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恋は愛に育つもの(後) *マリアベル

 ロバン商会からシルヴィさんとは分乗し、馬車の中はわたくしとフィリルさまの二人だけです。でもわたくしはどうやら心ここに在らずのようだったようです。

 いいえ、ずっと心の中にはある思いが渦巻いていました。

 もしカインさまが帰ってこなかったならば、フィリルさまはシルヴィさんをどうなさるおつもりなのだろう、と。


「ベル、ここはバークレーの一番大きな街なんだ。どうだい?」

「え、ええ。とても美しい街だと思うわ」

「ベル、今日はシルヴィを説得してくれてありがとう」

「……まあ。お礼なんて不要ですわ。わたくしはあなたの妻(・・・・・)ですのに」

「……そうか」


 それはほんの小さな意趣返し。でも怪訝な顔で返事をしたフィリルさまを見て後悔が押し寄せてきました。

 

 せめてこの醜い想いは気づかれませんように。


 *


 屋敷に戻ってからは、シルヴィさんとは顔を合わせることはありませんでした。

 

「マリアベルさま、なにかお飲み物はいかがですか?」

 フィリルさまの乳母であり、今はこのカントリーハウスの家政婦長でもあるレオノーラが声をかけてきました。

「針を持ったままですと危のうございますよ」

 刺繍の途中でぼんやりしてしまったようです。

「……そうね、なにか冷たいものをお願い」

「かしこまりました」


 レオノーラがミントとレモンが入ったお水を持ってきてくれました。

「おいしいわ」

 少しすっきりします。

「飲まれたら少し休まれたらいかがでしょう?」

「寝ていたりしていいのかしら」

 不安が顔に出ていたのでしょう。レオノーラが静かに、でも力を込めて言いました。

「ここの女主人は若奥さまなのですから」


 ベッドに横になり目を閉じ、先ほどのレオノーラの言葉を反芻しました。

 わたくしはフィリルさまの妻でありバディスト次期公爵夫人。

 

 わたくしはわたくしのできることを。わたくししかできないことを……。


 *


 そして起こったのが鉱山の事故。


 すぐに現場に行きたいと言うフィリルさまとわたくしをシード子爵が制し、屋敷で待機することになりました。なすすべなく項垂れていらっしゃるフィリルさまに、わたくしは勇気を持って声をかけました。


「フィリルさま……」

「ベル」

 フィリルさまは顔を上げ、少し驚いたような顔でわたくしを見ました。

「できることをしましょう、フィリルさま。薬や食料や……怪我人を運ぶ荷馬車も何台か確保するといいかもしれません」

 フィリルさまは、美しい目をさらに大きく見開き、わたくしの目を見ます。

「そう、そうだな。ベル、必要になりそうなものを書き出そう。そして無駄になってもいいからかき集めよう」

「はい……!」


 わたくしは、こんな時なのに嬉しくて目の周りが熱くなりました。

 フィリルさまの、このバークレー領の役に立ちたいと、強く思いました。


 二週間経後、やっとわたくしたちは崩落事故の現場に行くことができました。


 *


 そこで、わたくしたちは思わぬ歓迎を受けました。

 準備した物資が、みなさんのお役に立ったようなのです。フィリルさまも戸惑いながらも感謝の言葉を受けています。

 

「……フィリルさま。わたくし、炊き出しの手伝いをしてまいりますわね」

「ベルが?」

「これでも慈善活動で経験はありますのよ」

「そうか、頼んだよ。ベル」

 フィリルさまが、ふわりとした優しい笑顔を向けてくださいました。


「マリアベル」

「フィリルさま、お話は終わりましたか?」

 フィリルさまが事故の詳細を話し合った後、炊き出しをしているテントにやってきました。

「ああ。僕にもできることはあるかな?」


 王族として生まれ、公爵家の後継としてやったことなどないであろう炊き出しの手伝いをかってでて下さったフィリルさまは、どこかすっきりとした顔をしておりました。


「では、パンを配ってくださいませ」

「ああ、わかった」


 *


 フィリルさまやシード子爵、シード子爵の長男のシモンさまが事故の処理で忙しくしている間、わたくしも物資を運んだり怪我をした方たちの慰問をしたり、生活の心配をしている方々の話を聞いたりしていました。


「フィリルさま、ただいま戻りました」

「おかえり。疲れただろう? マリアベル直々に鉱山へは行かなくてもいいのだぞ?」

「はい、現場もかなり落ち着いてきて環境も改善されてきました。次で最後にしますわね」


 ふいにフィリルさまの手が伸びてきて、わたくしの髪の毛を優しく撫でました。

「無理をしていないか?」

「……! いいえ、無理はしておりません」

 優しくて慈愛を感じる眼差しを受け、わたくしは泣きたいほど嬉しくなりましたが、ぐっと我慢をしてフィリルさまの目を見ました。

 

「わたくし、考えたのです。戦争というものが日常をあっさりと壊しました。この鉱山の事故も原因は戦争です。ですから、わたくしは領地を守り、日常を、毎日を悔いなく過ごしたいと思うのです」


「ベル、僕は君を誇らしく思うよ」


 ようやく、自分に自信を与えてくださる言葉をフィリルさまから聴くことができました。


 *


 鉱山の件も落ち着き、フィリルさまとわたくしはシルヴィさんに会いに行きました。

 シルヴィさんはカインさまとシスラー商会副会頭の件でおいたわしいほどやつれ果てておりました。

 少しでもお力になればと思っていた時、突然、シルヴィさんが弾かれたように立ち上がりました。すると、馬車が近づき、中から一人の男性がシモンさまに肩を借りて降りてこられました。


 それまでの様子と打って変わって軽やかに走り出したシルヴィさんは、ふわりとその男性に抱きつき、何度もその方の名前を呼んでいました。

 それは、絵画のように美しい光景です。フィリルさまは扉に寄りかかるようにしてその光景を見つめていました。

 そっと近づき見上げると、なんとも表現し難い表情をしています。

 そっとしておいた方がいいのでしょう。でも、わたくしは勇気を出して声をかけました。

 あなたのそばにはわたくしがいます、という祈りのような想いを込めて。


「フィリルさま」

「……あ、ああ。ベル」

「よかったですわね」

「……」


 フィリルさまはもう一度前を向き、大きく息を吐きました。

 

「うん、そうだね。ベル」

 フィリルさまは眉を下げ微笑みながらわたくしの手の上に手を重ねられました。

 それからしばらく、わたくしたちはカインさまとシルヴィさんのお二人を見ていたのでした。


 *


 初夏。

 穂を金色に染めて揺れる小麦畑は感動的に美しい風景です。白い花が揺れる草原の中に建つ屋敷の庭で、シード子爵家のご子息お二人の小さな結婚式が執り行われました。

 幸せそうな二組を見ながら、手をそっとお腹に当てます。そう、今わたくしのお腹に中には小さな命が宿っているのです。


「……マリアベル」

「はい」

「君と子供と僕と。彼らに負けないように幸せになろう。僕は君を愛している。大切にするよ」

「はい……! わたくしも、愛しています」


 わたくしたちの間にあるのは切なく焦がれるような恋ではなく、確かな絆で結ばれた愛だと確信できます。


 これからも不安になることはあるかもしれません。けれど、この絆は切れないほど強く育てることができるのだと信じています。


【終わり】

最後までお読みいただきありがとうございました!

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