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「お嬢ちゃん、このミルクは格別じゃぞ」
「俺は男だよ。それよりもえ? もしかしてこのミルクっ背とか伸びたりする?」
「ガハハ。その顔で男とか面白い嬢ちゃんだな。このミルクかい? 当然背も胸もお尻も成長するぜ。うーっひっひ」
「その割にはおじさん背も器も股間も小さそ――」
商店街の一端でミルク売りの店主とそんなやり取りをしている最中に、フィアルが一雷氏絵の右頬を抓りながら引っ張った。その見た目からは想起できない怪力に圧倒されながら、一雷精は抗うこともできずに成すがままにされる。
「あああー背が伸びるミルクがああ」
力なくフィアルに引っ張られる一雷精。遠のいていくミルク店主を惜しみながら
「情報収集をしようってご自分でおっしゃっていましたよね?」
両目を逆参画にしながらフィアルは怒号を飛ばす。頬を抓る右手の力が強まった気がした。殴るでもなkj、張り手をするでもなく抓るという攻撃方法は対処に困る。身をちぎらせるほど痛いわけでもなければ全くダメージがないわけでもない。中途半端な鈍痛が頬に廻る。
「わかった。ごめんフィアル。ストップ」
いきなり手を離され、一雷精はバランスを崩してかっこ悪くこけた。
「こんな一大事に浮かれないでください」
「悪かったよ。緊張をほぐそうとしただけさ」
苦笑を浮かべ場をやり過ごすと一雷精は赤くなった右頬を撫でながら一雷精は右手側の店に設置されている時計に目を向ける。
現在は十時五十分。防具屋が新商品を出品するまであと十分といったところだ。
「緊張しますね。英雄人という立場上、本当はこんなことはしたくないのですが、仕方がありません」
「そうだね……うん」
準備を取ることなく、時間が近づくにつれて両者の顔が自然と顔引き締まってきた
心を落ち着けさせ、神経を研ぎ澄ましていると、突然背後から何者かがぶつかってきた。反射的に振り返ると、そこには美少女がいた。
オレンジ色の短髪は陽の光を浴びて鮮やかな色になり、くりっとした大きな瞳と顔は母性的な本能をくすぐる。身長も一雷精と同じくらいの身長で、女性にしては平均といったところだろうか。服装は鎧や更迭を纏っている奴等の多いこの場所では珍しく普通の布製の衣服だ。
「す、すみません。人とはぐれてしまったもので」
「ああ、いや。大丈夫?」
「ええ、お気遣いありがとうございます」
二マアと宝石のような輝きを彷彿させる笑顔を向けてきた。こんなに穢れのない純真な笑みを見たのは生まれて初めてだ。
「……は、はい」
一雷精の悪い所1が発動してしまった。普通、見ず知らずの人間にあんな屈託のない笑顔を向けるはずがない。ということは、もしかして彼女は……。
「俺のことが……好き?」
「何でそうなるんですか?」
あははーとフィアルは一雷精の頬を抓る。あくまで笑顔を取り繕っているつもりだろうが、目が笑っていない。
「ごめん、ごめん。少しときめいただけさ」
口でそういいいつつ、一雷精は目の前を通り過ぎる女性を凝視する。非日常な空間にいて気が麻痺していせいなのか、普段よりも惚れっぽい性格が微増しているような気がした。
「もう時間ですよ。始めましょうか」
時計の針は一一時を回っっていた。次いで、カーンカーンと鐘の音が商店街に響き渡る。その音色の発言血が防具屋のほうだと確認すると、一雷精とフィアルは互いの顔を見合った。
「行きますよ。武器形態に変形しますので、私が武器になり次第、精様は防具屋へ向かってください」
「了解」
そう言うと、フィアルは小声で何事か呟くいた。
淡い黄金色の渦がフィアルの全身を包んで徐々にその形を鋭利にして縮小する。光りが心地いい音色を立てて拡散した時にはフィアルはもうそこにはいなく、変わって美しい色で身を染めている金の槍が地に置かれていた。
「よーし、行くぞ」
