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ありきたりの小説  作者: 牧亜弓
小便の声 あるいは 鬱の原因
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ほとばしる小水の声


 克己は便器に小水をしていると、水音が何が喋っているように、チョボチョボからペチャクチャに変わってゆくのであるが、確実に人間の言葉を形成していることに気付いたのであり、これは、ノーベル賞級の発見かも知れなかった。


「チョボチョボ……僕の声が聞こえるかい。そう僕はひっきりなしにしゃべる、まさに小便小僧ってことなんだけど、それはそうとしまして、最近、精神分析学的アプローチが僕の中で流行しておりまして、フロイトってのは、キリスト・カトリックの懺悔告白式を、裏返したものであるってことは、これは明白なのであって、西洋の文化の根幹に、カトリックの懺悔告白式が根付いていて、それのカウンターとしてのフロイトがいて、それとリベラリズムは表裏一体となっている、ということは、明白なわけでしょ。西洋が行き詰まっているということは、これは、精神がリベラリズムによって自由になりすぎて、規範を失っているということであり、これへの答えの一つが、主体と客体を固定化させないことなんですわ。つまり、主語的にものを考えないことなんでして、古代英語には、主語が必要では必ずしもなかったのですが、現代英語では主語が必要になってしまった。しかも、日本語も本来述語しか必要でなかったのに、主語が必要だという誤った考えが浸透しつつありますね。これが蔓延すると、人間は、白黒はっきりしなくてはいけなくなりますが、「現代思想入門」で、千葉雅也さんが仰った通り、現代思想とは、「グレーゾーン」を大切にする、二項対立を脱構築するものなのであります。これは、松岡正剛氏も「私は二元論者ではない」と仰っていたことから、編集という考え方も似たようなものであり、日本人は私と他人というよりも、場所を大切にする民族なわけなんですよ。それは、私対他人という二元論ではなく、場所という多元的空間の思考に慣れているわけです。二元論者は、精神病になりやすい。というのも、カトリックか、リベラリズムかという極端な思想だからです。日本で言うと、右か左か。しかし、本来の日本の思考は、そもそも右翼のいうものじゃなくて、多元的空間的だった。それもまたある意味で茫漠としすぎて、難しいのですが、人間以前という感覚、その場の置き物、という感覚ということで言うと、モノ化している人が多くいるのだが、それは、日本的と言うことになりますね。これからは、ものを二律背反というか、二項対立で見ない本来の日本的考え方がひつようになってくるのでしょう……チョボチョボ」

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