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体温に、温もりがある。体を包んでいる柔らかい感触が全体に伝わる。空気に匂いがあり、畳の匂いが鼻腔を燻ぶる。ゆっくりと何かが頬をなぞり、とてもくすぐったい。時折笑い声が聞こえてきた。見知らぬ人間に笑われるのは気持ちのいいことではないが、何故だか心地が良い。
ここはどこだろう。
ふと両目を見開く。視界に映っていたものは、金色の瞳を美少女だった。
「気が付きましたか?」
少女は一雷精の覚醒に気付くとほっとしたように嘆息した。突然目の前に現れた闖入者に絶句しながらも一雷精は上半身を起き上がらせ、今いるyばしぃおを把握する。
日本を彷彿させる可能な畳に、質素な寝具。右手側には押入れが配置されてあり、左手側には小さな机と、その上に魚類中心の料理が施されていた。端的に表現するなら、日本の旅館といったところだろうか。
「ここは?」
「近くにあった宿です。私が精様を運び、ここまで連れてきたのです。お料理もおかみさんと協力して私が作りました」
「そうなんだ……」
眠気が覚めるにつれて、脳が段々と回るようになってきた。気絶する寸前の記憶が紐解かれ、現状を把握する。
うっすらとだが、彼女に覚えがある。確かこの少女教会の残骸から自分を守ってくれたあの時の少女なのか。
「君は、あの時の?」
「ええ。その通りです。見事な勝利でした」
パッと両手を叩き、一雷精に拍手喝さいを送った。少し照れくさかったが、褒められて気を悪くする人間など要るはずもなく、一雷精は情けなく表情を緩ませる。
「いやあ、あの時は必死だったし、あにお槍のお蔭さ……」
ふと気が付き、一雷精は周辺を見回す。先刻、自分に破格の力を貸してくれた黄金色の槍が見当たらない。あれをなくしてしまったら、自分はまた丸腰だ。
「あの、俺が持ってたはずの槍を知らないかい?」
「私ですよ」
「……う、うわあ」
ただでさえ強調の激しい胸部を堂々と張る少女に苦笑を浮かべた。槍の在処を聞いた質疑に対して私ですだなんて会話不全もいいところだ。
「私の名前はフィアル・ジョメウィルと申します。今は人間の状態となっていますが、基本はあの金色の槍です」
「えー。嘘くさいよ」
呆れるように吐息を漏らし、肩を竦める。とんだ電波症状を引き連れてしまった。
「信じていませんね? セルボス様から英雄人と革命人のことについて聞いていたはずですが」
脳をフル稼働させ、セルボスの語ってくれた説明を想起する。記憶の引き出しを手当たり足代探った結果、英雄人と革命人についての説明を思い出すことが出来た。
「ああ……。英雄人、即ちポリスリーの人間は生命を宿した武器を扱うとか言っていたな」
「そうです。私達は人体武器といって、英雄人の方々のお役に立つために作られ、鍛錬された超一流の武器です」
「武器に生命が宿るだなんて不思議過ぎてわからないや。どうやって作られるのさ」
「詳しいことはわかりません。エリアリーの辺境にある国に私達人体武器は生まれ育っています。事の詳細を聞きたいのなら、一度祖国へ行ってみましょう」
エリアリーの最奥か……。途方もない距離を想像し、愕然とする。興味はあるが、もうひと段落ついてからにしようかな。
「それに、精様にはやることが沢山ございますしね」
フィアルは黒い本を一雷精に見せてきた。全体が黒く塗りつぶされているその本の名前は、予言魔道書。
セルボスが自分に与えた最初で最後のアイテムだった。この本を見ていると、自分がもっと早く教会に辿り着けていたら違う未来があったのではないかと心底思う。
沈んだ表情を浮かべる一雷精の心情を察したのか、フィアルは一雷精の手を握り、柔和に笑って付け足した。
「ご安心ください。セルボス様はまだ生きています」
「え?」
信じがたい事実だった。気休めの言葉にしか聞こえなかった。現に、一雷精の眼の前でセルボスは右手だけを残してあの機械に咀嚼されていたのだ。
「私には知り合いの運命魔法を感知する能力があるんですよ。まだ、私には彼女の運命魔法が感じられます」
「そうなのか…よかった」
息を大きく履き、緊張していた体をほどき脱力させる。本当に良かった。
「さて、本題に入りますが、予言魔道書の予言が更新されたのをご存知ですか?」
「うん。知ってるよ。八人目とかいう奴でしょ?」
「そうです。その八人目が、精様なんですよ。ステータスを見てください」
促され、一雷精は地球人にだけ許された特権、ステータスを表示する。瞬間、目を疑った。
