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「では、今から二十分じゃ」
ベルディングの意向に逆らう人間はいなく、長い沈黙が下りた。
全員が、願いを遂行することと自分の命、どちらが大切なのかを熟考していた。
叶えたい野望、無限にある夢、未来への希望。それらを対価に、自身の命は捧げるに値するかを誰もが息を飲んで逡巡しているのだ。
二十分と長い時間をかけて、人生を駆けた長考がようやく終わる。
究極の二者択一の末に生存を選択した者は、五百人中、四百人だった。
「そうか。残念だったが、仕方のないことじゃ。この世界で頑張ってくれ」
惜しみながらそう呟いたあと、ベルディングは宣言通り、彼等を転移させた。
二十分前とは違う、張り詰められた沈黙がやってきた。
一雷精はどうしてか挙手という選択を取らなかった。
その答えは単純明白で、伊賀が手を上げなかったからだ。
ここで自分だけが脱落すると、二度と彼女を救えなくなる。
どうして退かなかったんだと悔恨の情に駆られるが、今更悔やんだって遅い。
「お主等に今から一発ずつ脳天を撃ってもらう。万一に、死んでしまった場合は肉体と魂もろとも消滅するので気を付けてほしいのじゃ……」
「そ、それって……存在そのものが消えるってことかよ?」
「ああ。それだけじゃない。死亡した瞬間に、忘却魔法が発動して死亡者の存在は生前関わっていた人々の記憶から消滅させる予定じゃ。
記憶を消しておかないと、色々と世間が騒いでしまうからな。最悪、地球のメディアにエリアリーのことがバレてしまうかもしれない。それは避けたいことじゃ」
「……そんな」
慈悲のない死亡者の末路を懇切丁寧に教えてくれたベルディングに対して、湧き上がった感情は恐怖でもなければ怒りでもない。それらの情すらも抱けない程に呆然と立ち尽くしていた。
今まで培ってきた証でもあるこの肉体が跡形もなく消え去り、その身を通じて繋がってきた人々の軌跡をも一瞬で断ち切ると彼女は断言したのだ。
願いを実現したいという想いは、今までの人生を否定されなくてはいけないほど重く、罪深いものなのだろうか。
「さ、流石にみんなブルっちまってるな……」
「そうですね……」
手近なものとなってしまった死に怯え、全員が引き金を引くことに対して及び腰になっている中、一雷精の右隣からそんな声が聞こえてきた。
声の主は、先程スマホで自分と妻子を眺めていた男だった。何事かぶつぶつと囁きながら、今でも液晶画面に映っている家族写真を食い入るように見つめている。
「俺はギャンブル癖がひどくてな……度重なる借金のせいで愛する息子と妻を失った。一度落ちれば中々社会復帰もできない世の中だ。俺にはもうこれしかないのかもしれない……」
ガチガチと歯を揺らしている。顔は青ざめていて、銃口を引かずとも今すぐにでも死んでしまいそうだった。
「ギャンブルには強い方じゃねえが、これにだけは負けられない。いくぞ!」
銃声が響く。男はその場で仰向けに倒れ伏した。
瞬間、紫色の光が彼を包み、肉体を溶かしていく。
十秒も持たず、男の肉体は光によって失われた。
「……」
光の終息する音が音が空間に伝い、残りの生存者は一斉に押し黙った。
目の前で、いともあっけなく人が死んだ。
頬に滴る鮮血が、何よりもその現状を確かなものとしている。
「彼は素質がなかったんじゃな」
鈴の音を鳴らすようにベルディングはその一言だけ発した。
「う、うわああああ!!」
前の方から聞こえた細い悲鳴を合図に、周囲の人間は壊れたように叫んだ。
狂騒、呆然、驚愕、悲鳴。
残留を選んだ400人の反応は千差万別なものだったが、誰一人として平静を保っている者は存在しなかった。
目の前で人が死に、その身も消え去る瞬間を目の当たりにしてしまったのだ。
次は我が身かもしれないという不吉な考えが反射的に浮かんでしまう。
それでも、もう引き返すことはできない。
先程の光景が尾を引いて全身が震える。
持っている拳銃をたまらず落としてしまいそうだが、もう400人の人間には引き金を引くという選択しか残っていないのだ。
そこからは早かった。
全員が矢継早と銃口を頭部に密着させ、弾丸を放った。
借金生活から逃れ、莫大な大金を手に入れるために。
恩返しもできないまま他界してしまった親に少しでも感謝の気持ちを伝えるために。
昏睡状態となった友人の意識を取り戻すために。
他の誰でもない、己の夢のために。
それぞれ違った願いを胸に、400人は弾丸を自分の頭部に射出した。
己の運命を受け入れて潔く引き金を引くものもいれば、泣き叫びながら半ばやけくそ気味に引くものもいて、懇願するように銃弾を浴びるものもいた。
