夕日の葬送
「手に入らないってどういうことだよ!? 金なら払うって言っているじゃないか!」
パブロが鼻息を荒くして迫っているのは道具屋の爺さんだ。
「パァーブロッ!金の問題じゃないのだ、市場に物がないんだ、何処ぞの貴族様が買い漁っていて商品がない」
「じいさん、そこを何とか頼むよ、ほんの一袋でいいからよ、じいさんなら如何にか出来るだろ!」
「無茶言うな!買占め貴族の屋敷から盗めっていうのか、無いものは無いのだ、諦めな!!」
じいさんと呼ばれた道具屋は政府が認めた便利屋だ、政府は基本兵士の衣食住や武器などは用意するが、嗜好品や自前の武器、丘から出る事の出来ない兵士たちの生活に関わる諸々を用立ててくれる。
「そんなぁ、皆からカンパまでして貰ったのに、肝心の物が手に入らないなんてぇ」
空を仰いで頭を抱える。
「ははーん、パブロよ、さては女への貢物だな、イエローアンバーとくれば相手はチェルヴァか」
「そうだ、あと彼女はチェルヴァ(雌鹿)じゃない、シノだ!」
「当然リルフだってことは承知の上か」
「もちろんだ!彼女は人間以上の女神だ」
「悪くはない、が、ライバルは多いぞ、彼女はこの丘のアイドルじゃからの」
「えっ、そんなに?」
「先日もドクター・クロドが青金石を買って行っての、あれはチェルヴァへのプレゼントだな」
「ドクター・クロド……貴族医者がライバルかよ」
「イエローアンバーなら他にも送った奴は何人もいたぜ、でも落とせた奴はいねぇ、もっと特別な物が必要と見たね」
「心当たりがあんのか?」
「ふふんっ」
道具屋の爺は不敵に笑った。
丘の最深部を流れていたのはトレンゼ川、かつては一級河川バローナ川の支流として全長二十キロほどの短い河川だったが、平地を流れる川らしく曲がりくねり、分岐と合流を繰り返しながら深く重く流れていた。
大雨が降れば暴れ川としても有名で下流域はたちまち湖と化し被害を出していた、その分土地は肥沃となり豊かな実りを人々に齎した。
豊穣の大地であると同時に頻繁に氾濫する忌地でもあったのだ。
それを治めたのが時のラインハウゼン王、巨大ダムを建設し都市へと水を送る用水路を整備した、この大事業には三十年以上が費やされたが豊富な水を得た連邦とポムロールの都市は大きく発展し独立を果たした。
本来ならその中央に位置する大地は氾濫だけが治まり豊穣のみがもたらされるはずだったが……疫病の大地となり忌地の汚名と共に放棄された。
ポムロール側の丘に夕日が落ちてくる、オレンジに照らされた大地が見える、シノから見ても平坦な土地は農業や街として栄えていておかしくないように思えた。
振り返ると巨大な山脈、その頂きは高すぎて見えない。
その間に連邦が位置している、何故こんな狭い丘を巡って争うのか意味が分からない。
欲しければあげてしまえばいい、どうせ誰も住んでいないのだから。
殺し合ってまで必要な土地とは到底思えなかった。
一人で夕日を見ているとリルフだって感傷的になる。
コンパクトは常に持ち歩いている、この顔はシノ・ククルの顔だから汚れたままじゃいけない、開けるとクソ爺の顔の写真、いつでも笑顔だ、ガラス瓶の中で成長し自我が芽生えた時に初めて見た映像、創造主たるクソ爺の笑顔。
リルフにとって核は脳と同じ、未成熟だった頃は記憶細胞も曖昧で記憶は朧げ、成熟すると記憶は核の中で年輪のようにストックされる、死なない限り消えることはない。
成熟した記憶の中のクソ爺はもう若くはなかった。
こんな夕日の中、クソ爺は私の背中で逝った。
私達は間に合った、クソ爺が逝ってしまう前に擬体を完成させシノ・ククルを再現できた、クソ爺に会わせることが出来た。
満足げな顔を忘れない。
私達の擬体は他にはないほどに精巧で精緻、それでも涙は流せない。
姿を模しただけのマリオネット。
クソ爺と共に創り、神経を伸ばし、動きを核に覚えさせる日々が全てだった。
目を開き、歩き、指を動かす……長いトレーニングの果てに擬体は人以上の速さと強さを手に入れた、それはクソ爺アレクセイ・レオーネを背負い、あの丘からシノが眠る夕日の空に魂を抱かせるため、最後の役目は終わっていた。
自分もあの夕日の中で逝きたい、創造主に会いたい願望は本能なのだろう、あの丘に続く崖から一歩踏み出して空に身を躍らせれば、あの優しい手が抱いてくれる夢を見てしまう。
その想いを 夢幻泡影 クソ爺の言葉が押し留める。
オレンジの世界は紫に変わり、間もなく碧の時間になる、カチャリとコンパクトを閉めるとシノはテントへと踵を返した。
今夜のブリーフィングはいつもと違う緊張感に張り詰めていた。
ひとつ高い演壇の上には基地司令と各部隊長が並び、ひな壇には各小隊長が座っている。
アンバランツァ隊の長でもあるシノも毎回出席はするが攻撃隊の末席にいるだけで直接の指示があるわけではない。
自分たちが潜る塹壕の位置と出撃のタイミングの凡そを確認する程度で後は意味のない話を聞いているだけだった。
今日は違った。
「アンバランツァ隊、チェルヴァはいるか!?」
演壇から直々に名指しされたのだ、初めてのことだった。
「はい、何でしょうか」
起立して敬礼を返す、全員の注目が集まる。
「貴様にやってもらう事がある、良く聞いてくれ」
依頼や相談ではない、決定事項だ。
「はっ!承ります」
「お前は足が自慢だったな、中央の廃墟群に教会があるだろう、そこでの監視任務を命ずる」
「監視任務?ですか」
城攻めは壁の前まで来なければ始まらない、全面が開けた丘であり、急坂の上に築かれたポムロール陣地には、仮とはいえ見張り櫓もあって攻めてくる敵を発見するには十分のはずだ。
「教会の鐘楼から敵の進軍を監視し、発見次第花火を打ち上げて知らせるのだ」
「はい、承知しました」
「打ち上げ後は至急本隊に復帰、通常任務に従事せよ」
「はっ!」
「もうひとつ、明日から負傷兵全員を一端帰郷させる、リルフ達には兵たちの積み込みに当たってもらう、使役はこちらでするので貴様は監視塔へ向かえ、以上だ」
頷き着座するとまた声がかかった。
「チェルヴァ、君はここまでだ、これよりは丸秘扱いの軍議になる、退室してくれ給え」
追い出された、軍議で退出させられたのは初めてだった、なんの相談なのか、傭兵のリルフとはいえ聞かれて困る話などあるのか。
戦地に平時などないと知っている、それでもブリーフィングの雰囲気、士官たちの顔からキナ臭い怪しい匂いを感じていた。




