5.昔話
空きばかりで簡単に座れる車両に揺られている間に、わたしのふつふつとする使命感めいた気持ちはすっかり冷え切っていた。
車中で見たスマートフォンの画面には、いつものように都会の夜景や流行りのダンスやらが忙しなく細切れ、ガラス窓から眺める市内の三景がまるでばかみたいだったのもある。
わたしは、目的地だった市内でも数少ない急行駅で降りると、数分もかからずにホテル入り口に辿り着いた。
――ストバでもあれば……だけど。
もちろんそんな贅沢なコーヒーブレイクは叶うはずもなく、見知らぬ人物による講演会の歓迎看板の隣にある、見慣れた先生の名前を確かめてからきっちり三十分間、わたしは寒空の下で年末休業のアーケード街を覗き込むはめになった。
定刻を幾らかすぎて訪れた会場は、ホテルの宴会場を貸切った、五十名は入れるスペースだった。いくつもの丸テーブルが光沢のある白いクロスで着飾り、その中心にはささやかな造花が置かれている。
――わかる人もいれば、わからない人もいるな。
受付の記帳を済ませ周囲を見渡すと、ずらりと並んだ、おそらくはアラサーアラフォーであろう男女が、めいめいグラスを片手に談笑している。
周囲が昔話に花を咲かせているだろう中、わたしはビールを半分あおると、知った顔がないか探し始めた。
「あれ? 紫恩? うわー、懐かしい!」
間もなく、横から小走りに声をかけてきたのは懐かしい顔だった。おぼろげながら学生時代の面影を残すその女性は、確か――。
「……まる? うわ、まるやん! ちょー久しぶり!」
「そういう紫恩も! なんか都会風になったね」
そう、同じ部活の深川琉美だった。最後に顔を合わせたのは成人式のときだったろうか。丸みを帯びて下がった、印象的な目。笑うときに口元に手をそえる癖は変わっていない。
たしか、彼女は身長の要求されるこのスポーツには少し合わないという理由で、選手からマネージャーにくら替えしたはずだった。
「そんなことないない! まるやんは……うん、全然かわんない!」
「あはっ。なんか紫恩に言われれるとうれしいー」
記憶にある姿と同様、琉美は変わらずに口元に手をそえ、ころころと笑っている。
けれど、取り戻した思い出とともにその仕草を目にしたわたしは、彼女の変化に気づいた。それは、笑顔にそえられた左手の薬指に象徴された変化だった。
「あ……その指輪ってさ」
「んー、うん。二年前にね。いまは古暮琉美と申します!!」
わたしの心臓がドクンと跳ねる。二年前と言えば、彼女は29か30歳のはずだ。不意にわたしは、揶揄するような小ばなし『クリスマスケーキ』を思い出していた。
「そっか。おめでとう! いまは何してるの?」
馴れ初めやら家庭の話を訊く選択肢もあった。でもわたしは、不意にパトカーを見かけたような気持で、話題をすこしだけ逸らしていた。
「看護師だよ。どっかの子たちが怪我しまくってて手当ては得意になってたからさ」
そういって彼女はまた笑う。まるい目、低い背丈、笑う仕草、どれも高校生の彼女とまるで変わらない。変わったのは戸籍の名前だけだ。
けれども、同じはずの笑うときの仕草は、変化に気づいてしまったわたしにとって、ひどく座りの悪い仕草に変わってしまった。
――深川琉美はもういない。
わたしの中で深川琉美は深川琉美で、古暮琉美ではない。
月日が経つにつれ細胞が生まれ変わるように、彼女もまた部活のマネージャーから看護師へと移ろい、そして、誰かの妻になっていたのだ。
わたしにはなぜだか、それがたまらなくさびしかった。