音速で蠢く弾丸に脳天をぶち抜かれて、無事な人間は100人もいなかった。
大半の人間がそのまま血を見る結果となり、存在そのものを亡き者にしていった。
どれだけ人の死を眺めていただろうか、気付けば立っている人間は伊賀と一雷精だけになっていた。
あれほど人だかりで溢れていたこの空間も、今では鉄臭い匂いだけが蔓延している質素な場所となっている。
そう実感できるほど、目の前で人の命が散っていったのだ。体中に飛び散った鮮血の量がその壮絶さを物語っている。
「残るはお主達だけじゃ。うぬも余り人が死ぬ様を見ていたくない。はやくしてくれ」
「どうして……そんなことができるのよ」
ポツリと放たれた伊賀の疑問に、ベルディングは簡潔に答える。
「お主等がそれを願ったからじゃ。どんな願いでも叶えたいのなら、命くらい賭けて見せてくれ」
表情は暗かったが、それでも彼女の語句は強かった。きっと迷いなどないのだろう。
ベルディングの言っていることは、非人道的だが間違いではない。
抱いている願いを実現させることを確約する代わりに、自分の世界を救ってほしい。けれども、前回の人間達が余りにも不甲斐なかったせいで、今回は少し難易度を上げてみた。
それだけなのだ。
そこに不正と呼べる点があるはずもなく、規約を違反したわけでもない。むしろ、違反をしたのは自分たち地球側なのかもしれない。世界を救うという制約を放棄し
悠々自適に過ごしている人間が七人もいるのだから。
憤るべき相手はベルディングではなく、彼らなのかもしれない。
理性ではわかっているつもりだが、それでも納得することができないのが人間だ。
伊賀はこのまま引き金を引くしかないだろう。それは一雷精も同じことだ。
しかし、一雷精は地にへばりついている思い足を動かし、震える全身に鞭打って伊賀の元へ向かった。
ベルディングには何も罪はない。この場合、咎められるべき存在なのは、先刻挙手して転移をするという手段を選ばなかった伊賀の方だろう。
本当はわかっているつもりだ。頭の隅々まで理解しているはずだ。
しかし、それでも一雷精は言いなりになるつもりはなかった。
「フンヌ……!」
一雷精は伊賀の持っている銃弾を強引に掴んだ。
伊賀に引き金を引かせないためだ。
「一雷精……どうしてここに?」
面を喰らっている伊賀とは違い、ベルディングの顔は物凄く険しいものへと変貌していた。
「お主のしたことは反逆行為じゃぞ。わかっておるのか?」
剣呑な瞳を浮かべ、ベルディングは顔をしかめる。先程とはうって変わった本気の殺意が伝わってきた。全身に寒気が走る。
「まあまあ、落ち着いてくれよ」
年相応の子供を宥めるように両手でベルディングを制すると、一雷精は自分の銃弾をベルディングに向かって放り投げた。
「この銃弾、壊れていて引き金が引けないんだ」
続けて、一雷精は伊賀の銃弾を自分の頭部に向けながら、こう答える。
「だから、変わりにこのピストルを貸しておくれよ」
無謀すぎる賭けだった。このままベルディングの逆鱗に触れ、鉄槌を下される可能性だって十分にあっただろう。
それでも一雷精は一切動揺することなく、真っ直ぐにベルディングを見つめた。
「……」
鋭利な目が一雷精に向けられる。
「アッハハハ」
しかし、次の瞬間、ベンディルグは無邪気に笑っていた。予期しない状況に一雷精と伊賀は交互に顔を見合ってしまう。
「面白いの……。お主。いいぞ。もし、お主が素質アリの人間じゃったら、特別に彼女は喫茶店の外へ転移してやろう」
「本当?」
「ああ、うぬも折角呼んだ招待者がことごとく死んでいったせいで、ひょっとしたら誰もエリアリーへ行けないのではないかとやきもきしていたところじゃ。素質がある人間が一人でもいれば大儲けじゃ」
高らかに笑った後、ベルディングは一雷精に手を伸ばした。
「うぬが直接撃ってあげようぞ」
「そうか……なら、頼むよ」
迷っても無駄だ。そう割り切り、一雷精は伊賀からぶん取ったピストルをベンディルグに渡す。
これで逃げ場はなくなった。あとは己の運命に全てを託すしかないのだ。
「一雷精……そんな、あなたが撃たれなくても――」
肩を勢いよく掴んでくる伊賀の唇を右手で封じ、一雷精は優しい笑みを浮かべていった。
「心配しないで。俺は必ずあの世界を救ってくるよ。そして、もう一度四人で仲良く遊ぶんだ」
今思えば、始めて出来た友達は伊賀だった。当初は喧嘩するほど仲の良いという例の如く殴り合いをして
いたものだ。
最初の喧嘩の発端は、散髪に失敗した伊賀に対して一雷精が心もとないことを言ったせいだ。