思い切り地を蹴って防具屋目指して疾走する。このあとの計画を簡潔に説明すると、防具屋の中心に一雷精が立ち、そこでまずは天空に電撃を放って周囲の目を引くことだった。全員の視線が集中してきたのを確認した後、人に当たらないぎりぎりの箇所に小さな電撃を放ち、一同をパニックに陥らせるという計画だ。
決して利口な計画ではないし、非人道的な行為だとは心底思うが、それgs一番手っ取り早いのも事実。迷っている暇はないのだ。
「いやあああああ!」
しかし、そこで思わず誤算が到来した。
一雷精よりも前に、既に場に野次馬がぞろぞろと群がっていたのだ。
「え……。なにこれ」
愕然とする。無理もない。予期していた計画が経った今全て覆されたのだ。
「一人のいかれた男が女を人質にして新品の防具を全て奪おうとしているらしいぜ。いわゆる強盗みたいなものだ」
傍らで棒立ちしていた男性に声をかけられた。
「いわゆる、犯罪を犯してギルド登録されなかった冒険者崩れってやつだ。武力でギルドを行使しようとしているらしいが、馬鹿なやつだ」
黒いローブを被っていて顔は見えないが、全体的に近寄りがたい威圧のある棘地棘しい雰囲気を放っている。
「そんな……どうすれば」
混乱の極みに達し、頭を抱える一雷精の脳内から突然、フィアルらしき声が聞こえてきた。
『もう選択肢は一つしかありません。精様が英雄人として人質さんを助けだし、集まっている野次馬さんに七人の守護者の捜索に協力してもらいましょう』
「え? 待って、どうやって声出してるの?」
『ちょっと大声を出さないでくれませんか? これは意志呼応といって、英雄人のみが使える脳内専門の会
話術です。戦闘の時に巧く連携を取るために使われますわ。精様も心の中で言いたい事を述べてみてください』
「言いたいことって……」
「お前、さっきから何独りぼやいてんだ?」
ローブ越から冷たい視線が飛んでくるのがわかる。たははーと笑って流した後、一雷精は真っ直ぐと視界の先にある人の群れを見つめた。
「いいや、今からその人質を助けようと思ってね」
ざわざわという呻き声がさざ波のように広まっている商店街の中心には、人だかりで溢れていた。
百戦錬磨の冒険者も、装備している武器を取ろうともせずに、ただじっと目を凝らして一連の流れを見守っていた。
幾千もの戦いを繰り広げ、屍の山を築いてきた彼らが助太刀に入らない理由は、全部で2つある。
まず一つ、エリアリーの世界全体に伝わる法律だ。
エリアリー法典に記述されている憲法二〇条に、『冒険者はギルドの任務として扱われたクエスト以外では人を殺めてはいけない』という掟があるのだ。
例外として自己防衛のために武器を取っていいという規約もあるが、丸腰の平民を無視してわざわざ熟練の冒険者を狙う馬鹿な物は滅多にいなく、事実上その例外もないものとして扱われている。
そして二つ目、周囲の視線を独占している男は人の体を成していなかった。
黒光りする鱗を身にまとい、針のように逆立っている背中の毛からは野生動物のような腕が
十本ほど生えている。
一雷精は分厚い毛で覆われている十本の腕を凝視しながら、人とは余りにも構造が違う目の前
の男に、総毛立たせていた。
「あ、あの娘は」
男が持つ複数の手で体の自由を奪われている人質に、見覚えがあった。
忘れるはずがない。
あの少女は、先刻一雷精の胸に恋の矢を刺したオレンジ色の髪の美少女ではないか。
初めて会った時に見せた神秘的な表情は青色に染まり、煌びやかな色彩を誇っていた
ドレスは無残に引き裂かれて、目も当てられない状態となっていた。
「どうした見物者。誰かこの女を助けてやろうって気はないのか。もっと楽しませてくれよ」
男はそれぞれの手に黄色の小刀を持たせた。
一つ一つの動作がとても生々しくて気味が悪い。
「おい、お前」
人混みの輪の中心に身を乗り出そうとしていた一雷精を呼び止めたのは、黒いローブの男だ
った。
「手を貸してやろうか? 俺は別に冒険者じゃねーから法律は関係ない」
願ってもない提案だったが、一雷精はかぶりを振った。
自分のために今から人命救助を行うのだ。
他人を巻き込むわけにはいかない。
「いいや。俺一人で十分さ」