「運命魔法雷、運命階級SS、そして属性英雄人に……八人目!?」
驚愕のあまり泡を食う。突然変異にもほどがあるだろ。
「運命魔法の雷の意味についてはまだ明かされていませんね。自分の歩むべき運命の意味を悟らない限りそこは解放されません。まだ精様の運命魔法は未完成といったところでしょう」
「未完成であの威力かよ……それにしても、八人目って……俺が?」
自分に指をさし、フィアルの反応をうかがう。彼女は一雷精の期待を裏切ることなく、大きく趣向をし
た。
「そうなんです。精様は予言の中心である二人の『八人目』の内の一人なんですよ」
「俺が?」
中心人物ということは、早くも立役者として十ポイントを獲得できるのだろうか。
一雷精の心情をトレースしたかのように、フィアルは答えてくれた。
「精様は予言の中心人物ですので予言を達成次第、高いポイントをゲットできます。できますが、少々難点がありますね」
うーむと首を傾げながら、フィアルは文面と睨みあいっこしている。いったいどういう点が彼女をこんなに苦難させているのだろうか。
「どうしたの?」
思い切って聞いて見る。フィアルは渋い表情を浮かんで答えた
「まず、精様がどちらの八人目かによります。英雄人となった精様が悪魔側の八人目だという可能性は皆無に近いですが、必ずしもそうとは限りませんしね」
「お、俺は悪魔なんかじゃないさ」
確証はないが、そう宣告する。実際、自分は三年前の【転生者】とかいう奴のためにこの世界へ来たわけではない。部分的地震に巻き込まれた姉たちを生き返らせるためにエリアリーへやってきたのだ。
「そうですね。では、仮に精様が悪魔ではない方の『八人目』だとしましょう。予言では光の方の『八人目』は七人の守護者に導かれて片方の『八人目』と相対すると書かれていますね」
「うん」
「ということは、予言を成功させるにはまず精様は七人の守護者の人間にあって、最終的に『八人目』と戦わなくてはいけません」
成る程、とようやくフィアルが頭を抱えていた理由がわかった。
予言を遂行するにはこの幾千もある土地から七人の人間を探しだし、そのあと宿命付けられた死闘を繰り広げなくてはいけない。
自分は高ポイントを確約された立場なのと同時に、地球へ転移された百十四人の中で最も危険な状況に置かれているのだ。
これを幸か不幸か決定付けるのは、一雷精の度量次第だがあまり前向きに捉えきれない。緒言を遂行するには今ある実力が不相応すぎる
しかし、そんな悠長なことは言っていられないな。一雷精はそう思考を切り替え、ドスンと胸を叩いた。
「わかったよ。今すぐ探しに行こうか」
起き上がろうと体を動かす。瞬間、割くような痛みが全身に廻った。想像を絶する激痛で卒倒してしまいそうだ。
「精様は英雄人の能力をこじ開けたばかりですからね。細胞が全て強化されてる状態なので痛くて当然です。一日ぐっすりと眠れば治ります」
「そうなのか……でも、痛すぎるなあ」
ギンギンと疼く体を撫でながら、一雷精は声を霞ませた。差すような痛みは脳天にまで達し、言葉もろくに発せない。目尻に自然と涙が浮かんでしまう。
「本当ならご飯を頂いてほしかったのですが、仕方がありませんね。今日はゆっくりと眠ってください」
「そうだね……お言葉に甘えるよ」
ええと優しく笑うと、フィアルは耳を疑う言葉を発した。
「女の子なんですから、あまり体をいじめてはいけません」
……は?
「え? 今なんて」
「女の子なんですから、体をいじめてはいけません……ですか?」
痛みを忘れ、一雷精は大きく立ち上がった。
「俺は男じゃあああ!」
「ええ!」
金色の瞳が飛び出るくらいにフィアルは驚愕した。その頓狂な声は彼女からは想像もできないくらいに間抜けな声だった。
「え? だって精様は……」
顎に手を当て、思考をしたあと、一雷精に質問を投げかける。
「あの、もしかして親族の女性が英雄人というわけでもないんですか?」
「違うよ。君だってわかってるだろ? 俺は地球から来たんだ」
「あっはは。そうですよねー。失礼いたしました」
アハハーと苦笑いを浮かべてから、フィアルは痛みに悶える一雷精にそっと毛布をはおらせ、睡眠を促せた。
「明日に備えて寝ましょう。このフィアめが子守唄を歌って差し上げます」
「いや、そんなことしなくても寝れるよ」
一雷精の忠告は空しくもフィアルには届いていなかったらしく、彼女はやけに透き通る歌声を奏ではじめた。
その音色はどんな睡眠催促のBGMよりも効果的で、気付けば意識が夢の中へと飛び込んでいた。