惚れっぽい以外にも、一雷精には思ったことをそのまま言ってしまうという致命的な短所がある。
そして、それを教えてくれたのも伊賀だ。
掛け替えのない、今となってはたった一人の友達を見捨てるわけにはいかない。
「あなたを巻き込むわけにはいかないわ……私が、私が――」
瞳をにじませ、涙が頬を伝う。透明の粒は一筋の連なる銀となって地面へと落ちていく。
立ち崩れ、泣きわめく伊賀の頭を撫でやると、一雷精は自分の右手が血だらけだということに気が付いた。
体に付着する血液の跡は、夢破れた400人余りの人間が最後に残した生存の証明だった。
そして、一雷精だって彼らと同じような結末を辿るかもしれない。無事だという保証はどこにもない。
それでも、構わない。これで伊賀も、希望もみんな救えるのなら。
「最後にいいかい?」
一雷精は全身についた血の跡をごしごしと拭う。
一つ一つ、死んでいった同じ志を持つ人達に黙祷をするかのように鮮麗な手つきで払った
自ら被弾し、肉体を失った彼らはもうこの世にはいなく、一雷精もいつかはこの光景を忘れ、彼等を省いた断片的映像でしか今回の事柄を想起することができなくなるだろう。
しかし、彼等の悲願や、異世界へ行ことに費やした熱意は、ちゃんと一雷精の胸に刻まれている。
家族のために、あるいは己のために、あるいは誰かのために自分の命を賭けた人間は、傍から見れば地球で愚直に生きていくことを放棄し、都合のいい理想を追い求めた愚か者でしかないのかもしれない。
しかし、そんな理想に真摯に向き合い、命まで差し出せたのならば、それはある意味一つの英断だと一雷精は思った。
根拠もなく、保証もないが、度胸だけはある。彼等もまた、推し量ることのできない恐怖と果敢に戦った戦士達だ。
彼等の死は、決して無駄なんかではない。少なくとも彼らの雄姿は一雷精を絶大な勇気を与えてくれた。
自分も、逃げるわけにはいかない。
「お主の願はなんじゃ?」
容赦なく銃口を向けてくるベルディングに対し、一雷精ははっきりと答える。
「二年前の地震で死んだ人間全てを生き返らせることだ」
銃弾が頭部に着弾するのを確認する間もなく、一雷精の意識は遠のいていった。最後に伊賀が大声で自分の名前を叫ぶのが聞こえたが、その表情までは視認できなかった。
幻想的な世界が視界に広がっていた。
どこまでも透き通っている青空には生身の人が優雅に舞っている。視線を少し下してみると学校の中庭の倍はあろう巨大な噴水が水の粒を辺りに散らしていた。
周囲にいる建物が見渡す限り西洋風の造りとなっていて、まるでファンタジーの世界へやってきたみたいだ。
ここが、俗にいう天国なのだろうか。
『400人中、50人だけがあの弾丸に打ち勝ち、異世界への入り口をこじ開けることが出来た。それぞれ
違うエリアにいるじゃろうが、100人全員をエリアリーに届けたぞ』
脳内からベルディングの声が聞こえてきた。
「ということは……ここはエリアリーなんだね?」
そうじゃ。という返答を確認する。自分が死ななかったということは、伊賀も無事だということか。
エリアリーへ行けたことよりも、そちらの方に安堵し、胸を撫で下ろす。
「皆の衆には、特別に服装も強化しといたぞ」
視線を服の方へ移すと、ぶかぶかの学生服から立派な黄色と赤を基調とした騎士風の戦闘服になっていた。
『更に、地球人にしか使えない機能も付けておいた。データと脳内で命じてみるがいい。ぬしについての情報が最低限載っているはずだ』
言われた通りにデータと脳内で発言する。瞬間、小さなステータスらしきものがうかんできた。
名前・一雷精
持ち物・異世界翻訳機
武器・なし
運命魔法・未明
運命階級E
属性・なし
その他・なし
「確認したよ。ありがとう」
そう告げると、最後に彼女は大きな声で一雷精達を奮い立たせた。
『お主等は賭けに勝った。願いを叶えられるだけの力があるのじゃ。この世界で新たな概念を作りだし革命を起こすのか、それとも世界を救って英雄になるにか、はたまた野望を捨て、自由に生きる凡人になるかは君達の運命次第じゃ』
そうだ。と一雷精は右手をギュッと握った。
全身は凄まじい勢いで震えているが、これは先刻までの恐怖によってのものではなく、一種の武者震いのようなものだった。
――これでもう、本当に退けなくなった。俺は最後の一人になるまでこの世界で戦い続けなくちゃいけない。
願いを叶えるために集った人間は前回のを含めて七四人。その中の頂上に立つために一雷精は唾をごくりと飲んだ
どれだけ道が険しくとも、決して一雷精は諦めない。はいつくばっても、心臓しか動けいないという状況になっても、願いを叶えてやる。
『そう、この世界は文字通り、運命が全ての国じゃ!』