強がって見せたが、実際は不安で押しつぶされそうだった。
見ず知らずの女性を人質にし、全く悪びる様子も見せないあの人外は、相当の手だれなはず
だ。
いくら規格外の運命魔法を保持していたとしても、戦闘経験が不足している一雷精に必ず勝てるという保証も根拠もない。
湧き上がる恐怖に抗い、一雷精は体に光を纏って騒ぎの中心へと移動する。
「ああ?」
ビリビリというスパーク音を纏いながら、一雷精は人質と今回の事件の主犯の前に相対する。
一雷精よりも大きなその巨体から浴びる視線は、これまでにない震えを体感させてくれた。
嫌悪感を押しとどめ、冷静に敵となる男を観察して作戦を練る。
その大柄な体。恐らく敏捷度は低いだろう。
なら狙うは短期決戦だ。開始同時に思いきり走って急所に槍を射抜けばいい。
「……うん、悪くない案だね。いいよ」
算段を念入りに胸中で繰り返し、二ヤリと笑う。
『まずは人質を安心させてください。弱気者の安全。これは英雄人の中では最優先なことです。あと、あまり敵を刺激させてはいけません』
助言をありがたく頂戴し、じしりと重重しい音を立てて人質の女性に歩み寄る。
涙の痕が頬を埋めている彼女を見つめると、柔和に笑って言った。
「待っていてね。こんな不細工、今すぐにぶっ倒してあげるから」
「ああああ!!」
男の憤激の後、凍りついたような沈黙が訪れた。
野次馬の面々は面を食らったかのように両眼を瞬かせ、人質である女性は現状を理解できていないのか、目を瞬かせていた。
「てめえ、いい度胸だな」
今まで狂喜で身を包んでいた男でさえも、どこか困惑したような表情を見せている。
先程までの重苦しい雰囲気が霧散し、出鼻をくじかれたと思っているのか、その声色はいっそう迫力を増していた。
『挑発しちゃっているじゃないですか!』
早速助言を台無しにした一雷精に向かってフィアルは渾身のツッコミを脳内へ送った。
全てが台無しである。
「え? あはは。ごめん。つい本音が」
「は? テメエ今本音とか言いやがったな? 許さねえ。テメエだけは必ず殺す」
フィアルとの対話に突然敵が割り込んできた。この意思疎通機能って会話が筒抜けだから意味ないよなと一雷精は内心で悪態をつく。
「まあ、いいや。取りあえず、彼女を離すんだ」
無論、聞く耳を持つはずもなく、男は天に顔を向けながら豪快に笑った。
「離せと言われて離す悪党なんていないんだよ!」
右手を空高く掲げ、強く拳を握りしめる。
瞬間、男の手を砂塵が包み、鋭利な刃物に変形した。
「これが、君の運命魔法か」
「ああ、俺の運命魔法は砂。その魔法に込められた俺の歩む運命はこうだ」
獰猛な笑みを浮かべると、男は硬い刃の切っ先を一雷精に向けて突っ込んできた。
「全ての血液や体液を浴び、相手を骨抜きにする運命だ。生まれながらに殺戮者としての人生を宿命付けられた俺に勝てるわけんえだろクソガキ!」
肉薄する男の刃を槍で受け止める。
漫画でしか聞いたことのない斬撃音を耳にとどめながら、一雷精はその身を跳躍させ、人質のところへと移動した。
「大丈夫。今すぐ助けるから」
彼女の手を握るが、動く気配が一向になかった。
いくら力を入れても微動だにしない。
妙だと思った一雷精は女性に視線を巡らせると、ある一箇所の異変に気付いた。
両足が、砂の塊に抑えられている。
砂利が小さく鳴らしながら擦れあい、己の意思で行動しているかのように足を縛っていた。
『恐らく、あの男の魔法ですね。砂塵を固めて動けないようにしているんです』
「どうやって解除すればいい?」
『形態変化の類の魔法は、相手の気を失わせない限り効果がなくなることはありません』
「なら最初の目的は女性の救出ではなくあの男の討伐ということか」
向き直り、一雷精は男の背後目がけて槍を振りぬく。
僅かに電流を纏った穂先は、一つの閃光と化し標的を襲った。
ぐしゃという肉が抉られた音と感触を肌で感じる。
五腕が激痛に耐えるように踊り、背中からは緑色体液が迸る。
匂いは鉄を更に錆びさせたようなきつい悪臭だった。
「凄え! あのちっこいのが一撃くらわしたぞ」
