恋は愛に育つもの(前)*マリアベル
わたくしマリアベル・ジョゼ・デヴォンが十四才の時、十六才のバディスト公爵家嫡男フィリルさまとの婚約が整った。
お茶会などで拝見することはあったけれど、青みがかった銀色の髪と海のような青い瞳はどこか神々しささえも感じられ、到底わたくしのような取り立てて優れたところもない娘には手が届かないお方だった。
お茶会でのフィリルさまは、男女問わず大勢の方が次から次へと話しかけに行ってらして、いつも人に囲まれていました。わたくしはそのお姿に憧れているだけで満足していましたので、婚約の話が来た時にはそれこそ青天の霹靂でした。
「マリアベル、これからベルと呼んでもいいだろうか?」
「あっ、はい。……ありがとうございます」
「ふふっ、なぜお礼? じゃあ私のことはフィリルと」
「はい。……ありがとうございます」
初めてお会いした時には夢見心地で自分がなにを言っているのかさえわかりませんでした。
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けれど、いつかは気づいてしまうもの。彼の瞳はわたくしを映しておらず、どこか遠くを見ていることを。
でも、それでも仕方がないとわたくしは思いました。視界にさえ入っていなかっただろうわたくしのそばにいて、名前を呼んでいただけるだけでも満足。だから、せめて公爵家に嫁ぐ身としてできることをいたしましょうと心に誓ったのでした。
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西国が我が国の隣国に攻め入ったとの一報があり、ひたひたと不穏な空気が満ちてきました。王都は戦場となっている隣国から離れているので、まだ目に見えた変化はありません。しかし、確実に近づいています。
財務部に所属するフィリルさまもお忙しそうでお会いできる時間も少なくなってきました。結婚式の準備もわたくしとわたくしの母、フィリルさまの母であるバディスト公爵夫人と少しずつ進めます。
そして、とうとう我が国も戦火の渦に巻き込まれたのです。
派手な社交を自粛しているわたくしたち貴婦人や令嬢は、慈善事業を中心に活動していました。
普段は慈善活動の一環としてバザーに出すものを作ったりしていたのですが、少しずつ戦争が長引くにつれて困窮する市民が現れ、その慰問に行くというので、わたくしも参加することにしました。周囲からはとても驚かれたけれど、この国を知るためには必要なことだと思い決めたことでした。
実際に行ってみると、想像よりもずっと戦争の影響は出ているのだと実感しました。
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そしてそのような状況の中、わたくしたちの結婚式は延期されました。婚姻だけはなされ、お互いの家族と食事だけの慎ましやかな祝宴をしました。
「ベル、すまない。戦争が終わって落ち着いたら素晴らしい式を挙げることを約束するよ」
「わかっておりますわ、フィリルさま。わたくしはあなたの妻となれただけでも幸せです」
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それからしばらくして、戦争は我が国の勝利で幕を閉じました。
続々と兵士たちが帰還する中、フィリルさまの幼馴染のカインさまという方の婚約者がカインさまをお迎えするためにバークレー領からいらっしゃいました。
わたくしよりも年上ですが、ミルクティー色の髪の毛に碧の瞳の可愛い方で、フィリルさまとも幼馴染です。
だからでしょうか。
フィリルさまのシルヴィさまを見るその眼差しが、かける言葉の声音が……。
気づいてはいけない。
気づかないふりをしようと、わたくしは目を伏せました。
国中が戦勝ムードでお祭り騒ぎの中、延び延びになっていたフィリルさまとわたくしの結婚式は執り行われましたが、微笑みかけるわたくしに返される彼の笑顔はどこか空虚で。
わたくしは気づかないふりをして、幸せな花嫁の笑顔を浮かべたのです
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「シルヴィ、バークレー領に帰るって?」
「はい。いつまでも店を留守にするわけにもいきませんので。これでも最近は頼りにされているんですよ」
ひたすら婚約者のカインさまを待っていたシルヴィさんが赤くなった目元を隠すように俯き、でも努めて冷静に話しています。
「いつカインが帰ってくるのかもわからないのに」
「そうよ、シルヴィさん。次にわたくしたちが領に帰る時まで滞在されては?」
シルヴィさんがどれだけカインさまを愛し、待っているのかを知っています。
「いえ、兄と両親からも帰ってくるように頼りがきていますし……バークレーで待ちます」
「そうか……」
フィリルさまも強く言えないと思ったのでしょう。せめてと公爵家で送り出したのでした。
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その後、バディスト家の領地バークレーからお義父さまかフィリルさまへの一時帰還の要請があり、わたくしたちはバークレーへと向かったのでした。
そこで、戦争の影響で小麦の価格が高騰し、そのせいで王都の大きな商会がシルヴィさんを狙っているという話を聞きました。
フィリルさまがなんとかしようとしていましたが、シルヴィさんが誘拐されるかもしれないという情報が入ってきたのです。
緊急の策として、シルヴィさんを公爵家の敷地内にある、シード子爵の邸宅の離れに匿うことになったのです。
「フィリルさま、私事でお世話になるのは心苦しく……」
「大丈夫だ。シード子爵邸のそばであれば、君の家族も安心するだろうし、この地にまだ知り合いがいないマリアベルの話し相手になってくれるとありがたい」
わたくしは、そんなお二人の姿を少し離れたところから見ておりました。