、幹部たちは何か情報を掴んだに違いない。
隠している?一般の兵にとって都合の悪い事実を。
「嫌な感じ……」
「えっ、何が!?」
突然梯子の上にトッと手が掛かった。
「誰!?」
思わず打ち上げ花火を掴んで振り上げた。
「ストップッ!! 俺だ! 俺だよ、パブロだよ!!」
「パァーブロ!?ここで何しているの?」
「やあシノ、レスコー少尉からここだって聞いてさ」
「レスコー少尉が? もう話せるようになったのですね」
「ああ、これから君に会いに行くと言ったら百リラ……いや、よろしく伝えてくれと頼まれたよ」
「良かった……のかな、もう少し悪ければ帰れたかも、いいえ駄目ね、それは不敬だわ、ごめんなさい」
「いいや、その通りさ、利口な奴はそうする、でもレスコー少尉は利口にも臆病者にも成りたくなかったのさ、でもそういう奴の方が俺は好きだ」
「それでパブロ、ここへは伝達か何か? 新たな命令?」
「いやいや、そうじゃない、こんなところに一人で缶詰じゃ退屈じゃないかと思ってさ、お喋りに来た」
「お喋り?本気!?バレたら大変だよ」
「かまいやしねぇよ、たまにはよぉ、余所見することも人間には、リルフにだって必要だぜ」
「余所見?余所見ってなに?」
「ああー、そうだな、余所見っていうのは……無駄な事さ、人生には余白が必要なんだよ」
「ふーん、余白?じゃあ今のパブロは無駄な人ってこと!?」
「そうさ、俺は無駄で必要な人間だ」
「アハハッ、パブロは面白いね、勉強になる」
「勉強?違う違う、そんな事考えちゃ無駄じゃなくなっちまう、考えなくていいんだよ、暇つぶしでいいからなんか話そうぜ」
「いいよ、なんか楽しそう、監視しながらね」
「ああ、そうしよう」
それから二人は鐘楼の壁に背中を預けていろんな話をした。
シノにとってそれは初めての経験、生きることは常にシノ・ククルを再現するための糧であり勉強だったから。
パブロは昨日まで読んでいたミステリー小説の事や、町に新しく出来たダンスホールの事を話し、シノはクソ爺に作っていた料理の話をした。
地上より高い所を渡る初冬の風に挨拶して、思い出の年輪に笑顔を刻んだ。
学ぼうと思っては学べない事もある、人間にとってそれはとても重要な事だとシノは知った。
クソ爺と過ごした時間とは違う楽しさがあった。
「シノ、その個人的な事聞いていいか?」
「何です?」
「その……何で傭兵なんてやっている?この間騙されたって言っていたろ、なんか気になってな」
「覚えていたの」
「まあな、こっちから話しかけた事だったし」
「つまらない話だよ?」
「ああ、かまわないさ、聞かせてくれ」
「私ね、旅に出て直ぐにお金を全部盗まれちゃって、外見はそれなりの人間だけど中身は世間知らずのリルフだったからね、世間のルールを全然知らなくて……別に食べなくても寝るところがなくても困りはしないけれど、引籠っていたのでは意味がないからそれで何か仕事を見つけようと思って職安っていうところにいってみたの」
「職業安定所だな、しかしアンバランツァなんて紹介しないだろ」
「そう、仕事はなかったわ、リルフだって正直に応えちゃったのも失敗だった、嘘も方便という言葉を覚えたけれど後の祭り」
「それでね、途方に暮れてやっぱり家に帰ろうかなんて考えているところに傭兵団のスカウトだっていう男に声をかけられたの、うちと契約しようって」
「契約したのか?」
「そう、でも連れて行かれてサインしたのはポムロール軍の傭兵、そいつは契約金だけ持って逃げちゃった」
「!」
「馬鹿よね、助けて貰えると思って全てを預けて騙されて無一文でここにいる、リルフだから喰うには困らないけれど、釈然としないよね」
「おいおい、釈然としないじゃねえよ、詐欺じゃないか、もっと怒れよ!どんな奴だ!?見つけ出してぶち殺してやる!」
「駄目だよ、殺すなんて言わないで、それにそいつの顔なんてもう忘れちゃったし」
「なんでだよ、頭にこないのかよ!」
「しょうがないわ、きっとその人たちも何かに困っていたのだと思う、やりたくてやったんじゃないよ」
「シノ、お前なぁ、世間というのはな、騙そうとするゲスな連中で溢れているんだ、舐められたら骨までしゃぶられちまう、もっと自分を大事にしろよ」
「パブロも私を騙すの?」
「俺はちげぇよ!好きな女に嘘なんかつかねぇ……あっ!!」
「好きな女、恋人? パブロには恋人がいるの?」
「あっ……いや、その、俺が好きな……」
「私ね……私の身体はシノ・ククルという実在した女の人をモデルにした擬体、でもその中身はリルフ、愛おしいは分かるわ、でも恋愛の感情が分からない、きっと雌雄同性の液体生命体だからかな、人間はやっぱり凄いよ、クソ爺も最後まで恋してた、彼女の話をする時のクソ爺は今のパブロみたいな顔をしていたよ」
「シノ……」
「騙した人の事、こう考えちゃうの、もしかしたら盗られたお金は、あの人たちの子供や恋人を笑顔にしたんじゃないかなって、それは私が持っているよりも役にたったんだって……やっぱり馬鹿すぎる? 呆れたでしょう? 」
「いや、シノ・レオーネ、お前やっぱスゲエな、スゲエよ」
ポケットから大事そうに不器用にラッピングされた小瓶を取り出した。
「これ……隊の皆からの感謝の気持ちだ、受け取ってくれ」
俺からだとは言わなかった。
「えっ、なに?なんで? 」
「いいから、いいから、フォクシーの丘分隊有志でカンパした金で用意した、まあ皆安月給だから大した物じゃないけどな」
「開けてみてくれ」
「うん、何かな? 」
ユラッ 鐘楼が小さな地震のように僅かに揺れた。
「!?」
グラグラッ グラグラッ 徐々に揺れが大きくなる。
「何だ……」
「はっ、まさか!?」
目を凝らすまでもなく連邦の丘から騎馬隊の出撃が見えた!
「騎馬……だと? なんでこんなところに……」
「違う!その後ろ!!」
シノの指した先に見えたのは!?