「ありゃ相当の運命階級だ」
「もしかしたらまだ一〇人しか存在しない運命階級Sなのか?」
「いや、あの魔法の規模は、過去に助けられた英雄人と同等のものだったぞ……」
「そう言えばさっき、あのちっこい奴の隣にいた女があの槍に変身しているところを見た気が……人体武器なのか?」
戦闘を見物していた人々は各々顔を見合わせ、英雄人だ! と悲鳴にも似た歓声を発した。
予想外の展開に驚いたのか、野次馬達は次々に称賛の声を送ってくる。
そんなに褒められてしまうと恥ずかしすぎて全身がかゆくなってしまう。
「お前はいったい……」
嗜虐的な笑みはいつの間にか消え、恐怖に染められた表情に変貌している。
予期しない戦況に狼狽し、軽い錯乱状態になっていた。
一雷精と目を合わせるたびにビクッと体を縮こませ、後退さる。
「彼女の足元についている砂を取って貰おうか」
相手は一雷精の圧倒的すぎる能力に怯え、このまま逃げ腰になるかと思っていたが、その判断が甘かった。
男は狂ったように笑うと、両の手を空に掲げた。
商店中の砂が巻き上げられ、男の両手に砂塵が収束する。
小石が擦れ、塵ぼこりを周辺が舞い、大きな弾へと姿を変えていった。
「ハハハ、ギャアッハッ!」
圧縮された砂の塊に呆気にとられる。
追い込まれた生き物のする行動は、時として常識を覆す脅威となることを、一雷精はまだ知らなかったのだ。
甘かった。
迷わず心臓を狙えば事態は軽く収まったはずなのに。
己の未熟さを嘆く暇なく、一雷精は再度槍を構え、迎撃態勢に入る。
「ハハ……お前らはもう終わりだ。この圧縮された砂の塊に潰されて死ぬ。どうだ? 退くなら今のうちだぞ!? 命が惜しければ早く店にある防具と武器を一式よこせ」
猟奇的な笑顔に圧せられ、思わず気後れしそうになるが、一雷精は迷わず首を振った。
「いやだよ」
敵が射程圏内にいることを確認すると、槍を肩の高さまで上げて引き絞り、体を捻る。次は確実に急所に喰らわせてやる。
「アア! テメエも俺を邪魔するクズか。どいつもこいつも、俺のギルド登録を邪魔する輩はぶっ殺してやる!」
大岩と姿を変えた砂塵の塊が微かに動いた。
このまま直撃してしまえば一雷精も、その後ろにいる人質もただではすまないだろう。
しかし、一雷精は物おじせず、槍の高さを相手の心臓に固定させた。戦う気満々だ。
「いいね。俺にもどうしても叶えたい野望があるよ。そのためだったら何でもするさ」
怯えも、動揺も恐怖心も感じさせない平然とした口調でそう述べる。
人を殺したこともなければ、喧嘩もしことがない。
平和な環境で生まれ育ったこの体は線のように細く、非力だ。
それでも一雷精は立ち向かえる。
相手の命を平気で奪えるだけの精神を、あの時の戦いで手に入れたのだ。
「死ぬということだぞ? お前、その小さな体で何ができるんだ。たまたま一発俺に喰らわしたからっていい気になるなよ!」
当然さとうなずき、一雷精は不敵に笑った。
「武器を敵に向けた時点で、殺す覚悟も、殺される覚悟も俺にはある。俺はそんな覚悟を持って死んでいった人間を300人近く見てきたんだ。彼らに笑われないように、俺は常に死力を尽くすしかない」
地球とエリアリーの狭間で散っていった同志たちを思い浮かべながら、一雷精は男目がけて疾駆する。
この世界で最初に学んだことはただ一つ。
弱肉強食のサバイバルな環境では、己が持つ力が全てだということだ。
そこに同情の余地など混在しない。
平気で邪魔者は断つことが自然の摂理となっているこの世界は、温厚な日本とは全てが異なるのだ。
人を殺めることに迷いがないわけではないが、向こうがその気なら戦うしかない。
その結果、命がはかなく散ろうとも一雷精は後悔などしない。
己の願を叶えるため、そして今は後ろで助けを乞う少女のために、自分はこの場に立っているのだ。
地をギリギリにまで這い、風圧が頬を撫でる。
可視化ぎりぎにまで達した速度に身を投じ、勢いに乗った渾身の一振りを放つ。
電光を迸らせ、皮膚、肉体、臓器を容易に貫き、先端に体液を滴らせた。